2016/11/28

1235【能「六浦」】名芸能者野村四郎が舞う称名寺の楓の精がつくりだす能の音と姿の構図のあまりの美しい舞台に陶然として魅せられた

横浜能楽堂

●夢か現か無限の夢幻能

 ほんの短い前場がおわり、つづくアイ語りが前場のシテと同じことを繰り返すので、飽きてきて眠くなってしまった。
後場のシテの出からワキとの問答あたりまでは、半分眠ってぼんやり舞台をながめていた。

シテ「更け行く月の 夜遊をなし  
地謡「色なき袖をや 返さまし
 
 ここから序の舞の笛がゆるやかに流れてくる。シテがゆったりと舞いだす。
 普通ならここですっかり気分よくなって寝てしまうのに、ややっ、緑の楓の精が舞台を浮かんで空中を舞っているような、、、ああ、緑に金を刷いたゆるやかに長絹がなびく、、、銀色の扇がきらめく、、、おお、なんと美しいことか、。
 夢に落ち込むのではなくて、美しさに揺り動かされていっぺんに目が覚めた。
 特別な舞ではないのに、この自然の美しさを愛でる序の舞に、今日は惹きいれられ魅せられ、なんだか陶然となってしまった。

 能「六浦」を観るのは初めてだ。舞うのは野村四郎、今月で80歳を迎えた。つい先ごろ、遅きに過ぎる人間国宝認定となった。
 若い女の姿を借りて楓の木の精が登場、その装束は緑に金が散る長絹の鮮烈さ。
 その装束そのものが美しく、それをつける能役者の舞姿がさらに美しく、どの場面を切り取っても絵になる。
 囃子と舞姿と地謡が混然とあいまって、舞台に音響と形態との見事な構図を、次から次へと絶え間なく繰り出し続けている。

 秋の楓の木の精であるながら、紅葉の色の装束ではなくて、緑色であるところにこの能の面白さがある。この楓の精の木だけが紅葉しないことが、この能のテーマであるからだ。
 今日のシテ装束は、萌黄と萌葱の中間あたりの緑色の長絹に、刷毛で横にササッと刷いたように金色が流れている。

 その緑の衣のなかから舞い扇が開き出て、その持つ手がわずかに震えて、扇面の銀色が折り目ごとにキラキラと跳ねる。
 それは月光を反射しているのか、それとも今を盛りに燃えるもみじ葉が、ハラハラと散る様を映しているのか。
 四郎の舞扇は細かく震える癖があり、時には気になるのだが、今日はそれが美しいきらめきに見えるのだった。

シテ「秋の夜の 千夜を一夜に 重ねても 
地謡「言葉残りて 鳥や鳴かましき
シテ「八声の鳥も 数々に
地謡「八声の鳥も 数々に 鐘も聞ゆる 
シテ「明方の空の  
地謡「所は六浦の浦風山風 吹きしをり吹きしをり 散るもみぢ葉の 月に照り添ひてからくれなゐの庭の面 明けなば恥かし 暇申して 帰る山路に行くかと思へば木の間の月の 行くかと思へば木の間の月の かげろふ姿となりにけり

 舞い終わってようやく橋掛かりを去りゆく楓の精を見送り、それまで詰めていた息をホッとついたのだった。いつまでもいつまでも舞っていてほしかった。夢幻能ならぬ無限能か。
 いま思えば、、わたしはずっと夢の中にいたのかもしれない。美しい夢だった。そのまま醒めねばよかったのに、、。

●前後の面と装束の変化

 この能では、面を公募によって選び、その新作の面をつける企画であった。野村四郎が選んだのは、前場は「深井」、後場は「若女」であった。
 普通は前後とも同じ面をつけるらしいが、後を若女とした野村四郎の解説にはこうある。
 「紅葉しなくなった楓の精の心の変化を表現するには、表情が表側に現れた面ではなく、内に秘めたような隠れた表情を持っている面が相応しい
 もっとも、見所のわたしの席からはその二つの面の違いを明確に判別するほど近くもなく、視力も及ばなかったのだが。
 

