2015/08/31

1122【15年安保騒動】国会議事堂周辺で55年を隔てるふたつの安保反対デモに参加したわたし

小雨が降る国会議事堂前、歩道は満員、議事堂正面の道路は車道を埋め尽くす人々、いったいどれほどの人数だろうか。
 2015年8月30日、午後4時、わたしは小雨にけぶる議事堂のとんがり屋根を、人々の傘の波の上のはるかに向うに見ながら、歩道の草の上に立ち尽くしていた。
 安保法制案も不安だが、それよりも憲法解釈もその変更も余りにも軽々しいことが大いなる不安であり、それがここに居る理由だ。
地下鉄駅を出るともう人がいっぱい

 思いだせば、1960年6月半ばの日々、学生だったわたしは大勢の仲間とここにきて、渦巻きデモの中にいた。
 だれもかれも腕を組みあい、車道いっぱいに広がり、キシヲタオセッ、アンポハンタイッと怒鳴りながら、突然にジグザグと小走りになるのは、若い体力があったからこそできた。山岳部員だったから、登山靴でやってきたものだ。

 いま、腰痛でヨロヨロ爺いには、あんなことはできっこないが、まわりをみれば、今のこの群衆は腕を組んだりはしない。デモ行進もしない。
 一人一人がそれぞれに思いをもって参加しているのだろう、肩が擦り合うほどに歩道に立ち並びながら、雨傘の下で口を合わせてシュプレヒコールを唱える。叫ぶのではない。
集中しすぎないように警官による誘導規制が厳しい
中には「日比谷公園でも集会がありますので、
そちらへどうぞ」と言う警官もいる

 シュプレヒコールも、多様である。「これが民主義だ」というのもあったのが、フムそうかとも思いつつ、こうしないと民主主義はないのかと、ふと思ったりもした。
 1960年にはなかった女性が登場するのは当たり前で、時には少年の声も登場する。そうだ、60年の時はラウドスピーカーがなかった。段ボールのメガホンだった。

 あの1960年安保反対デモには、職場や大学の幟がたくさん立っていたものだ
 個人で参加というよりも、ある特定集団による示威行為であることが、政治へのアンチ意見を言うには効果的だとの思い込みがあった。
 だから個人によるデモ参加に躊躇があった。

 そこに「声なき声の会」という旗を掲げて、誰もが自由に参加するデモ隊を組んだ人たちがおり、これに自由参加した市民が多くいた。
「声なき声」とは、時に首相の岸信介が、大きな反対のデモ隊の声ではなくて、安保条約支持の国民の声を出さない声を聴くのだと言ったことに由来し、それへの対抗である。
 岸さんの孫の安倍さんも、声なき声を聴きつつあるのだろうか。
各々が手づくりプラカードを掲げる

 いまは、ネット社会となって、個人で参加が当たり前、わたしもface bookをみて参加したのだ。
 デモの中に団体の幟や旗は、無いことはないが、めったに見ない。それを見つけると、ちょっとダサいなあなんて思ってしまう。
 そこに大衆行動の時代的変化の違いがあるのだろう。
 だが、それだけ時代が違っていても、選挙でこの政権を圧倒的に支持した大衆がいることを、なんとも解せない。選挙する大衆と、今ここにいる大衆とは違うのだろうか。

 頭の中に渦巻く1960年のデモを思い出しながら、華やかに広がる彩り豊かな傘の海をと、まわりのいかにも小市民的な人々の姿と声に包まれて、小一時間ばかり立ち尽くしていたのであった。
色とりどりの傘の大津波が議事堂に押し寄せる
そろそろ腰が痛くなってきて、人波をかき分けつつ、地下鉄駅に向かってユルユルと退散した。

 この前ここにデモに来たのは2013年5月の原発反対、その前は2012年7月で原発再稼働反
対、そしてその前は1960年6月安保条約反対であった。
 そして安保条約は自然承認になり、原発は再稼働し、いま安保関連法案は国会可決が目の前、さてさて、わたしは何をしているのだろうか。
ベビーカーに幼児連れ参加者は雨宿り中
「60年安保」デモは、思いがけなくも、わたしの人生をちょっと方向転換させた事件になったことは事実である。それが良かったか悪かったかは、人生は二つは無いからわからない。
 55年の後の「15年安保」デモは、もう何もわたしにもたらすものはなさそうだ。
 それでもなお、こうして異議申し立ての人々の渦の中の一員であったことに、とりあえずは意義があったと思うしかない。
 
参照
・2012年7月原発反対で52年ぶりの国会議事堂デモに参加して思うこと多々
http://datey.blogspot.jp/2012/07/641.html

・2013年5月国会議事堂・首相官邸周辺での原発反対デモはまだまだ続く
http://datey.blogspot.jp/2013/05/783.html

2015/08/29

1121【新国立競技場騒ぎ】もう新整備計画を出したとは先に出すべき第三者検証委員会は有識者会議と同様にバカにされた

あまりにドジな事件で面白い、おかげでボケ進行遅延になってありがたい、
でも、イチャモンをこうも続けると、さすがに疲れるよなあ~

●バカにされたのは第三者検証委員会だよ
熊五郎:で、出ましたよ、ご隠居~。
ご隠居:な、なんだい、もう幽霊のシーズンじゃないよ、秋風が立ってるよ。
:ほれ、この新国立競技場ハックションでっかい、いや、白紙撤回出直し記事ですよ。
:あわてちゃいけないよ。ほほう、第三者検証委員会がもう報告を出したかい。
:えっ、いや、そうじゃなくて、白紙見直し整備計画ですよ。コンペもやり直すって書いてありますよ。
:え、なんだい、そりゃ、オカシイだろ。間違いだろ、まだ出るはずがないよ。
:何ボケてるんです、ここにそう書いてありますよ。

:どれどれ、ほ~、、、、やっぱりおかしい。だって、なんで白紙撤回にしたのか、その原因を調べる第三者検証委員会ってのをつくっただろ、その検証が終わって反省をしてから、次にやり直し整備計画ってのができるはずだろ、これじゃあ順序が違うだろ。なんの反省もしてないよ。
:あ、そうだ、また失敗しないように調べてからやるはずですよね、おかしいなあ。
:もう次の整備計画が出たとしたら、第三者検証委員会はまたバカにされたんだね。
:またって?
:ほら、解散したけど「有識者会議」ってのがあっただろ、あれだよ。
:あ、そうそう、承認したとたんにひっくり返されてスゴスゴのおバカ会議ですね。
:まあ、第三者検証委員会に期待はしてないけど、こうやって見事にないがしろにされると、またかよ~って言いたいね。委員の方には気の毒だけど、もう忘れられたんだねえ。早いなあ。

●これでいちばん得するヤツはだれだろう
:でね、アベサンはたしか白紙撤回見直しって言いましたよね。ところがこの記事みても、どこが白紙かわからないんですがね。
:どれどれ、ほほう、うん、うん、、、、ふ~ん、これが白紙なら烏も白鳥だな。
:へへッ、闇夜も真昼ってね。そうですか、やっぱりね。
:これなら今やってるのを、ちょいと設計変更すりゃいいことだよ、なんだまた大金掛けてコンペからやり直すのか、どうもわけが分からん。なにかがオカシイね。
:そういう時はね、ご隠居、これで一番得するやつを探すんですよ、誰でしょうかね?
:お、いいこと言うね、そうだな、多分、大手ゼネコンだな。特に竹中と大成だろ。
:なんでです?、だって今までにもう関わっていたのに突然キャンセルされた被害者ですよ。
:だからだよ、ほれ、今度は設計施工一体での業者を求めるコンペをやると書いてあるよ、ってことは、ゼネコンが設計もします工事もしますとこの仕事を取るんだよ。
:でも、設計は建築家、工事はゼネコンでしょ。
:お前、世の中を知らないね。ゼネコンなら設計も工事もできるんだよ、建築家は邪魔なだけなんだよ、だから今度のコンペはゼネコンだけの競争になるんだよ。建築家はていよく外された。
:ほう、そうなんですか。
:しかもだよ、これまで既に竹中工務店と大成建設は一部の工事発注を受けていたんだから、内容を熟知してるんだよ。
:でも、今度は違う設計するんでしょ。
:この程度の見直しなら、これまでやってたことをちょちょいと手直しすりゃいいんだ。
:あっ、てことは、その2社が応募すれば、ほかのゼネコンは敵いっこないんですね。そりゃ不公平でショ。
:そうだよ、それにだな、建設業界の仁義ってなものがあってだな、既にかかわってきたことのある業者に暗黙の優先権があって、ほかのゼネコンは原則として手を出さないもんだよ。
:あっ、それじゃあ、デキレースになっちゃいますよ。
:そう、談合コンペだな。ま、竹中と大成は無理しても、やらなきゃならないだろうけどね。ということで、いちばん得するのはゼネコンだよ。あ、そうか、ゼネコン業界の陰謀でこうなったのかもなあ。

