2018/01/14

1315【言葉の酔時記:アメリカ俗語研究】トランプはshit-hole countriesと言ったと非難されてるが実はshit-hot countriesと褒めたかったのをうっかり言い間違えたのかもなあ

 “Why are we having all these people from shit-hole countries come here?”  中米とかアフリカとかの国々を、トランプがこう罵ったらしくて、「野外便所」の国と朝日新聞は訳している。ネットでも話題で、世界各地でそれぞれ勝手な訳語をあてているらしい。  スラングの辞書をみたら、shit-holeのあたりは罵り言葉ばかり並んでいて、面白いけどねえ、そんな汚い言葉を大統領が話すって、アメリカって庶民の国なんだなあ。
 わたしが一番に思い付いた訳語は「野壺」あるいは「肥溜め」なんだけど、思えばこれはいまでは死語なんだね。  昔は人糞を作物の肥料にしていたから、田畑の畦道際に大きな丸い桶を埋めて、人糞をこれにしばらく溜めて腐敗させてから作物の根にまいて肥料にした。ときどき子どもがこれにハマって糞だらけとか溺死する事件が起きたものだ。いたずらで石を投げ込んでいたら、農家のひとに「こらっ、拾い出せッ」って叱られて、なんともはや困りきったこともある。  うーむ、「肥溜め国」ねえ、よく言うよなあ、すごいなあ、正直だよなあ、政治家には向かない人だなあ、。  もしかしてトランプは、アメリカの肥やしになる国々って言いたかったのかなあ。それも正直な発言の様な気もする。  いや、もしかして、実は「shit-hot countries」と、おおいに褒めるつもりを、「shit-hole countries」って言い間違ったのかもしれないなあ、、あるいは聞いた方が聞き間違えたかもなあ。

2018/01/03

1314【FACEBAKA与太記事2017年12月】退位、原発、ミサイル、なんだかんだ、、、

2017年12月にフェイスバカに掲載した与太記事のまとめ

12月2日
天皇が退位したら、当然のことに、内閣総理大臣も退位するんだろうなあ、むかしから天皇を敬愛する偉い人って、ホラ、追い腹切るでしょ、乃木さんみたいにね、

12月4日
あっちじゃ造ったものが壊れて撤去作業中、
こっちじゃ作ることやめて会社切り売り中、
どうなるんですかねえ、TOSHIBAさん

2018/01/01

1313【更に・山口文象設計茶席常安軒】北鎌倉浄智寺谷戸に関口邸茶席を創った人守ってきた人未来に伝える人

北鎌倉浄智寺谷戸関口茶席由来記 その6
伊達 美徳

北鎌倉浄智寺谷戸の旧関口邸茶席が公開されるとて、その80余年の由来を建築家山口文象を軸に記すことにした(6回連載)
その5】のつづき

●関口邸茶席を創った関口泰

 この茶席をつくった関口泰(せきぐち たい 1889~1956)は、朝日新聞論説委員だったジャーナリストであり、評論家として政治や教育論の著作を多く世に問い、加えて旅と山歩きを趣味として随筆や短歌俳句もよくした。
 著作の公刊書も36冊と多く、『民衆の立場より見たる憲法論(1921年)から始まり、『軍備なき誇り(1955年)が最後であった。没後に関口を惜しむ人々や近親者が編集刊行した『関口泰文集(1958年)と『関口泰遺歌文集 空のなごり(1960年)に、主な著作が収録されてその足跡がよく分る。
 この浄智寺谷戸を愛した関口は、『金寶山浄智禅寺(1941年)なる深い歴史考証の著作を出版した。その「後書」に、関口が浄智寺谷戸に居を構えた1930年頃の風景や人物の状況を細かに記している。それらを瞥見して関口のことを記す。 
浄智寺の庭の関口泰 引用元:『空のなごり』1960年

2017/12/29

1312【又々・山口文象設計茶席常安軒】鎌倉に居ながら京都の大徳寺忘筌の庭に高台寺遺芳庵吉野窓を眺めようと欲張り技の茶室写し

北鎌倉浄智寺谷戸関口茶席由来記 その5
伊達 美徳

北鎌倉浄智寺谷戸の旧関口邸茶席が公開されるとて、その80余年の由来を建築家山口文象を軸に記すことにした(6回連載)