 そしてまた、わたしが魅せられた楓の精の明るい緑の装束だが、どうやらこれは日本の古典的な色名では萌黄に近いのだろう、そして前場の装束は萌よりも濃い萌とわかった。これは姉弟子に教えてもらった。
 四郎はそうやって面と装束の色をシンクロさせているのであったか。
 舞台写真の代わりに色見本を載せるが、実際はこの萌葱よりも若干濃い色だったような気がする。
なお、この能は、前場と間狂言を省略して、半能にするほうがよいような気がする。

●能「六浦」(観世流) (2016年11月26日 横浜能楽堂)
 

シテ(里の女・楓の精)野村 四郎
ワキ(旅僧)殿田 謙吉
ワキツレ(従僧)大日方 寛
ワキツレ(従僧)梅村 昌功
アイ(里人)野村太一郎
笛 :杉  市和
小鼓:曽和 正博
大鼓:國川 純
太鼓:小寺 佐七
後見:武田 尚浩   野村 昌司
地謡:浅見 真州   浅井 文義
   藤波 重彦   下平 克宏
   坂井 音雅   青木 健一
   武田 祥照   田口 亮二
                     
●現代の六浦の楓に逢いに行く

 能の本筋の話はこれでおしまいだが、若干の余談がある。
 その夜に美しい序の舞を頭の中で反芻していたら、そうだ、称名寺に行ってこようとおもいついた。能「六浦」の楓の木があったとされる寺院である。
 まえから行ってみたいと思っていたのだが、能とからめて考えたことはなかった。今は紅葉の盛りであるし、思い立ったらすぐに実行するべき年頃(後まわしにする時間がない)だし、次の日に行ってきた。
 中世の浄土景観だろうか、伽藍配置はのびのびとして、広い池に赤い橋が架かり、紅葉の秋景色がなかなか良かった。

 能蹟としての興味はなかったが、金堂の前にこれがそうだと掲示板がある楓の木を発見した。でも、能とは異なって紅葉をしていた。
 能「六浦」にあるこの楓が、やってきた冷泉為相に「早く紅葉しすぎているよ」と歌に詠まれて、それ以後は秋が来ても青葉のままでいることにしたのは、西暦で1300年前後の頃のようだ。
 今やそれから700年余、この楓の木も何十代目かだろうから、紅葉しないで常緑のままでいる、つまり紅葉という栄を後進に譲るという(なんだか妙な)自主規制を、いつのころからか解いたのであろうか、それとも気が緩んだか。

称名寺金堂前にあるこの楓の木が能「六浦」にある
紅葉しない楓だと掲示があるが、実際は紅葉している

参照

2016/11/23

1234【津波避難放送】福島で大地震で津波が来るからいますぐ逃げろとラジオ放送の迫力のすごさ

 あ、枕が動いているぞ、ふっと目覚める、天井照明器具が揺れる、ああ、止まらないぞ、おお、地震だ、大きい、長く続く、本が降ってくるかな、起き上がる。
 枕元のラジヲをつけると、なんと咆哮する如き放送が、、。

今すぐ逃げてください、津波はすぐ来ます、できるだけ高いところに直ぐに逃げてください、ご近所にも声をかけ合って、直ぐに逃げてください、決して引き返していはいけません、東日本大震災の時を思い出して下さい、福島浜通りで大きな地震がありました、沿岸部の方は今すぐ逃げてください、プルルルル―、プルルルル―、プルルルル―、津波警報です、すぐ逃げて、、、、、、、

 おお、おお、初めて聞いた緊急避難指示の放送だ、ド迫力がある、途中に状況の放送も入るが、ほぼこの文句がえんえんと続いている。
 このあたりは津波に関係なさそうだが、聴き続けていて、だんだん怖くなってきた。
 起きて居間のTVをつけると、画面中央に真っ赤な字で「すぐにげて!」とあり、海を映している。あ、あの海の向こうから津波がやってくるのかと。画面を見つめる。
 このとき、自分の心の卑しさを知った。津波が来なければよいのにと願う気持ちの端っこに、あの津波の押し寄せる怒涛の風景をまた見たいと思う気持ちが潜んでいるのである。


