2014/06/11

934【五輪騒動】ザハデザイン新国立競技場は槙デザイン東京都体育館によく似合うとJSCの都市計画提案書

 新国立競技場について、JSC(日本スポーツ振興センター)が2012年12月に東京都に提案した、神宮外苑地区の地区計画についての都市計画案の中身を知った。市民団体の方が情報公開手続きで手に入れたらしい。
 普通はそれを審査する特定行政庁(この場合は東京都)の都市計画関係のサイトページで公開されるものだが、その頃にわたしはネット検索してもひっかからなかった。
 横浜市ではネット公開するが、東京都や区では公開していないのかも知れない。

 もっとも、こうやって手に入れることができる提案書というものは、提案事業者と行政担当部局との間で、事前調整にがほぼ整ったものであるとみてよいから、既に都市計画決定したものと中身は同じである。
 ただ、都市計画決定文書には載っていない、いろいろな計画立案上の考え方が載っているので、かなり専門的だが、それを見て事業者側がどう考えたかを観察するのは面白い。
 なお、この提案書は、都市計画設計研究所がJSCから受託して作成したらしい。コンペ当選のザハハディドデザインをベースにしている。

 長たらしい内容なので、気が付いた興味深いこと、しかも専門家でなくても面白いことを、二つだけ書いておく。
 ひとつは、そのザハデザインが両隣の建築とどう対応するかということである。そのことを書いたページの一部をコピー引用した。
 要するに、東京都体育館(槙文彦デザイン)とは「類似的で連続性を保つ」としており、絵画館とは「対比的な空間デザイン」であるとする。その上で「全体として躍動感にあふれたデザイン」とするのだそうである。

 ほう、なるほど、そうだねえ、東京都体育館は、これも実はザハハディドのデザインだと言っても、おかしくないような感もあるよなあ。
 ということは、絵画館と東京都体育館とは「対比的なデザイン」であることになる。そのとおりだと、わたしも思う。

 両者の間に国立競技場が建っているから、気が付かなかっただけだったのだ。槙デザインは、実はこの神宮外苑あたりの景観にはマッチしない建築であったのだ、と、これまでだれも言わないのが不思議である。
 まあ、現国立競技場だって神宮球場だって第2球場だって、ほとんど絵画館とは関係ないデザインですがね、だれも、それをいやだって言わないのも不思議だし、高さだって絵画館を含めて、どいつもこいつも風致地区条例違反(既存不適格)ですが、それを言わないのも不思議だよなあ。

 さてそれでは、「対比的な空間」となる絵画館と新国立競技場を、どう考えるか。
 提案者のJSCは、多分、対比的な空間からは「躍動感」が「溢れ」てくる、それがスポーツの空間というものだよ、キミ、って言ってるんだろう。
 まあ、権威の権化のような姿の絵画館が、突然に躍動感に溢れさせられちゃって、余計なお世話だっていうのか、時代に対応して変化しようって張り切るのか、そこは知らない。

 わたくしとしてはですね、時代に対応して変化していただいて、もうそろそろ明治帝政の残滓をお捨てになっていただくときだと思いますがねえ。
 そもそも外苑をスポーツの場としたのも、身体健全なる青年を兵士として育てる、強兵策のひとつだったんですからねえ。日本青年館はそのためのものでした。なんせ、元が青山練兵場ですから。だからこそ、1943年に第1回学徒入隊の壮行会が、外苑競技場で開催されたのでしょう。

 絵画館がいくらそれは嫌だと言っても、アカンベ48とかエクセルとかって芸人たちで「躍動感溢れる」新時代の空間にならざるを得ないし、そうなるべき平和の時代でしょう。
 日本の20世紀前半を支配した天皇制権威主義の風景よ、いまこそ、さらば!
 あ、まてよ、アホノミクス集団的自衛権とやらで、やっぱり富国強兵策競技場であるべきなんですかねえ。

 さて二つ目の興味あった記述である。
 これは新国立競技場の法的な高さ限度の計算である。
 提案書には法制度の運用基準による高さ緩和の計算をしてある。元になるのはザハ案である。
 しかしザハ案をもとにして運用基準に当てはめると、高さ限度66mまでにしかならず、「現計画の建物高さは、有効空地の確保に基づく高さの最高限度を超過している」と記述してある。
 そして「今後、計画・検討を深化させる中で、有効空地確保の制度と合わせ、運用基準との適合を図る」とある。

 ところで、都市計画決定した新国立競技場用地の緩和高さ限度は75mである。ということは、この提案書を出した後で、75mになるようにザハ案をいじって有効空地を広げたのだろう。それをどうやったのか、わたしはそこまで読み込む興味は起きない。
 まあ、これから建築審査会が思案するのでしょう。
 なんにしても都市計画審議会の議事録には、その説明も質疑もなかった。

(追記20140612)
 「躍動感溢れる」で思い出したことがあるので書いておく。1952年5月1日の日本独立後初の第23回「統一メーデー」は、神宮外苑の絵画館前広場で約40万人もの参加で開催された。まさに躍動感溢れる空間となっていたのであった。
 絵画館前広場は40万人も収容したのだから、新国立競技場が8万人収容とかだそうだけど、何とかなりそうなものだと思ってしまう。
 ただし、1952年メーデーは躍動感が溢れすぎてしまって、集会後のデモ行進は皇居前広場に入って行って「血のメーデー」となったから、あまり収容人数が多すぎるのも問題なんでしょうな。

参照◆新国立競技場と神宮外苑そして2020五輪運動会についての瓢論・弧乱夢
http://datey.blogspot.com/p/866-httpdatey.html

 

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