2012/09/30

673赤レンガ東京駅が戦災前の姿に厚化粧して出戻りしてきたのはどうして?

明日(2012年10月1日)から、東京駅丸の内駅舎が新しくて古い姿で正式登場だそうです。
 その東京駅については1988年に、建て替えて当然という時代の中にありながら、国の方針として保全継続使用方針を決めたのでした。

 それからず~っと、わたしが提唱してきたことは、保全継続使用にあたっては1947年からの姿を本旨とすべし、戦災前の姿に復元するな、ということでした。
 なぜなら、復元すれば、悲惨な戦火による焼失とそこからの復興という、日本のもっとも重要な時代の記念碑が失われる、わたしたちが生きてきた戦後の歴史の証人が消えるからです。

 それが今、継続保全せずに、なぜ戦前の姿のほうを選んで復原(復元)したのか、問題提起したいのです。
 1947年からの姿の歴史的意義を、きちんと評価したうえでの復古再現コピーの選択だったのでしょうか。

 あれは一時しのぎの仮の姿としてつくったから、ようやく本来の形に戻したのだという世間のウワサがあります。
 本当に一時しのぎの工事ならば、それがどうして60年も保ったのか不思議に思い、これを修復した人たちの苦労話を読んでみました。

 それは、あの戦争直後のまったく物資のない時代に、もう頭の下がる実に頑張りすぎるほどの大変な仕事ぶりでした。
 ご参考までにそのことを書いた「東京駅復興(その1)」(伊達美徳)をぜひ読んでください。  http://homepage2.nifty.com/datey/tokyo-st/tokyost-hukkou.htm

 ●参照⇒「東京駅復元反対論http://homepage2.nifty.com/datey/tokyo-st/index.htm

2012/09/27

672男も女も電車でお化粧大道芸の時代が来たか

 地下鉄で座っていたら、前に立つ人が窓を見つめてしきりに、手を振っている様子である。
 外は暗闇なのになにしてるんだろうと見上げたら、若い男が手を振ってるのじゃなくて、窓ガラスを鏡にして、しきりに前髪をかきあげかきおろしして、いつまでも恰好を整えているのであった。

 おやおや、男も電車の中で化粧する時代が来たか。
 そういえば、そういう男を何回も見ている。カバンからやおら櫛と鏡を持ち出して、何やら遣り出した男の高校生らしいやつも見たことがある。

 それにしても、女が電車の中で化粧しているのを見るのは、楽しい。
 すっぴんのオカチメンコが、なんだかいろいろな道具や器械をカバンから取り出して、自分の顔に仕上げ工事をほどこしていくうちに、みるみるそれなりに見られる別の顔に変わっていく。
 これって、大道芸そのものである。
 
 こうなると男も電車の中で、オシロイをなでつけたり、つけまつげをいじったり(ペンチをつかっている)、口紅を塗りたくる日が来るのは近いな。
 毎朝、男女で競ってやっていただいて、電車の中を楽しませてほしい。芸の内容によっては、投げ銭をしてもよろしいですよ。
 そう、世は男女均等化粧時代なのである。

 実は白状すると、白内障の手術をして、視覚が明瞭になったら、鏡の中の自分の顔の老醜がはっきりと見えて、これは化粧するしかないかなあと、思ったのがつい最近のこと。
 そうだ、化粧品屋は男の老人を市場として開拓するといいですよ。
 そう、老醜の男も電車の中で化粧をするのである、、キモチワルイカ、。

2012/09/25

671やっぱり名ばかりマンションは地震被災の根源のような気がする

被災マンション解体滞る」との見出しが、2012年9月24日の朝日新聞東京版社会面にでている。
 東日本大震災で被災した区分所有型共同住宅ビル(いわゆるマンション)を、建て替えるために取り壊さなければなない(解体という言葉はおかしい)のだが、所有者の全員同意ができなくて、多くのその類の建物が立ち往生しているというのである。

東北6県の分譲マンションの6割が集中する仙台市では約210棟が全壊・大規模半壊となったが、解体が決まったのは5棟」とある。
 そんなことが起きるのは、とっくに阪神大震災でも姉歯事件でも経験して、だれもがわかりきっていたことである。
 所得、年齢、資産、加速構成、生活感など千差万別の、もともと知らないどうしの大勢の人間が、ひとつの運命共同体に無理やりに乗っているのだから、こういうことになれば一致するほうがおかしい。

 それなのにいまだに「分譲マンション」(正確には区分所有型共同住宅ビル)なるものをつくって売るやつ、ほいほい買うやつ、どちらもいけない。
 そんな「名ばかりマンション」(マンションとはもともと大邸宅のこと)を容認するどころか、容積緩和とか優遇税制などで支援する政策があるのが間違っている。

 日本の住宅政策はまったくなっとらん。即刻、「名ばかりマンション禁止法」をつくるべきである。
 だって、今度やってくる南海トラフとかいうやつの大揺れでは、これまでとは比べ物にならないほどの区分所有型共同住宅が被災するに違いないからだ。
 大量の「マンション難民」が発生する前に、即刻、禁止の手を打て!。

