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2024/04/10

1810【変わる都市景観】緑の日常景観を目隠しして登場したあまりにも平凡な高層建築

 わたしが住むのは地上20mの空中陋屋である。その居間のガラス戸の先に公園があり、300mほど向こうには山手丘陵地の樹林が左右に広がる。この斜面の緑に3方を囲い込まれた景観が、この都心部市街地の特徴である。

 もう一つの特徴は、その山手の緑の50mほど手前にある川の上を、首都高速道路の高架橋が横に長く景観を上下に切っていることである。景観上は誠に邪魔な代物であるばかりか、それなりに騒音が聞こえるし、たぶん排ガスもこちらに来ているだろう。
 この高架道路は、飛鳥田・田村時代に六大事業と称したひとつである。これについては2019年にこのブログに【都市プランナー田村明の呪い】と題して書いている。

空中陋屋から見る緑と切断する高架道路 2023年12月

 その景観の中に、わが陋屋から150mほどのところに、新しい高層建築の工事が去年から始まって次第に建ちあがっていた。建設騒音は交通騒音とは異質で、かなり甲高い。鉄骨が次第に高く組みあがっていく風景は、こどもがレゴのようで面白かった。

 何種類もの鉄骨が毎日のように運び込まれてきて、歩道に建てたクレーン車がそれを吊り上げる。それを空中で待ち受ける鳶職が伸長に受け取って組み立てていく。これを何回も何日もかけてやる。あの限られた広さと高さの中だから、かなり緻密なる計画と段取りがあらかじめきめられているにちがいない。その空中の職人と鉄骨とクレーンの動きを飽きもせず眺めていたら、これは巨大な精密機械のように見えてきた。
 このあたりのことをすでにこのブログの2023年11月に【空中陋屋景観】と題して書き込んでいる。

 しかし一方では、あの向こうの山手の緑を目隠ししてしまうこの新高層ビルは、それに見合うだけのどんな格好良い建築として出現してくれるのだろうかとの楽しみと、いやいや不格好なものを毎日眺めさせられるかもしれぬとの不安、それらがないまぜの日々であった。

2024年4月初め被り物で顔を隠した高層ビルが出現

 なにしろのわが空中陋屋から日々の目に入る景観の中の重要な位置を占めるのだから、気にせずにおれない。工事用の囲いテントが外れるのを毎日待っていた。
 さて、4月初旬、桜の開花とともに工事用の囲いの幕が外れた。え、なんだあ、つまらない建築だね~、ふ~ん、道路に面する表は単純な横長連窓、裏面の3方は全部が壁、ふむ、手抜き設計であるぞ.

 いやいや、これは都市的環境に対応したデザインであると言えるのは、山手の緑の景観と日照をすっぱりとあきらめ、高速道路に明確の背を向けたことである。つまり、首都高高架道路が24時間振りまく騒音と排ガスに面する側を、真っ黒な壁にしてしまったのだ。これこそが手抜き設計ではないと、この建築の主張するところだろうが、住宅ではないからできる芸当だ。

 それはこの並びに立ち並ぶいくつもの高層共同住宅(いわゆる“名ばかり”マンション)が、騒音と排気ガスにめげずに日照を求めて高速道路側にバルコニーを設けているのとは対照的である。
 それに関連して、つい最近になりこの近くに、この高速道路に背を向けた共同住宅ビルが建った。日照を犠牲にしても騒音を避けたらしい(その記事はこちら)。


遂に姿を現したがこれはまあなんという平凡な姿!

 話を元に戻すが、しかしだねえ、こちらに見えるファサードデザインは、もうちょっとは芸があってもよさそうなのになあ、そうか、元受け工事屋さんの設計施工らしいからなあ、できるだけ合理的に単純に安く建てたかったのかねえ、あ、いや、もしかして、こちらからは公園の木の陰で見えない下半身には、なにか芸があるのかもしれない。

 前々から街なかで建設現場を見るたびに思うのだが、鉄骨高層建築は鉄骨だけ立ち上がった時が一番美しい。そこに外装仕上げ材料があれこれとくっついてくるにつれて、どんどん美しさを減じていく。
 木造住宅も木組みが立ちあがった時が最も美しい。その点ではコンクリート建築は、コンクリート構造だけではどうももっさりしていてつまらない。
 
 これでわが陋屋からの山手の緑の景観はふさがれてしまった。横浜都心部の重要な緑景観なんだけど、都市デザインで有名な横浜市のチェックはなかったのだろうなあ、しょうがないかなあ、まあ、このビルの更に向こうの、うちから250mほど先にある首都高速高架を、これが目隠しと防音壁になってくれるから、それをもってよしとするしかない。これで田村明の呪いがちょっと弱まるというものだ。

 それにしても、この建築の用途は、普通のオフィスビルではなくて、何か特定の研修のための施設であるらしい。それなら、もう少しそれらしい格好をつけてはいかがかな。
 いやいや、下手な建築家に下手な格好つけられては、それを日々眺めさせられるこちらはむしろ困るから、この簡単至極平凡な飽きが来ない姿をもって良しとしよう、めでたしめでたし。