その4】のつづき
さて、ようやく関口邸茶席の本館とも言うべき
数寄屋会席について述べる。
どこかで観たことあるような……


 
●関口邸茶席の数寄屋会席今と昔

 浄智寺谷戸の道から草屋根の門をくぐり路地を歩めば、最初に出会うのがこの数寄屋建築の会席である。吉野窓茶席はその裏に隠れて、やがてやってくる客を待ち受ける。

 吉野窓茶室が小面積なのに大きな髙い屋根を載せて、ボリュームを大きく見せているの対して、数寄屋会席の方はその大面積をできるだけ小さく低く見せようとしている。屋根を小瓦一文字葺きと杮(こけら)葺き(いまは金属板葺き)の奴(やっこ)葺きで薄く軽く見せる。
左に数寄屋会席、右に吉野窓茶室

2017/12/25

1311 【又・山口文象設計茶席常安軒】北鎌倉には三角茅葺屋根とまんまる吉野窓が浄智寺谷戸にも明月院谷戸にも古雅な姿を見せる

北鎌倉浄智寺谷戸関口茶席由来記 その4
伊達 美徳

北鎌倉浄智寺谷戸の旧関口邸茶席が公開されるとて、その80余年の由来を建築家山口文象を軸に記すことにした(6回連載)

【その3】のつづき

●大工棟梁山下元靖の回顧譚

 この茶席常安軒の工事をしたのは、大工棟梁の山下元靖であり、『工匠談』(1969年 相模書房刊)という本を出して、自分のいろいろの仕事を語っているが、その中でこの茶席の想い出も35年も前のこととして語っている。
 この本には、山口文象による「山下さん」という序文があり、関口から設計を依頼され、山下と「毎日浄智寺の現場で……けんかをしながら楽しんで仕事に没頭した」と記している。どちらも30歳そこそこの若者だった。


 山下はその本の「北鎌倉の関口邸の茶室」という章で、数寄屋会席については何も述べず、吉野窓茶室と離れの工事についての自慢話をしているのが興味深い。
 その吉野窓茶室について、草ぶき屋根の小屋組み仕口の仕事を茅葺屋根専門の職人から褒められたこと、吉野窓を貴人口にも使うように工夫したこと、土庇柱の沓石に寺院の向拜の沓石を転用したように古びて見せる工夫をして関口を感心させたことなど、職人肌が面白い。
窓は吉野窓にし、直径を京間の六尺の大丸窓にしました。
それは貴人口にも使用する関係で、丸窓の下部を半紙幅の半幅、
つまり下から約四寸の高さのところを図のように水平に切り、
掃き出しも兼用できるようにしました
」(『工匠談』)

2017/12/21

1310【続々・山口文象設計茶席常安軒】ベルリンでの関口と山口の話で始まった浄智寺谷戸への京都高台寺遺芳庵の写し茶室「吉野窓由来」

北鎌倉浄智寺谷戸関口茶席由来記 その3
伊達 美徳
北鎌倉浄智寺谷戸の旧関口邸茶席が公開されるとて、その80余年の由来を建築家山口文象を軸に記すことにした(6回連載)

【その2】のつづき 

●京都高台寺遺芳庵の鏡写しの茶室

 この茶席をつくるにあたっては、関口泰があの茅葺の茶室をつくりたいことからはじまったらしい。京都で見たある茶室の姿に惚れて、浄智寺谷戸の持ってきたい、そして山口文象も関口よりも前にそれを見て、素晴らしいデザインだと知っていたというのだ。
 だから、この茶室は既存の茶室のコピーである。ただし、コピーするときに左右逆転の設計をしている。
 なお、昔から茶室の建物は、「写し」といってコピーをつくることが普通に行われていたから、特に不思議でもない。

 さてそのコピーされたほうの京都の茶室は、高台寺ある「遺芳庵」である。
 この茶室については、なんだか俗受けする由来があるようだが、ここではそれはおいといて、関口茶席としての由来を書いておく。
 だがわたしは茶室建築には暗いから、興味だけで書くから間違っているかもしれない。