 で、解体できないのは全員同意の法律のせいだから、これを全員でなくても取り壊せるように法整備しようという動きがあるそうだ。
 でもねえ、全員同意しなくても取り壊すことができる様に法律的にはなったとしても、実際の現場はやっぱり調整は大変だし、それなりの買い取り補償金が必要だろうから、法を替えたって容易ではないはずですよ。そんな小手先技で解決する問題ではないだよ。

 そもそも、広い敷地をわざわざ猫に額ほどの持ち分に分割して所有する制度にするから、こういうことが起きる。
 そしてまた、賃貸借住宅に対して政策が冷たいからこういうことになるのだ。

 区分所有型共同住宅ビルは、区分所有を解除して組合による一体所有に転換して、管理所有一体型の賃貸借住宅に転換するする政策を推進するべきであると思う。それまでの区分所有者は組合員として持ち分相当の債権を持つのである。
 ここから先は私にはわからないから、これの実務的なことは専門家に考えてもらいたい。
 

 とにかく区分所有型共同住宅ビルは地震被災の社会的諸悪の根源である。
 言いすぎかな、だんだんと過激になってくるなあ、ほんとはね、ほれ見ろ、だから俺が言ってきたとおりじゃんかよ、っていいたいのだ。
 ●参照「くたばれマンションhttp://homepage2.nifty.com/datey/kyodojutaku-kiken.htm

 
(写真は本文とは直接には関係ありません、いや、あるかもなあ)  

2012/09/24

670半世紀ぶりの名古屋大学でキレイすぎる豊田講堂に再会

 先日(2012年9月13日)のこと、ほぼ半世紀ぶりに名古屋大学を訪れた。1963年の1年あまり、この近くのアパート暮らしをしたことがあり、散歩にちょくちょく訪れた。
 1960年に日本の建築界で話題となった名古屋大学豊田講堂ができて、建築家・槇文彦の日本での出世作となった。

 建築学生だったわたしも、そののびやかなスケールと、どこかル・コルビュジェを思わせるボキャブラリーにイカレタのであった。
 その現物が住まいの近くにあったのだから、訪れて感銘を受けたような気がするのだが、忘れていた。

 半世紀ぶりに訪れて思い出しつつ見る豊田講堂は、この間の歳月を忘れているような、あまりにキレイな建築であった。つい最近建てたかのように新しく、まるで原寸模型のようにシャキッと建っているのである。
 聞けば、最近のことだが大修繕したのだそうだ。荒れていた打ちはなしコンクリートの肌を、新技術で打ち直したのだそうだ。それが最も目につくのであった。

 そしてその再生打ちはなしのコンクリートの肌が、どうみても木目模様をプリントした壁紙を貼りつけたとしか見えないのだ。あまりにキレイすぎる。
 そもそもコンクリートの打ちはなし表現というものは、コンクリートという力強い素材をもって力学を視覚として表現するための手法だろうと思うのだが、こうもキレイでよいのだろうか。
 これを設計した槇文彦はどう思っているのだろうか。わたしは違和感をもって見たのであった。

 そのコンクリート肌の修復の技術そのものは評価するとしても、歴史的建築を修復するときの適用は、どう考えればよいのだろうか。豊田講堂ができたばかりの当時の姿を私は見ていることになるのだが、こんなにキレイであったかどうか記憶にない。
 だが、キモチが悪いほどのキレイすぎる修復はどんなもんだろうかと、見ながら思ったのであった。

 全体ののびやかな姿は、立地条件に恵まれて今も美しい。
 その遠目の構成はよいのだが、近くのよってみると、大仰な柱梁架構の表現が、大時代的な記念物の表現に見えて、わたしは好きになれない。
 柱と梁のナマな取り合いが、どうもこなれていない感がある。今の槇文彦なら、もっとうまく処理するだろう。
 機能的に新たなものが必要になったのか、裏側にガラスの建築がくっついている。講堂とはまったく異なる表現で、講堂への敬意をもっていることが宜しい。

 昔にわたしが散歩したころは、こんなに建物はたっていなかった。周りは雑草地に灌木がたくさん生えていて、野山の風景だったような気がする。
 いまはいかにも新しい建物もたち、大学らしいキャンパスになっている。でもわたしが参加したパネルディスカッションの教室は、かなり古そうであったから、半世紀昔に散歩したころにもあったのかもしれない。

 思い出せば、半世紀前に住んだその木造アパートは、東山動物園が近かったから、なにやら吠える声が時々聞こえる静かな住宅地だった。 2階の6畳間と3畳間のつつましい二人だけの生活は、やがて男の子が生まれて3人となった。
 申し込んでいた公団住宅の抽選に当たって郊外の新しい団地の2DKに移ったのは、アパート住まいが1年ほどたった後であった。
そのアパートあたりの半世紀後を見ようかと思ったが、時間がなかった。あのアパートが今もあるはずはないが、そばにあった千代保稲荷神社は健在であろう。    

