2009/12/13

217【能楽鑑賞】野村四郎の能「鵺」を観る

 久しぶりに野村四郎師の能を観てきた。
 
能 鵺 白頭 
  シテ野村四郎 ワキ江崎金治郎 アイ山本則秀 
  大鼓佃良勝 小鼓幸正昭 太鼓観世元伯 笛一噌隆之
  地頭浅井文義     2009年12月12日 川崎能楽堂

 「鵺」という能ははじめて観た。源頼政に退治された怪物の話である。頭は猿、身体は虎、尻尾は蛇というキメラである。
 例によって、旅の僧が泊まった川辺の仏堂に怪しいものが出てくる。お前は誰かと聞けば、頼政に殺された鵺の幽霊で、成仏できないので弔ってほしいと言って姿を消す。
 ここまでが前場で、後場は僧が読経していると、鵺が出てきて殺されたときの様子を仕方話して、また消える。話はそれだけである。

 見所は、鵺が殺される前後の演技であろう。鵺が自分のことの物語だから、殺される側の鵺の演技はあたりまえだが、殺す側の頼政の演技もするので、よく考えるとおかしいのだが、能にはそんな演出が普通にある。それを観ているときはおかしいと思わないのは、演技の力である。
 この怪物の鵺は、僧の念仏で成仏したのだろうか、そこがよく分からない。鵺の最後は、祈ってくれといいつつ、よろよろと幕に入ってしまう体となる。これは川流れである。
    ◆◆◆
 この鵺を退治した頼政に関しては、その名をつけた能がある。彼は歳とってから、どうでもよいことで平家に刃向い挙兵して殺されてしまう。能「頼政」はその殺される合戦の様子であり、能「鵺」と似ている。作者がどちらも世阿弥だから、つながりを持って作っているだろう。
 その能「頼政」も、最後は「あと弔い給へ、御僧よ」と頼みながら草の陰に消えるのであるが、明確に成仏したとは謡われない。

 能ではどんな苦しむ霊でも最後に成仏させることが多い。例えば能「清経」では、「仏果を得しこそありがたけれ」と納まるし、能「砧」では「成仏の道あきらかになりにけり」と謡うのである。
 それに比べて鵺も頼政も踏ん切りが悪い。どうもこれは成仏していないらしい。敗者の悲哀がこの能のテーマと言われるのはそこにあるのだろう。
 だから演技でいちばんの核となるのは、実は最後のほうで流れ足で橋掛かりに入ってからの、小舟で流されていく遺骸となった鵺の哀感表現かもしれない。今回の野村四郎の演技も、そこに惹かれた。
    ◆◆◆
 狂言は「福の神」であった。山本則俊以下、則重、則孝、泰太郎、則秀と大蔵流山本東次郎家がぞろぞろ登場して、西の和泉流茂山家に対抗できる人数で、まことに繁盛おめでたいことである。
  来年2月13日午後、目黒の喜多能楽堂で野村四郎「松風」がある。野村四郎はやはり三番目物がいい。
 参照→野村四郎師サイト

2009/12/12

216【言葉の酔時記、怪しいハイテク】中身を真っ新に改めないのに「更新」とは言葉が違うよ

 インタネットサイトの「更新」という言葉がおかしいと昔から思っている。
 この世界では、なにか記事を付け加えただけで「更新」というのである。何も書き換えていないのに、なぜ更新なのか?

 ではおなじみの広辞苑。
・こう‐しん【更新】①あらたまること。あらためること。「記録を―する」 ②〔法〕契約などの期間が満了した時、その期間を延長し、または新契約を結ぶこと。 ③〔生〕植物群落の遷移。特に、極相森林で世代の代ること。
・あらた・める【改める・革める】①新しくする。これまでのをやめて、別のものにする。 ②あるべき状態になおす。改善する。正す。 ③(ことばや態度を)堅苦しく儀式ばらせる。きちんとさせる。

 ということで、ブログのようにただ付け加えただけでは更新とは言わないのである。掲載記事を書き換えたら更新なのである。
 まったくもって、IT用語の日本語知らずである。

 思い出せば、ずっと以前に「購読」てのがあって、インタネット用語では「サイトを見ること」だって、ある人から聞いたことがある。
 でも、無料で購読ってのはおかしいでしょといったら、今はカイヘンをゴンベンに直して「講読」と書くことにしたと返事をもらった。
 今もそうしているのだろうか。辞書で「講読」を引いてみなさいよ、大間違いなんだから、。

215【言葉の酔時記】富士通社長にとってスパコンなんてどうでもいいことなんだな?