 しばらく眺めていてもTV画面の中に変化はないので、緊迫感が薄れて寝室に戻る。
 ラジオはあい変わらずに、逃げてくださいを繰り返していて、こちらの方がはるかに切迫感がある。TVとラジオの違いに妙に興味がわいた。TV画面は実況でありながら、なんだか作り物臭いのだが、ラジヲのアナウンサーの緊張感ある言葉遣いが、生々しいのだ。

 と、新しい情報とて、福島第2原発で燃料貯蔵水槽の電力供給が切れたと言っている。え~っ、それは大変だあ、、、。

 すぐに逃げてください、福島原発がまた事故です、もうすぐ爆発します、放射性物質の核の毒が降ってきます、原発から20キロ圏にお住まいの方は、大至急に避難してください、直ぐにできるだけ遠くに逃げてください、決して引き返してはいけません、すぐにも原発が爆発するかもしれません、風が北向きですから、浪江町・飯館村・南相馬市のかたは大至急逃げてください、そちらの方に避難しないでください、今すぐ逃げてください、核の毒が降ってきます、、、、、、

 幸いにして、こんな放送はなかった。でも、5年前の3月にはこんな放送があったのだろうなあ、たぶん、、、、いや、なかったのかなあ、、、。

 ところで、今回の地震は北米プレートなるものが原因にあるかとか、、、、あ、なんだ、トランプのせいなのかい、だからか、TPP離脱という津波が押し寄せて来たもんなあ。



2016/11/18

1233【東京・渋谷駅定点観測】日夜どんどん変わりゆく渋谷駅で老人はウロウロ、立体迷路のどこかから三途の川と黄泉の国へつながってるかも

 日々、絶え間なく変わっていく東京の渋谷駅、ここが変り切るころには、わたしはこの世にいないだろうが、その頃になったら、またまた変る動きが出てくるだろう。永遠工事中ステーションである。横浜駅がそうである。

 渋谷駅の東にあった東急文化会館の跡地に、ヒカリエができた2012年から、その11階と9階にあるガラス張りの見晴らし台を、ときどき訪れて定点観測的に見下ろす渋谷の駅と街、そこにはなんともはやカオスな風景が、いつもいつも広がっているし、見るたびに変るので、いつも見飽きない。
2012年、ヒカリエから西を俯瞰
2014年、ヒカリエから西を俯瞰、東横線渋谷駅が消え、東横百貨店が一部取り壊し
2016年11月、ヒカリエから西を俯瞰、東横百貨店本館が消えた

1997年、西にマークシティの工事が始まった
2004年、西にマークシティが建ち、南にセルアンタワーが建ち
東の東急文化会館取り壊し
2012年 東の東急文化会館跡にヒカリエが建った
2014年 東急線線渋谷駅が地下に移り、地上駅は廃止して屋根撤去、
東急百貨店の本館が取り壊し

見下ろす地上や地下の世界に降りれば、これはまたカオス体験ができる貴重な都市空間が待っている。
 地下駅を降りればいったいどこがどこやら、さっぱりわからない工事現場の中を通り抜けて地上に出る体験は、登るかとおもえば下り、右かと思えば左へと、昨日の道は今日はこちらと絶え間なく日ごと夜毎に変り続けているらしく、日替わり立体迷路遊園地である。

 渋谷に来たら年寄りはボケていられない。地下鉄や東急線の地下駅を降りたら、永遠に地上に出られないおそれがある。
 だからボケ老人が渋谷に用があるなら、地上を走るJR線か京王線で行くに限る。

 あ、いや、待てよ、地下のあのスゴイ迷路のどこかから、黄泉の国につながっているとも考えられるなあ。
 そうだ、近いうちにどうせ行くところなのだから、渋谷に行ったついでにそこから入ってみようかな。こんど渋谷に行ったら、その入り口を探すのを忘れないようにしよう。

