2013/05/15

770東北被災地徘徊譚12【野蒜6】被災した既存市街復興と丘陵上の新市街造成とは一体となる都市計画を展望しているのだろうか

 
●769東北被災地徘徊譚11【野蒜5】からの続き
http://datey.blogspot.jp/2013/05/769.html

●図18:東松島市復興まちづくり計画の野蒜地区の構想図

 東松島市の復興まちづくり計画が出されているが、津波被災地域を具体的に今後どうするのかは、これでは見えない。
 見えないのだが、一方では北部丘陵開発はすでに着手している。被災者の早期移転のためには着手せざるを得ない事情はよくわかる。特に、元の地に戻ることが難しい立地の、海辺に近い集落の人々の行きどころは深刻であろう。

 そのいっぽう、復興計画では東名運河から北の区域では、市街地の再建がうたわれているから、必ずしも北部丘陵に集団移転することが前提ではないようである。地盤を1.5メートル以上高くするか、RC造基礎を1.5mメートル以上高くすれば居住することもできる様に規制が緩いから、現地再建をする可能性が高い。
 この地区に他の海岸部集落から防災集団移転する制度があってもよいような気がするが、ないのであろう。ついでに言うが、自治体を越えて移動する防災集団移転もあってよいと思うのだが、制度上は可能だが実際は行政が渋って難しいらしい。

 野蒜地区の平地の旧市街地が元のように復旧するかと言えば、大きな違いは、JR仙石線が北部丘陵に線形を変えて、2つの駅が移設することだろう。この地域の生活がどれほど鉄道依存しているか知らないが、仙台駅から30分余の鉄道交通条件からいえば、その通勤通学利用は十分に高いであろう。
 高台への鉄道の移設が、新市街地形成を促進するいっぽうで、旧市街地の復旧を戸惑わせる、そういうことはないのだろうか。

 北部丘陵ニュータウンの詳細な計画は分からないが、わかる範囲の模型や図面を見ると、駅前広場からまっすぐな道路、元の地形と無関係な画一的な町割り、そしてニュータウンを既存の街から隔離する大きな緑地、これらは高度成長時代の郊外型ニュータウンのプラニングと同じように見える。今の時代もそういうものだろうか。
 かつての平地部の野蒜の街と新たな丘陵上の野蒜の街は、地域の再生という視点では地形的にも都市計画的にもほとんど連続しないように見えるのだが、そういうものだろうか。

 旧市街の復興、松島観光事業の建て直し、漁業や農業の再建、そして新たな産業機能の導入などがうたわれるが、それらは北部丘陵開発とどう連動するのか、総合的な計画があるのだろうか。
 人口減少と超高齢化社会がやってきてコンパクトシティ再編成の時代に、あえてニュータウンをつくって市街地を拡大する意義を、大義名分の災害復興だけにもとめるのではなく、野蒜地域全体のなかで計画するべきであろう。
 人口減少時代に逆行しているようにも見えるが、あえてその意図をもっての計画ならば、それはそれで興味深いのである。そこには仙台都市圏の将来、松島観光エリアの展望などあるだろうから、その意図するところの論拠をぜひ知りたい。
  ◆◆◆
 以上、6回に分けて【野蒜】編を掲載してきた。情報が現地瞥見とインターネットの範囲だけだからあたりまえだが、東松島市の野蒜復興計画には、野蒜地域の全体像の展望がまだ見えていない。これからどのように展開するのか楽しみに観察しよう。
 同じような観察記録を名取市北釜地区について書いたし、今後もまたがどこかの被災地について書きたいが、わたしはなにかを提案をしているわけでも、なにか実行しようとしてるわけでもない。現地をとおりすがりの、昔は都市計画を仕事にしていた余所者徘徊老人の、勝手な心配ごとである。もうちょっと格好よく言えば都市計画評論であるにすぎない。(20130515)

○全6回分をまとめた全文はこちら
○参照⇒
東北に大津波被災地を訪ねて【東松島市野蒜地区】
https://sites.google.com/site/dandysworldg/tunami-nobiru
東北に大津波被災地を訪ねて【名取市北釜地区】
https://sites.google.com/site/dandysworldg/natori-kitakama
地震津波原発コラム
http://homepage2.nifty.com/datey/datenomeganeindex.htm#jisin




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