2012/01/17

572ふたつのアルテシュタット

わたしの故郷の高梁盆地の旧城下町と、ドイツのハイデルベルクのアルテシュタットとが、地形や街並みの構造や規模が実に良く似ていることを発見して驚いたのは、遊びに行った1991年5月のことだった。
 その驚きについては、わたしの「まちもり通信」サイトや雑誌にも記事として載せた。

 しかし、それは印象だけのことであって、面白がってあちこちでの座興の話にはしたが、それ以上に深く調べることもなかった。
 縁あってこの2月9日に故郷で講演をすることになった。1998年にも講演しており、そのときにハイデルベルクの話をした。
 またハイデルベルクの話でもあるまいと思いつつも、それでも少しはイントロダクションとしてその話をするかと、あらためて調べてみた。

 そうしたら、インターネット時代のありがたさで、ハイデルベルク市や高梁市のサイトに入ると、新たにいろいろとわかったことがある。
 google earthなる衛星写真で、世界のどこでも、もちろんハイデルベルクでも高梁でも、空から覗き込めるようになって、これも都市計画を専門とする目で見ると、いろいろ興味深いことを発見したのである。

 そこで「ふたつのアルテシュタット」、つまりオールドタウンを並べて、いろいろと比較して、思いつくことを書いてみた。
 ついつい「ハイデルベルクでは、、」と、出羽の守になってしまうがシャクだが、故郷のまちづくりの話の種にはなるだろう。

●参照→ふたつのアルテシュタット(1)コンパクトタウン
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/taka-heider-altestadt
●参照→ふたつのアルテシュタット(2)街と道
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/taka-heider-altestadt2
●参照→高梁論集一覧
http://homepage2.nifty.com/datey/index3.htm#takahasi

2012/01/15

571思い出エッセイ「杖」

六十五歳の夏のある日、左の尻の中がなんだか痛いなあと気がつき、次第に痛みが進んで左脚を引いて歩くようになりました。かかりつけの町医者は神経痛というが、どうもおかしい。
 近くの大病院で見てもらったが、ここも中年の女医が神経痛だろうとて、電気ビリビリみたいな治療をすれども、一向に直りません。

 そこで、MRIとか骨シンチグラムとかなんとかの徹底的な検査漬けでわかったのは、「大腿骨骨頭壊死症」なる厚生省指定の難病の宣告でした。
「これは原因不明で治療方法はない難病、股関節をつくる大腿骨の頭が腐って行き、ボロッと崩れて歩けなくなる。手術してチタン合金製人工骨に取替えしかない。手術は今すぐでもよし、歩けなくなった時でもよい」

 えっ、それって美空ひばりが晩年に罹った病だったなあ、わたしも大スター並みか、いや、しゃれている場合ではありません。
 あまりのことに、セカンドオピニオン(実態的には3度目)を求めて大学病院に行きました。
 でも若い男の医師の診断は変わらずで、そこの難病医療センターに隔月検査に通う患者となりました。

 脳力なくても脚力には自信あったのになあ、罹ったものは仕方がない、どうせやるなら体力ある今すぐ手術でチタンマンになるか、でもそのうち新治療方法がでるかもなあ。
 楽観的覚悟で成行きにまかせることにして、仕事場にも出張先にもそれまで同様に出かけます。
 道を歩くのは、まあなんとかなりますが、つらいのは電車や新幹線あるいは行列での立ちんぼでした。じっと立つのがつらい。

 息子がお見舞いの杖を持ってやってきました。
 なんと百円ショップで買ったという。それまで杖を使うことを全く思いつかなかったのですが、安上がり親孝行に応えて初の杖突き歩行です。
 でも、自分の脚を自分の杖に引っかけて転んで、こんなもの役立つのかよ。

 ところがすぐに分ったのは、水戸黄門印籠効果のすごさです。
 行き交う人が杖を見て、ササッと横に避けてくださるのです。特に、当たられると怖い階段ではありがたい。エレベータでも先を譲られる。
 通勤電車や新幹線では誰もが席を譲ってくださる。特に若い女性が多い、いやホント。
 この百円杖は、人を優しくさせるオーラを発するのです。時には座席の若者を居眠りさせる逆オーラも出すらしい。

 杖突き同志が出くわすと、互いに相手の痛み度合を心中で測定し、こちらが軽いと負けたッと、先を譲るのも絶妙な気分です。
 わたしもそれまで席や道を譲ることはしましたが、譲るのはその場限りの行きずりなのに、譲られる側になると身と心に沁みるものがありました。
 単にありがたいと思うだけでなく、見知らぬ間柄でも世代を超え場所や時間を変えても、人には互いに助け合う暗黙の約束事があり、今それを果たしあったと感じる達成感なのです。
 つまり、普段は潜在する約束事の作動装置が世にあり、それが杖でした。