(20240410記)

このブログの関連記事
202311【空中陋屋景観】、201909【田村明の呪い

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2024/03/16

1803【横浜寿町の変化】ドヤビル建て替え進化と一般共同住宅ビルの進入でドヤ街は変わるか

●横浜寿町ドヤ街のこと

 簡易宿泊所が多く集まる街「横浜寿町地区」は、横浜市中区寿町や松陰町などの都心部の一角を占める。ちょっと見ると安ホテルのような高層ビルが立ち並んでいて、普通の街に見える。

 だが、いわゆるドヤ街と隠語で言われるように、ホテルとは段違いに格が下がる超安価な宿屋ビルばかり立ち並ぶ地区である。その安宿に事実上は住み暮らす人々は約6千人、その約8割は生活保護対象の単身高齢男性たちである。その宿賃は標準的には1泊1700円だが、普通の宿屋と違うのは水光熱費は別支払いだ。

 この街がここに生まれたのは、いかにも横浜らしい戦後史を背負っている。かつては横浜港での働き手の若者たちの街であったが、そのまま老いて今は福祉対象の高齢者の街になっている。中層の古いドヤビルは次第に建て替えられて高層ドヤビルになりつつある。それは単に老朽化への対応ではなくて、居住者が高齢者に変化したことでの機能的変化への対応でもある。

 それにつれて街も次第に変化してきている。街路に面しては飲み屋も多いのだが、近年にになって特に増えたのは高齢者福祉関係施設である。これだけ多くの高齢者たちが集中的に住めば、介護関係施設が軒並みに登場するのは当然である。まさに高齢者しかも貧困層の街になっている。

 街の変化はドヤビルの高層建築への更新が顕著な一方で、別の方向も見られるようになってきた。それは一般住民対応とでもいおうか、いわゆる一般共同住宅ビルも登場するのが顕著にもなってきていることだ(参照ードヤ街のマンション)。それは区分所有型分譲共同住宅ビル(いわゆるマンションだが、わたしはこの誤用和製英語を使わない)、あるいは賃貸借共同住宅ビル(1棟の各住戸すべて賃貸借型住宅)である。ドヤばかりでない街に徐々に変わりつつある気配がある。

●ドヤ街に一般共同住宅ビル登場

 立地が横浜都心の一角であり交通も生活も便利だから、一般住宅需要があるということだろう。ドヤビルを立て直すにあたって、一般共同住宅に変化する傾向も見えてきた。寿町のまさに中心部である寿公園の斜め前の街区にあった3棟のドヤビルが、1棟の一般共同住宅に建て替えが進行中である。10階建て61戸とてたぶん分譲だろうがついにここまできたか。

左向こうが寿公園、手前右がドヤビル跡に建設中の一般共同住宅

 そしてつい最近、新しい賃貸借一般共同住宅が、寿町地区の南入り口の長者町通りに竣工した。その近くには新しい高層ドヤビルもあるのだが、明らかに姿が異なり、それがドヤ街地区の外観イメージを一般の街イメージへと変えていくことになるだろう。

長者町に防火建築帯ビル建て替え新築賃貸借共同住宅ビル 背後は首都高高架道路


 それが建つ以前のそこには、戦後横浜復興期の市街地建築である防火建築帯ビルが建っていた。3階建てで1階は店舗で上階は共同住宅であった。長者町通りにはこの種の防火建築帯ビルが軒並みに立ち並んでいたものだが、さすがに70年もたつと、ほとんどが建て替えられて、残るはもう10指にならぬくらいだ。

戦後復興期の防火建築帯ビルとして建っていた従前建築

 この新築賃貸借共同住宅ビルの敷地は、南側を底辺として北東と北西を2辺とする三角形である。そして出来上がった住戸のほとんどが北東と北西向きで、日当たりが実に悪いことだ。なぜ常識的な南向き住戸を避ける配置にしたのか。

左下赤枠が新賃貸借共同住宅ビルの敷地の位置 (上が北)

 それは敷地の南側には首都高速の上下2段2階建ての高架道路があるからだ。南面だから陰になるし、高架道路から騒音と排ガスが昼夜とも押し寄せて、相当にひどい環境である。もしもこの高架道路がなけば、そこには中村川が流れているから、こちらにこそ住戸が向くべきであったはずが、道路に乗っ取られてしまっているのだ。

 この環境では分譲住宅にしても売れないので、賃貸借住宅ビルにしたのであろう。この高架道路は寿街地区の南側を覆うように横たわるのだが、ドヤという底辺居住悪環境にはそれでも耐えうるものであったのかもしれない。いや、それだからこそドヤ街が成立しえたのかもしれない。

 ところが今や、都心部の住宅需要が伸長してして、このような悪環境でも需要と供給が成り立つ関係になってきたということだろうか。たしかに、ここより西部の高架道路沿いにいくつか新しい共同住宅ビルが建ってきている。さぞや、住みにくい住まいだろう。