●これでいちばん損するヤツは誰でしょうかね
:それじゃあ、いちばん損するのは誰ですかね。
:それはなんといっても建築家だよ、これに関わってきた日建設計とか日本設計とか、まあ、日本じゃ一流の設計事務所は、突然キャンセルされて、まあ設計料は取るうだろうけど、職能をバカにされてしまったね。それなのに、なんに言わないね。その設計料負担する納税者も大損だね。
:イギリスのオバサンは果敢に何か言ってますよ。
:ザハ・ハディドのことだね、そう、彼女は繰り返して白紙撤回に異議を唱えて、打開策も提案しているねえ、さすがに日本の建築家と違うね。もしかしたら訴訟にまでいくかもなあ。
:名誉棄損、損害賠償って、ふんだくられたりしたら、目も当てられないアベサン政府ですね。
:こんど事件は、妄想を働かせると、ゼネコン対建築家の闘いで、建築家が惨敗したってことだな。
:あら、そういっちゃあ、可哀そうですよ、だって、見直しになったのは建築家たちの反対運動が契機でショ。
:それをうまいこと利用してだね、ゼネコンとしては邪魔な建築家の排除を画策したってことだよ、そして見事に成功だな。建築家たちは生真面目なばかりで陰謀向きじゃないから、反対運動の結果はその意に反して利用されてこうなっちゃった、なんだかおバカに見えて来るね。
:ふ~ん、日本で起こることはなんでもアメリカの陰謀って、陰謀説の大好きな人たちがいるけど、ご隠居もそのクチですかね。
:だってね、この見直し整備計画の1550億円をはじきだすには、ゼネコンの協力なしにはできないよ、それを陰でやったのは常識から考えて、竹中か大成だろうなあ。だから今度のコンペは楽勝だよ。まあ、どれもこれもわたしの妄想の陰謀説だけどね。

●なんとまあ「日本らしさ」がテーマだってよ
:こんどは「日本らしさを取り入れる」って書いてありますよ。よほどザハ・ハディドの生ガキに懲りたんでしょうね。
:フン、なんともアベサン向けの言葉だよなあ、だから「木を使う」なんて、ヘンにアベサンに気を使ってね。
:おっ、座布団一枚。
:ほれ、木を使うなら、これがわたしの案だよ、森にするんだからね、この前7月に来た時に見せただろ。
森の中にフィールドだけをつくる案、開会式は外苑全部を使って行えばよろしい

:いやいや、日本らしさならば、ほれ、あっしがこの前に見せたこの案ですよ、どうです、屋根は木造ですよ。
屋根は明治神宮の本殿をそっくり真似する案、もちろん木造ですよ
:おお、そうだった、これこれ、お前にも座布団一枚。明治神宮本殿を真似してつくるんだよなあ、生ガキじゃなくてね。これならアベサンも白紙撤回した甲斐があったと、泣いてお喜びだろうなあ。
:ケッ、ご隠居が言うから皮肉とわかるけど、世の中には皮肉とかパロディとか冗談を分らない人がいるから、こわいよなあ。
:うん、わたしのいってることはみ~んなオチャラケだからね、わかってるな。
:ご隠居の口からそういわれると、なにが皮肉でなにがパロディでなにがオチャラケか分らなくなっちまう。
:まあ、今回の白紙撤回事件ってのが、アベサンは本気かもしれないが、本気であればあるほどオチャラケそのものの感があるよなあ、わたしも歳とってボケてきて、ちかごろ世の中はなにが本当で何がオチャラケかわからなくなったよ、憲法解釈変更事件も含めてね。

参照
首相官邸発表の新整備計画
http://www.kantei.go.jp/jp/headline/pdf/20150828/siryou1.pdf
参照
◆【五輪騒動】新国立競技場建設と神宮外苑再開発瓢論集
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

2015/08/28

1120【新国立競技場騒ぎ】これのどこが白紙撤回だ?カネメだけ見直しで単なる設計変更だよ!また金かけてコンペからやる理由がないぞ

●カネメだけでなにが白紙見直しだよ
 今朝の新聞の第1面にデカデカと「新国立上限1550億円 冷房断念 収容6・8万人」の見出し記事。新国立では、新国立劇場か新国立競技場かわからないが、たぶん、後者だろう。
 詳しいことは分からないが、要するに設計内容を変更して、カネメを縮めたってことだけらしい。「白紙見直し」って、それだけのことだったのか。建てる場所を白紙とか、都市計画を白紙とか、オリンピックを白紙とか、そういうのじゃなかったね。

 まあ、実のところそういうことは無いだろう、せいぜいカネメだけだろうと思っていたら、やっぱりそうだったな。
 それならば、これでの作業を修正する「設計変更」するだけのことで、なにが「白紙見直しなんだよ。こういうのは「白紙」とは言わないぞ。これが白紙なら、烏も白いぞ。せいぜいダークグレーだろ。
 
 「来週中にも設計・施工会社の公募を始める」とかいてあるから、コンペをやりなおすすってことだろう。
 あのなあ、またコンペやればその費用も掛かるんだよ、また設計やるんだから設計費だってかかるんだよ、まったくもって2重投資でしょ。
 これまでの設計チームで設計変更をすれば一番早いし費用も少ないでしょ、なんでそうしないんだろう、不思議極まることだ。なにか政治的利権が絡んでるんだろうと思うしかない。

●今度はやる前に勝ち組が決まっているデキコンぺかい
 それに今度は設計施工チームを募集するってんだけど、応募する立場から言うと、これまでかかわってきた設計事務所とゼネコンが、もう飛び抜けて有利でしょ、それでもコンペやるのかい、不公平でショ。
 だって、規模変えたってやるのはオリンピックだし、中身と内容はほとんど変わらないし、建てる場所も変わらないんだから、これまで作業してきた設計事務所とゼネコン企業は、コンペの前に全て内容を把握してるんだからね。御手付きだよ

 つまり常識から言えば、ZHA(ザハ・ハディド)、日建設計、梓設計、日本設計、アラップのどこかと、竹中工務店または大成建設が組んで応募すれば、ほかの応募者は敵いっこないでしょ。
 もっと早く言えば、竹中または大成(あるいは竹中大成連合軍)がコンペに勝つに決まってるじゃ~ン。
 土建業界の仁義から言えば、もう唾をつけている竹中と大成を差し置いてコンペに応募するなんて、業界仁義破りのゼネコンはいないでしょ。
 そういうデキコンペ、談合コンペになることを承知でやるんだろうなあ。

 あ、そうだ、チャイナゼネコンが超安値で応募するかもなあ、面白いなあ。
 まあ、また揉めるんだろうなあ、面白いなあ、やれやれ~。
 ま、こうならないことを祈ってるよ、納税者としてはね。