 そうやって半年、痛み軽減型杖突き歩行術に熟達してきました。
 ところがどういうわけか、その頃から痛みが薄らいできて、杖無しでも平気なのです。
 でも、不治の難病という宣告ですから、突然の骨頭崩壊に備えて常に杖と同行の日々です。それなのに、出先にたびたび置き忘れて、気がつくと手ぶら。
 まさか治ったせいかしら、いやボケでしょう。

 やがて一年、大学病院の人事異動で替わった中年の医師が4度目のオピニオン、X線写真を見て言いました。
「これは大腿骨骨頭壊死症ではない、骨頭萎縮症という珍しい病気で、中高年や妊婦がかかるが、しばらくすると自然に治る。念のため半年後に診察します」

 えッ難病じゃなくて珍病なの?、治るの?、妊婦じゃないよなあ、では痛くないのは治ったんだよ、やっぱり。
 本当ですか先生、じゃあ誤診だったの?、もしも手術してたら早まった手遅れなの?、なんて聞きたかったけれど、医者の気が変わったり、別の病名宣告されると怖いので、余計なこと言わず早々に退散。
 どうにも緩んでくる頬をしきりに引き締めつつ、この一年つきまとった頭上の暗雲を杖を振り回して払い退けながら、家に駆け戻りました。

 半年後に無罪放免となり、今はあのとき知った暗黙約束作動装置を、杖以外にも見逃さないように心がけています。
 わたしのインタネットサイト「まちもり通信」にこのいきさつを書いたら、たまに同病になった方から、相談のメールをいただくことがあります。
 誤診だったのですから、治療でお役に立つことがいえるわけではありません。でもお見舞いくらいはその人の身になって言えるのがちょっと強みです。これも暗黙約束のひとつでしょう。

●参照にわかはハンディキャッパーは誤診だった

2012/01/14

570野の字改造内閣

今朝の新聞にある野田改造内閣(改造なんて工事みたい)の一覧表を眺めている。
 当然のことに、震災と原発問題が一番の頭の痛いことだから、ここに重要人事を持っていったのであろう。
 なになに、ふむふむ、まずは環境と原発担当の細さん、復興と防災担当の平さん、エネルギー問題は経済産業で枝さん、科学技術問題は文部科学の平さん、汚染食糧問題は農林水産の鹿さん、、か。
 どんなお人たちかぜんぜん知らないが、、、、おお、わかったぞ、人事って簡単だあ~、要するに重要なところには、がつく人を据えればいいんだよ!!。
 そういうや、首相が田さんだ。

2012/01/10

569小沢と木嶋両被告の呼び方は?

夕刊のトップ記事である。
 資金管理団体「陸山会」をめぐる土地取引事件で、政治資金規正法違反の罪で強制起訴された民主党元代表・小沢一郎被告(69)の第12回公判が10日、東京地裁で開かれた。小沢の被告人質問が始まり、土地購入費として(以下略)朝日新聞2012年1月10日15時6分

 同じ夕刊にこういう記事もある。
 首都圏で2009年に起きた男性3人の連続不審死にかかわったとして殺人などの罪に問われている木嶋佳苗被告(37)の裁判員裁判の初公判が10日、さいたま地裁(大熊一之裁判長)で始まった。3件の殺人罪について、木嶋被告は「私は殺害していません」と述べ、(以下略)朝日新聞2012年1月10日2012年1月10日13時23分

 小沢被告は2回目以降は小沢となるのだが、木嶋被告はその後もずっと木嶋被告のままである。
 日経と毎日は、小沢被告から小沢元代表に変化するが、木嶋被告はその後もずっと木嶋被告のままである。

 この違いはなんであろうか。両被告とも容疑を否定しているから同じはずなのに、片や敬称をつけて小沢氏とか小沢元代表ならば、どうして木嶋氏とか木嶋元ナントカ(無職らしいから木嶋無職か、あるいは確実なのは木嶋元小学生)といわないのか。
 読売と産経を見るとは、小沢被告はその後も小沢被告と呼んでいるし、木嶋被告も同様である。

 朝日と日経と毎日は、なんだか偏見がある新聞社であるような。あるいは小沢は無罪になり、木嶋は有罪になると、どこかから裏情報でも仕入れているのだろうか。

●関連→290新聞の人名呼称
http://datey.blogspot.com/2010/07/289.html
●関連→195女は悪いが男性は悪くない
http://datey.blogspot.com/2009/10/195.html