 広辞苑に曰く
こだわ・る
①さわる。さしさわる。さまたげとなる。膝栗毛六「脇指の鍔が、横腹へ―・つて痛へのだ」 ②気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる。拘泥する。「形式に―・る」 ③故障を言い立てる。なんくせをつける。

 さて、今朝の朝日新聞経済欄に、富士通なる電器屋の社長の言が載っている。
富士通はスパコンの開発にこだわっていく
 先般、政府事業の仕分けなるイベントで、槍玉に上がったのがこのsuper computerの開発であったことは記憶に新しい。

 この富士通社長の発言から見ると、super computer開発なんて、「気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる」ことであるらしい。
 だとしたら、仕分け人が言う如く、そんなものを国がやることはないってのは、事実なんだろうなあ。
 ワープロと双璧の変な言葉のスパコン、え~と、スパンコールってあったなあ、なんだっけか?

2009/12/09

214【日々の生活】美術展のハシゴ

 昨8日は思い立って3つの展覧会をハシゴしてきた。
 ひとつは東京丸ノ内にできた三菱1号館美術館のプレ展覧会「一丁倫敦と丸ノ内スタイル」展、2番目は千葉・松戸の松戸市立博物館の「日本表現主義」展、3つ目は東京・木場の都立現代美術館で「ラグジュアリー:ファッションの欲望」展である。

 復元三菱1号館にはじめて入った。展示よりも内部の復元はどう見せているのかが気になっていたのだ。このことで考えさせられることがあったので、いずれまちもり通信の瓢論で書く。

 日本の表現主義展は、既にこの春、栃木県立美術館で見ているのであるが、あまりに厖大で見たりなかったので、招待券をいただいたのを幸に再訪した。
 ただし、栃木県美よりもっ会場が狭いので、あまり見ごたえがなかった。
 3回に分けて展示替えするのだそうだが、あれほど沢山の資料を集めたのを、できれば一度にゆっくり見たいものだ。それが表現主義を多様な面から再評価する良い機会になるのだ。
 この展示ではちょっと残念である。
松戸市博物館には、どこでもよくある郷土史の石器やら甕やらジオラマ等があったが、わたしが面白かったのはそれではなくて、常盤平団地という1959年から入居が始まったいわゆる公団団地の中の住戸を再現したものであった。
 あの時代の生活を思い出した。しかし、不満だったのは、常盤台団地の成り立ちなど現代史としての展示があっても良いだろうに、たんに2DKの再現だけであったことだ。

 ファッションの欲望展は、実はよくわからないのだが、招待券をもらったので、久しぶりに服飾ファッションを見てきた。
 仕事でファッションタウンなるものに長く関わっていたことがあるので、まんざら無縁ではない。

 隣の部屋でアメリカの絵画展をやっていて、ウォーホールやリキテンシュタインのポップアートの作品に出会った。
 リトグラフの何枚もの色違いマリリンモンローとか、漫画の1コマを拡大して印刷のドットまで丹念に模写した油絵とかで、ああ、アレはここにあるのかと、ちょっと驚きつつ楽しんだ。

 外に出ればさすがにとっぷりと日は暮れている。
 近くの門前仲町の居酒屋「魚三」による。壁に貼られた100以上もありそうな手書きメニューがポップアートにみえる。
 酒3本、生と焼と煮魚をひと品づつ、良い機嫌で締めて1200円、急に文化のレベルがダウンしたのであった。
 参照→207日本の表現主義展

213【日々の暮らし】貼り紙だらけ

 
 横浜のわたしが住む共同住宅の、玄関ホールなどに、最近、管理者からの張り紙がやたらに出てくる。
 その内容が恥かしいくらいに低級で、小学生に言い聞かせるような常識的なご注意ばかりである。その中には自分もいるのだが、この共同住宅に住んでいる人たちのレベルが今頃になって分かった。
 家庭ゴミのだし方の案内パンフレットが、中国語、韓国語でも貼ってある。
それなら注意書きも3ヶ国語である必要がありそうだが、日本語だけのところを見ると、注意するべき行為をする奴等は、日本語のわかる人たちだけかしら。

