2016/09/27

1215【首相所信表明演説】国会が警察力や軍事力に頼る危ないスタンディングオベイションのなかで「カニボコ」宣伝演説かよ

 昨日(2016年9月26日)、国会で総理大臣所信表明演説があり、中途で議員たちによるスタンディングオベイションがあったそうだ。
 演説の中で首相は、海上保安庁、警察、自衛隊の働きぶりに触れた後に、こういったらしい。「今この場から、心からの敬意を表そうではありませんか」
 こう呼びかけて自分で拍手を始めたので、これを受けた自民党議員らが起立して拍手を約20秒間続けたそうだ。

 ネットではいろいろとスズメが騒いでいて、アベサンへの賛辞ならば、こりゃすごい時代が来たなとかってあるが、それもあったのだろうとも思う。
 でも私が思うには、今、このように国会が警察力や軍事力に頼ることを、議場で称賛して表現しなければならないほどに、政治家たちの「政」を「治」める能力が劣化状況の時代なんだなあと、これはまことに空恐ろしい時勢であることを物語っているのだ。
 
 もうひとつ、所信表明演説に、面白いことがあった。カニボコ宣伝演説である。
 カニボコって、昔は軽蔑と感嘆の対象だったよなあ。これが出始めた40年ほど前の頃は、料理や弁当についてくると、みんな箸でつまみあげて、これって本物の蟹を食えない貧乏人のためのニセモノなんだな、それにしてもうまく作ったなあ、日本人はコピー芸術職人だよなあ、なんて話し合っていたものだ。

 カニカマともいう。蒲鉾の製法で、蟹の身とそっくりに作るのだ。原料は蟹じゃなくてタラらしい。蟹の身の形だから、本物の蒲鉾と違って、板についていない。
 偽物と軽蔑されていても、マーガリンや人造キャビアのように、時間が経つと本物と肩を並べるものがある。このカニボコが典型だろう。

 なにしろこの度の総理大臣所信表明演説で称賛されたのだから、これはもう、れっきとした政府お墨付きのニセモノ、いや、コピー食品となった。
 それにしても、コピー食品を国会で宣伝するとはねえ、どんな基準で首相はこれをとりあげたのだろうか、「100年前に誕生した1軒の蒲鉾店」とは、七尾のスギヨのことだろうか。

 今やコピー食品は、ニセモノじゃなくて堂々たる食材らしい。人造イクラもあるらしいし、お世話になっている発泡酒もそうかな。
 安い肉を薄く切って何枚か貼り付けてビフテキにもする整形肉ってのもあるらしい。まるでべニア板である。
 あ、そうだ、べニア板も昔は本物の板の代用品だったのが、いまやこちらが主流派になってしまった。

 まあ、将棋打ちがAIなんてニセモノにとってかわられる時代だから、なにが本物で、なにがニセモノかわからないよなあ、今じゃあ。
 人間もボケちまっても生きていられる世の中だから、ボケたわたしと今のわたしのどっちが本物かわからない。どっちも本物だというのは、明らかに欺瞞だ、ボケた俺は俺のニセモノだぞ。



2016/09/26

1214懐かしい味の小豆アイスバーとチキンラーメンに出会った夏が過ぎていった

 夏がとうとう過ぎ去った。この夏はついに冷房をしないで、アイスバーを舐めてしのいだぞ。
 夏をもしのぐ強力アイスバー、それは「井村屋小豆アイスバー」であった。いろいろな氷菓を試した末に、これがわたしの消夏材に落ち着いたのだ。朝昼晩と舐めた。
 これは昔のけっこう高かった小豆味のアイスキャンデーを思い出させて、懐かしい。

 この小豆バー6本入りの箱を、いろいろな店で何回も買っているうちに気が付いたが、値段が200円台から400円台まで、さまざまでずいぶん差があるのだ。
 暑くなるほど高くて、寒くなるほど安くなるのか?

 そういえば、箸に突き刺した竹輪状のアイスキャンデーは、今はどこで売っているのだろうか。
 昔々、自転車の後ろに乗せた木箱に入れて(参考写真)、チリンチりんとなる鐘の音と共に「キャンデー、キャンデー、アイスキャンデー」の売り声を、炎天下に響かせながら、道を売り歩いていたものだ。一本5円だったかしら、そのなかで小豆アイスは7円か10円だったかな。

 いつもは食品店なんて酒を買うしか用事はないのだが、このアイスバーを買うために他の売り場に出入りして、ひょいと見つけたのが「日清チキンラーメン」の袋である。
 ふむ、ふむ、聞いたこと見たことあるような、懐かしいような気がする、買った。

