2013/09/07

832【東京路地徘徊】元麻布の谷底街の路地の上に狸の大入道が真昼に出てくる

 久しぶりに東京・広尾に用事あって出かけた。
 用事と言っても親しい仲間との夕食飲み会であるが、いきなり会場に着いては徘徊老人の名折れになる。一山向うの麻布十番からふらふらと回り道しながら、途中でお勉強もしながら行くことにする。

 このあたりは坂道ばかりである。こんな山の中に街をつくらなくても、関東には平野がいっぱいあるのに、江戸東京の人はなにが面白くてこんなところに住んだのか。
 樹木が怖いほど繁っていた暗闇坂、化かしに出てくる狸坂なんて、田舎そのまんまの命名である。
 

暗闇坂を登り切ったところに長傳寺、麻布十番から標高差約20mの丘の上は、こんな風景である。近頃の寺院は、五重の塔ならぬ三十重の塔を持っているのであった。このあたりには寺院が結構多いのは、江戸時代からの街ということだろう。
 
 その長傳寺の向かいに、なんとなく気になる洋館風の住宅のような建物がある。あたりにはこの家のほかは、お高そうな集合住宅ばかりが見える。


 こんどは狸坂を下って行く。坂の途中には、これまたお高そうな格好良いお住まいが立ち並んでいる。狸は住みにくいことだろう。

 狸坂を下りきると、狭い5差路に出る。この交差点が谷底で、そこから出る道は一本を除いてどれも上り坂になる。
 その手前に左手が擁壁の幅90センチほどの路地を見つけて入り込む。
 奥へ奥へと行くと、意外にも下町風情の路地となった。地名は元麻布2丁目5だが、町内会の掲示には麻布宮村町と書いてあるから、こちらが伝統的地名だろう。


 このあたりは谷のドンつまりで、前も左右も高くなって上に集合住宅ビルや学校の石垣が見える。路地は崖下に突き当たってしまった。
 振り返ると、おお、路地の物干し台の上に大入道が突っ立っている。狸のお得意な化け方である。真昼間から出てきている。

 こちらの向こうには、親分狸の大入道が腹を出して突っ立ち、その前には赤いおべべの女大入道が2匹立っている。

 さっきの狸坂下の5差路交差点に戻って、北へと坂を登っていく。丘上街に来ると、路地はこんな風になってしまって、谷底街の生活感のあるわたしの好きな風情は消える。

 まわりはお高そうな集合住宅ビル、お庭がバッチリ広~いお屋敷(これがホントのマンション)、お屋敷を集合住宅ビルに建て替え中のところもある。 
 児童公園がある。ほう、遊んでいるガキどももカアちゃんどもも、なんだか毛色が違うなあ、ふ~ん。
 
 尾根の上の道を行けば、ちょっと雰囲気の異なる塀が続いて、大きな中華料理屋だろうと歩いて行ったら、なんと中国大使館であった。向うに腹の出っ張った大入道が見えている。

 中国大使館の門の前には、男女二人が人権なんとかと書いた布を広げており、なにやら中国語らしき大声をあげている。
 そばに3人の警官が手持無沙汰のような緊張しているような感じで突っ立っている。
 坂の下の谷底街はいかにも平和なのに、坂の上の街は国際情勢を反映して何やら騒がしい。 

 そういえば、このあたりの丘の上の街のあちこちに、世界中の大使館があるから、その御国の政治情勢によって、あっちが騒がしかったり、こっちが騒がしかったりするのだろう。

 グーグルアースで、このあたりの今と昔を比較してみた。
 まずは、路地の街・麻布宮村町の2012年である。
 
同じく宮村町の1997年である
  
ついでに六本木ヒルズの今昔。まずは2012年。
 
六本木ヒルズ1997年 
  この六本木ヒルズの二つの画像を眺めていて気が付いたことがある。
超高層ビルにするとその周囲が広く空くので、都市に緑の空間を多くもたらすという、森ビルがしょっちゅう唱えている開発理論?がある。
 ところが、どうもそうでもないらしい。どう見ても、ヒルズができる前のほうが緑が多くあるように見える。
 もちろん、そこは公開空地ではなくて個人所有の緑の空間だったろうが、個人所有の緑でもその景観や微気象にもたらす良い影響は、公共の緑と変わりはないはずだ。




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