 そういえば、ここの地下には渋谷川が流れており、その流路付け替え工事もやっている。実はこれが三途の川で、ある日、ざんぶりと地下空間に流れ込んでくるかもしれない。
 なにしろ、地下街や地下鉄のほうが深くて、その上を三途の川が流れているのだから。
渋谷の未来像では地下街の天井裏に渋谷川の水が流れる

●「伊達の眼鏡」ブログ内参照ページ
・1066ただいま渋谷駅は巨大な立体迷路遊園地
・746玉久三角ビルから東横デパートへ
・617渋谷東急文化会館の変身は戦後文化の変転

2016/11/13

1232【あやしいハイテク】プリンターを買ったら値段が7000円で故障したら修理代の方が高いよなあ

 狭い書斎に複合機能プリンタが2台にもなってしまった。
 5年前に買ったキャノンMP990が、ほぼ危篤状態になったが、もう修理は受け付けないと言うので、ホントにオシャカになる前に後継機としてMG3630を買ってきたのだ。ナント値段が3分の1になった。

 両機の機能を比較すると、足りないのはフィルムスキャナだけで、そのほかは一応そろっている。
 だから印刷は危篤だがスキャナは生きているので、フィルムスキャンだけのために、古いMP990を生かしているのだ。

 性能的には、インクの色数が減ったから写真印刷の仕上がりが悪いだろうと思ったら、やっぱりよくない。
 印刷インクがMP990は6色(青、赤、黄、灰、黒、黒)の別々の6つのカートリッジだが、買ったMG3630は4色(青、赤、黄、黒)で2つのカートリッジである。
 でも、わたしは普通紙にプリントする本づくりがメインだから、それでもいいことにする。

 もうひとつの違いは、こんどのMG3630は印刷時の音がうるさいことである。静音設定もできるがそれでもうるさい。
 印刷速度も遅いようである。まあ、安いのだから仕方ないか。

 わたしは自家製本の印刷をするから、普通の個人ユーザーに比べるとハードユーザーだろう。さて、これがいつまた故障を起して修理に1万円以上っも取られるのか。
 故障したら修理じゃなくて買い替えをさせようってのが、キャノンの戦略なのだろう。やり方がキタナイなあ。もったいないなあ、。
 これまでに何台のプリンタを買っては使い潰してきたか数えてみたら、これが5台目である。

 プリンタ屋のもう一つの儲け口は、インクである。インクカートリッジが1個8~900円もして、高いよなあと思っていた。印刷をケチケチするのである。
 ところが昨年ある日、なんとナンデモ100円屋に詰め替えインクを売っているのを発見した。インクが無くなったらカートリッジに穴をあけて、スポイドで注入する。これは安いので愛用している。

 もっとも、プリンタ屋としては癪なことだろうから、これを使って故障しても補償しないよと、マニュアルにしっかり書いてある。麻薬みたいだが、安いからやめられない。
 今回買ったMG3630新品プリンタには新品インクが付いてきたが、110ページの本を3冊つくったら、もうインク切れだよって表示が出てきた。早いなあ、さっそく100円インクを注入した。

 A5版100ページ程度を本を1冊つくるとどれくらいかかるのだろうか。
 100ページの本だと、本文用紙が25枚で1枚2円で50円、表紙や見返し用紙が1枚5円で1冊に3枚として15円、インク代がA4にして3円として表紙共で26面で78円、以上合計して143円である。
 ただしインク代がA4の1面で3円は、実は計算が怪しい。新品キャノン製か100円屋製かで違うし、歌集と論文集ではインク使用量が大きく違うし、写真の有無でも異なってくる。
 このほかに電気代や糊代、道具の損料、そしてわたしの人件費も入れると、はて、いくらになるのだろうか。商業出版と違って流通経費は、郵送料くらいなものである。