 ネットで調べると、安藤百福がチキンラーメンを世に出したのは、1958年8月25日とある。横浜にはチキンラーメン博物館がある。 
 とすると、わたしがインスタントラーメンを初めて食ったのは、1959年になるはずだ。
 それは大学山岳部の食料として合宿に持って行ったのである。多分、携帯食料として山行きに可能かどうか試したのであろう。
 日本アルプスでの合宿中のある日の夕食にそれを食った。その日は部員の誰かの誕生日だったので、特別食だった。美味かった記憶があるが、それ以後にチキンラーメンを合宿で食べた覚えがないのは、コストと携帯効率が不十分なものだったのだろう。

 その後もチキンラーメンを食った記憶はあるが、もうずっと昔に縁切りになって忘れていたのを、アイスバーを買った店で出会って思い出した。
 昨日のブランチに、それを料理?して食った。ふむ、この麺のワラワラとした姿、どこかワサワサする歯ごたえ、ちょっとゲスっぽい味、そうだったなあ、うん、うん、昔もこんな味だった、今も同じなのか、すごい。
 それは、とにもかくにも、不味かった、、だめだ、こりゃ、でも食い物のない時代に育ったので残さず食ってしまった、うーむ、マズイ口直しにアイスバー

2016/09/25

1213【新聞博物館:ニュースパーク】古新聞コピーパネルばかりで興味が湧かない面白くもない展示だったなあ

 ヒマなので勉強に出かけた。最近リニューアルした「新聞博物館」(ニュースパーク)である。 
 しかし、古新聞コピーのパネル展示ばかりで、実につまらなかった。古新聞を見るなら図書館に行けばよい。
 時節柄、オリピック競技という企画による古今の競技大会の新聞だったが、わたしはオリンピックにまったく興味ないから、どうもしょうがない。

 いろいろな賞を得た記事が麗麗しくパネルにしてあるのは、それはそれでよいのだが、逆に、報道における誤報という都合の悪いことは、全く扱っていないのには、なんとなく白けた感になった。また、戦争やテロ報道のような、難しくその態度も議論のあることも、展示の中にはなにも見えない。
 ようするに新聞ジャーナリズムの持つべき主張とか批評精神とかが見えないのが、つまらない原因だな。

 新聞写真で1枚だけ、わたしにはおぞましくも懐かしい展示があった。1960年10月12日、浅沼稲次郎暗殺現場写真である。
 このときわたしは大学生で、床屋で髪を刈ってもらっていた。たまたまTVで実況撮影したその場面が、繰り返し放送されて、おぞましい思いでそれを見ていた、強烈な記憶がある。

 この瞬間を撮ったカメラ記者には、「写真撮る前にカメラを投げつけて殺害を防ぐべきだった」と、非難の新聞投書がたくさんあったものだ。
 今ならネットでボロクソだろう。

 体験型展示は、オリジナル新聞つくりと、新聞記者になって取材ゴッコだそうで、どちらにもスタッフから誘われた。
 記者ゴッコはグループでやるらしいので、キムツカシイ年寄りには面倒なので遠慮した。

 オリジナル新聞つくりは、PCを使って製作するそうだ。できあがり見本を見せてくれたが、その中の写真(それも向うが用意するもの)と十数字のコメントだけがオリジナルで、そのほかはテンプレートのまま既製品だというのである。
 わたしが今日撮った写真を入れたいし、できればわたしの誕生日の新聞をつくりたいと言ったら、それはできませんという。つまらないから遠慮した。
 参加型ミュージアムの時代だが、参加するこちらが気難しくて参加しづらい。
ニュースパークサイトhttp://newspark.jp/newspark/



2016/09/20

1212【マンション撲滅論】全部無料で建て替えできる条件でさえも全員同意できない名ばかりマンション建て替え

 ようやくのことに例の大問題共同住宅建て替え決議が成立したたそうである。去年の半ばから大騒ぎだった、横浜市内にある大規模区分所有共同住宅(名ばかりマンション)のビルが傾いてきた事件である。
 施工不良であったことが原因と分り、販売した三井不動産レジデンシャルがすべて責任を取って、買主に全額補償して立て直すことにした。
 買った方はバカバカしい事件に巻き込まれてやりきれないことであろう。察するに余りあるが、そのバカバカしさは、名ばかりマンションなるものの宿命なのに、世間は気がついていないのだ。

 揉めて揉めて一年後の昨日のこと、ようやく法に基づく建て替え決議が成立したが、それでも議決権数711件中賛成709件だから、全員同意ではないらしい。区分所有者数でも635件中633件が賛成だから、どうやら二人の頑強な反対者がいるらしい。
 もっとも、賛成者の数の内には、かなりの数の事業者買取り戸数もあるだろう。それでもこれだけ多くの権利者たちが、たったの1年で建て替え決議の通過に持ち込んだのは、原因者が建て替え費用を全て負担し慰謝料も出すという、非常にまれな特殊な事例だからである。
  