2012/09/23

669東京のビルの谷間の由緒ある神社の夏祭りは再開発でどう引き継ぐのだろうか

 東京は文京区、後楽園ちかくの街の中、道端でピーヒャラドンドンとにぎやか、神輿が出ていて、獅子舞が踊る。江戸の伝統の太神楽もやっている。
 
超高層住宅ビルもあれば、木造の店や中小のビルが混在する街、大勢の大人は缶ビールと焼き鳥を握り、母親と子供はアイスやたこ焼きを抱えて、細い道やまちかど広場をうろうろしている。わたしもその一人となった


 聞けば白山神社という伝統ある神社の祭りだそうである。氏子中は広いのでどこにその神社があるかわからないが、あちこちの氏子町内で祭をやっているらしい。
 ここにも神輿は大小幾つも出ているし、各町内にそれぞれあるのだろうから、神様は身をいくつかに分けてお出ましとあって、忙しいことである。
 この街も実は市街地再開発事業が計画中とて、いずれ超高層ビルの街になるらしい。その時にこの祭りを空間としても新コミュニティとしても、どう引き継いでいくのか、興味深い。

668横濱地下鐡の驛名は旧字體表示だが駅長さんは嫌いらしい

 横浜市営地下鉄の戸塚駅でぼんやりと駅名表示を見ていて、あれ、一本多いぞと気が付いた。  ではなくてなのである。

 それではと、別の掲示を探したら、駅長さんは戸駅長なのであった。  どうでもよろしいが、面白い。


 辞書を引いてみたら、旧字体であるらしい。
 横浜市営地下鉄の他の駅名まで調べるほどの気力はないが、旧字で統一しているのだろうか。
 記憶にある市営地下鉄の横浜駅は「横濱駅」とはなっていないような気がする。

 それとも戸塚の地名は旧字であるべきとの、横浜市の方針なのかしら。
 それではと、戸塚区役所の公式ウエブサイトを開いてみたら、そのホームページには「戸区」と書いてある。
 JR東海道線戸塚駅はどうなっているか知らない。

 戸塚駅ついでに、その地下鉄の便所で小便をしようとして気がついた。律儀にも道路と民地の境界線をタイルの壁に表示してある。

 この線の左だと道路で立小便、右でやるとどこかのお宅の庭で立小便。なぜここだけ表示してあるのだろうか。別々に管理しているのかしら。まあ、どうでもよろしいですが、書いてあるとどちらでしようかと気になる。

2012/09/19

667白内障手術決行譚(その5)病院に手術入院するって面白くも奇妙な体験であった

●入院治療は契約書は結ばないらしい
 白内障治療で、右目と左目を間に5日おいて、2泊3日の入院を2度やった。
 これまでの入院経験は1度だけ、鎌倉で30年ほども前(1週間ほど足を引っ張ってただ寝ているだけ)だった。だからこれで3度の入院経験となる。

 このたびの入院にあたって、「入院誓約書」なるものを出させられた。
 入院するに当たっては病院の規則を守り、身元引受人はきちんと責任を果たしますので、入院治療をお願いします、てなものである。30年前の入院では、こんなものを出した覚えがない。
 この誓約書は、なんだか一方的な感じがするのである。

 病院だろうと商店だろうと、民法上の契約行為だから、これほど高額でありしかも身体にメスを入れる重要な取引なのだから、患者と病院の双方がハンコを押した契約書を作るのが当たり前のような気がする。
 それが、患者側だけが誓約書をだすというのは、片務契約である。それなら病院側も、患者に対して、責任もって治療いたしますという誓約書を出してもらいたいものである。
 これっておかしい考えなのだろうか。

 もう一つの書類は「手術または検査説明書・同意書」である。一枚の紙の上半分に治療方法等の説明書と医師と看護師のサイン、下半分がその説明を受けて納得したので手術をしてほしいという同意書で患者と家族のサインである。
 まあ、これは医師と患者の両方がサインしているから、それなりに納得できる。

●アメニティセットなるタオル等リース
 もう一つサインして出した書類は「アメニティセット申込書兼同意書」である。これは病院宛ではなくて、入院中につかうパジャマ・タオル・歯磨きセットなどのリース会社に出すのである。
 これらを患者が各自持ち込んではいけない、リース会社から借りなければならないというのである。外部からの黴菌の入ってくるのを防ぐためらしい。でもねえ、かばんも靴も肌着も上着、ノート、デジタル録音機など持ち込んでるんですがねえ。

 同意書と書いてあるが、何も同意するべき文章は書いてなくて、要するにリースの申込書である。
 こちらから申し込んでいるのに、リース会社側の請書がないのである。この書類は不備である。
 病室にはこのリースらしいタオルが2本、バスタオル2本、歯磨きセットがおいてあった。2回とも使ったのはタオル1本と歯磨きセットだけだった。これは別請求なので保険対象ではないらしい。

 手術の日は750円、そのほかの日は480円、6日間の合計で3420円。リース料としてはけっこう高い。
 手術の日が高いのは、手術用のパジャマと紙パンツを使ったからだろうが、請求書には明細がない。
 同意書といい請求書といい、病院並みの一方的な感じである。

