2011/12/07

546伊達という姓について

わたしの姓の伊達は、伊達政宗なんて歴史上の有名人がいたから、それなりに知られていて、珍しいようでいて極端な難読でもない。
 ちょっと変わっている程度で他人様に覚えていただけるには都合が良い。逆に忘れてほしくても覚えられているという難点もある。

 伊達のよみかたはダテであるが、大昔はイダテ、イタテ、イタチであったそうだ。そういえば、イタチさ~んと銀行だったかで呼び出されたことがある。
 ローマ字で書けばDATE、外国ではミスターデイトである。
 伊達政宗が1613年にローマ法王に送った書簡には、IDATEと書いてあるし、近世の仙台伊達家では、伊達に振り仮名をつけるときは故実として「いだて」としていたとも伝える。(これらは孫引きだが「仙台市史資料編10『伊達政宗文書』」にあるそうだ)
 15世紀始めころにはダテというようになって、故実としてイダテを使ったらしい。(これも孫引きで、小林「伊達政宗」吉川弘文館)

 広辞苑で伊達を引くと次のようにある。
だて【伊達】
(一説に、「立つ」から。人目につくように形を表す意)
・ことさら侠気(キヨウキ)を示そうとすること。人目をひくように、はでに振舞うこと。
・好みがいきであること。あかぬけて洗練されていること。さばけていること。
・見えを張ること。外見を飾ること。「―めがね」

 この派手とか見栄とかにかかわる意味は、伊達政宗の軍勢が派手な格好であったことからそのような意味が出たと俗説にいう。
 しかし、伊達政宗以前にダテなる言葉はあったから、政宗のせいでこういわれるのは間違っているという説があるらしいが、政宗の軍勢の格好が派手なのでダテをもって派手好きという評判が立ったことも、その俗説を補強しているとも。
 ダテ男、ダテ眼鏡、ダテ姿、ダテの薄着、、どこか軽薄さが漂う。なお、わたしの眼鏡は遠近乱のまじった本物のレンズが入っている、ネンノタメ。

 この数年前から、宮城、仙台あたりで「伊達な国づくり」とかいって、ブランド化を図るネーミングに使っているから、今ではちょっとは良いイメージもできたか。わたしのブログ名「伊達な世界」もそれにちゃっかり乗っかったのである。
 
 まあ、どうでもよろしいが、わたしの伊達姓は仙台の伊達家とは関係なくて、先祖のひとりが岡山県北にある伊達という地区からの出であると、父に教えてもらった。
 ではその地名はどうしてできたのか、そこまでは知らない。
 ただ、ダテがタチから変化したとしたら、そこに大きな館(タチ)、たとえば領主の館があったことに由来するかもしれない。
 昔、田中館(タナカダテ)愛橘という科学者がいたが、多分、田んぼの中にある館という由来があるのだろう。わたしの母方は田中姓だから、わたしこそタナカダテである。

 30年くらい前のことだが、仕事で宮城県庁に行ったとき、名刺を出してぎょっとされたことがある。あのあたりでは伊達姓はお殿様系だけで珍しいらしい。
 またあるとき、相馬*胤さんという方に会ったことがある。名詞を出したら難しい顔をされた。聞けば、福島のお殿様の相馬家の末裔とて、むかしむかしは北隣の仙台伊達藩にいじめられた小藩として積年の恨みがあるのだとおっしゃる。あわてて弁解?したのであった。
 あ、相馬といえば、現代では南隣のほうから核毒でいじめられていて、お気の毒なことである。

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