 一般的にこれだけ権利者が多いと、二人くらい(もっと多く)の反対者が居ても不思議ではないが、それにしても権利者たちには金銭負担が一切ないこのような建替え事例でも、全員同意にはならない。
 ましてや、これが震災や火災あるいは老朽化によるような、管理組合による自主的な事業として、各自負担による建て替えならば、とてもこうはいかないだろう。
 反対の2戸分をそのままでは建替え不可能だから、これから説得、買い取り、強制代執行とか、大変だろうと思うが、三井不動産レジデンシャルがやるのだろう。そこも自主建て替えと大いに違う。

 さて、熊本でも震災があったが、被災区分所有型共同住宅(名ばかりマンション)は、どうしてるのだろうか。
 相かわらずの超高層巨大共同住宅が建ちつつある東京圏、例えばにわか名ばかりマンションニューヨーク武蔵小杉とかでは、これから起きる大地震では、どうなるのでしょうねえ。わたしは借家住まいだから、そこのところは気楽だけどね。

参照:くたばれ名ばかりマンション論議
・1150【マンション撲滅論①:買ってはいけない7か条】こんな不安定な資産なのに世の人は大借金してまでなぜ買うのだろうか
http://datey.blogspot.jp/2015/12/1150.html
・1139【横浜名ばかりマンション傾き事件】真犯人は設計も監理も施工もグルでやった三井住友建設とようやくわかったぞ
http://datey.blogspot.jp/2015/10/1139.html
・1138【横浜名ばかりマンション傾き事件】根本問題は基礎杭の欠陥工事じゃなくて「マンション」という区分所有方式共同住宅という欠陥システムにあるんだけどなあ
http://datey.blogspot.jp/2015/10/1138.html
・1136【横浜名ばかりマンション傾き事件】基礎杭インチキ事件の真の責任者は孫請けか元請けか工事監理者か設計者か謎ばかりニュース
http://datey.blogspot.jp/2015/10/1136_22.html
・968【くたばれマンション】だから言ってるでしょ、名ばかりマンション区分所有共同住宅ビルをやめろって
http://datey.blogspot.jp/2014/07/968.html
・・808「名ばかりマンション」をいまどき売る人買う人の気がしれない
http://datey.blogspot.jp/2013/07/808.html
・664くたばれ名ばかりマンション屋!大ウソつきがばれたぞ
http://datey.blogspot.jp/2012/09/664.html
・くたばれマンション
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tosikyoju

2016/09/18

1211毎年ふらふら変わる敬老の日は今年はいつなのか軽老朦朧老人にはさっぱり分からない

 空中陋屋の窓から祭囃子が聞こえる。バルコニーから見下ろすと、このあたりの鎮守社であるお三宮神社のお祭りで、神輿渡御の行列が行く。
 行列といっても20人もいたろうか、肝心の神輿は車に曳かれているから、ワッショイワッショイの景気よい声はないし、囃子も録音をラウドスピーカで流している有様。
 雨もよいだから神輿は透明プラスチックレインコートを被っている。なんだか寂しいが、町内を神輿が渡御するだけでも、良しとしようか。

 このあたりは中高層建築の共同住宅群の街である。わたしがそうである如く、各住宅ビルの各バルコニーから住人たちが顔を出して、道行く神輿を見下ろしている。
 ほう、こんな人たちが住んでいるのかとそちらを眺めていて、おやおや、爺さん婆さんばかりだよ、いや、もちろんこちらも爺さんだけどね、休日というのに子どもの顔が見えない。

 むかしむか~し、公団の住宅団地に住んでいた頃、こういうときにバルコニーから顔を出す人々は、だれもかれも若かったし、子どもの顔もたくさんだったことを思い出した。
 そうか、明日は敬老の日だな、むかしむかしはそんな祝日はなかったよなあ、その後に年寄りが増えつつつある時代になって、敬老の日なんてのを発明したものだった。

 いまや年寄りが増えすぎて、敬老よりも軽老へと時代の空気は変らざるを得ないよなあ。
 その証拠には、敬老の日ってのは昔は9月15日に決まっていたのに、今じゃあ毎年毎年ふらふらふらと日取りが変って、今年は9月19日だそうだ。
 ネットで調べたら、去年は9月21日、来年は9月18日だそうだ。