 どうも解せないのは、パジャマや手術着は入院の必需品なのに、保険がきかないことである。だったら布団は枕はどうなってるんだろうか、ベッドはどうなんだよ。
 食事だって保険がきかないってのもわからない。不味いから要らないといったのに、無理に食べさせられたのだぞ、どうしてくれる。

●実はマニュアル的でない看護
 左右の目が違うだけでまったく同じ治療の入院を、2週連続して行ったが、入院した部屋は別の階であった。
 ひとつビルの中だから棟はわかれていないのだが、右目が2階病棟、左目が4階病棟と名付けられているのは、昔の病院の習慣がそのままなのであろう。

 ところが、どうやらその病棟ごとに看護の仕方が違うらしいのである。
 2回目の左目入院の最初には看護師からいろいろと聞かれて、4ページものアンケート記入をさせられたが、最初の右目のときはそんなものはなかった。
 手術室に入る前に、右目の時はパジャマもパンツも病院のものに着替えさせられたが、左目の時は上だけ着替えて下半身はそのままままでよいとのことだった。

 手術室前の氏名と手術場所の点呼も、右目では2回、左目では1回だった。
 ほかにも血圧を測りに来る回数とか、薬の服用や点眼の指導とか、いろいろ異なることがあって、困るほどのことではないが、それが面白かった。
 病院というところは完全にマニュアル化しているのかと思ったら、意外にそうではなくて、病棟ごとに看護方法に差があるのだった。同じ病院で書類まで違いがあるのが面白い。

●相部屋の病室はプライバシーゼロ
 入院の部屋は部屋代がいらない6人部屋に入った。カーテン一枚で仕切る2m角ほどのの仕切りである。
 当然のことながら音は筒抜け、看護師がいるときはカーテン半分あけているから視覚的にも見え見えであるが、それを承知で入ったから仕方がない。
 ここに1か月もいるとなると我慢できにくいが、たかが2泊3日だからかまわない。実は30年ほど前の入院も6人部屋であった。このときの経験が面白かったので、値段のこともあるが、積極的に今回も相部屋を選んだ。

 面白かったとは、プライバシーゼロの状態で1週間いたら、他の入院患者のプライバシーがほとんど全部見えて、このような人たちがいるのだなあと、ずいぶん人生経験をしたことであった。
 看護師はもちろん、家族や見舞い人が来てあれこれ話していることが、筒抜けで聞こえてしまうのだから仕方がないのだが、その人の病気も生活もわかってしまう。
 小説家に入院経験がある人が多いのは、こういうところでネタを仕入れていたのだろうと思ったのであった。

 今回は2晩づつだったが、糖尿病らしい若者、尿が出なくて苦しむらしい中年男、血圧測定マニアらしい老人が、耳に入った。
 こちらの目の手術のことや、飯が不味いとクレームつけているのも聞こえていたに違いない。

 そんなことは面白がっていればよいのだが、ある真夜中に急患が隣に入ってきて、明かりを煌々とつけて、どたどたがやがや、すっかり目を覚まされてしまったのには、さすがに面白がってはいられなかった。
 でも、いくら部屋代が安いといっても、本当にこんなにもプライバシーがなくてよいのだろうか。

参照→白内障手術一部始終日記201209
https://sites.google.com/site/dandysworldg/hakunaisyo?pli=1

666白内障手術決行譚(その4)当て外れやっぱり眼鏡が要る
http://datey.blogspot.com/2012/09/666.html

665白内障手術決行譚(その3)ボケたら脳みそも取り替える時代が
http://datey.blogspot.com/2012/09/665.html

663白内障手術決行譚(その2)若返った右目で見る風景の軽薄さ
http://datey.blogspot.jp/2012/09/663.html

662白内障手術決行譚(その1)明日から左右両目のレンズ埋設工事
http://datey.blogspot.jp/2012/09/662.html

2012/09/18

666白内障手術決行譚(その4)当て外れやっぱり伊達の眼鏡が要るとはなあ

 両目が白内障と診断されて、エイヤッと両目ともプラスチックに取り替えたら、よく見えるけど、なんだか世の中がしらけているように見えるのが、ヘンだ。
 これまでも遠近乱眼鏡をかけて、それなりにちゃんと世の中が見えてたのだが、目玉ののレンズにいろいろと75年分の垢がたまって見えにくかったらしい。

 日常生活で見えにくいとは特に思っていなかったが、その一方で、夏場の強烈なまぶしさには困っていた。その目玉の垢に光が乱反射するからだと医師に言われたのが、手術踏ん切り動機であった。  
 さて目玉の垢がなくなった分だけ、以前と比べて世の中が明るく見えるのだが、これって以前のちょっと暗いほうが現実であるように思えるのが、癪な今の世である。

 当て外れは、これまで取り揃えていた遠視、近視、乱視が、手術で全部消滅すると思っていたら、やっぱり乱視は若干あるし、本を読むには眼鏡がいるし、当てが外れた。
 ちょっと前から、寝ころんで本を読むとどうもうまく焦点が合わない、眼鏡を取り替えるかなあと思っている矢先に白内障診断である。
 それなら眼鏡代金を手術代金にすれば、死ぬまで裸眼で本を読める、うん、これは名案と思ったのがバカであった。