 ところで、東京の日本橋のあたりの首都高速道路の高架を、地下に入れてしまう工事が進んでいるそうだ。それならば、その次は横浜のここ中村川上空の高架道路を、地下道路に改造するに違いない。そうすれば横浜都心部の居住環境は格段に回復する。おおいに期待をしている。(参照:横浜首都高地下化

(20240316記)

参 照
1690【横浜寿町の変化・1】横浜都心部の関外にある貧困ビジネス街はどう変わりつつあるか2023/06/10 https://datey.blogspot.com/2023/06/1690.html

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2024/02/07

1790【マンション名称】建物をマンションと詐称するだけあって地名も詐称する共同住宅

  ずいぶん久しぶりに雪が降り、しかもうっすらと積もった。南関東あたりでは大騒ぎである。北国の人々にいつものように嗤われているだろう。
 わたしも中越の山村に行かなくなってもう10年くらいだろうか、あの山村の雪は4mも積もる豪雪そのものだった。雪国育ちでないわたしは、人間はこのような酷な気候でもよくもまあ暮らせるものなんだなあ、と感心した。

 ようやく天候回復で街並み探訪徘徊も再開だが、日々に足の力が衰えるのを感じる。コロナ後にようやく建設が動き出した感のある横浜都心部街歩きは、街並みの変化を楽しむのだ。今日は昔々の遊郭だった街の中心にある通りを歩く。

 中央分離帯には桜などが大樹となって、ミニ公園通りである。かつては両側は紅い灯でにぎわっていたのだろうが、今は静かな住宅街である。


 おや、こんなところに共同住宅ビルの建設が始まった。でもこの土地のまわりは、前面道路の側だけは空いているが、他の3方はどれも高層共同住宅ビルに囲まれている。この敷地に共同住宅を建てても、ほとんど日照を期待できないはずだ。

道路のほか三方(東西南側)を高層共同住宅で囲まれた敷地

 そのような住宅でも売れるのだろうか。「マンション」と誇大言葉で日陰住宅を売るのかしら。しかも、ここのあたりは70年前まで迄は横浜遊郭とて、いわゆる赤線街だったところである。今は静かで便利な都心部の住宅街だが、かつての地域イメージを拭うのはなかなかにむつかしい。

 このあたりはかつての仕舞屋風の赤線名残の家々は次々と消え去り、いわゆるマンションなる高層共同住宅に建て替わってる。歩きつつそれらマンションなるビルの名称を読んでいて、おもしろいことに気が付く。どうも地域名をつけるのを避けているらしいのだ。

 このマンションの類のビル名称のつけ方は、ある程度の約束事があるようだ。まずはカタカナでなにか高級そうな言葉をあてて、そのあとに地名を続けるのが、ポピュラーな方式であるらしい。ここが永楽町とか真金町とかいうおめでたい町名だから、ビルの名に積極的に使っているかと言えば、そうではないらしいのだ。

 とりあえず歩いている昔の遊郭外の中心の道路(なんという名称か知らない)に面する、共同住宅の名称を拾ってみた。上の写真のように看板を撮ったが他にもまだまだある。どうやら「大通公園」が人気地名であるようで、中には「・・大通公園南」とあるそばに「・・大通り公園西」と名付けるものもあって混乱する。

 これを見てわかるように、正しいここの地名をビル名に充てているのは「アブニール永楽マンション」と「スカイコート横浜真金町」2棟のみであった。そのほかにもたくさん採集したが「・・大通公園」とか「・・伊勢佐木町」とか、この町の外にある地名をつけている。

 大通公園は隣だが、この公園は元が川だから長すぎて位置決めにならない。伊勢佐木町は鎌倉街道を挟んで差に無効だから、かなり離れている。「関内」とつけているものもあったが、駅名にせよ地名(正式にはこの地名はない)にせよ、あまりに遠すぎる。それで初めての来客が迷うことはないのだろうか。

の位置に遊郭時代に大門があった 黄の位置に遊郭時代からの大鳥神社
この二つを結ぶ道が遊郭の中心部 共同住宅名はこの道沿いから採集

 マンション(庭園のある豪邸のこと)でもないのにマンションと詐称して売るのだから、地名だって大通公園とか伊勢佐木町とか、横浜でイメージが高いところを勝手に持ってきて、地域イメージも詐称するのだろうか。どこでもよいのなら「山手」とか「みなと横浜」とかつけてはどうか。普通の神経なら自宅をマンションというのも、わけのわからんカタカナも恥ずかしい。ファーストクラスとはすごいネーミングである。

 それにしても共同住宅ビル名は、わけのわからん外来語とカタカナ造語で不思議だ。わたしの住む高層共同住宅も、花の名前?らしいカタカナであるが、実は日常生活でその名を使うことはめったにない。地名と地番と建物番号で間に合っている。

(2024/02/07記)

