2012/07/31

648日本人は5度目の大被曝体験をしても原発を動かす

朝日新聞(2012年7月30日東京版)の朝日歌壇で発見した歌がある。永田和宏選のトップにある。

あれしきの被曝で何を騒ぐかと言ってはならぬ我は被爆者
                                                    (アメリカ  大竹幾久子)


日本人は広島原爆、長崎原爆、ビキニ環礁水爆実験、東海村JCO臨界事故、そして福島原発事故と、なんとまあ、ただ今5度目の大被曝体験の真っ最中である。懲りないのだ。
その被曝の軽重を比較することなかれ、軽重でその罪をはかることなかれという、最も深い傷をおった体験者の言葉の重さを、選者は汲み取っている。

大竹幾久子氏には、「Masako's Story Surviving the Atomic Bombing of Hiroshima」という著作がある。2007年に初版(日英対訳版)、2011年に改訂増補版をアメリカで出版している。
1945年8月6日の灼熱の光を浴た広島の焦土の中を這いずりまわるようにして、奇跡的に生き延びた過酷にして壮絶な記録である。

彼女は幼ない身に悲劇が深すぎて、被爆の記憶が脳裏からかき消されているそうだ。だが、放射線の毒牙は、幼いほど鋭く身に突き刺さるものだ。
長じて偶然にもその毒牙を剥いたアメリカに暮らすようになった。
そしてアメリカでこそ原爆の記録を世に伝えるべきと考え、その悲劇を語ろうとはしなかった母親から、老いたある日にようやく聴きだしたオーラルヒストリーである。

その本の著者紹介によれば、彼女は被爆の時は5歳、母と兄と弟とともに爆心地から2㎞弱の家の中にいた。外にいたら確実に死んでいたが、4人とも偶然に命を取り留めた。だが、外傷と原爆症に苦しむことになる。
家は完全に倒壊焼失、母は3人の子と生き延びるために、その後に待ちかまえる被爆ゆえの数々の塗炭の苦しみを抜けて、戦後の時代を生きることができたが、爆心地近くの兵営にいた父はいまだに行方不明のまま。

母親の語る広島弁は、地獄篇の詩である。


  まあ  ねえ

  あんときのことはねえ


/  一体どう言うたらええか

  この世の生き地獄じゃった

  とても言葉では言い表わせん


  ほんまに
  もう

・  あんとうな地獄は


ああ

もう続けられん


  Ah,that time on the sandbank,

  I don't know how to describe it all.

・  It was truly a living hell on earth.


  Never

  Oh, never again.
・  ・・・・・・・・・

Oh, I can't continue to speak of it!


わたしはその隣の岡山県生まれだから、広島弁の細かいニュアンスまで、ほぼわかる。
一方、対訳の英語でそれがアメリカ人にどう伝わるのだろうかと、わたしの英語力ではつかめないのがもどかしい。

大地も街も人間も襤褸となった広島をようやく逃げ出した避難先で、外傷と原爆症で倒れこむ。
身動きもできず枕を並べる幼女を看病もしてやれない母ができることは、童謡を教えるだけ。
わたしの人形はよい人形、うーたを歌えばねんねして、一人でおいても泣きません、、、、

言うて
二人で泣いたんよ

And then we cried, you and me.


そして2001年冬、その母が逝く。そのときの大竹幾久子氏の句作。

寝たきりの母も越えゆく新世紀

寝たきりになれど母在り冬灯す

Even my mother who was bed-ridden for so long
lived to see
the 21st century

And now in the dim light of winter
my moteher is still clinging to
a light spark of life

わたしは昨年、その夫とともに里帰りしてきた大竹幾久子氏に会った。夫はNASAでロケットを飛ばしていたエンジニア、こどもに恵まれ、カリフォルニアで元気に暮らしている。
実を言えば、その夫はわたしの大学の山岳部の同期生、その兄は大学の学生寮での同期生でどちらも親友、国会前でデモ行進をした60年安保世代である。

もうすぐ8月6日が来る。そして今、福島原発事故による被曝問題は、原発反対運動に広がり、60年代とは異なるデモの形の市民運動は、日本に新たな展開をもたらすだろうか。

7月13日に国会周辺原発反対デモに行ったのは、この本が肩を押してくれたのだった。

(注:青字部分は「日本語訳詩付Masako's Story  Surviving the Atomic Bombing of Hiroshima」By Kikuko Otake 2007からの引用)
●参照
500カリフォルニア歌人  
http://datey.blogspot.com/2011/09/500.html
641原発反対で52年ぶりの国会議事堂デモに参加して思うこと多々
http://datey.blogspot.jp/2012/07/641.html

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