2012/06/20

632横浜港景観事件(8)赤レンガ建築群が建ち並ぶ出島だったと思っていたら実は

赤レンガの建物は全国でいくつあるか知らないが、関東地方にあったもののほとんどは、1923年の関東大震災で姿を消した。  以後、日本全国でレンガ造で構造物を建てることはなくなった。
 だからこそ、現代日本でも生き残っているレンガ造の建物や土木構築物が珍しがられて、観光資源になる。
 最近、現代レンガ造建築を新築してしまった「三菱一号館美術館」なんてのもできた。東京駅も3階部分などの格好をコピー再現した。
 免震構造の発明によってレンガ造も息を吹き返す感もある。

 さて、横浜の赤レンガ造建築である。この連続“イチャモン”シリーズでとりあげているのは、横浜みなとみらい21の新港地区に計画中の結婚式場建築である
 デザインがナットラン、顔を洗って出直してこいって、横浜市美観審議会からお叱りを受けても、なんとかの顔になんとかで洗わないままに、ナットランデザインが進行中らしい。
 生真面目なアーキテクトやプランナーが怒りくるっている(らしい)。
 彼らが出した、横浜市は何とかせい、という市議会への請願は不採択となった。
 専門家はあれこれ言うが、市民を代表する議員がこうだとすると、一般市民はどう思っているんだろうか。

 審議会がなにをナットランと言ってるか、かいつまんで言えば、横浜市としてはこの島にある歴史的建築の赤レンガ倉庫をモチーフにしたモダンデザインによる風景を誘導してつくろうとしているのに、事業者が提案してきた結婚式場は、昔風西洋物真似寄せ集めハリボテへたくそデザインである、と。
 
 へたくそかどうかはさておいて、では、この新港地区という島は、かつては赤レンガ建築、赤レンガ防波堤、赤レンガ埠頭で埋め尽くされていたのだろうか、という疑問がとりあえずわいてきた。
 新港ができたのは19世紀末から20世紀初頭にかけてだから、当時の現代建築最先端技術である赤レンガがたくさん使われていたのだろうなあ、今ある2棟の赤レンガはほんの一部だろうなあ。
 そう思って、新港を造った大蔵大臣官房臨時建築課がだした「横浜税関新港施設概要」(1915年)と「横浜税関新設備写真帖」(1917年)なる本を見た。

 それによると、レンガ造建築は、3階建て倉庫が1号と2号の2棟(現存する赤レンガ倉庫)、3階建て事務所が2棟、発電所が1棟であり、そのほかは鉄骨あるいは木造の上屋が14棟であった。
 新港地区の創建時の建物をご覧あれ。



あれ、そうなのか、赤れんが建築で埋め尽くされていると思ったのは間違いだった。全部で19棟のうち、赤レンガはこの図の赤く塗ってある5棟だけだった(黄が木造、青が鉄造)。

 そして1923年に横浜をめちゃくちゃにした関東大震災で、新港も壊滅した。
現在見る赤レンガ倉庫2棟(正確には1棟半)だけが、倒壊、火災をかろうじて逃れて修復されて今に至っているのだった。
 震災から復興した後の新港地区の絵葉書をご覧あれ。

 と言うわけで、この新港地区は歴史的に赤レンガによる風景だった、というわけではない。
 赤レンガイメージが優先したのは、いつごろからなのだろうか。もしかして現存2棟を保全再生することになってから作り出されたイメージだろうか。
 それは大震災を生き残った記念物として、おおいに意義のある存在であることは確かだから、新港地区のリーディングイメージに祭り上げるのは的を射ていると思う。

 わたしは30歳からいままでの通算20年間を横浜市民であるが(勘定が合わないのは間の25年が鎌倉市民だったから)、港のイメージは実に薄い。
 仕事でちょくちょく行った県庁舎の食堂から見えるでかくて薄汚い屋根の倉庫群、ギャング映画でピストル持って追いかけっこする背景の汚れたレンガ倉庫とか貨物船の危険な荷役現場で争う荒くれ人足たち、ニュース映画の華やかな外国航路出航の賑い風景。
 わたしの横浜港イメージはこれくらいのもので、万国橋の向こうは近寄りがたい異界の出島であった。これは庶民の一般的な港イメージであったろう。
 だから赤レンガは違うよ、と、わたしは言っているのではない。横浜の新たな地域ブランド売り出し戦略として、見事に成功していることを賞賛しているのである。

 赤レンガ倉庫群ならば、舞鶴の方がよほど立派である。函館にもある。
 横浜赤レンガ倉庫は、かの日本近代化時代の大建築家の妻木頼黄の設計であるからすばらしいと、妙にマニアックなことをいわないと価値が分らないのが、なんだかおかしい。
 妻木頼黄なんて、建築マニアのほかに誰が知ってますか。
 わたしは思うのだが、あの県立博物館や日本橋をデザインした妻木が、このたかが倉庫のデザインをしたわけがあるまい。下っ端に任せたに決まっている。
 彼の設計による赤レンガ建築で有名なものに、カブトビール工場(知多半田市)と旧門司港税関庁舎があるが、これらと比べれても分るだろう。ましてや県立博物館と比べると、だれでも一目瞭然である。
 
 それでも赤レンガ倉庫に頼るしかないのが、横浜なのである。つねに新しいものを開いていった歴史、それが横浜なのだから。
 幸いにしてモダニズムの洗礼を受けた日本の建築は、あの倉庫のデザインの直截さに美を見出したのであった。あの横浜唯一の赤レンガ重要文化財・開港記念館の、ごてごてした様式コラージュよりも、まあ、美しい、と言える。

 ということで、もしもこの結婚式場屋さんが、先生方の仰せのとおりに横浜の赤レンガの歴史を踏まえましたといって、開港記念館そっくり建築を提案してきたら、はたして審議会はどういうだろうか。
 これまでの先生方の論の根底から言えばNOであろうが、これって一般には分りづらいだろうなあ。

 横浜の関内地区には、関東大震災で消えた華麗なるレンガ造建築が山ほどあった(横浜税関、横浜郵便局、ロイヤルホテル、横浜中央電話局、ドッドウェル協会など)。その種本を教えると「横浜・開港の舞台 関内街並絵図」。
 どうです、そのいくつかをコピー再現して並べて、新たな邸宅型結婚式場のビジネスモデルにするってのは、、。
 東京に最近現れたふたつの赤レンガ建築(東京駅三菱一号館美術館)の向こうを張って、港の歴史を伝える横浜の再興はこれだ!、、ああ、やっぱりラブホと間違えられるかなあ?!
まだつづくなあ、次はハリボテ建築論でもやろうかなあ)

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