●ザハ・ハディドが本格的な反撃をしてきたぞ
 「Whay take the risk?」って言ってるよ、ザハ・ハディドが。新国立競技場の白紙見直しについて、ザハの反撃が本格的に始まったぞ。
 ほら、新たな本格的反撃を、現代風にこうやってビデオで長々とやってるよ。みてごらん。
https://vimeo.com/137305168
 中身はほんとかどうかわからないけど、視聴してるとそうかもなあって、思えてくるからオカシイ。とにかく真剣さが伝わってくるよなあ、建築家という職能への真摯さもわかる。
 それにひきかえ、ザハと一緒にやってきた日本の建築家たちは、どうしてなんにも言わないのかしら。突然の首切りに沈黙って、わたしは不思議でたまらない。
 ザハに言わせとけばいいっ、てなもんじゃないでしょ。

●沈黙する日本建築家たちは怪しいぞ
 こうやってイギリスの建築家は反論を出してきた。その前にもアピールをしているが、こんどはずいぶん詳しい。この果敢さに敬服する。
 で、この仕事を一緒にしてきた日本の建築家はどうしてるんですか?
 山下設計、山下ピー・エム・コンサルタンツ、建設技術研究所、日建設計、梓設計、日本設計、アラップは、黙ってるんですか?
 黙ってると、後ろ暗いなにかがあるんだろうなあって、勘ぐりますよ。
 前にもこのことを書いたことがあるが、いまだに沈黙のままである。
http://datey.blogspot.jp/2015/07/1113.html
 そしてまた、お前らのせいで髙くなったんだぞって、ザハ・ハディドやり玉に上げられた竹中と大成は、黙ってるんですか? 
 ま、文句言わなくても、どうせコンペに勝てるんだから、いいか。

 もうひとつ、日本建築家協会JIAはどうするんですか。
 アベサンの白紙宣言に敬意を表したりして、どうやらザハ案に反対してた様子だけど、こんどはあなた方が一番イチャモンつけてきている「設計施工」になっちまいますよ。
 文句を言わないのですか。早く言わないと、手遅れになりますよ、いや、もう手遅れだな。

 ついでに言っちゃうけど、景観がどうのこうのとか、都市計画がどうのこうのとか、あれこれおっしゃっていたザハ・ハディド案反対派のみなさまは、「カネメだけ白紙」の単純頭ちゃぶ台返しポピュリズムアベ首相に抗議なさってるんでしょうね。

 これまで書いてきたことを繰り返していると、自分でもわかっていながらも、面白くてついつい繰り返してしまうよなあ、これが年寄りのはなしがクドイところだな。
 わたしのボケ進行遅延策として役だっているので、日夜ドタバタする首相及び政府当局に感謝を申し上げる。

(追記 20150828)
 夕刊に更に詳しいことが載っているが、中身は大差ない。
 首相官邸からの新整備計画の内容はこちら。
http://www.kantei.go.jp/jp/headline/pdf/20150828/siryou1.pdf

●参照:五輪騒動・新国競騒動瓢論一覧
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

2015/08/19

1119【山口文象研究:ブルーノ・タウトとの出会い(後編)】タウトが山口にジードルングの論文自筆原稿を贈ったことなど

中編からの続き)

●タウトが設計助手として山口のスタッフの河裾逸美を借りたこと

 タウトは1934年8月から、高崎にすっかり腰を落ちつけて、井上工房で工芸デザインをしている。時々東京の行って講演したり、建築家たちと付き合い、展覧会などに出かけている。
 1934年10月26日のタウト日記。
「午前、美術研究所に所長の矢代幸雄教授を訪ねる。矢代教授はヨーロッパ特にドイツの芸術に精通し、ドイツの学者とも親交があり、先ごろはまたベルリンの日本展覧会を主宰された。立派な人柄の芸術学者である。それから同氏の友人で建築家の山口(蚊象)、谷口(吉郎)と、バーナード・リーチ氏のつ迎賓展覧会を見た。作品はいずれも決して悪い出来ではない。同行の建築家たちはリーチ氏のものをあまり好まない様子であった。つまり作風が日本化し過ぎているというのである。」
 有島生馬のプロジェクトで、タウトは山口に仕事を取られたが、それを互いに知っていたか知らないのか分らないが、山口とタウトの間にはなにも起きなかったらしい。

 高崎では、井上工房で数々の工芸品や家具のデザインをして試作を続けるが、製作現場とタウトの意図とのすれ違いにイライラしている様子が日記にある。それでも、井上の経営する軽井沢の店で、タウトデザイン工芸品を売り出しつつある。時には日本住宅の設計を頼まれて、設計図を書いている。彼のもとには3人の助手がいたらしい。
 1934年12月10日のタウト日記。 
「私の助手諸君のうちの一人(儘田氏)は少林山、二人(水原、河裾)の両氏)は高崎で、全試作品(実際に製作されたものばかりでなく、図面だけのものも含めて)のカタログを、私の指示に従って編集している。」
 この3人所助手の内の河裾とは、河裾逸美のことであると訳者註にある。

 河裾逸美(1904~?)は、山口文象が所属していた逓信省営繕課の同僚であった。彼も山口等が1923年関東大震災の余燼の中ではじめた「創宇社建築会」の活動に、1927年から参加している。
山口文象が1931年に帰国後、すぐにとりかかった東京歯科医科専門学校附属病院の設計にあたっての山口の仕事の最初の相棒、つまり山口文象建築事務所の最初の所員である。1937年にまで在籍していたから、山口の最盛期のスタッフであった。
 河裾が何時からタウトの助手であったのかわからないが、山口がタウトに貸したのだろうか。10月に一緒にバーナードリーチ展を観に行ったとき、タウトから建築図面を書く助手がほしいと相談されたのだろうか。

 そこで気になったので、ほかにタウト関連の本を探したら、「ブルーノタウトへの旅」(鈴木久雄 2002 新樹社)にこれに関する記述を見つけた。
 その頃、井上工房はタウトのデザインによる製品を数多くつくるようになり、軽井沢に「ミラテス」という名の販売店舗をもっていたが、更に東京の銀座の交詢社ビル向かいのビルの1階にも店を出すことになった。
「店の詳細設計は、助手の河裾逸美が実測をつくって、タウトの指示で作図をした。河裾は元逓信省経理局営繕課の雇員だった建築のよく分る人物で、タウトの信頼を得ていた。」(「ブルーノタウトへの旅」150p)
 なるほど、店舗のインテリア設計のできる建築設計助手をタウトは欲していて、それを山口文象には話したのだろう。
 そうして銀座に「ミラテスが開店したのは1935年2月12日だった。

 ところが、1935年1月19日のタウト日記に、また河裾が登場する。いろいろと井上工房での愚痴を書いた後に、このようにある。
「河裾(逸美)氏は、つい近頃井上工房を鮮めてしまった。この人は、自分だけでも貧しいのに、僅かな俸給を勉強中の弟さんの為に割いていた。河裾氏の月給は四十五円だし、水原氏のは恐らく三十円にも達しないだろう。河裾氏は文字通り飢えんばかりの生活をしていた。昼の食事でも歯が痛いからと言っては、いつも十銭の弁当で済ませるという風であった。」
 水原とは、最後までタウトの助手であった水原徳言で、日本での唯一のタウトの弟子である。

 ということで、河裾はタウトのもとを去った。安月給で雇われていたが、ミラテスの仕事も終わってクビになったのかもしれない。山口文象建築事務所にまた戻って、更に2年ばかり在籍した。山口には洋風と和風の両方の系譜の建築があるが、洋風が河裾の担当だった。
 河裾は戦後は大阪に住んで、建築設計をやっていた。わたしは何度か大阪の安孫子にある自宅を訪ねて、話を聴いたことがあるが、タウトのことを聴いたことはない。

●山口文象資料にあるタウトの自筆原稿のこと

 山口文象がドイツにいた1931~32年には、タウトはベルリンのシャルロッテンブルグ工科大学の教授だったが、山口文象の滞欧手帳にはタウトの名は登場しないから、出会ったかどうかわからない。
 山口文象とタウトの出会いに関しては、ここまでの話は日本でのタウト日記だけが資料であるが、山口側にも唯一のタウトとの接触を示す強力な資料がある。それは、タウトから贈られたという自筆原稿のカーボンコピーである。