●参照 本づくり趣味の出版 ブックレット「まちもり叢書」シリーズ

2016/11/10

1231【北陸に蟹を食いに】金沢近江町市場の再開発事業の成熟ぶりに驚きつつ漁解禁初物の香箱蟹を買い込んで賞味してきた

 北陸に行ってきた。福井県池田町で友人の所有する国指定名勝の「梅田氏庭園」を鑑賞し、金沢で駅前、武蔵、香林坊あたりの都市軸街づくりを眺め、富山で総曲輪あたりの再開発の様子を眺めて来た。
 金沢と富山では、昔に来てみた街と今の街の変りようを観るという、半分はセンチメンタルジャーニーである。もう旅に出ると言うと、いつも感傷旅行になる。これが人生最後から2番目の長旅かもしれない。

 今月7日からカニ漁解禁、さっそく蟹食い旅行でもあった。蟹を買うならなんといっても、金沢の近江町市場である。
 この市場は、先年に再開発事業で建て直しされたと聞いたので、あの市場の雑踏・雑多・猥雑・多様さが消えたのだろうかか、そばに建つ村野藤吾設計(1932年)の北國銀行は道路拡幅で壊されたか、金沢の街にまたひとつ超高層ビルが建ったか、などと気になっていた。
2003年2月撮影の北國銀行 村野藤吾設計 1932年
だが、見事にその心配は裏切られて、ホントに再開発したのかと疑わしいほどの、昔のままの雑多な賑わいのある市場風景に、ほう、こういう再開発もできるのかと吃驚したのだった。
 再開発となると決まって建つ高層ビルはなくて、地味な形と色の4~5階程度の建築だし、北國銀行はそっくりそのまま曳家して営業しているし、市場の中はあい変わらぬ賑わいと猥雑さで、市場を歩いていてどこを再開発したのか、どこはまだ再開発していなのか、その区別が全く分らない有様である。

  おお、この再開発はスゴイ、再開発事業やったのに、まるでやってないかのごとき変わらなさである。低層低容積の建築だし、記念的建築保全もやってるし、市場の猥雑さの再現までもやってる。
 こんな再開発事業もやれるんだ、そのような時代が来たか、あるいは再開発手法がここまで成熟したのか。
北國銀行は道路拡幅分を曳家移築して保全
近江町市場 左は再開発ビルの市場、右は既存の市場
再開発ビルの中の近江町市場
1998年、再開発前の近江町市場

再開発事業というと、その都市でもっとも高くて格好良い建築を作りたいたいと、どこの市長も言ったものだ。だが、これまで長年にわたっていくつもの都心部再開発をやってきた金沢市では、そのような規模や形の時代を抜け出して、内容と質を追及する時代に至ったらしい。
 近江町市場では、あの市場を元の市場のままとするべく再開発したらしいが、それを見事に事業採算にのせたとは、大いに興味がわいた。

そこには事業関係者たちの大変な努力と工夫があったはずだ。計画、事業、設計まで通してやったコンサルタントのRIA金沢支社の人に、その内容をちょっと聞いてきた。
 制度的には、都市再開発法に基づく第1種市街地再開発事業(都市局採択組合施行)であって特別なことはないのだが、権利者全員が参加し、各種の公的助成制度をとりいれ、事業運営組織を確立して、このような再開発らしくない形にできたらしい。
 詳しくはRIAの「武蔵ヶ辻第四地区第一種市街地再開発事業」ページ参照。
http://www.ria.co.jp/news/review/vol17.html
金沢市武蔵が辻地区 2015年 
金沢駅からのメインストリートの正面に村野建築がアイストップ
 もちろん忘れずに蟹も食った。再開発でできた市場の2階の海鮮料理屋で、解禁とれたて香箱蟹を賞味した。美味かったので次の朝には市場で蟹を買い込んだが、結局は金沢名所にはどこも行かなかった。
 次は、富山の街見物へ、総曲輪あたりの都心部の変化を見たのだが、金沢のような成熟した街づくりの面白さが富山には無いのだった。はっきり言ってつまらなかった。