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2024/01/01

1773【コロナ明け寿正月】今年も無料弁当配布に並ぶ長い長い行列が取り巻くドヤ街風景に凍える

  今日は1月1日、年の初めである。それがどうした、なにも変わりないでしょ、単に365日前から見ると地球が太陽を一周したんでしょ、人間ごとき微小なるものがそれに何の関係もないでしょ、そう、わたしは生まれから80数回も経験していると、すっかりすれっからしになって、正月なんて面白くもない。

 と、人間が思っていたら、地震の方はこの日を特別に扱ってくれたらしく、われらが列島があるあたりの地球の一部を揺すって、人間どもを大いに驚かし脅してくれたのだ。これはすれっからしでいられない。なんでも能登半島のあたりで大揺れ震災がおきて、正月どころではない事件になっているらしい。能登半島西岸の志賀町にある核発電所でなにか故障が起きたらしい。怖い

 わたしの住み家はそこから遠く離れた横浜、そこの地上20mの空中陋屋だからユラ~リユラ~リと長周期に長時間揺れているのだ。その間にTVがヒステリックに「津波が来ます~っ、すぐ逃げて~っ」てな感じで叫んでいる画面をついつい見ていた。ずいぶん久しぶりにTVなるものを1時間ぐらいも続けて眺めた。この前に見たTVも東北の津波だったなあ。

 TVを飽きてPCに変えてSNSを見ていると、助けて!と言う投稿がいっぱい出てくる、被災動画も次々と出現してくる。現実のもたらす迫力がありすぎる情報の襲来に、なにもできずにオロオロ見るしかない自分を嫌になってしまい、それも切り、これを書いている。

戦争で明けくれる年を逃れ出で迎える年は震災で明ける

SNS投稿の能登震災実況動画のひとつ

 そんな物騒な正月突入ちょっと前の昼過ぎに、ふらふら出て行った先は、神社初詣でもなければ繁華街初売りの買い物でもなければ観光街で雑踏見物でもなくて、その名も正月らしく?おめでたい「寿町」徘徊であった。

 もちろん普通の人出がある街ではないが、実は正月だけに発生するこの街特有の行列となる大勢の人出があるのだ。今年もあるかしらと確かめに行ったのだ。場所はこの地区の真ん中あたりにある小公園である。

中高層ドヤビルに囲まれた寿公園(赤丸内)

 その公園に近づくと、おお、今年も人が大勢いる、いる。この晴れた寒空の下に黒々と立ち並ぶ。あの行列の後端はどこかと、そちらに回れば、この公園のあるブロックを一回り近くもの長さ約250mもある。およその勘定で500人くらいだろうか、でも今や行列は進んでいるから、始めはもっといたのだろう。

行列最先端

行列最後尾

街区を一周する長い長い行列 左向こうが公園
 
ようやく公園へ 左端が最先端

 ほとんどが男ばかり、女は10人もいただろうか、若い人はいないようだ。モクモクボチボチと列は進み、寿公園にしつらえられた正月特別仕立ての弁当配給所へと行列は吸い込まれていく。2段重ねプラケースに飯とおかず、プラカップの味噌汁、ミカンが袋に入れて配られている。これは去年もその前もその前もあった正月風景だ。

公園に掲げられたスローガン?

センター庇下にたたずむ野宿者

 ここから500mも離れていない先には、有名な観光街の横浜中華街がある。そこは今や一年中の四六時中も人が多いから、コロナ明けの今年の今日は特別多くの観光客が内外から集まって、華やいで騒いでいることだろう。それと比べて、寿町のこの人出の特別さはどうだろう、全く世の中どうなっているのかと思う。今年は中華街に回る気力が湧かない。
2023年正月中華街雑踏賑わい風景 今年はもっとすごいだろう

 実は毎年の正月におめでたい寿詣でをしているのだが、変わってよくなってきているのかしら、貧困の風景は相変わらずのようだ。
(20240101記)

これまでこのブログに載せた寿町の正月風景

・2023/01/05【横浜ご近所正月徘徊】港あたりにタワー群、貧困街で炊き出し、中華街は大混雑 https://datey.blogspot.com/2023/01/1665.html

・2022/01/04【コロナ正月】寿町・中華街・元町・伊勢佐木へ旧横浜パッチワーク都心新春徘徊 https://datey.blogspot.com/2022/01/1604.html

・2019/01/05【初徘徊は寿町に】B級横浜ガイド・寿町・松影町あたり:デラシネ日雇労務者が高齢化定住した貧困ドヤ街 https://datey.blogspot.com/2019/01/1180b.html

・2018/12/19【寿町の繁栄】貧困で超高齢化する日本の縮図のようなこのドヤ街は縮図どころが拡大しているような https://datey.blogspot.com/2018/12/1173.html

・2015/01/05横浜寿町ドヤ街は新築高層ドヤ建築が林立して周辺へも拡大中にて貧困ビジネス繁盛 https://datey.blogspot.com/2015/01/1046.html