2017/12/20

1309【終活余談】あきひとさんの終活でちょうどよい機会だから日ごろ面倒な「元号」をもうやめてちょうだいな

 「終活談義」なるお題を、「現代まちづくり塾」の塾報編集委員からいただいたので、わたしだって終活年齢だが、それを書くにはまだ早い!?、ここではある有名なお方の「終活問題」を書こう。
 そのお方とは、あきひとさん(この人には姓が無いのでこう呼ぶしかない)である。なんでも、歳とって疲れたのでもう辞めるって、つまり終活に入るとTVで宣言したとのこと。

 どうぞどうぞ、ご勝手に終活をおやんなさいよと、庶民のわたしは思うのだが、どうも、その終活のトバッチリが庶民にも及ぶらしいのだ。ほんとに困るのである。
 それは改元とて新「元号」の登場である。まったくもって元号は高齢社会の邪魔ものである。だって、ほら、元号と西暦と換算するでしょ、明治には1867、大正には1911、昭和には1925、平成には1988を、それぞれ加えると西暦になるんだけど、歳とるとその暗算が無理なんだよなあ。それらにまたひとつ計算が加わるともうどうしていいもんか。いちいち計算機を叩くってのもなあ。
 あ、これってもしかして、おカミの国民ボケ防止対策かもしれないなあ、う~む。

2017/12/17

1308【続・山口文象設計茶席常安軒】リベラリスト関口泰が愛でて後半生を過ごした浄智寺谷戸の自然と茶席と庭と

北鎌倉浄智寺谷戸関口茶席由来記 その2
伊達 美徳

北鎌倉浄智寺谷戸の旧関口邸茶席が公開されるとて、その80余年の由来を建築家山口文象を軸に記すことにした(6回連載)

その1】のつづき
大き巌うしろになしてこの梅はことしれうらんと咲きにけるかも  関口 泰

●関口泰が愛でた浄智寺谷戸の風景

 鎌倉は谷戸(やと)と呼ばれる地形に特徴がある。三浦半島特有のデコボコ丘陵ばかりで、海辺の外には広い平地が少ないので、12世紀ごろの昔から丘に切りこむ狭い谷間に宅地をつくってきた。
 谷戸は谷の向きや深さによっては、日中のほんの少ししか日が当たらない。奥になれば坂道は急になり階段になる。歳とると住みにくい。

 浄智寺谷戸は南上りであり、旧関口邸茶席はその奥にある。まわりを緑の丘陵に囲まれていて、豊かな自然風景に恵まれているが、その一方で陽光が照る時間は少ない。
 この茶席をつくった関口泰も谷戸を愛し、短歌「浄智寺谷風景」や随筆「小鳥と花」に自然を描いている。
 そこには、鶯の声で目を覚まし、彼岸桜、紅梅、山桜、染井吉野、大島桜、蝋梅、雪柳、緋桃、芍薬、牡丹、山躑躅、山吹、山藤などの花々を愛でる日常を、優雅な筆にしている。

2017/12/16

1307【山口文象設計茶席常安軒】紅葉の浄智寺谷戸に傘寿越す茶席建築を卒寿の建築家と訪ねる

北鎌倉浄智寺谷戸関口茶席由来記 その1
伊達 美徳

北鎌倉浄智寺谷戸の旧関口邸茶席が公開されるとて、その80余年の由来を建築家山口文象を軸に記すことにした(6回連載)

●北鎌倉に山口文象設計の茶席建築を訪ねる

 秋も深まり初冬になり、北鎌倉に紅葉狩りに行ってきた。いや、実は行ってみたら紅葉が美しかった結果なので、真の目的は山口文象和風建築狩りであった。
 わたしがそれを訪ねるのは2度目だが、1976年以来の40年ぶり、その時の同行者には、設計者の山口文象がいた。そして今回は山口の一番弟子ともいうべき和風建築の名手である小町和義さんが一緒だった。

 40年前に来た目的は、山口文象(1902~78)の作品集をつくるために、評伝を執筆する佐々木宏、長谷川堯、河東義之の各氏たちも一緒だったが、山口はその2年後に急逝した。その本は1983年に刊行になった『建築家山口文象・人と作品』(RIA編)である。わたしはRIAに在籍していて、この本の編集執筆担当だった。
 山口文象がこの茶席を訪ねたのは、その時が40年ぶりと話していた。気が付けば、その時の山口文象よりも、わたしも小町さんも年寄りになっていた。そうか、二人とも山口文象よりも長生きしているのであったか。

2017/12/08