 でもまあ、まぶしくなくなったことと、裸眼でも視力は1.2で、1mほどからむこうははっきり見えるので、ヨカッタヨカッタと思うことにする。
 その昔々のこと、視力は2.0、駅の隣のホームに掲げてある列車時刻表が読めたものである。
 医師が言うには、まだ目の中が落ち着いていないので、これから見え方が変わるらしい。さてどうなるか、楽しみである。

 めったに病院にいくことがなくて、保険料を支払うばかりの赤字だったが、これで少しは取り戻せただろうか。約5万円支払ったから、50万円の治療費であった。
 白内障手術は日帰りでもできるらしいが、わたしのかかった病院では2泊3日の入院制であった。30年も前だったかに、右足故障で1週間入院して以来の入院であった。

 入院でいちばん困ったのは、食事の不味さだった。前の入院ではうまいうまいと食ったのだが、今回は文字通り閉口した。特に米飯がまずい。
 初めの右目の2泊3日は我慢して食ったが、2回目の左目の時は、素泊まり入院にしてくれと頼んだが、ダメだという。
 それではこちらも対抗するぞと、売店から握り飯やサンドイッチを買って食った。途中で思いついて、米飯をパンに替えてもらったら、これは食えた。
 目玉が3つあったら、次の手術は別の病院でやったところだぞ。

 裸眼でよく見えるのも不幸である。鏡に映る自分の顔のシワシミソバカスホクロ無精ヒゲ、老け具合がよく見えすぎる、これまでは気にしていなかったのに……、お化粧でもするか……とほほ。

参照→白内障手術一部始終日記201209
https://sites.google.com/site/dandysworldg/hakunaisyo?pli=1

665白内障手術決行譚(その3)ボケたら脳みそも取り替える時代が来るかも
http://datey.blogspot.com/2012/09/665.html

663白内障手術決行譚(その2)若返った右目で見る風景の軽薄なことよ
http://datey.blogspot.jp/2012/09/663.html

662白内障手術決行譚(その1)明日から左右両目のレンズ埋設工事月間が始まる
http://datey.blogspot.jp/2012/09/662.html

2012/09/16

665白内障手術決行譚(その3)そのうちボケたら脳味噌取り換えもできるようになるだろうなあ

熊五郎 ちわー、ご隠居、お見舞いにきました~、なんでも噂では、お顔のあたりの大手術とかで入院したとききましたが、ぶったたいても死にそうにないご隠居が、いったいどうしました。

隠居 おや熊さんかい、よくおいでだね、ぶったたいても死なないは余計だが、心配してくれてありがとうよ。実はな、白内障の治療で、両目にプラスチックレンズを入れたんだよ。

 てーと何ですかい、ご隠居の大手術ってのはメン玉の取替えってことでしたか。あっしゃーまたてっきり顔の成形手術でもやって若い娘にモテようなんて気でも起こしたのかと思っておりやした。 そんでもって整形手術に失敗して…なんて。

 いやいや手術は大成功、よく見えるようになったよ。

 そういえば、白内障てーと、あっしの母親もその昔に同じ手術をやって、てーそーよく見えるようになったって喚いていたような…。

 喚くほどのことでもないが、眼鏡無しで見る世の中の色が明るくなった上に、妙にはっきり見えるんだよ。医者は、白内障になる前の若いころはそう見えていたというのだね。で、よく見える目で見たら熊さん、お前はやっぱりイケメンじゃなかったんだなあ。

 大きなお世話ですよ、ご隠居こそ自分の顔を鏡で見てビックリでしょ、、。

 アッ、そうなんだよ、わたしはこんなに年寄り顔であったかと、がっくりしてるんだよ。熊さんの言うように整形手術もしてもらおうかな。それともお化粧でもしようか。

 けっ、気持ち悪い。でも手術代が高いんでしょ。

 ああ、わたしは後期高齢者保険で一割負担だがね、それでも片目2泊3日入院で23350円だったね。ところが後期高齢者の保健だと、暦の1か月の医療費が44000円を超えると、越えた分を保険で払ってくれるんだな、だから両目で47000円のところが44000円だな。同じ月内ならほかの病院でのほかの病気の治療費と合わせて44000円までなんだそうだ。

 そりゃいいや、だったら、今月中にほかの医者にもどんどんかかって、あれもこれも治したらどうですかい。ご隠居はほかにどこか悪いところありやせんか。

 悪いところ治すって急に言われてもねえ、歯を直すかなあ、。

、ありますよ、口が悪い、人相が悪い。

 そりゃお前のことだろ。ま、なんにしても若いころの目に生まれ変わったのだから、これからは頭も若く切り替えようと思うのだよ。

 こうやって目ン球取り替えできる様に、そのうちに脳みその取り換えもできる様になりますよ。ご隠居は間にあわないだろうけど、あっしはそのうちにやりましょう。

 そうだよねえ、人体も部品取替え可能になるかもねえ、ぼけたら頭の交換、骨折したら足や腕を一本そっくり取替えってことになるもねえ。

 あ、そうだ、ほれ、アソコもできますね。

 何を考えてるんだか、、。ほれ、この写真、入院して点滴しているわたしの雄姿をご覧よ、昔から他人を見舞いに行くと、こうやって歩いてる人がいるのをみて、この姿にあこがれていたんだよ、ついにかなったね。

