2014/03/01

902【山口文象】J・コンドルの和風建築と山口文象のモダン建築の出会い

J・コンドルの和風建築と山口文象のモダン建築の出会い 伊達美徳

◆コンドル、山口文象、キリスト教、労働運動

 ジョサイア・コンドルと山口文象の設計した建築についての展覧会が、2014年3月10日から東京の芝にある「友愛労働歴史館」で開かれる。
 日本の近代建築史をちょっとでも知っている人は、このあまりにも縁がなさそうな二人の建築家たちの間に、そして日本の労働運動の歴史との間に、どのような関係があるのか不思議に思うだろう。

 J.コンドル(Josiah Conder、1852 - 1920年)は、20世紀への変わり目を挟んで40年ほどを日本で活躍したイギリス人建築家、山口文象(1902-1978年)は、1930年代から戦争をはさんで40年ほど活躍した建築家である。
 年代的にもその出自からしても、あるいは極端に違う作風からしても、普通に考えると出会うはずもない。

 ところが、このふたりの設計した建築が、東京都港区の芝にある同じ敷地の中に立ち並び、太平洋戦争の空襲で焼けるまでの9年間ほど、今考えるとなんとも特異な風景をつくっていた。
 並んでいたのは「日本労働会館」と「青雲荘アパート・友愛病院」という。日本労働会館がコンドルの設計であり、青雲荘が山口文象の設計であった。
 どちらも財団法人日本労働会館の所有で労働者運動の拠点であり労働者のための福祉厚生施設であった。この財団のバックには、労働運動のナショナルセンターである日本労働組合総連合会(連合)がある。

 今はどちらの建築も消滅して、跡地には同じ財団によるオフィスとホテルの入る超高層建築が建っている。
 そのビルの一角に、財団が運営する「友愛労働歴史館」があり、その展示室で戦前の活動拠点であった消え失せた二つの建物について、その歴史を再発見しようと企画した展覧会を開くのである。 

 いろいろ聞いて、調べてみると、日本の労働運動とキリスト教活動は元は深い関係にあったのだった。
 コンドルが設計した日本労働会館は、前身はキリスト教会の「惟一館」であり、その教会が日本の労働運動を起こす源流となり、活動拠点となった場であり、山口文象が設計した青雲荘は、労働者のための本格的な厚生福利活動の源流となった場であった。

 コンドル、キリスト教会、労働運動そして山口文象という、一見したところ関係があるとは思えない人物と事柄が、実は深く結びついていることを知って大いに興味がわいた。そこで、ここに素人論考を展覧会の案内のつもりで、素人向きに書くことにした。

 わたしは山口文象についてはそれなりに研究してきたが、コンドルについては建築史ディレタントの域を出ないし、キリスト教と労働運動についてはまったくの門外漢も甚だしい。
 労働運動側の事情については、その歴史館事務局長の間宮さんにうかがった話、友愛労働歴史館サイトにある各種の資料、『財団法人日本労働会館六十年史』(1991、渡辺悦次著、日本労働会館)などを主な資料として記述する。

以下全文は「J・コンドルの和風建築と山口文象のモダン建築の出会い
https://sites.google.com/site/dateyg/seiunso

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