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2023/12/14

1763【防火建築帯の変身】横浜都心部の戦後復興建築の建て替えに見る時代の変化

 横浜都心部は、戦災と占領で疲弊しきった街に活力を回復する街づくりをやっていた時期がある。政府は1950年前後の頃に、耐火建築促進法という不燃都市づくりの助成制度を作って、全国各地の中心部に共同建築による商住共存の共同建築建築を促進した。その帯状に煮立てて行った建築群を「防火建築帯」という。

 横浜市は都心部に計画的に防火建築帯を造成して、商業と居住の場を再生していった。生であり、いまも関内、関外に多く建っていて、街の姿の基本的景観となっているところもある。特に伊勢佐木町とか長者町などのメインストリート沿いに多い。そして時代の変化につれてそれらは徐々に建て替えられた来た。

 その中のひとつ「長者町8丁目共同住宅」が最近に建て替わった。もとは1~2階店舗、3~4階が県公社住宅であった。それはよく見ると、なかなかにモダンデザインであったが、あまりに汚れて一部には破損も見えていた。複数地権者による厩割共同ビルだから、建て替えるには話し合いが難しかったのだろうが、ようやく建て替え工事が終わり、開業したのだ。
 このビルのことはこのブログにかつて書いている。https://datey.blogspot.com/2013/06/797.html

建て替え前の長者町八丁目共同ビル 2013年撮影
 
上の共同ビルの建て替え後の姿
 建て替わったビルも地権者の共同建築かどうか知らないが、一体として8階建ての高層ビルとなった。上層部は住宅で下層部が店舗・事務所らしい。その使い方は基本的に元の共同ビルを継承していると言えるが、その都心立地がそうさせるのだろう。
 
 かつて都市の住宅難時代に対応して県公社住宅を上層階に、そして低層階には地権者たちの店舗などの商業施設であった。そして県公社住宅も地権者やその店員たちが優先して入居し、更に若い都市住民が入居したであろう。彼ら戦後復興を担った。県公社住宅はその後に地権者たちに譲渡された。
サ高住の看板

 ここでの建て替え後の住宅は、サ高住つまりサービス付き高齢者向け住宅である。かつては若者であったのが今は高齢者であるのが、これもまさに時代の要請である。
 サ高住のほかには、1階にはドラッグストアが入った。薬品、日用品、食料品などを扱っており、これも時代に対応する業態である。元あったような飲食店がない。ほかに何が入っているのか分からない。

 それにしても、サ高住のパンフを見ると、高価なものだなあ、歳取るのも大変だよと、身に染みてため息が出る。最も狭い18~19㎡の1人部屋で月に家賃等で15万円余、2人部屋55㎡で同27万円。もちろん食費は別である。
 それにしては建築デザインが安っぽくて詰まらないなあ。

 これまでのこのあたりの防火建築帯の建て替えは、多くが分譲型区分所有共同住宅(いわゆるマンション)で、一部に店舗がある床利用だったが、これからはこのような福祉型の施設が入る時代がきていると気づかされた。そういえば3丁目に数年前に建ったビルも、下にクリニックや薬局、上にナーシングホームである。

 そしてもう一つ大きな違いは、分譲型ではなくて賃貸型であることだ。実はこの近くでわたしが住む共同住宅も、伊藤全てが賃貸借方の住宅だ。わたしは分譲型には昔から大いに疑問を持っているから、21年まえに鎌倉の戸建て自宅から移転するときにこれ選んだのだ。
 そしてこの近くに、これも防火建築帯の建て替えだが、分譲ではなくて一棟全部が賃貸住宅の高層ビルが2棟も最近建った。都心徘徊途中に賃貸住宅と表示する工事中のビルがいくつかあることに気が付いている。これも今の時代をあらわす住宅の傾向だろうか。
(20231214記)
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2023/11/30

1753【紅葉の季節】故郷生家の森の紅葉から思いを巡らす街の紅葉そして人工の紅葉

 今年の紅葉は平年と比べてどうなのだろうか。夏から秋へと暑かったから、紅葉は遅いのか逆に早いのか、どちらなのだろうか。

 ここに載せた紅葉黄葉風景の写真は、2014年11月10日撮影である、場所は岡山県中西部にある高梁盆地の神社境内で、ここはわたしが生まれ育って少年期までを暮らした生家である。故郷の盆地で暮らす同年友人が撮って送ってくれた。
 少年の頃には紅葉なんてものには全く興味なかったから、このような紅葉風景を送ってくれて、改めて美しいと感動したのであった。

 その生家の神社は、盆地を取り巻く丘陵の中腹斜面の街から見上げる位置に、裏に山を背負った森の中であった。生まれた時から自然の四季の移り変わりの中におぼれるほどにどっぷりと浸かって生きていた少年にとっては、あまりに日常的すぎて身のまわりの自然の変化には全く気を止めるようなことはなかった。周りの森もの樹々も裏山の森も全て自分の領分だから、それはまるで身体の延長である。自然を客観的に見る目はなかった。