2009/12/06

212【言葉の酔時記】辺野古に仕分けに分別

 広辞苑にはこう書いてある。
『へ‐の‐こ【陰核】 ①陰嚢中の核。睾丸。〈和名抄三〉 ②陰茎』

 ちかごろのTVでは、男女が平気でヘノコヘノコとのたまうのだが、紳士たるわたしはどうにもはずかしくて聞いていられない。辺野古には申し訳ないが、。

   ◆◆◆

 また広辞苑に、こう書いてある。
『し‐わけ【仕分け・仕訳】 ①区分すること。分類。類別。「郵便物を―する」、②簿記上の取引を借方と貸方とに区別し、それぞれに適当する勘定科目をつけること。③税関上屋(ウワヤ)内などにおいて、貨物を荷主別・到着港別などに分割・類別すること』

 今の評判の政府事業の仕分け作業とは、要るもの、要らないもの、再検討するものに分類することを言うらしい。
 これってゴミ出しの分別(ぶんべつ)と同じである。燃やすもの、再利用するもの、埋めるものである。
 どうせなら、国の仕事分別作業と言うほうが、とりあえずは分かりやすいと思う。

 で、仕分け人やら政府側の人やらが、マスメディアから資格があるのかとか、やりすぎだとか、なってないとか色々言われているが、ようするに彼らが分別(ここではフンベツと読む)をもって分別(ここではブンベツ)してるかどうかだな。

 またもや広辞苑にこう書いてある。
『ぶん‐べつ【分別】:種類によってわけること。区別をつけること』
『ふん‐べつ【分別】:①(もと仏語から) 心が外界を思いはかること。理性で物事の善悪・道理を区別してわきまえること。徒然草「―みだりに起りて、得失やむ時なし」、②考えること。思案をめぐらすこと。狂、萩大名「今日はどれへぞ珍しい所へお供致したいものでござる。汝、―をしてみよ」、③世間的な経験・識見などから出る考え・判断。五人女四「久七―して、いやいや、根深・にんにく食ひし口中もしれずと、やめけることのうれし」。「思慮―」、④(僧の隠語) 鰹節(カツオブシ)』

2009/12/05

211【日々の暮らし】喪中葉書

 年末になると「喪中につき云々」なる葉書が続々とやってくる。
 これって年賀状を出さないってお詫びらしいのだけど、喪中には人様からお祝いを言われるのはそれが何であれ嫌なのかもしれないが、人様にお祝いを言うのもいけないのかしら。そこがよく分からない。

 わたしの場合はどうしたか。実は何もしなかったのである。普通に年賀状を出した。
 親戚にはともかくとしても、こちらの親族と知己でもなんでもない人様に喪中といっても、なんの関係もないからである。
 同様に、他人からその親族の永眠をもって喪中といわれても、お知らせをいただいたご当人は知っていても、その親族を知る場合はめったにないから、どうもピンとこないのである。

 ほとんどの葉書がそっけないお知らせである中に、「永年、一家の手法をつとめながら、学校教育および社会教育に取り組んだ母は、近年、幾多の病に臥しがちでしたが、、」とあるものがあり、この友人のご母堂は見知らぬが、母子の情が感じられたのである。

 それにしても、永眠された方の年齢をちょっと挙げてみても、98、100、84、89、88、82、94,91と、将に超高齢社会の真っ只中であることが分かる。
参照→077年賀状をやめる  066喪中ごあいさつ 

2009/12/04

210【各地の風景】鎌倉の世界遺産

 日本各地で世界遺産登録の暫定候補地がいくつかある。どれも登録に至るには足踏みしている。鎌倉はその中では老舗格になってしまった。
 その鎌倉で今年も11月8日に、市民による世界遺産を考えるワークショップがあった。一昨年から3回目である。

 鎌倉世界遺産登録推進協議会と鎌倉の世界遺産登録をめざす市民の会が音頭とりであるが、鎌倉にいる建築家の畏友が事務局長兼総括進行役ボランティアでがんばっていて、わたしはコメンテーター、つまり全体の論の整理係として参加した。
市内外から公募に応じた60人ほどの市民たちがやってきて、市役所の大きな部屋で、6つのグループに分かれ、土曜の午後の半日をかけての話し合いであった。
 テーブルごとに討論する遺産候補群をそれぞれ定めているが、論は登録のテーマとしている「中世武家の都」を超えて、時間的にも空間的にも広がるばかり。
 