 RIA(㈱アール・アイ・エー)に保管してある山口文象資料の中に、『Siedlungs-Memoiren』と題する、手書き原稿45頁のカーボンコピーがある。原稿末尾に「Hayama,30.8.33 B.T」とある。
 別の紙が表紙に添えてあり、そこに山口文象の筆跡で「ブルーノ・タウトから贈られる」と記してある。つまりこの自筆の葉山と日付とB.Tはブルーノ・タウトのサインである。本文と筆跡が異なるから、本文は秘書のエリカ・ヴィッティヒによるのであろう。タウトの原稿はほとんどが口述であり、エリカが筆記していたそうである。

 1933年8月30日の日付をもとに、タウト日記にそれを探したら、1933年9月2日に「論文『ジードルング覚書』(45頁)を脱稿。」とあり、訳者の註で「『ジードルング覚書 Siedlungs-Memoiren』」とあるからこれだろう。
 この原稿をいつ山口文象が贈られたのか分らないが、12月に前田青邨邸であったときだろうか。

 この「Siedlungs-Memoiren」は「ジードルング覚書」として篠田英雄訳『タウト 日本の建築』(春秋社1950年)に収録されている。ただしこれはのちの改稿原稿である。
 山口文象の持っている自筆原稿が初稿だろうが、その翻訳版は公刊されていない。だが、山口の翻訳になるタイプ原稿が山口文象資料に保管されている。その日付は1948年8月30日とあるから、山口はタウトからもらったまま持っていたが、戦後ヒマな時に翻訳したのであろう。多分、どこかの雑誌に発表するつもりだったのだろう。
 ただしこの訳文はかなりの悪文だから、雑誌に売りこんでも掲載されなかったのだろう。
https://sites.google.com/site/dateyg/1946burunotaut-siedlungs

 
●タウトとの別れの送別会で山口は青邨の色紙を贈ったこと

 タウトは日本を目的地としてやってきたのではなく、日本経由でアメリカに行くつもりだった。しかし、水原徳言によると、秘書のエリカ・ヴィティヒのビザを取ることができなくて、あきらめたそうだ。
 タウトは故国に妻子をおき、秘書のエリカとの間にでき子もおき、エリカと二人でナチスからの逃避行の先が日本だったのだ。エリカには、もうひとりの子もいたが置いてきた。火宅のカップルであった。

 しかし本職の建築設計の仕事はないし、工芸デザインも順調ではないし、日本の気候が体に合わなくて病気がちだったから、なんとして日本を出たかった。日記をドイツの親戚や知人に送るとともに、ヨーロッパ方面の知人への連絡を欠かさなかった。
 そして1936年9月30日に、朗報がトルコのイスタンブールからやってきた。ケマル・アタチュルク大統領による新生トルコ共和国の芸術アカデミー教授に招かれたのだ。タウトは大喜びですぐにも出立することになる。

 1936年10月10日のタウト日記には送別会の記事がある。
「井上氏の肝煎で、同氏のほか吉田(鉄郎)、蔵田(周忠)、斎藤(寅郎)の諸氏が幹事役となって、盛大な送別会を催してくれた。会場に当てた赤坂幸楽の二階には、五十人ばかりの知友が集まった。(中略)山口(蚊象)氏からは岳父(前田青邨氏)の色紙を頂戴した。私への餞けの言葉は、いずれも賛辞ばかりで、美しい屍に捧げる頒辞でも聞いているようだ。そこで私は、どうか私に封する非難のお言葉も頂戴したいものです、と言った。」
 山口文象はタウトとの最初の出会いも山口青邨がらみだったが、最後の別れもまたそうであった。石本喜久治を間にしてむしろ困らせたと言ってもよいが、設計作業で困っているタウトに事務所スタッフの河裾を貸したので、帳消しになったかもしれない。結局のところ建築家としての深い付き合いはなかったのだろう。
 そして、タウトが設計した可能性もあった「番町集合住宅」を、山口が設計したという因縁はある。

 ブルーノ・タウトは多くの日本の建築家たちと交流したが、結局のところ、力量を高く評価した建築家は、吉田鉄郎だけだったようだ。吉田は当時は逓信省所属の建築家で、東京駅前の東京中央郵便局(現在は改築してKITTE)の設計者として有名である。山口文象は吉田に逓信省時代に出会っている。
 また建築設計作品らしいものは、インテリアデザインの日向利兵衛別荘地下室だけと言ってよいだろう。幸いにも今は保存公開されている。
 タウトの日本の滞在の日々は、総じて気の毒なことだったが、日本の建築界としてはその謦咳に接したことでよかったと言えよう。しかし彼の建築の腕前を発揮させることができなかったのは、実に惜しいことだった。

◆ブルーノタウトと山口文象
前編http://datey.blogspot.jp/2015/08/1117.html
中編http://datey.blogspot.jp/2015/08/1118.html
後編http://datey.blogspot.jp/2015/08/1119.html

山口文象アーカイブス
https://sites.google.com/site/machimorig0/#bunzo

2015/08/15

1118【山口文象研究:ブルーノ・タウトとの出会い(中編)】タウトと山口が同じ敷地に別々の建築計画を進めて山口案が実施になったこと

前編からの続き)

●タウトが画家・有島生馬から依頼のトルコ大使館の設計受注に失敗したこと

 タウトは結局日本では建築を設計する機会には恵まれなかった。来日以来、仙台で工芸指導所や蒲田の陶磁器会社でデザイン指導、あるいはあちこちで講演をつづけてながら糊口をしのいでいた。建築の設計の仕事をしたいのだが、機会に恵まれない。
 何回か設計を設計を頼まれて図面や透視図を書いてはいるのだが、どれも実ることなく、時には日本の建築家にさらわれた。建たない設計には金を払わない日本の習慣の前では、いつもタダ働きだった。できたのは僅かに熱海の日向氏別荘の地下室のインテリアのみであった。
 そのタダ働きのひとつに、画家の有島生馬(1882~1974年)から依頼された建築計画があった。

 1934年7月11日に、タウトは画家の有島生馬と出会っている。その日の日記。
「有島氏は現在の家屋と地続きの所有地に建築をしたい、ついては私の日本における『建築の皮きり』としてその設計にあたってほしいという。有島氏は好個の紳士だ。」
有島生馬

 そして7月29日の日記。
「有島氏にトルコ大使館の建築平面図2葉を届けておいたが、今日は方角を考慮して少し変更を加えた見取り図を描き、これに設計の謝礼をも含めた費用見積もりを添えた。有島氏とトルコ大使館との交渉がどんな結果になるのかは、今のところまったく不明である。有島氏は、もしこれが不調に終わったら、例の土地へ外国人向きの宿泊所を建てたいと言っている。有島氏は私に好意を寄せているようだ(私も同氏の人柄が好きである)、まさか私を見捨てる様なことはあるまい。」
 どうやら既にプランを提出済みだが、更に変更案を追加して届けたらしい。これがだめでも「外国人向きの宿泊所」の仕事が来ると期待している。

 だが1934年10月7日のタウト日記に、有島に見捨てられたことが書いてある。
「数か月前に有島(生馬)氏の依頼で、トルコ大使館の設計をしたことがある。これについていつか同氏に手紙を出したら、今日その返事を受け取った。有島氏の言い分は、あの件はトルコ大使館が処理するべき事柄で、自分には全く係りがないというのである。井上氏はこういういざこざは、日本ではありがちなことで、しばしば不快な事態を惹き起こすものだという。だがその手紙は、なにも補償を要求したものではなくて、ただ仕事の価値をありのままに述べたに過ぎないのである。」
 井上氏とは、有島を紹介した井上房一郎で、後にタウトは高崎の井上工房に雇われる。タウト支援者の一人である。