 これって、人々の老いを敬う精神を高揚するするために、記憶の中に敬老の日として定めておくのじゃなくて、連休にしてしっかり遊びたいとか、観光業が稼ぎたいってことですよね、まあ、いいけどね、それでも、、、どうせ老人はジャマでショ。

 そうだ、「子どもの日」ってのをもっと大切にしてはどうですか。あんな大連休の中に埋もれさせてしまうから、子どもを大切にって精神が忘れ去られてしまって、少子時代になったんでしょ。
 あそうだ、「女性の日」を新設してはどうですか、あ、そうだ、あわせて「おんな子どもの日」がいいか。

 参考までに、父の軍隊手帳によれば、1930年当時の祝祭日はこうだった。赤字の日付は名前を代えて今に続く。
 四方拝(1月1日)、元始祭(1月3日)、新年宴会(1月5日)、
 紀元節(2月11日)春季皇霊祭(3月21日)、神武天皇祭(4月3日)、
 天長節(4月29日)秋季皇霊祭(9月24日)、神嘗祭(10月17日)、
 明治節(11月3日)新嘗祭(11月23日)、大正天皇祭(12月25日)

2016/09/10

1210【本つくり趣味】この夏は趣味の本つくりで「歌集」に没頭していて暑さを忘れていた

 今朝起きたら、ツクツクボーシの鳴き声がする、おお、秋だなあ。
 今年はとうとうわが書斎兼工房兼寝室を、冷房しないままに秋が来てしまった。
 この夏は冷房しないで過ごそうと決めたのは、うまくいけば、熱中症でポックリとなるだろうって期待をしたのだ。ついでに電気代も少ないエコ生活にもなるという一挙両得?も。

 ところが、意外というか残念というか、あまり暑い日がなかったし、暑い日は風が吹き抜けて、なんとか過ごしてしまった。だからポックリの目論見が外れた。
 もっとも、本当は暑い日があったのかもしれないが、歳とると気温に鈍感になって、暑さが身に応えなくなったのかもしれない。それはそれでエコな体質でよろしい。
 
 もうひとつ冷房しなくても過ごした大きな原因は、この夏は趣味に没頭していて、暑さを心がはねのけたのかもしれない。
 その趣味とは「本つくり」である。この夏はその趣味を生かして、他人様の「歌集」をつくったのだ。6月から編集にかかり、7月に校正、8月に入ってから100冊を造本した。
 これにかかりきりの夏は、心頭滅却すれば火もまた涼しの心境で、暑さも逃げたらしい。

 3人の幼馴染が、それぞれの趣味を持ち寄って、歌集を作ったのである。
 ひとりは歌を詠み、ひとりは花をつくるのが趣味であり、わたしは本をつくるのが趣味だが、3人は全く別々の遠隔地に住むので、一度も顔をあわせることなく、インタネットで結んでの作業であった。いつもは自著の本しか作らないのに、珍しくも他著の本つくりである。

 歌つくり、花つくり、本つくりという、それぞれの趣味を生かして、薔薇の花が彩る可愛らしい歌集が生れた。
 今月になり、その歌集を遥か西の地の二人に送りとどけたら、いつのまにかミンミンゼミが去ってツクツクボーシの鳴く秋になっていた。
歌集『ぽかりぽかり 2007~2016』
歌つくり:藤本孝子、花つくり:定森治子、本つくり:まちもり散人

 その歌集に書いた「あとがき」を載せておく。その歌集の出自を書いておいた。

               ◆◆◆

 (あとがき)  本つくり        まちもり散人(伊達 美徳)

 日常の只事をそっと掬い、はらり羽化させると言霊の蝶になり、軽やかに舞う翅はしばし花に休らう、そんな歌に花を添える歌集の本をつくりたかった。 
 本つくり…これがわたしの趣味、書斎机の電子道具と百円文具を操って、原稿書きから編集装幀印刷製本へと独り愉しむ紙工作の手芸である。
 できた自著自作本を、ひとさまに読めよ観よと押しつけるのも愉しく、そのなかに高梁盆地オマージュ本の『美しい故郷へ』もある。
 他著自作本も稀に手がけるので、幼馴染の媼二人に押しかけ勧誘メールをした。

  近作の歌花集め書に編まむボケの雲霧湧きくる前に

 かくして高梁三原横浜なる歌人花人散人の文芸園芸手芸を電網に結んで編めば、春楡の樹の下にぽかりまたぽかりと歌集が三年に二つ生れ出た。
 はからずも喜寿傘寿記念にもなり、お互いおめでたくてホッとしている。折りから高校卒業還暦同期会にて、これが旧友たちへの挨拶がわりにもなれば、造本担当としてもぼっこー嬉しい。

               ◆◆◆

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