 こんなもんにあこがれてどうするんです、しょうがないねえ。

 ところで目の手術の様子を聞きたいだろ、一部始終を教えてあげるからこちらにおあがり。メスがね、眼の球にだね、グサーッと入って来たと思ったら……。

 サイナラーッ

参照→白内障手術一部始終日記201209
https://sites.google.com/site/dandysworldg/hakunaisyo?pli=1

663白内障手術決行譚(その2)若返った右目で見る風景の軽薄なことよ
 http://datey.blogspot.jp/2012/09/663.html

662白内障手術決行譚(その1)明日から左右両目のレンズ埋設工事月間が始まる
http://datey.blogspot.jp/2012/09/662.html

2012/09/07

664くたばれ名ばかりマンション屋!大ウソつきがばれたぞ

 今日(2012年9月7日)の朝日新聞東京版の朝刊に、「長谷工社長らを処分」のみだしで、こんな記事がある。

 07年発覚の耐震偽装 国土交通省は6日、1級建築士20人の懲戒処分を公表した。横浜市で建設中だったマンションで2007年に耐震偽装が発覚した藤建事務所(埼玉県八潮市、09年に廃業)の遠藤孝1級建築士のほか、遠藤建築士に構造計算を依頼したマンション建設最大手、長谷工コーポレーションの大栗育夫社長らが処分を受けた。(以下略)

 で、遠藤建築士は2000~07年、8件は長谷工からの発注だった、とある。つまり外注していたのである。
 これを読んで思い出したことがある。
 2005年に姉歯という名前の一級建築士が建物の構造計算をごまかして設計し、そのまま強度のない共同住宅やホテルを建てたという、いわゆる「耐震偽装事件」があった。
 社会的には大事件であった。 この時以来、建築士性善説は消滅、性悪者となった。 
 そのときにわたしは長谷工が自社サイトに変なことを書いているのを見つけて、わたしのサイト「まちもり通信」で、こうイチャモンをつけたのだった。

 あわててデベロッパーたちは、うちの建物は姉歯に関係ないと発表しているところもあるが、中でおかしいのは長谷工コーポレーションで、わが社の建築はわが社の「設計施工一貫体制」だから構造設計は姉歯ではないと言うのである。
 だから安全だって言ってるつもりなんだろうけど、これって姉歯よりもっと危ないかもしれないぞ。
 だって開発から設計、監理、工事、販売まで全て自分の社内やっているなんて、みんな内々だから設計ミス、偽造、工事手抜きなどなどあっても、第三者チェックがどこにも働かないおそれが十分にある。
 要するにみんなグルってこと、かもしれないのだ。 (2005.12.04)
●この全文は⇒姉歯大震災の喚起するもの
https://sites.google.com/site/machimorig0/anehajiken
 
 さてところが今、長谷工は自社内で全部やってるから安心だと、誇らしげに(私から言わせると奇妙な)宣伝をしながら、実は自社内でやってなかったことが暴露されてしまったのである。
 しかも耐震偽装そのものをやっていたのだから、あきれるほどの大ウソつきである。
 こういうのって、ホンとにカッコウ悪いなあ。

 「名ばかりマンション」(マンションとは本来はアメリカ大統領のホワイトハウスのような豪邸を言うのだよ)を耐震偽装付きで供給するバカがいて、それをまたホイホイ買うバカがいる。困ったもんだ。
 偽装してなくても、そろそろやってくる大地震で大方は使いものにならなくなるか、大修繕が必要になる。
 その時に、所有者が貧乏人も金持ちも呉越同舟の分譲「名ばかりマンション」は、利害対立で建て直しも大修理も立ち往生するだろう。
 そして膨大な不良資産となった廃墟建築が発生し、膨大な住宅難民が発生する。

 そんなことは阪神淡路大震災でも姉歯大震災でもよ~くわかったのに、それでも「名ばかりマンション」の売り買いは止まらない。法制度で止めようともしない。恐ろしい世の中である。
 俺はもう知らんわい、勝手にせえ。

●参照→たった一人のキャンペーン:くたばれマンション
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tosikyoju

2012/09/06

663白内障手術決行譚(その2)若返った右目で見る風景の軽薄なことよ


八五郎 こんちわー、ご隠居、お帰りなさい、目ン玉取り換え手術は成功ですかい、あ、なんです、そのゴーグルは、まさかこれから海にでも潜りに行こうってんじゃあないでしょうね、いけませんよ手術したばかりなんだから。

ご隠居 お、八っつぁんかい、海に行くんじゃないよ、白内障の手術の後はしばらくこうやって、何かぶつけないように、ゴミが目に入らないように保護眼鏡をかけるんだな。ああ、手術はもちろん順調にいってね、わたしの右目にはプラスチックレンズが入ったよ。