 どうやらドイツ流の理知的な言葉と日本流の曖昧な解釈とのあいだで行き違いがあったらしく、タウトはこの設計受注には失敗した。そうなったら、「外国人向きの宿泊所」の設計受注へとフォローすればよいのに、怒ってしまったらしい。
 この年のクリスマスに、タウトは有島からクリスマスプレントを受け取って、設計料の9分の1くらいの値段のものと、また憤慨している。

 タウト側のこの件の記述は以上であるが、山口文象の側から見ると、この続きがある。
実は、このタウトが受注失敗した有島生馬のプロジェクトは、山口文象が「外国人向きの宿泊所」を完成させた。もちろん、これはわたしの推理であるが、ほぼ間違いない。

●山口文象がタウトの失敗した有島のプロジェクトを実施したこと

 有島がタウトに設計を依頼した土地は、山口文象の設計で1936年8月に建った「番町集合住宅」の場所らしい。そこは東京の麹町区六番町である。有島生馬の兄の有島武郎の住宅であったが、武郎の死後は生馬が管理していた。

 現在そこには、出版業の文芸春秋社の社屋が建っているが、1945年の空襲で焼けるまでは、「番町集合住宅」が建っていた。そしてそれはタウトに有島が語ったように、「外国人向きの宿泊所」つまり外国人向けの賃貸アパートメントである。
番町集合住宅
有島は、タウトと縁が切れた後か、あるいはそれよりも前か、それを山口に設計を依頼したのだった。タウトはまた日本建築家に“横取り”されたのだった。
 有島と山口との出会いは分からないが、山口には画家の知り合いが大勢いて、安井曽太郎や菊池一雄などいくつもアトリエ設計をしているから、その線であったのだろう。

 当時の新聞(1936年だが新聞名や日付は不明、山口文象建築事務所の資料)に、「集合住宅(ジードルング)を有島氏が計画』との見出しで、透視図つきの記事がある。
「故有島武郎氏が生前の作品中に或は書簡文中に「番町の家」としてのせられ有名だった麹町区下六番町10の邸宅はその後一時文芸春秋社と平凡社が仮社屋に借りていたことがあったが最近は七百坪の名庭は荒れるにまかせペンペン草やあざみの花が咲いていたが、今度令弟有島生馬氏が同所に純独逸風の集合住宅「ジードルング番町の家」を立てることになり思い出の邸は沢山の鳶職が入って取り壊している。「ジードルング番町の家」は先日本紙に掲載した「町田外人街」と同様に在京外人、中流以上の人々に、ホテルより手軽に在来のアパートより一層機能的に、家一軒借りるより文化的な住み家を与へる目的で、青年建築家として水道橋の東京歯科医専その他進歩的なデザインで有名な山口蚊象氏がデザインに当り、ドイツのウォールグロッピュース氏流のテイピカルなジードルングの設計を終り目下建築許可の申請中で八月末日まで竣工の予定である。」
 ウォールグロッピュースとは、山口文象がドイツで師事したWalter Gropiusのことであろう。

 そこに有島生馬の談も載っている。
「住宅地としてはこの辺は東京一等地ですし、欧州を旅行してかねがね本場のジードルングにあこがれていたので、一念発起いま山口君と大童になっていいものにしようと頭をひねっています。地代を支払ってはこの仕事は引き合いません。とにかくスーツケース一つ提げてくればすぐ住めるものに、しかも外装は飽くまで瀟洒たるものにします。」

 1936年11月号の雑誌「国際建築」に番町集合住宅の写真と山口の解説文が載っている。解説文をこう締めくくる。
「この「番町の家」が本当の意味におけるジードルングであるかどうかは別にして、この計画を実施された有島先生の英断に敬意を表し、また若輩の私に設計工事に関する一切を一任して下さったことを心から感謝を述べたいと思ふ。」

 皮肉なもので、その当時ならばジードルング(集合住宅)の設計では世界中でこの人の右に出る者はいないであろうタウトに接触していたのに、その起用にならなかったのは、日本の集合住宅のために実に惜しかった。
ブルーノタウトによる集合住宅 ベルリン・ブリッツ・ジードルング
一方では、山口文象がそのジードルングの「番町集合住宅」を設計して、更に名を挙げることができたのは、山口の弟子の端くれにいいるわたしとしては、よかったとおもう。

 山口文象が「本当の意味におけるジードルングであるかどうかは別にして」と言っているのは、金持ち外国人向けの賃貸集合住宅が、労働者層を対象とする社会政策としてのドイツのジードルングと同じとは言い難いと思ったのであろう。
 ドイツで本物のジードルングを見てきたし、グロピウスの下でジードルング設計にも携わった山口文象だから言えることだろう。

●タウトが山口文象建築作品個展を観てモダンデザインを酷評したこと

 ところで、タウトはその土地に山口文象がジードルングを設計したことを知っただろうか。時期的にはタウトが日本を出たのは1936年10月15日だったから、知ってもおかしくないが、そのようなことは日記に登場しない。
 では、タウトが同じ土地に別の計画で関わったことを、山口は知っていたのだろうか。

 「山口文象建築作品個展」と銘打って、その自信作を展示したのは1934年6月13日から17日まで、銀座資生堂ギャラリーでのことであった。
 展示したのは、日本歯科医科専門学校附属病院小泉八雲記念館、アパートメント試作、アトリエⅠ、アトリエⅡ、協同組合学校、関口邸茶席、モデルルームの8つの建築作品である。多分、図面と写真、一部は模型もあったかもしれない。
日本歯科医科専門学校附属病院

 1934年6月15日のタウト日記。
「建築家山口蚊象氏の作品展覧会を観る(同氏はドイツでグロピウスの許にいたことがある)。作品のうちでは茶室がいちばんすぐれている、――山口氏はここでまさに純粋の日本人に復ったと言ってよい。その他のものは機能を強調しているにも拘らずいかにも硬い、まるでコルセットをはめている印象だ。とにかくコルビユジエ模倣は、日本では到底永続きするものでない。」
 タウトにももちろん招待状を出したに違いないが、やってきタウトは酷評である。唯一のほめている関口邸茶席は、コテコテの和風建築であった。展示作品のうち唯一の和風デザインである。
関口邸茶席

 日本歯科医科専門学校は、山口が帰国してすぐの設計で、彼の出世作ともいうべき、時代の流行最先端を行くモダンデザイン建築である。
 小泉八雲記念館は、松江市の武家屋敷街にある旧八雲住居跡に建つ。これはモダンデザインというよりは新古典主義的な影をもつ洋館であった。ワイマールにあるゲーテ記念館を模したと言われるが、本当かどうかわからない。現在あるゲーテ「ガルテンハウス」のことならば、ずいぶん違う。
 そのほかのアパートメント試作、アトリエⅠ、アトリエⅡ、協同組合学校は、展覧会用の試作だったのだろう。

 ここで気になるのは、「アパートメント試作」なるものである。このころ山口がとりかかっていた可能性があるアパートメントならば、「番町集合住宅」と「青雲荘アパートメント」の二つがある。
 もしも展示作品が番町集合住宅ならば、有島は山口にアパートメント設計を依頼しながら、いっぽうではこの後の7月11日にタウトに会った時に、同じ土地にトルコ大使館設計依頼という、二股をかけたことになる。
 そして、トルコ大使館が不調になったら「外国人向きの宿泊所」にすると言い、それを山口文象に依頼してあると正直に言ったのかもしれない。だからタウトは有島にキャンセルされても、フォローしなかったのであろう。あるいは山口とは言われなかったが、怒ってしまってフォローしなかったのかもしれない。
 このあたりは類推して、勝手に面白がるしかない。

 山口としては作品展で、ドイツから持って帰ったモダンデザインを、タウトに褒めてもらいたかったであろうに、それらはけなされて、和風の関口邸茶席のみを髙く評価されたのだった。岳父の前田青邨の絵のようには高い評価をされなかったことは、彼にとっては皮肉なことだった。
 しかし、タウトがあちこちを見て発している、極めつけの「いかもの」(ドイツ語ではキッチュ)と言われなかったのだけは、とりあえず幸いであったか。
   (後編につづく)