 そして次は上市町へ、そこには昔の山岳部仲間が住んでおり、東京方面から同じ山仲間2人もやってきた。もう山に登れない4人で、能登の地物香箱蟹と菜園の野菜とワインで、夜更けるまでしゃべり続ける宴会であった。
 剣岳の麓の町にやってきたからには、センチメンタルジャーニーの仕上げとして、せめて剣岳の姿を麓からでも拝んでから帰りたかったが、あいにくの雨ふりで全く見えなかった、残念。

昨年春の第4腰椎圧迫骨折事故後に初の遠距離旅だったが、その後遺症はカニで治っただろうか。こうして人生最後から2番目の旅を終えた。

2016/11/04

1230【豊洲新市場騒ぎ】盛土の有無騒ぎを眺めていて大規模公共事業の構想計画段階と設計建設段階との間の不連続と総合マネージメント欠落の経験を思い出した

 東京の豊洲新市場騒ぎを岡目八目で見ていると、このような公共事業の大規模建築プロジェクトにおける基本的な問題が、わたしの経験からよく分る。
 要するに全体を調整して始まりから終りまでを一貫するマネージメントがないのである。計画は計画、設計は設計とはそれぞれが別のものととらえて進めるのが常なのだ。最後には設計という工学技術と、経営というお金がものをいうのである。
 だから大局的に計画段階前に定めた基本的な理念を、設計段階では忘れさってしまうか、あるいは知っていても顧慮もしないことなるのだ。

 このような大きな事業は、大きく分けて最初の発案から計画づくりまでの段階と、その後に来る設計段階から工事の段階、そして運営段階へと進んでいく。
 この間での連続的なマネージメントがないままに、各段階で完結させようとする力が働いで、事業の齟齬が起きる。
 この問題は、わたしがプランナーとして仕事をしてきて、いつも悩まされたことである。主にわたしが担当してきた計画段階までに決めたことが、あとから来る設計段階でいつのまにか勝手に変更されて、実施に至ることが多いことである。
 この間をつないて総合的に調整をするマネージメントの役割をする人材が不在で、先に決めたことを後から変更する場合にフィードバックがあることは稀である。

 公共事業では、計画段階までは専門家たちによる委員会制によって進めることが多い。そこに専門分野のコンサルタントが加わって、委員会の承認を取りつつ実務作業をおこなって進める。わたしは時には委員になり、場合によりコンサルタントになったりして、基本構想や基本計画の仕事をしてきた経験がある。
 そうして、基本構想書とか基本計画書とかの名称の報告書ができあがって、発注者の公共団体が受け取って、これを所定の手続きで公的計画に定める。そして次に設計段階へと歩を進める。

 ここで問題になるのは、計画段階までは大局的見地から、その事業に意義や思想、そして具体的に何をつくるのか検討するので、ルーチン化した技術ではなくソフトウェアの性格が強いから、その専門家の選定はかなり難しく、委員会等の識者が定めることがほとんどである。
 その計画の後に設計段階となる。時にはプランナーのわたしも、設計段階までかかわることもあったが、ほとんどの場合は、設計段階から別の専門家が登場する。
 それは、設計段階となるとかなりの範囲をルーチン化した技術が主になるので、そのコンサルタント選定は入札方式となるのが通例である。つまり、金額で勝負して決まるからである。
 この間で役所側の担当者や担当部局が変ることが多い上に、実務仕事をする専門家も替わるのだから、計画と設計は一貫しないものとなるおそれが十分にあるのだ。

 そして設計担当者は、ときには計画とは異なる方針を立てて設計をするが、それが計画段階にフィードバックされることはきわめてまれである。多くの場合は、計画は「報告書」として倉庫に入ったまま忘れ去られる。
 その計画段階とは異なるものとなる理由は、計画段階から状況が変化したので、設計段階でそれに対応するために計画を変更することもある。あるいはまた、設計段階の担当者たち独自の判断で計画よりもこの方がよいとして設計に至ることも多い。
 そしてその新たな更新や設計が、計画段階とは異なるものとなっても、計画にさかのぼって検証されることは、わたしのプランナーとしての多くの仕事経験で、そのようなことは一度だけだった。
 それは、わたし自身が企画構想計画から設計工事まで一貫してプロジェクトマネージャーとして関わったという、稀な経験の場合のみである。
 
