2015/02/23

1060東電福島原発核毒バラマキ事件の最悪トバッチリ被災地・飯館村の酪農家の話を聴いた

 東京の青山で、飯館村のこと、福島原発のことなど、見聞きしてきた。
 あの東電核毒バラマキ事件の最大のトバッチリ被災地である飯館村から、酪農家・長谷川健一さんがやってきて、彼が3・11から記録してきたドキュメンタリー映画を見て、話を聴いたのだ。

 わたしは昨年の秋、飯館村を訪れてその実情を見学してきた。そのことはここに書いているhttp://datey.blogspot.jp/2014/09/1002.html
 そのときは余所者として、表面的なことしかわからかったが、地元住民の立場からの映像と実情と意見を聞くことができて有意義だった。わたしが現地を見てきたからこそ、彼の話がよく分った。
飯館村の酪農家・長谷川健一さん
東京青山の東京ウイミンズプラザにて 20150222
村の長谷川さん(左端)
酪農家仲間の板書きの遺書


村長(右)ともとことん話して方針違いで決別
牛舎で餓死した牛のミイラが累々

山林を除染しないから集落にも農地にも核毒は流れ下ってくる

福島県民の初期被曝線量5ミリシーベルト以上の被爆者のうち8割が飯館村民

それでも原発は地震多発地帯にぞくぞくとできるし輸出さえもしている現実は、、

 長谷川さんが描いてくれた映像で、仕事も生活も家族もコミュニティも、そして大地さえもが原発核毒によってどんどん崩壊していく様は、まるで地球が溶解していくようだ。よって立つ大地が核毒汚染で、人間のものでなくなっていく。しかも人災で。
 その加害者は東電と国家という巨大組織であり、被害者は個々人であるという図式の中で、そのあまりの理不尽な仕打ちが続く。
 長谷川さんは、悩んだ末に村長とも決別して、ひとりの人間として、酪農家として、集落の長として、巨大組織に対抗して立ちあがっていくのである。

 なにしろ、よるべき土地が消滅したのだから、未来はもちろん明日さえも見えない先行きである。
 たとえ核毒が去って、よるべき土地がよみがえるころは、もう長谷川さんたちはこの世にいない。もしかしたらその次の世代もいないかもしれない。
 それでどうやって未来を描きうるのだろうかと考えても、暗澹たるものだ。
 未来が見えない被害者には、自死を選ぶ人たちもいるそうだ。長谷川さんの酪農仲間が「原発さえなければ」と壁の板に遺書を書いて自死した。超高齢老人が家族の避難の手足まといにならないようにと、自死を選んだ。

 加害者たちが絶対に起きないと言っていた原発事故が起きて、大量に広範囲に核毒をばらまいたのだから、再び起きない保証は何もない。
 とりあえず未来をみるには、再びこのようなことが起きないように、今の時代に原発を禁止するしかない。長谷川さんが未来のためにできることは、それだけだ。
 長谷川さんだけではなく、それは3・11経験世代がやらねばならないことである。

参照→地震津波核毒おろろ日録
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_26.html

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