◆ブルーノタウトと山口文象
前編http://datey.blogspot.jp/2015/08/1117.html
中編http://datey.blogspot.jp/2015/08/1118.html
後編http://datey.blogspot.jp/2015/08/1119.html

山口文象アーカイブス
https://sites.google.com/site/dateyg/

2015/08/12

1117【山口文象研究:ブルーノ・タウトとの出会い(前編)】タウトが山口の結婚式に招待されて悩んだこと

●建築家ブルーノ・タウトの日本訪問のこと

 日本が戦争に入ろうかとしていた頃、ナチスのドイツを逃れて一人の建築家がやってきた。その4年間の滞在で日本の建築文化に足跡を残した。その足跡のほんの一部だが、山口文象(1902~1978年)も関わっている。
ブルーノ・タウト
ブルーノ・タウト(1880~1938年)は、20世紀初めのドイツ表現派の建築家として、また、戦間期のワイマール共和国時代の政策であったジードルングと言われる中産階級向けの集合住宅の秀作を設計を多くしている。今もそれらは住まわれていて、一部は世界遺産登録になっていて有名である。

 タウトは一時、ソ連で仕事をしたことからナチスに睨まれて左翼の烙印を押され、逮捕リストにのったことを、あるルートからひそかに知った。その手を逃れて1933年にシベリア鉄道、ウラジオストック経由で日本にやってきた。
 そのときちょうど招請を受けていた「日本インターナショナル建築会」を頼ったのである。
 そして日本経由でアメリカに亡命するつもりが失敗して、1936年にトルコに去って行った。2年後、トルコで客死したのであった。

 日本でのタウトは工芸デザインに携わるしかなくて、建築家としてはかなり不幸な人生だったが、日本の建築や文化について多くの著作を出して、日本の建築家や文化人に新しい刺激を与えたのであった。
 タウトの日本での動静は、その詳しい日記で知ることができる。

●ブルーノ・タウトを悩ませた山口文象の結婚式のこと
山口文象

 タウトが日本にいたころ、山口文象は新進建築家として名をあげつつあった1930年渡欧の前は建築運動の活動家として知られ、1932年にドイツから戻ってきていきなり東京医科歯科専門学校附属病院(1934完成)のモダニズム建築で建築家として世に出た。
 日本でのタウトは、山口文象と何回か出会っていることは、タウトの日本日記で分る。

 その出会いは、どこか妙な具合もある。最初はどこであったのか分らないが、1933年11月初めに、タウトは山口から画家の前田青邨邸への招待状を受け取った。
 11月4日に日記。
「建築家の山口(蚊象)氏からも、岳父の前由青邨邸へ来てほしいという招きがあった。山口(旧姓は岡村)氏はすぐれた建築家だ、某氏のひどいあくどさを知らしてくれる(この男は正眞正銘のやくざ者だ)。山口氏は以前グロピウスに就いたことがある。」
 前田はその当時に山口文象が婚約していた前田千代子の父である。12月に蒲田に前田青邨邸を山口と共に訪れて、その純日本家屋の寒さ、静謐さ、美しさに驚き感銘した記述がある。
 タウトは後に展覧会を観に行って、日本画家としての前田を高く評価している。
前田青邨

 そして1934年1月16日に、山口から結婚式への招待状を受け取って、「思いがけないことだ。日本では初めてである。」と驚く。
 そして1月21日の日記。結婚式は1月26日に迫っている。 
 「山口(蚊象)氏の結婚式のことでいろいろ思い煩う。下村氏は、京都-東京の往復切符を私達に提供しようと言ってくれる、『面白そうだから構わずに東京へ行っていらっしゃい、しかしまたここへ戻ってこなくてはいけませんよ』。私がこの結婚式に出席したくない理由は、山口氏と建築家Ⅰ氏とは互に競争相手なので、どちらにも格別に親密な関係を持ちたくないからだ。結局下村氏も私の意見に同意し、またあとから上野君もこれに賛成した。
 下村氏とは、大阪の大丸百貨店の経営者で、上野君とは日本インターナショナル建築界の上野伊三郎であり、どちらもタウトを支援した人である。
 
 そして3月21日のタウト日記。
夜、建築家山口(蚊象)夫妻を訪ねる(同氏は、私が結婚の贈り物や祝電を取りやめたことについては何も触れなかった、それでもお互に格別気まずい思いをしないで済んだ。・・・」
 というわけでタウトは悩んだ末に、山口の結婚式にはかかわらなかったのであった。
 さて、タウトの日記に具体的なことは書いてないが、どのようなことで悩んだのだろうか。

●山口文象と石本喜久治の確執

 タウト日記の「某氏」や「I氏」という仮名になっているのは、元は実名が書いてあるのを、訳者の篠田英雄がそうしたことは、篠田自身がタウト日記の解説に書いている。
 私のかなり確度の高い推理では、この「某氏」と「I氏」とは、建築家・石本喜久治(1894~1963年)のことであろう。石本と山口は犬猿の仲であったのだ。そしてタウトはインタナショナル建築会の石本の世話になっていた。間にはさまったタウトが悩んだのは無理もない。

 山口は1923年の関東大震災の余燼のなかで創宇社建築会を立ち上げて、盛んに建築運動をしていた。逓信省営繕課での図面画きで実務の経験を積むとともに、この運動で建築会には少しは知られた。
 そして1926年から石本の下で設計の仕事をしていた。朝日新聞社や白木屋デパートなどである。ここで設計の実務経験をしっかりと積んだのである。
 石本事務所には、ほかに二人の創宇社建築会メンバーもいて、共に仕事と運動をやっていた。
 しかし石本は創宇社建築会の活動を嫌って、脱退を指示したことから、山口は石本と喧嘩をして、1929年に石本事務所を去った。他の2人もやめた。

 そして翌年渡欧してベルリンのW・グロピウスのもとで働き、32年に帰国した。すぐに東京医科歯科専門学校附属病院の設計をはじめた。これが山口の建築家としての出世作となる。
 1934年4月に歯科医専はできるのだが、その過程で石本が、山口はアカだとの怪文書を関係者に配って、仕事を妨害するという事件があった。当時の建築許可機関の警視庁へも送って、許可が停滞したという。タウトが知ったこの時期は、まだホットな事件であった。
 この資料は無いが、わたしはこの件について、当時山口文象の下にいた二人(山口栄一、河裾逸美)から直接に聞いたことがあるから、このようなことがあったことはまちがいないだろうし、建築界では知られた事件だったらしい。
 タウト日記には、この二人の確執を具体的には書いてないが、それを山口や他の建築家などから聞いて知っていたらしい。
石本喜久治

 石本は、タウトを招聘した日本インタナショナル建築会の幹部だから、タウトの世話をいろいろと焼いていた。タウトは二人の確執を知って、出席するべきか否か困り果てて、支援者たちに相談して、結局は1934年1月の結婚式には出席しなかった。
 もっとも、タウトの石本への印象は、あまりよくない様子が日記にある。石本の建築作品について、例えば白木屋百貨店を見て「いかもの」との烙印を押している。

 1975年にタウト日記が公刊されたときは、石本はこの世にいなかったが、もしも読んだら、あれほど世話してやったのにと、怒ったことだろう。タウト日記には、ほかにも読んで怒った人は大勢いると思われる記述がいっぱい出てくるのが面白い。
 このタウトを悩ました山口の結婚は、3年後に破局を迎えたのであった。ゴシップはこうして終わった。                
 (中篇に続く