みんなの論点は、とにもかくにも登録に持ち込む算段はどうするか、登録するにはまちづくりをちゃんとしよう、登録して市民に何のメリットがあるのか、そもそも登録する遺産を市民は知っているのか、などなど、毎年のように堂々巡り気味にもなる。
こうして多様な人たちが、世界遺産という大きなテーマの下に、地域のまちづくりを真剣に話し合うことが、地域コミュニティー形成に大きく役立っていることを感じたのであった。

 参照→◆裏長屋の世界遺産談義(2009)
      ◆102世界遺産よりも宇宙遺産
       ◆世界遺産とはなんだろうか(2008) 
        ◆山並み眺望をついに守りとおした鎌倉(2008)

2009/12/02

209【言葉の酔時記】今年の流行語を半分も知らない

今年の新語流行語大賞なるものがあるとマスメディアが伝える。どこかの企業が決めているらしい。
 で、そのトップテンは次のようなものというのだが、半分は知らない。

 「政権交代」はもちろん知っている。だが、これは新語じゃないが流行語か?
 「こども店長」ってなんだ?
 「事業仕分」は、あまりに有名になった。新語のように聞こえる。
 「新型インフルエンザ」はもちろん承知。未だかかっていないけど。
 「草食男子」たあなんだ、要するによわよわしい男ってことか?

 「脱官僚」は新語じゃないからとて、なんで流行語なんだよ、いまごろ流行語というほうがおかしい。
 「派遣切り」なんて、今年の新語のようだが、流行語にしたくないという皮肉をこめて社会批判として採用したのかしら、それならこの企画にも芯があるけどな。
 「ファストファッション」、こりゃなんだね、ファスト風土とかファストフードの類か、お手軽で半分裸の格好のことか、ならばチジミのシャツにステテコこそファストファッション?
 「ぼやき」ってのは、なんでもプロ野球の監督のことらしいが、興味ない。
 「歴女」、??

 こうしてみると、わたしの知らないのはどれもTVタレントものらしい。知らなくてあたりまえだ、だってTVを見ないんだもん。

2009/12/01

208【怪しいハイテク】欠陥IT商品の責任

 官庁の諸手続きを、コンピューターからインタネットつかってできるように、電子化システムを各官庁が整えてきたが、なんとまあ、その利用率がぼろくそに悪いとマスメディアが伝える。
 システムの開発費と維持費ばかりかかって、利用者1件あたり数万円もかかっている計算になるものもあるという。

 そりゃそうだろう、例えばわたしだって所得税の確定申告で、その電子システムでやろうとしたが、まず認証のめんどくささでひっかってやめた。
 ネットにある計算システムだけ利用して、紙に印刷して郵送しているのである。
 要するに使い勝手があまりに悪いので、紙で届けるほうが楽なのである。

 ほかも同じだろうが、なんでそんなに利用率が低いか、それはコンピューターの普及とかではなくて、やってみればわかるが、システム利用案内の日本語が分からないのである。
 これも私が何度も言っているように、日本語を知らないITバカ技術者が作るからである。

 そんなシステムを買う官庁も官庁である。買う前に市民に利用の実験してみればすぐにそのバカさ加減が分かることである。
 マスメディアは、役所が無駄使いしてけしからんて論調だけど、これははっきり言ってIT業者が欠陥商品を納入したのである。使えないものは欠陥商品である。

 たとえて言えば公共施設として劇場を建てたとしよう。
 先ずそこを使うには鍵を開けて入らなければならないが、これが面倒くさい手続きを要求するから、嫌になって使うのをやめるのである。
 たとえ鍵を開けたとしても、こんどは中の部屋や設備の使い方の案内書が分からないのである。
 たとえ使えても、その面倒なことおびただしい。
 というわけで、使えないもの、つまり欠陥商品を売りつけたのである。

 素人をだまして、高い金を取ってつくり、維持費も独占的に高い金を取って、要するにこの件でボロもうけしたのはIT業者で、大損をしたのは税金を納めた市民である。
 そこをマスメディアはなぜ追求しないのか、メーカーやソフト業者の責任をなぜ言わないのか不思議である。欠陥建物ならすぐ設計者や建設業者をどうのこうのというのに、お前等おかしいぞ。
 思い出せば、森喜郎首相というどうみてもITと程遠いお顔の方がIT立国なんていっていた。IT業界を税金で儲けさせたのであった。