 プラ目人間ですね。よく見えますか。

 新しい右目だけで見るとね、なんだか色が鮮やかなんだよ。まだ治してない左目で見る風景と比べると、なんだか軽薄だね、若いころはこの色で見てたんだと医者は言うのだがねえ。その点、75年使い込んだ左目で見るとだねえ、色に深みがあっていいねえ、さすがに人生の深みがある、うん。

 なにいってるんです、若い頃の目に戻ったんでしょ、よかったねえ。視力はどうです。

 右の視力は1.2だよ、十分に良く見えるけど、問題は焦点がまだ定まらない。入れるレンズによって遠視か近視かその中間かとあるらしいが、受け入れる目の状態と相まって、どのへんに焦点が定まるのか、やってみないとわからないそうだよ。わたしは資料読んだりPCで書くことが多いので近視にしてもらいたいといったのだが、いまのところ遠視気味だね。さてどう落ち着いて行くのかね。

 あれ、なんだ、手術するともう眼鏡いらないと思ったら、そうじゃないのですね。で、次は左もやるんでしょ。

 ああ、左右アンバランスのこのままだと、右目と左目で色が違うから、それなりに面白いけど、どうも不都合だね。

 ご隠居は目玉が二つだけでよかったですね、三つ目小僧だったらあと2回もやんなきゃならない。

 ああ、ヤツメウナギが白内障になったら大変だね。

 ハハ、なにバカなこと言ってんです。ところで入院てあっしはやったことないんですが、ホテルみたいなもんですか。

 ホテルとは大違いだね、相部屋だから宿屋かな、でもね、サ-ビスがいいよ、しょっちゅうきれいなお姐さんがやってきて、触ってくれるんだよ。

 えっ、なんです、そりゃ。

 いやね、体温やら血圧を測ってくれるってことだよ。3食部屋食なんだけどねえ、この食事のまずいこと、どうやったらあの味になるのかねえ。

 しょっぱいとか、薄味すぎるとか、、。

 いやそれが丁度良いんだよ、なのにまずい、ありゃ調理がヘタとしか言いようがないね。米飯がまずい、安いコメだろうな。酒もつかない。左目の時はカップ酒持ち込みするかなあ。

 あのね、宴会旅行じゃないんですよ、しょうがないご隠居だね。でも、肝心の手術がうまくいってよかったですね。

 おお、そうそう、それを忘れるところだった、手術の一部始終を聞いてもらいたいから、こちらにおいでよ。スイカをおあがり、あ、ビールのほうがいいかね。

 あ、いや、スイカもビールもほしいけど手術の話は遠慮しますよ、あっしは痛いのとか血がでるのは大の苦手なんですよ。

 なんだ、見かけによらないね。でもいいからお聞きよ、涼しくなるから、、あのね、メスがグサーッと目玉の中に入って来るんだよ、、、、。

 サイナラーッ

 はは、八のやつ、逃げてしまったな、しょうがない、左目も終わった来週に、ここに一部始終を実況中継風に書くことにするか。

参照→白内障手術一部始終日記201209
https://sites.google.com/site/dandysworldg/hakunaisyo?pli=1

665白内障手術決行譚(その3)そのうちボケたら脳味噌取り換えもできるようになるだろうなあ
http://datey.blogspot.jp/2012/09/665.html
662白内障手術決行譚(その1)明日から左右両目のレンズ埋設工事月間が始まる
http://datey.blogspot.jp/2012/09/662.html

2012/09/02

662白内障手術決行譚(その1)明日から左右両目のレンズ埋設工事月間が始まる

八五郎 おや、ご隠居、なんだかウキウキしてますね。
ご隠居 おお、八っぁん、そうなんだよ、明日から2泊3日おでかけなんだよ。
 旅行ですかい、どちらへ。
 病院に入院するんだよ、大手術するんだねえ、おまえのその顔も今日で見納めだね。
 えっ、なんです、その言い方は尋常じゃないけど、どこが悪いんです、なんでウキウキしているんです、ヘンですよ。
 いやね、白内障の治療だよ。
 なんだ、それなら知ってますよ、目が悪いと言ってた叔母がやったから。 今じゃあ珍しくない治療だそうですよ、脅かしっこなしですよ。目ン球を取り替えるんでしょ。
 乱暴だね、そうじゃなくて眼球の中の水晶体にプラスチックのレンズを入れるんだな。わたしは初めての手術体験だから、わくわくしていて海外旅行の前の晩の気分だな。

 大げさな。あ、そうそう、その叔母が言うには、それで景色がそれまでとは全く違ってきれいに見えるようになったそうですよ。ご隠居もそうなると思ってウキウキしてるんですね。
 そうなんだよ、だからおまえのその顔も見納めなんだな。わたしは眼鏡で今も普通に見えることは見えるんだが、この数年は明るいところではまぶしくてね、夏は黒メガネなしではいられないんだよ。
 そうそう、ご隠居は夏は風体が悪いですよ。
 ほっといてくれ。先だって同年の友人がその手術をしたというので、聞いてみると同じようにまぶしかったそうだよ。で、わたしも病院に行って診断してもらったら、両目ともに水晶体レンズが濁っている、濁りが光を乱反射してまぶしいのだそうだよ。 これはもう立派な白内障だとご宣託をいただいた、えへん。