 ところが、ある日のこと、突然に自然を感得した得難い体験の記憶がある。中学生になったばかりの頃だったような春のある日だが、真昼の森の中から森の外の雑木林のあたりをぼんやりと見ているとき、それは急にやってきた。
 樹々の萌える若葉のひろがる枝葉、その色彩のグラデーション変化、風による木の葉や草のさやぎ、鳥の鳴き声、森の樹々の合間からさす日の光、それまで気に留めることなかった自然の姿が一気に押し寄せてきた。

 それはいったい何だったのだろうか、しばらく立ち尽くしていた。自然がわが身の外にある客体としての自然が見えてきた”事件”があった。それはどこか外から来たのではなく、身の内から湧き出てきた感情であった。何か特別なきっかけはなにもありはしなかった。

 たぶん、それはその日から大人になるステップを登り始めるという少年にとっての、心と体の儀式だったのであろう、と勝手に思っている。遠い少年の日のその不思議な体験を、不思議なほどにありありと覚えている。もっとも、自然が美しいと悟るにはまだ時間が必要であった。

 それから20年ほども後のことだが、これに似た体験をしたという知人にひとりだけ出会ったことがある。また何か外国の小説であったとかすかな記憶だが、これと似たような体験する少年の話を読んだことがあり、ときに思いついて探すのだが見つからない。

 故郷の盆地にはもう20年も行かないし、もう行くことはなさそうだが、上の写真のような紅葉は今もあるらしく、先日のこと、故郷の盆地に住む知人が、街から見上げた神社の森の中に、今年もイチョウの大木の黄葉が目立っていたが、もう落葉したと便りをくれた。

 さて、今わたしが住む横浜の近所に紅葉黄葉の名所がある。街路樹のイチョウ並木がかなり多い。有名なところは日本大通りであろう。紅葉狩りの名所ならば三渓園である。これまで何度も出かけたものだ。

横浜三渓園紅葉風景 2021年

横浜大通公園 銀杏黄葉 2015年

 銀杏並木と言えば、今話題の明治神宮外苑である。上の日本大通りの銀杏本来の姿のそれと比べると分るように、外苑では強い剪定をして、槍の切っ先のようにとがった姿にしている。それはここが明治王権のシンボル空間だからである。その先にある絵画館に視線を集中する人工の仕掛けであり、その視線を強要する人工景観をわたしは好まない。
明治神宮外苑の銀杏並木 2013秋

 近ごろは紅葉や黄葉の樹木に、夜間にライトを当てて見せるということがしきりに行われているらしい。わたしは実は見たことが一度もないのだが、見たい気がおこらない。ライトの当て方が人工的でわざとらしい風景になるに決まっているからだ。いっそのこと紫色でもあてて紫葉狩りでもしたらどうですか。

 ネット検索で紅葉ライトアップを探すと腐るほど出てくる。これではご免を蒙りたい。雪景色でも花見でも瀧でも何でもかんでもライトアップして、しらじらしい風景に変えてしまうのが気に食わない。これも視線を強要して不自然極まる。

ネット検索サイトに登場する紅葉ライトアップ風景

 自然の風景を光で改変するライトアップも風景破壊であるし、こうも夜まで明るくされては植物の方も寝不足であろうから枯れてきて自然破壊になっているに違いない。
 これからクリスマスがやって来て、個人の家をキンラキラキラさせるのはそれぞれ勝手ながら、景観についての美的感覚に頭をかしげさせるのである。
 ここに並べた写真を見て気が付いたが、計らずも自然のままの紅葉から、人工の極致の紅葉へと並んでいるのが面白い。

(20231130記)

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2023/11/26

1750【横浜ご近所探検隊が行く】もしかして家を追い出された時のため安宿住いを考えておく

  街を徘徊していると、こんな安宿に出くわす。どうしてこれらに注目しているかと言えば、年寄りになると、年寄りには賃借アパート入居が簡単ではないらしいからだ。
 もしも今の住処をなにかの都合で追い出されることになったら、直ぐに泊まることができるホテルを平素から考えておく必要があるのだ。そこでこれらのホテルに目が行く。

 ひとつは伊勢佐木町界隈に何棟かある「ウィークリーマンション」と称するが実質はホテルである。最も安くて1泊4900円(水道光熱費込み)、シングルルームでバストイレ付、約20㎡とある。通常のビジネスホテル並みだろう。
 一泊2650円の安い部屋もあるらしいのは、新築らしい建物もあれば、戦後復興期の防火建築帯の改装ビルもあるからだろう。


 ただし一週間以上連泊が条件であるようで、長期になるほど安くなるらしい。独り暮らし老人にはちょっと魅力的である。わたしがまだ足腰立つうちにならば、ここに住んでもよいように思う。ほかにもあるか探してみるか。

 もうひとつは寿町あたりに多く集まる「簡易宿所」(俗称ドヤ)で、一泊1700円(水道光熱費別)であり、室内にバストイレはなくて、共同便所とコインシャワーがある。これは多分7㎡くらいの広さだろう。
 寿町で下記画像の表示がある「ベイサイド横浜」なる簡易宿所は、一番最近にオープンしたもので、ドヤでは最も新しい設備と言ってよいのだろうっと思う。