◆山口文象アーカイブス
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2015/08/08

1116【新国競騒ぎ】設計変更するのが常識なのに税金80億円捨てて白紙に戻した非常識首相の頭の検証が先ず必要

 新国立競技場問題は佳境に入ってきて、野次馬は止まらない、暑さ凌ぎにアマノジャク放談。

●一番の無責任者はアベサンだよ

熊五郎:ちわー、ご隠居、さすが暑さにグターッとなってますね。
ご隠居:おお、熊さん、まあ、こっちにおあがり。そうだねえ、暑い時に、戦争したいとか、埋立やりたいとか、オリンピック運動会場にカネ掛け過ぎとか、ますます暑いよなあ。
:そうそう、あの新国立競技場とかって運動場で、工事費が高すぎるって揉めて、オジャンにしたって、どういうことですかい、無責任な責任者をクビにしろとかって、国会で騒いでますね。
:あまり暑いから、お前さんと言いたい放題言って、ちょっと涼しい気分になろうかね。
:いいですねえ、言いましょ。
:じゃあ言うよ、あのね、いちばんの無責任者は、総理大臣のアベサンだよ、ひどい!
:え、いきなりそうきたか、さすがアマノジャク。でもねえ、高すぎるって世の中が騒ぐもんだから、鶴の一声で白紙見直しって、えれえもんじゃありませんか。
:あれ、そう思うのかい、だってアベサンはあの7月17日ちゃぶ台返し発表の7日前には、
もうやり直していると間に合わないからこのままいく」って、国会で答弁したんだよ。
あ、そうだっけ。
:それを突然にヤ~メタって、ちゃぶ台返し、いまどき専制君主じゃあるまいし、それも相談したのは森サンって五輪組の親分ひとりだけって、いまどき密室政治かい?

●ワンマン社長に誰も文句言えない

:う~ん、でもこれで税金を無駄遣いが減るんでしょ、いいことでしょ。
:あのなあ、普通ならこういう時は設計変更をするのが常識なんだよ、イチからやり直したら、その手間と費用が無駄になるだけなんだよ、建築素人アベサンが、大向こう受けねらって大見得切ったんだろうがねえ。
:まあ、このところ憲法解釈変更問題で評判が下がってますからね、ここらで一発起死回生と、。
:そうだよ。たとえればね、ちょっと高いけど社長にこんこんと話をして、それで行けと言われ、社長も記者会見などで、国際公約だし、やり直すと間に合わないからこれで行くと表明していただいた、これで安心と思っていたら、1週間でコロッ、あれはもうやめたとちゃぶ台返し発言、担当役員の文科大臣も、事業本部長のJSCの理事長も、あっけにとられただろうね。
:社長一人が格好つけて、役員、社員、下請け会社に恥をかかせて平気なんですね。
:これまでかけた設計外注費用が65億円、それにコンペでかかった費用、JSCや文科省の人件費・交通費・光熱費など、世界中からコンペに応募した人たちがかけた費用、なんだかんだとざっと80~100億円の無駄かもよ、もったいないよなあ。
:常識はずれの社長の頭はおかしいな、でもワンマン社長だからしょうがない、ってことなんでしょうかね。民間会社なら、株主賠償訴訟で訴えられますね。
:だから第三者検証委員会は、80億円無駄にした首相の非常識な頭の中を検証してほしいよ。無責任なワンマン首相は怖いね、コロッと心変わりして、安保で戦争に巻き込まれることはあるとか、徴兵制を敷くことになるなんて、いつ言い出すことやら。言ってもいいけど、わたしが死んでからにしてもらいたい。

●工事費高騰は有識者会議のせいだよ

:ご隠居も無責任だよ。ところで、なんで1300億が3000億円になったんですかね。きっと、工事屋さんが高く入札したんですね、口利きしてリベートをとる予定の政治家がいるとかで。それとも、誰か間でくすねる約束になってるとか。
:う~ん、口利き料とか間のくすね金はわからないけど、入札は無かったよねえ。設計と一緒に工事方法とか工事費の見積もりやったもんねえ。
:じゃあ、競争がないからどんどん高く見積もったのかもね。
:そうかもなあ、でも設計と並行していたから設計チームのチェックが働いてるだろうしねえ。
:じゃあ、なぜ高くなり過ぎたんですか?
:そりゃ簡単だよ、ほら、有識者会議ってのがあるだろ、有識者たって各種業界代表みたいなもんだから、言いたい放題、自分の業界がやりことをどんどん言うから、カネメもどんどん膨らんだってことだよ。
:スポーツ屋とかイベント屋とかね。
:それを抑えられなかったのは、有識者が政治的に強いからだな。設計変更して規模小さくしたり機能を外して値段を下げようにも、それヤメルな、これもやれとか言われちゃ、文科省じゃあどうしようもなかったんだな。
:ご隠居は見てきたようなこと言いますね。
:ああ、昔こういうコンペから実施への大規模プロジェクトの裏方をやった経験あるからね、とにかく工事費が過大になるのは、設計内部じゃなくて、外部からの要求がどんどん重なってくるからだよ。
:ってことは、それを整理する能力がないと、どんどん増える。で、一番エライ総理大臣が出てきるしかないってことですかね。
:そうだろうなあ、今どきそういう古典的なやり方するって、なんだねえ、憲法9条解釈変更をアベサンがリードしているのと同じだね。今ならこういうときは委員会で再検討とか、パブリックコメントとかやるもんだよなあ。
:そういや、独裁政権みたいで、気持ち悪い世の中ですね。
:よく言って、ワンマン社長だね。ワンマン社長をいただく社員の国民はやりきれないよ。

●第三者検検証委員会ってカネメだけ検証か

:ところで新聞見ると、第三者検証委員会って、このカネメが太り過ぎたことの原因を探るらしいですよ。
:マスメディアは、分りやすいカネメのことばかり書いてるから、庶民はカネメの検証をするしか思わないんだな。本当に検証するべきは、そうじゃないだろ、カネメもひとつだけど、このプロジェクトそのものを検証するんだろ。
:それは、例えばどんなことですか。
:まず第1にだね、国会答弁したことを、国会の外で全く逆方向に前言をコロッと翻した首相の頭の中の検証だよ。国会はバカにされたんだよ。
:あっ、それですかあ。ほかには?
:例えばだな、なんであんなでかいものが要ることになったのかとか、なんであんなでかいものをあそこにつくることが風致地区許可基準を変更してまで可能にしたのか、なんであんなでかいものをつくれるように地区計画を決めたのか、あんなでかいものをつくるようなコンペの募集要項自体が正しかったのか、そしてさらにオリンピック誘致そのものが必要なことなのかとか、そういうことだよ。
:まさかあ、ご隠居、そりゃ第三者委員会に期待しすぎですよ。まあ、カネメだけしかやらないような感じですよ。
:うん、わたしも実はそう思っている。あのメンバーじゃ都市計画問題やオリンピック誘致問題まで考えが及ばないね。アンダーコントロールって嘘ついて誘致成功した件とか、無理だろうね。
:やっぱりねえ。でもアベサンのことだから、民主党政権時代に決めたことばかりを、第三者委員会に突っつかせるかもしれませんね。

●カネメ高騰の技術検証は簡単だが裏事情検証は無理だろうな

:あのね、建築工事のカネメのことだけなら、検証なんて簡単だよ、だってこういうものは設計過程で詳細に工事費積算しつつ行きつ戻りつしてやるもんだからね、資料をみればなにが高いとか簡単に分るよ。
:あ、そういうもんですか。あの形とかアーチとか、高くなった原因でしょ。
:そうかどうか、積算書を見れば簡単に分るよ。それよりもだな、設計の各段階での積算結果に対して、だれがどのようにその結果にOKを出したかが重要なんだよ、予算オーバーしたら設計変更をして下げるもんだよ。
:じゃあ、オーバー分を予算に上積みするって決めることもありますね。
:そういう時は、設計者じゃなくてJSCや文科省の役人が決めるよ。そして役人に手続きの誤りはないもんだよ、それが商売だから。
:それじゃあ、手続きはちゃんとしてるけど、工事費は高くなったってことですね。でも役人が工事費を出すんじゃないでしょ。ありゃ税金だから、国会できめる予算ですね。
:だから、髙くなるって時は、政治家のどなたかに裏で了承をとってるんだよ。だから1300億円を超えて3000億とか2520億とか公式発表したんだよ。
:でも、それを政治家のアベサンにちゃぶ台返しされたでしょ。
:だからアベサンは政治家の森親分に了承を取ったんだよ。
:あ、なるほど、そこらあたりに高くなった原因がありそうですね。第三者検証委員会は政治家に首を突っ込めるかなあ。
:ま、無理だろうね。カネメのことだけなら、検証は必要ないようなもんだよ。途中で工事費値上がりに対してチェックが甘かった、オリンピックだから工事費は何とかなるだろうと見通しが甘くなった、文科省とJSCの担当者を叱りおくべし、てなところで、もちろん有識者会議の責任なんぞ言いようもなくて、当たり障りのない検証で終りだろうな。