 威張ることじゃないでしょ。で、ほっといたらどうなるんです。
 歳とると誰でも起こることらしいが、ほっとくと進んでいくばかり、歳とりすぎると水晶体の中の水が固まって取り換えが面倒になるとか、手術も難しいことがあるかもしれないそうだよ。
 そうそう、知り合いの母親が90歳で手術したら、水晶体を支える機能が衰えていて失明したそうですよ。
 だから今、後期高齢者になったばかりのわたしは思い切って、そのレンズ埋設工事を決行することにしたんだね。
 えらいもんだね、好奇心をもつ年寄りの好例で好奇好例者ですね。

 おお、座布団一枚。面白いことにね、友人は左目だけ手術したそうだよ。だから右目つぶってみる風景と、左つぶって見る風景とは色が違うんだそうだよ。
 それじゃあ同じ絵をひとりで2度鑑賞できるってことですか。同じものなのにこちらの目の都合で違うものに見えるってことは、、、へえ~、実はこの世は誰もが同じ景色みてるんじゃないんですねえ、う~ん。
 考え込んだね、そうなんだな、お前の見てる景色とわたしの見ている景色は、実は全然違う色かもしれないね。
 ちょっと怖いような気もしますね。
 わたしは両目手術するから、もう別の景色を見る人間に生まれ変わるんだよ、この歳で生まれ変わるなんて、ウキウキするのも当たり前だろ。

 どこかピントがはずれてる気もするけど、まあいいや。ご隠居が今日見ている景色を、手術後にはもう見ることができないんでしょ、今のうちに写真とっておいたらどうです。
 そうしようかね、あ、なに言ってんだい、違うよ、カメラはわたしの目とは関係なく写すよ。お前こそピントはずれだな。
 あ、そういやそうですね。で、いつお帰りですか。
 明日は右目で2泊3日、一時帰宅して5日後に再入院、今度は左目だな。
 なんにしても、お大事に。手術成功、景色が大変化というお土産を待ってます。
 ああ、そうなるといいねえ、でも心配なのはね、お前の汚い顔がますますはっきり汚く見えるようになることだよ。
 ほっといてくださいよ。
(図は手術する西横浜国際総合病院がくれたパンフレットの一部)

白内障手術決行譚(その2)へ

●白内障手術一部始終日記201209
https://sites.google.com/site/dandysworldg/hakunaisyo?pli=1

2012/09/01

661戦後復興期の都市建築の遺産価値について当時の自分の仕事から考えてみた

 9月13日に名古屋大学で、戦後復興期の都市・建築に関するパネルディスカッション(PD)があり、参加することはすでに書いた。
●全現代都市・建築遺産パネルディスカッション案内
http://datey.blogspot.jp/2012/08/657.html
 ここに載せたのは、そのPDでにわたしの話のレジュメである。


●前現代期都市建築の遺産価値について
   ―その設計者として―

       伊達 美徳(フリーランス 都市計画家) 

はじめに
 若くもなく研究者でもなく建築家でもない、ひとりの建築史ディレンタントである筆者が、このPDでのスタンスは、筆者自身の前現代期(1961以後だが)の都市建築らしきものの「設計者として」の体験と、後に1970年代中頃から都市計画家として生きた経験をもとに、若い研究者・建築家に問題提起をしたいと考えている。
 「前現代」とは聞きなれないが、簡単には1945年8月15日から1970年頃までらしい。出だしは戦機の空爆による都市炎上から都市復興への時期で分りやすい。筆者の体験から言えば、不燃建築による都市づくりから都市再開発が本格化する直前頃までとしておこう。
 その頃、筆者は当時20人ほどのRIA建築綜合研究所(現・アール・アイ・エー、以下「RIA」という)に所属していたので、その組織で筆者が担当した「都市建築」を中心に記すことにする。
 「都市建築遺産」がテーマであるが、建築界での建築遺産と言えば、「名」のつく建築や建築家による「作品」をもってするらしい。ここで筆者がとりあげるのは、前現代期に日本各地の都市で同時多発的に起きた市井の人々の活動でつくられた、「名」がつかないが、時代を象徴する都市建築遺産である。

1.失われた前現代黎明期建築遺産
 最近、前現代記の都市建築遺産が消えたふたつの身近な事件があった。ひとつは東京駅丸の内駅舎、通称赤レンガ駅である。復原したのだから消えていないと反論があるだろうが、筆者は消えたといわざるを得ない。
 1914年に創建、1945年に空襲焼夷弾で炎上、1947年に修復再登場したが、その姿はまさに前現代の始まりを象徴する姿であり、 1914年から31年間の創建時の姿よりもはるかに長く丸の内のシンボル景観であった。
 そしてまた第一第二次両大戦と戦後復興という西の原爆ドームにも匹敵する貴重な前現代の都市建築遺であったが、前現代の建築遺産としての価値を評価した様子はないまま、現代の人々は復原と称して消してしまった。
 これほど名のある戦後都市建築遺産でも消えるのである。

●これ以降と全文は
https://sites.google.com/site/dandysworldg/zengendai-tosikentiku