 こちらは通常のホテル並みの設備ではないが、何しろ安い。この値段には理由があるらしく、生活保護受給者が住宅に支払うことができる上限という。どの簡易宿所も同じ様な宿泊室と設備でこの値段だから、古いそれよりもこの新築に泊まる方がはるかに良い。

 わたしは十数年前に寿町の簡易宿所に泊ったことがある。友人たちと寿町見学会をやり、ホステルヴィレッジ運営で1泊3000円のドヤだった。その時のドヤ建物は清潔だったが古いので、人間の垢のような臭気がこびりついていて愉快ではなかった。

 新しいならば値段にひかれて泊まりたいが、年とると小便が近くなり、室外の共同便所通いを嫌だから、いまや敬遠したい。もっとも、最近のドヤ建築はもしかしてバストイレ付になっているのかしら。でもそうなると一泊1700円ではあるまいが。

(20231126記)

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2023/11/23

1747【酉の市風景】かの遊郭時代の歴史的空間が毎年霜月に時間限定で出現

 いつものように遠まわり買い物徘徊に出かけた。脚力維持のために、わざと遠い商店街に遠回りして行ってくるのだ。なお、脳力保持のために、わざと長たらしくこのブログを毎日書くのだ。

 商店街の裏のいつもは静かな都心部住宅街が、大雑踏で屋台群が立ち並び喧噪極まりない。あ、そうか、今日はあの神社の酉の市であったかと気が付いた。コロナ中はほんの小規模であったが、コロナ退散で去年から大雑踏復活になった。

 どこから湧いてくるのかこの人並みの多さ、そしてこうも雑多な屋台群もどこに隠れていたのかと思う。食品を焼くにおいが雑踏に充満する。そしてキンキラ熊手を売る店も立ち並んで、売れるごとに「お手を拝借!」と両手を打ち鳴らす賑わい。

 どれもこれも初めて見た20年前とちっとも変わらない、あまりにも日本的な風景である。変わったのは、あれから確実に一世代分の歳をとったわたしであり、久しぶりのこの超雑踏を歩くのが怖くなったのだ。そう、周りの人たちの予期しない動きに、こちらのヨロヨロ足がついていかないのだ。早々に退散するしかない。










  今日は平日なのに、小学生たちが大喜びで走り回っている、コロナが明けて親たちも喜んで鷹揚なものだ。なんて思ったら、なんと今日は勤労感謝の日なる祭日であった。そう、その日であることはPCのカレンダーでわたしも知っていた。だが、近頃は祭日は毎年動くので、記憶にある祭日を信用しなくなっているのだ。

 最近では敬老の日も9月15日ではなかった記憶がある。ではなぜ勤労感謝の日は動かないのかしら、動く祭日と動かない祭日があるなんて、不公平である。今日のような日に、また動いて平日だろと思って医院とか区役所に行くと、ひどい目にあう。全部動くか全部動かぬかどっちかに決めろ!。

 静かな都心型住宅街が、突然に非日常の賑わい空間に年の暮れ近くのこの日の(年に2日または3日)だけ変身するのは、実に面白い。この辺りは今は2階建ての仕舞屋と高層共同住宅ビルが混じる住宅街になっているが、実はここの街は戦前から1956年までは横浜永真遊郭だった。その名残は十年くらい前までは風呂屋と婦人科医院があったが、いまでは数軒のラブホテルのみになった。
 思うに、この酉の市の日の賑わいこそは、あの横浜遊郭の雰囲気を伝える唯一でしかも時間限定で復元的に出現する歴史的空間かもしれない。

 20年前に撮った、今と全く変わらぬ風景をのせておく。




(20231123記)

参 照
2022年の酉の市 ・2011年の酉の市 

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2023/11/21

1745【ぶら下がり健康法か】街なかの小公園に鳩のウンコに烏の針金の巣そして私の鉄棒

 日々の徘徊のたびに通る小公園には、ぶら下がって身体を延ばすのにちょうどよい高さの鉄棒がある。よく利用する。
 鉄棒体操とか懸垂とか逆上がりとか、子どものころにやったことをやるのではない。いや、もうそんなことはできなくて、ただただぶら下がるだけである。

 ある日もいつもの様にぶら下がり、ひょいと真上を見あげた。公園には欅の木が大きくそだち、枝と葉をを広げている。見上げる枝に鳩がたくさん留まっている。
 アッと気が付いた、あの真上の尻の穴が見える、奴が糞をしたら面倒なお土産が来る、と。早々に鉄棒ぶら下がりをやめたのだった。



 この公園の欅の木には、それぞれ別の3本の木の高い枝の間に、烏が作ったらしい巣がある。よく観察しなければ存在が分からないのだが、わたしは鉄棒にぶら下がりながら発見した。巣としては不細工な作りである。