 さて、これを豊洲新市場騒ぎにあてはめると、まさにピッタリである。計画段階で決めた全敷地盛土は、設計段階で地下空間部には盛土不要と変更となった。
 そしてその変更が、計画段階にフィードバックされることなく、全敷地盛土方針は忘れ去られたのだった。たぶん、ここに悪意は無く、この設計のほうが計画よりもよいと信じた人々によって、その変更方針が支えられたのであろう。
 いや、変更したとさえ気が付かなかったのが真相だろう。つまり計画なんてものは忘れ去られるのが運命なのである。忘れないとしても、計画は計画であり、設計は設計であると、それぞれ別のものとさえ思っているかもしれない。
  
 もしも計画段階に携わった専門家や行政担当者が、設計段階にもかかわっていたら、計画の変更の持つ重大さに気が付いていたただろう。
 だが、豊洲の場合、東京都の担当者たちも定期異動で変わっていただろうし、計画段階の専門家と設計段階のそれとは、異なるコンサルタントに発注されている。
 そして盛土という行為の必要性は、法的に定めたものではないのだから、変更手続きに法的な制約があったのでもない。仕事をしている現場の判断でよいのだ。
 だから、計画段階の盛土方針が、設計段階において軽々に変更されてしまった。そこには盛土よりの地下空間の方が良いのだという、技術的な優位性のみが前提となり、公共事業が持つ社会的な説明責任を忘れたのである。

 では、なぜそれが今になって問題になっているのか。そこに悪意が働いてだれかの利益誘導になっているとか、法的違反行為であるとかならば、問題になると分るのだが、そうではないらしい。
 どうも都の組織の内部的な手続きの遺漏らしい。たとえば議会答弁と実情が食い違っていたとかである。

 技術的には、敷地の盛土しても建築の地下部分は盛土が物理的に盛土が無くなるのが当然であり、そこに「地下空間」が盛土の代わりにできあがるのである。現場の技術者たちがこれを手続き違反ととられて処罰対処になるとは、とうてい考えもしないことだろう。今でもそう思って、なぜ処罰対象になるか不思議だろう。
 
 つまり、偉い人たちに一部で盛土が無くなりますと言わないでいたのがケシカランということらしい。現場を見れば誰でもわかるのに、偉い人たちは気が付かなかったというドジな話を、こんなにジャーナリズムに上げ足とられて、担当者たちは、特に技術者たちは一体何のことやらと仰天しているだろう。
 大山鳴動させたのは、新知事であり、尻馬に乗ったマスコミである。これは大山鳴動鼠一匹となるのだろうか。
 どうも今回の件は、はんにんさがしをしなけりゃならない空気になったものだから、後付けの手続き違反指摘の感が強い。わたしにはそうとししか思えない。 

 ヒマな年寄りに、こうやってダラダラと駄文を書いてヒマツブシする種をつくってくださった、新知事とマスコミに感謝いたします。

関連参照1129【東京豊洲新市場騒ぎ】ムリヤリ犯人つくって新知事オテガラ幕引きにして次はオリピック騒ぎか
 

 

2016/11/02

1229【東京豊洲新市場騒ぎ】ムリヤリ犯人つくって新知事オテガラ幕引きにして次はオリピック騒ぎに移るらしい東京馬鹿ヤロウィーン

●ムリヤリ犯人さがしで新知事のオテガラ?

