2014/06/14

935世界球蹴り運動会の記事ばかりで新聞という紙くずをカネ出して買う日々がつづく

 観戦スポーツを嫌いである。野球とか球蹴りとか、あのいい年の大人たちが、球を打ったり蹴ったりして遊ぶのを観るだけなんて、かなりバカらしい。自分がやればいいのに。
 そして更に、それを見物する大勢の人たちが、同じ色の服を着て、一斉にそろってひとつの方向に動く様子が、見ていて気持ちが悪くて仕方がない。

 と言っても、わたしは現物を見たことはなくて、新聞に嫌でも目に付く写真による。北朝鮮のマスゲームさながらである。
 でも、うちの近くの横浜球場あたりを徘徊していると、その一団に出くわすことがよくある。無邪気な人たちの様でもあるが、その無邪気さがどうにも不気味である。

 世界球蹴り運動会が地球の裏で始まるらしく、その記事が新聞の朝夕刊の一面にも登場し、スポーツ欄はもちろん4,5ページも占め、社会面も2ページくらいを占めてしまう。
 わたしは隅っこの残りの記事を、重箱の隅をほじくるように読むしかない。
 毎日、毎日、読むところのない新聞が配達されてくる。ゴミをカネ出して買う日々がつづく。
 たぶん、TV番組もそうなんだろうが、わたしはTVそのものを見ないからいっこうに構わない。
おいおい、いつのまに朝日新聞はスポーツ新聞になったんだい、
スポーツ新聞ならエロやゴシップ記事を満載しろよ
この世界球蹴り運動会報道への腹立ちを解決する方法をよく知っているのだが、どれも実行しないだけである。
 そのひとつめの方法は、この際すっぱりと新聞購読をやめてしまうことである。心理的にも経済的にも一番良い方法だと思うが、暇つぶしの種がなくなるのが困るのだ。
 ふたつめの方法は、この際しょうがないから観戦スポーツファンに宗旨替えすることである。これは周りの誰かに嘲笑の喜びを与えそうで、癪にさわって体調に良くなさそうだから、いまさらやらないのだ。
 
 こんな記事ばかり載せていると、そしてこんな記事ばかり喜んで読んでいると、いつの間にか憲法の改悪をされてしまっているぞ、いいのかよ。
 2020年の東京世界五輪運動会のときは、もっとひどいことになるのだろうが、幸いなことに、その頃のわたしはボケているか、あの世にいるか、そのどちらかである。

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