●コンペであの案選んだからカネメが高いのか

:でもね、最初のコンペで、あんなに高くなると分かっていながら、ザハ・ハディド案を一等賞にした、あの審査委員長の安藤忠雄がけしからんと、世の中では言ってますよ。
:世の中っていうよりも、誰かに尻をもちこむと分りやすいからと煽るマスコミだろ。庶民はカネメの高さと言い、アンドーが悪いと言い、分りやすいことしか分ろうとしないからね。
:もしも2等案ならもっと安かったかも。
コンペ2等賞 コックス案
:絶対にそんなことないね。他の案だってそうだよ、だってね、もとが全く同じ条件で作ってるんだからね。
:それに加えて、その後にあれこれ要求が出たでしょうからね。
:アンドーさんへの非難が大きく聞こえるのは、気の毒だね。どこかあのエリートじゃないたたき上げ建築家に対して、やっかみ半分足引っ張りが感じられるよなあ。
:そりゃ考えすぎでしょ。でも、あの人は長屋住宅とか店舗しか教会くらいしか設計したことなくて、こんなでかいものは審査能力あるんですかね。
:そりゃ失礼というもんだよ。安藤さんには大きな設計もあるし、人柄は知らないけど、能力ある建築家だと思うよ。あのコンペは、アイデアのデザインを募集するもので、その後の設計作業で詰めをすることになってたんだよ。もちろん1300億円という目標額はあったけど、アイデアまでで、工事費積算書まで付けるようなコンペじゃなかったからね。あれでいいんだよ。
:そういうもんですかね。でも、イギリスの建築家じゃあ、日本のことをよく知らないでしょ。大丈夫ですかね。
:だから日本の一流設計事務所が何社も寄ってたかって設計に加わってるよ。なかにはコンペでザハ・ハディドに負けたところもいて、なんだかおかしいけどね。
:あ、わかった、負けて悔しいので、こうやって白紙見直しに持っていくように設計して敵討!。
:おまえバカだね、ここまでハディドも一緒にやってたんだよ。
:あ、そうでした。そういえば、ハディドの事務所は、突然キャンセルされて文句言うてますね。あたしのせいで工事費が高くなったってなんてデマを、日本じゃ飛ばしてるとか、怒ってるようです。
:そうだね、日本の建築家は腰抜けだから何も言わないけど、イギリスの建築家は職能に厳しいから、もしかしたら訴訟するかもね。名誉棄損とか損害賠償とか。
:契約一方的キャンセルで損害賠償払うことになったら、また税金で払うんでしょ。バカらしいことになりますねえ。

●また性懲りもなくコンペやるってどういう積もりなんだろ

:さて、これからどうするんだろ。またコンペをやるとか文科大臣が言ってたよなあ、懲りないバカだね。
:で、またザハ・ハディドが一等賞になったりしてね、ひひひ。
:ははは、でもねえ、こんどコンペしたら、これまでJSCに雇われていた設計事務所やゼネコンが絶対的に有利だよなあ。
:あ、そうそう、詳しいこと全部知ってるんだもんなあ、不公平ですね。それらは応募資格なしにしますかね。
:そうしたら、裏でその事務所やゼネコンの協力を得て応募したところが勝つにきまってる。だから他の連中は応募しない、今度やるのは事実上の談合コンペだろうね。
:やれやれ、バカらしい。コンペ主催する費用もばかにならないでしょうし、再度の設計料も払わなきゃならんし、なにやってるんですかね。
まあワンマン社長のひとことで、現場の連中は真っ青になって怒りつつ、てんてこ舞いしてるだろうなあ、。
:第三者検証委員会のお守までやることになって、可哀そうに、。
:まあ、あたしゃね、新国立競技場にもオリンピックにも興味なんて、ぜんぜん無いんだから、どうでもいいんだけどね。
:あれ、じゃあ、なんでこんなに面白がってるんですかい。
:うん、競技場やオリンピックの周りで世間に騒ぎが起きると、それが面白いんだよ。これからもどんどん問題が起きてほしいねえ、ボケ防止になるからな。
:それにしても、なかなか深刻な問題ですよね、さすがにシンコクリツ
:サブッ、うん、深刻率狂気じゃあ~

参照
「あらかじめ発掘された遺跡―安藤建築の風景」
https://sites.google.com/site/machimorig0/ando-tadao
【五輪騒動】新国立競技場建設と神宮外苑再開発瓢論集
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html


2015/08/01

1115【新国競騒ぎ】コンペ応募者よ、審査員よ、有識者会議よ、抗議せよ!こういうやり方はおかしいぞ!

 誰も言わないようだから、わたしが言うことにする。
 
●コケにされた人々

 新国立競技場の建築について、首相の一言で白紙見直し決定って、今の世にそういうやり方は正しいのかしら?、しかも工事費が高くなったからだけの理由って、建築のド素人のアベサン、、、。

 これまで、大勢の人たちがかかわって、時間をかけて、お金をずいぶんかけて(なんだかんだで100億円かも)やってきたことは、いったいなんだったのか?
 これに対して、いまのところアピールをしているのは、ザハ・ハディドひとりだけである。日本のお人たち、だれひとり声をあげていない。どうして?

 いいですか、よく聞いてくださいよ、虚仮にされたのは、ザハ・ハディドに限らず、あの国際ンコンペに応募した建築家たちである。

 コンペに負けたのはしょうがないが、コンペの外にいるアベサンに負けるって、そういうのは理不尽でショ。けっこうお金かけて応募案をつくったでしょ、こういうときは2等とかににやらせるのが普通のような気がするけど、どうしてそうじゃなくて白紙見直しなんですかねえ、なんで抗議しないのですか?

 コケにされたのは、あの国際コンペで審査員をして、あの案を選んだ人たちである。

 安藤さんをはじめとして大勢の世界的建築家たちもいるが、それでよいのですか?、どうして抗議しないのですか?

 コケにされたのは、あの「有識者会議」のお方たちである。
 いろいろとご意見を申し上げて、7月7日にはこれでGOとしたら、10日後に外からドタキャン、あれはいったいなんだったのか?、え、会議参加報酬を叩き返して、どうして抗議しないのですか?、このままじゃあ「無識者会議」だったって、自ら認めることになりますよ。
 ゆうだけじゃ会議か、報酬ドロボ。

●あれもアベサン、これもアベサン

 とにかく、白紙見直しってのができるのは、2020オリンピックを返上せざるを得ないとか、あの場所がどうしても使えなくなったとか、そういう場合でショ。
 見積工事費が高くなったからだけで白紙見直しって、おかしいでしょ、だったら設計変更をするのが、普通のやり方でしょ。

 それをなぜ、大仰に総理大臣が出てきて、政治的大見得をきって、おれが使うことを任されている税金だから、おれが勝手に決めてなにが悪い、みたいな決め方って、ヘンでしょ。

 せめて、パブリックコメントとか、見直し委員会とか、あるいはあの無能な有識者会議のご意見を聞くとか、そういう儀式をやるのがお役所と思ってましたがねえ、いまじゃ、なんでもアベサン一言で決まるご時世なんですか。
 なるほど、それでこれほどにも〝円滑"にできるのですね、
憲法解釈変更が、

参照
◆【五輪騒動】新国立競技場建設と神宮外苑再開発瓢論集
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html