2012/01/09

568新聞の人名表記

人名表記について、新聞屋はどういうつもりなんだろうか。こんな記事がある。

 東京都台東区のマンションで台湾人の女子留学生・林シエイさん(22、シはくさかんむりに止、エイはさんずいに火ふたつと宝のうえの点なし)と朱立ショウさん(24、ショウは女へんに捷のつくり)が殺害された事件で、警視庁は8日、殺人容疑で、同じ日本語学校に通う台湾人留学生の張志揚容疑者(30)=同区台東3丁目=の逮捕状を取り、公開指名手配した。(以下略) (asahi.comニュース012年1月8日19時57分)

 記事の内容には興味がないが、名前の文字の解説に興味がある。
 こういう解説が必要なのだろうかと思ったのだ。その字を教えるとおりに書いてみても、よほど漢文の素養のある人のほかは、それが読めるはしない。
 いや、読み方がシとエイとか書いてはあるから、ここでは読める。でも、それは日本での漢文での読み方だろうか。
 だとしたら、その発音をしたところで、その人の人名としてなんの意味もないだろう。
 それとも台湾での発音だろうか。それだって日本人がそう読んでも、台湾人には伝わる発音ではないから、意味がない。

 そもそも外国人の名を、たまたま漢字という共通の文字があるからといっても、あちらとこちらでは発音も意味もまったく異なるから、それを漢字で書いたり、日本読みのカナにしても仕方がないだろうと思う。
 他の言語圏の人にはそうしているように、できるだけ現地読みに近いようにカナで書くのが、とりあえずは妥当だろう。そのまま読んでも通じはしないだろうが、それは他の国の人の名でも同じである。
 中国人にだけなぜそうするのだろうか、わたしはまえまえから合点が行かない。

2012/01/08

567今年の寒中見舞い

毎年の年賀状をやめて、寒中見舞いに替えて久しい。今年のそれをぼちぼち出しつつある。
 今年の年賀状をいただいた方、いただかない方をあわせて全部のかたがたに、ここで寒中お見舞い申し上げます。
 実際に出す葉書は、文の4分の1はひとりひとり違う内容で、宛名と自分の名は筆で書いている。
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 寒中見舞

 賀状をありがとうございます。当方は二人ともそれなりに元気にいたしております。
 大地震の冬は大雪説のとおり、中越震災復興支援から今は米つくりに行く中越山村も豪雪になりつつあります。地震津波原発豪雪と、なんとも心が落ち着かない日々が続きます。

 福島第一原発事故の直後から、これこそ世界遺産に登録するべきと考えています。世界を震撼させた爆発の無惨な姿を保存して、先輩の世界遺産・広島原爆ドームとともに、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」のある重要なる文化遺産として後世に伝えましょう。原発廃炉という大義名分で、大悲劇を忘れさせるように姿を消滅させてはなりません。

 66半年前の大悲劇の太平洋戦争の空爆で破壊され、戦後すぐに修理して今日まで使ってきた赤レンガ東京駅が、この春には戦前の姿に復原されて出現します。東の原爆ドームとして、戦争の愚行と戦災からの復興のシンボルだったその姿の消滅を悲しみます。

 今年の仕事始めは2月5日、久しぶりに故郷の高梁で講演します。その次の仕事はありませんが、それでよいのです。
 本年は、人生はじめての後期高齢者突入、さてどういう年になりますか。この長々とした寒中見舞もボケ防止活動のひとつと思ってお許しくださいませ。

 どうぞ今年もお元気におすごしください。

 2012年1月 寒

 ●●●様              伊達美徳

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●関連→077年賀状をやめる

2012/01/06

566瓦礫の焼却だって?

震災関連用語で前からわからないやつがいっぱいある。せんだっては除染と電源喪失がわからんと書いたが、今日も新聞にある「がれき」がわからん。

 東日本大震災で大量に発生したがれきの広域処理について、全国知事会(会長、山田啓二・京都府知事)は6日、がれきやその焼却灰の一時保管費用は国が負担することなどを求めた要望書を環境省に提出した。(産経新聞 1月6日(金)12時34分配信)

「がれきやその焼却灰」とあるのだが、がれきって瓦礫のことでしょ、瓦と石ころだよ、これを焼いても灰になるはずがないだろう。
 燃えるのなら、こんどうちの庭の石ころを紙くずと一緒に燃えるゴミの袋に入れて、持っていってもらおうっと。