 その巣の材料が、なんと針金であり、しかもそれは洗濯物ハンガーである。田畑があれば藁や草や小枝で作るのだろうが、ないからとてハンガーとはなぜだろうか。あの形のままに組み合わせるのだから、どうも巣にまとまりをもたせることは不可能だろう。居心地悪い巣のようだが、それで子育てしているらしい。
 せめて小枝にしてはどうかと思うのだが、都心のカラスは火災に備えて不燃性材料にするのだろう。あ、そうか、外装は針金だが内装は小枝かも知れないが、見えない。

 このぶら下がりを、もう20年くらい2,3日に一度はやっている。そうやって自重で身体を延ばすのは健康法らしい。経験的には腕や肩が痛いということがなくなっていくのだ。ぶら下がり健康法なるものが昔にはやってことがあるが、それなのかもしれない。

 面白いというか悔しいのは、この20年間に同じ高さの鉄棒でやって来て、次第に手が届きにくくなることである。昔はちょっと爪先立ちすれば鉄棒に届き、しばらくぶら下っていると、靴ばペタンと地面につくようになっていた。つまり背が伸びるのである。
 ところが今では、うんと背伸び爪先立ちしないと届かないし、次第に足が地に着くようなこともない。ということは、歳のせいで背丈が縮んでもう伸びようがないのであろう。そういえば身長を測った記憶がもう何十年もないなあ。

(20231121記)

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2023/11/15

1740【空中陋屋景観】つまらぬ名ばかりマンション群にオフィスビル新登場で景観に期待中だが

 わたしの住む空中陋屋のバルコニーのはるか向こう、公園の樹冠の上に鉄骨の骨組みビルが、毎日にょきにょきと成長してきている。名ばかりマンションの共同住宅ビル群の街は、はてどう景観が変わるのか楽しみである。

 この秋の初めころのある日、公園の欅の葉張りの上に鉄骨がにょきりとと出てきた。初めに左の1スパン(奥行き2スパン)分が、3日ほどでたちまちに7層まで上がった。
 ダイニングルームから眺めていると、それはプラモデル部品の組み立てと同じである。だが比較にならない巨大さだ。

左スパンが建ち上った 

中スパン建ち上げ中

右スパン建ち上げ中



全スパン建ち上げ完了

 工場から運んできた柱や梁を、順序良くクレーン車で吊り上げて組み立てていく。まず2層分の柱を立てる。その柱の空中に待ち構える鳶職に、こんどは大梁鉄骨を地上から吊り上げて、空中からそろそろと下ろす。

 地上から60mはあろうかという超高層ビル並のクレーンの先からぶら下がる、長さが10mほどの鉄骨を無駄に揺すったり振り回すことなく、しずしずと高い位置にいる鳶職におろしてゆく。あのとび職にちょっと憧れるのは、昔大学山岳部での岩登り好きの名残り。
 それを空中で受ける高所のとび職の技もすごいが、ここからは公園樹木に隠れて全く見えない地上のクレーン車の操縦者の腕に感心する。

 吊られる鉄骨の行方を飽きもせず眺める。鳶職は鉄骨を優しく受け止めて、空中の足元におろして檻でも作るように柱や梁で組み立てていく。その動作と音到達の時間差があって、カーンカーンと打つ鉄の音が聞こえてくる。
 それを繰り返して何本もの柱や大梁小梁床板などなど、よくまあ順序良く吊り上げ下ろしするものだ。現寸立体ジグソーパズルである。あの順序には深い意味があるらしい。

 吊り上げる鉄骨や部品などの順序を間違えると、現場が混乱するばかりか、危険であろうから、この鉄骨組み立て順序は、なかなかに精緻な工程デザインであるはずだ。
 遠くだから正確には見えないが、見えがかりは武骨で大雑把な鉄骨でも、実はそれと対極的な精緻な仕事として組み立てられているらしいと、楽しく眺めている。

 そうやって幅1スパン奥行き2スパンずつ、左から右へと順序良く3スパンが建ち上ってきた。徘徊ついでにそばで見てきたら、これで敷地はいっぱいである。
 こんな狭い所でよくまああの長いクレーンを振り回せるものだ。どうやら道路も仮使用しているらしい。交通量が多いから時間も制限されるから大変だな。この建物はまだ工事中で、いつごろ完成か知らない。

 わたしの住いの重要な方向の景観を形成することは確かだ。すでに幅も高さも全体のボリュームが仮囲い状態で登場して、その向こうの山手の緑が隠れてしまった。ここに住んで22年、バルコニーから見える緑の面積がどんどん減り、残るは手前の公園の樹木だけか。

 その原因はどれも共同住宅ビル(いわゆる名ばかりマンション)であるが、この工事中のビルは珍しく、研修所と表示してある。ふむ、これまで次々と登場してきた共同住宅ビルには飽き飽き、今度は目新しいデザインビルが登場か、どんな美しい景観か、楽しみである。

 しかしなあ、あまり期待すると、ろくでもないデザインのビル登場でガックリする心配がある。設計施工だから期待しないでおこう。
 実は昔から思っているのだが、どんな建築も骨組みだけの時の姿が最も美しい。特に鉄骨建築は美しい。仕上げが付くほどつまらなくなる。

(20231115記)

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