熊五郎:寒くなってきましたねえ、ご隠居。
ご隠居:おや熊さん、いらっしゃい、気候も寒いけど、人の心も寒くなってきたね。
:おや、なにかありましたか。
:ほれ、このニュース、東京の豊洲新市場騒ぎで、犯人をムリヤリつくったみたいだよ、こころが寒くなるなあ。
:ああ、マスコミが騒ぐ犯人探しゴッコに乗っかって、新知事の大手柄にしようってんですかね。
:要するに、いったん決めた盛土を地下空間に変更したときに、お役所流の手続きを経ていなかったのがけしからん、その手続き違反をしたやつが犯人だ、ってことらしいね。
:市場整備部という担当部で盛土を地下空間に変更して、それより上のエライ人や議会に変更承認をえていなかったって、いかにもお役所らしい犯人探しですねえ。
:ってことは、その変更した結果が、盛土よりも悪いからなのだろうねえ。だからマスコミやら識者やら移転反対派の人たちが怒ってるんだろうね。

●盛土が地下空間になるって悪いことかしら?

:ところが、それが分らないですね、ニュースを読んできてなんとなくわかるのは、盛土よりも地下空間の方がコストもかからず、盛土と同じ効果があるらしいですよ。
:そうそう、地下空間は配管スペースになり、しかもそこで汚染土壌のその後の影響の環境モニタリングもできるってことらしいから、むしろ良いことのようだね。
:とすると、たぶん、犯人とされた連中は、心の中じゃあ大いに不満でしょうね。
:むしろ良いことしたのに、なんで叩かれるんだよ、新知事の人気取りの犠牲にされたよ、なんてね。
:まあ、地下には盛土してないのに、盛土してるって議会答弁したらしいですから、そこはドジだった罪はありますがね。
:答弁するほうもする方だけど、都議会の方もそれを聞いて、はいそうですかって、何の疑いも持たなかったのが不思議だね。だって、工事現場を見れば小学生でもわかるウソだよ。

●サボった専門家委員と都議も犯人でしょ?

:そうですよね、現場になる前に設計図で一目瞭然で盛土がないってわかりますよ。答弁するほうもされた都議会議員の方も、全然見なかったのですかねえ。無責任都議会だ。
:もうひとつ分らないのは、盛土をせよと決めた専門家の委員会があるよね。その委員連中も設計図もみなけりゃ、現場も見なかったのかねえ。
:そのとおりなら、言いっぱなしの無責任委員会だ。
:だったら、担当当局の役人だけを犯人としないで、手続き違反に気が付かなかった、無作為の都議会議員も専門家会議の委員も、犯人として処罰するべきだな。

●いちばんよく事情を知る設計者の責任は?

:こういうときに設計した建築設計事務所やその担当者はどうなるのでしょうかねえ。たぶん、前後事情をいちばんよく知っていたはずですよ。
:あ、この盛土省略地下空間案を東京都に提案して、設計を受注したのは日建設計だね。でも、その提案採用の決定権は東京都側にあるから、一義的な責任は無いだろうね。
:でもね、前提敷地全部盛土と決まっているのに、建築地下には盛土しないって提案は、そもそも違反提案のような気もしますが、どうですか?
:う~む、違反でもそれを採用した東京都側に責任があるけど、分っていながら違反提案した技術者の倫理は問われるかもしれないね。
:でも、違反提案でも、そのほうが技術的にも社会的にも正しいと信じての提案であり、それが真実ならば、むしろ技術者倫理としては望ましい方向のような気がします。
:う~む、そもそも盛土するってことが正しい技術的解決であったかどうかが問われるってことだな、こりゃたいへんだ。

●結局はできてしまった現実がものをいう?

:こういう時には結局は、現実に即して解決するしかないんでしょうね。
:つまり、できちまった建物が安全であることを検証して、改善するべきところは改善して、早期に供用開始するってことだな。
:そうですよ、とりあえず犯人に仕立てた役人を型式的に罰して、マスコミと新知事の顔を立てて幕を引くんでしょうね。
:あとは技術問題に絞り込めば、マスコミや世間はもう興味が薄れて、次のオリンピック問題のほうが面白いや、ってことでだな。
:この間に、だれか悪意を持ってやったものがいるんですかねえ。
:なんだかもう、心が寒い時代になったね。