 まちがってるよ、新聞屋さんよ。それを言うなら大型ゴミとか廃物とかでしょうに。
 携帯電話機がケータイになるように、いっそのこと瓦礫もがれきとせずにガレーキといってはいかが。

2012/01/04

565高梁:盆地の山並み風景

●山あての風景
  盆地は周りが山だから、街に中のどこからも山が見える。外の通りからでも家の庭からでも、向こうに必ず緑の山があり、それが背景となって風景を作っている。

 高梁盆地にJR伯備線で高梁川をさかのぼって南から入ると、向こうに見えるのが臥牛山である。ああ、高梁だとこれではっきりと認識する。それは舟で海に出ている漁師が、自分の港に戻るときに陸にある山を目印にする「山あて」とおなじである。

 高梁に暮らして毎日見ていると何ということもないだろう。だが、久しぶりに故郷を訪ねて、駅前から稲荷山が、駅の向こうにお城山が、街の通りの向こうに高倉山が、小路の向こうに八幡山が、方谷橋のアーチの向こうに方谷林が、その反対からは御前神社のある秋葉山が、それぞれに特徴を持って見える。どれもこれもなるほどなるほどと、独りでうなづきたくなる。

 だからわたしはハイデルベルクで、同じような山あて風景に出会って、懐かしい風景であることを再認識したのであった。 もちろんそれだけではなく、方谷林から見下ろすように、ハイデルベルクの哲学の道から見下ろし、あまりの類似に驚いたのだ。

●つづきの全文は→高梁:盆地の山並み風景
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/takahasi-yamanami

●関連→ふるさと高梁論集やあれこれ
http://homepage2.nifty.com/datey/index3.htm#takahasi

2012/01/02

564箱根駅伝と日本近代化遺産群

珍しくTV放送を見た。箱根駅伝である。
 最後の山登りに東洋大のこの3年間の名物男が出るところだけを観るつもりである。
 ところが今年はトップで襷を受けとって走り出したから、とたんに興味を失った。
 
 さて、箱根駅伝の山登りを毎年観る重要な目的は、実は別にあるのだ。
 箱根湯本の手前に「東京電力山崎発電所」、湯本を過ぎて「早川取水堰」、どちらもまだ健在かどうかTVで確認するのである。
どちらも山口文象の設計で、1936年に竣工したものである。今年は発電所は見逃したが、取水堰は健在であった。

 これらは日本の近代化時代にできた遺産である。土木学会が近代化遺産として認定している。
 箱根にはこのほか、旭橋、千歳橋、函嶺洞門、富士屋ホテル、箱根登山鉄道など、多くの近代化遺産に認定や文化財登録した建造物があり、駅伝のルートで見つける楽しみがある。

 早川取水堰を観てTVを消した。競技の行方は知らない。
 なお、あのうるさいばかりか、こちらが恥ずかしくなるクサイ文句を平気でしゃべる音声を消して、ただ画面だけ見たのであった。

●参照→山口文象のモダニズム建築 作品新発見か
http://homepage2.nifty.com/datey/bunzo/1936yamazaki.htm
●参照→079箱根駅伝TV無神経CM
http://datey.blogspot.com/2009/01/blog-post_02.html

2012/01/01

563フォトエッセイ「異文化への旅・ネパール風土逍遥」

めったに縁がないのに、2年連続で賞なるものをいただいた。

 フォトエッセイ「異文化への旅・ネパール風土逍遥」
 第16回彩の国ホームページコンテスト2011シニアの部最優秀賞
   (主催:埼玉県情報サービス産業協会)

 昨年も「風景を愉しむ」を応募してシニアの部優秀賞だった。
 シニアの部に限るのが悔しいが、少しは上達したってことらしい。
 あ、まさか年寄り応募者がわたし一人だけだったってことじゃないだろうなあ。
 2011年3月~4月の「ネパール400kmバスの旅」の一部を応募用に編集したのである。

追記2012年1月19日 本日表彰式あり、聞けばシニアの部応募は3点のみ。それに優秀賞は該当作なしとある。冗談抜きにこりゃ入賞率が高いなあ。シニア資格は60歳以上だから、もっといてもおかしくないのに不思議である。
 応募総数は108点、入賞は13点だった。わたしのほかは全員埼玉県内の人、しかも幸手中学校2年生の女生徒がそのうち5点を占めている。それはよいのだが、ほかの中学校はどうして応募しないのか。
 16回目というのにまだ全国的な広がりを持っていないのか。インタネットという無境界性の代物なのに、地域限定的になっているはどういうわけだろうか。
 孫のような入賞者ばかりの中で、そう思った。