2011/11/30

541トラブル復旧・疲労回復

NIFTYメール送受信サイトで、迷惑メールフィルターが利かなくなるトラブルがあったが、直った。
 で、NFTYが書いている詫び文の一部がこれ。
「現在、トラブルは復旧しております」
 あのなあ、これじゃあトラブルがまた起きてるってことになるじゃん。
「現在、トラブルは解消しております」でしょ。

 今もあるかどうか知らないが、昔、健康飲み物のTVCMでこう叫んでいた。
「疲労回復、りぽびたんでぃ~っ]
 あのなあ、これじゃあ疲労が戻って来るんだよ、そんなものだれが飲むかよ~。

540またかよ~口は災い

またかよ、ってなニューズである。
 防衛省の田中聡沖縄防衛局長が記者団との非公式な懇談で不適切な発言を行ったとして更迭された。
 こういうことだそうだ。
 田中氏は28日夜、那覇市内での記者懇談で、防衛相が辺野古移設への環境影響評価書の提出時期を明言していないことについて女性を乱暴することに例え、「犯す前に(これから)『やらせろ』とは言わない」などと発言した。(読売新聞)
 田中局長は「『やる』前に『やる』とか、いつごろ『やる』とかということは言えない」「いきなり『やる』というのは乱暴だし、丁寧にやっていく必要がある。乱暴にすれば、男女関係で言えば、犯罪になる」という趣旨の発言をしたと説明。一川防衛相は更迭することを決めた。(朝日新聞)
 本紙記者が「政府はなぜ『年内提出する』と明言しないのか」と問いただした。すると、田中局長は女性を乱暴することに例えて「これから犯す前に『犯しますよ』と言いますか」と応じた。(琉球新報)

 なんともお品のない会話である。
 官僚もマスメディ屋も常識のある大人たちだろうに、こんなことを言うのかしら、フツー。
 もしも言ったとしても、その場で注意しあうのが大人だろう。
 官僚がひっかったとすれば、引っ掛けたマスメディ屋の作戦勝ち、しょせん藪の中であるが、こういうときはマスメディ屋のような声の大きい方が勝つにきまっている。
 ちょっと前にも、鉢呂さんとかいうお方が引っかかったよなあ。

 参照→福島原発周辺は死の町

2011/11/27

539宇宙遺産時代がきた

以前にこんなことをわたしのサイトに書いたことがある。
「う~む、今の世界遺産登録のうちの文化遺産の数は700件ぐらいかな、そういや、なんだか少ないなあ。だって文化ってのはその地域ごとにそれぞれ固有のものがあるんだな、それをあっちは登録に値するけどこっちは値しないなんて、地域文化に上下の差別つけちゃあいけないよ」
「そうそう、そもそも文化財は、市指定より県指定が上で、それより上が国指定で、もっと上等なのが世界文化遺産だなんて、だれが考えたんでしょうね。こうなりゃもうひとつ上の宇宙文化遺産ってのをつくって、その第1号登録はガガーリンのスプートニク、第2号は月にある人間の足跡ってのはどうです」
裏長屋の世界遺産談義http://homepage2.nifty.com/datey/kama-sekaiisan.htm

 今朝(2011年11月27日)の朝日新聞にこんなことが載っている。
「人類が初めて月に降り立った米アポロ計画での着陸地点を「歴史的遺産」として立ち入り禁止にする指針を米航空宇宙局(NASA)が検討していることがわかった。(中略)
 アポロ計画では、1969~72年に計6回、宇宙飛行士を乗せた宇宙船が月に着陸した。それ以降、人類は月に行っていない。朝日新聞が入手した指針案では、着陸地点や月面の機器類を「歴史的・科学的にかけがえのない遺産」と位置づけている」

 これってまさに宇宙遺産のような話だなあ。
 日本に関する宇宙遺産はなにがあるのだろうかねえ、小惑星「イトカワ」にある「はやぶさ」の痕跡かしら。
 無理を通して富士山とか鎌倉とか世界遺産にしようなんて言わないで、宇宙遺産を目指してはいかがでしょうか、文化庁さん。
 あ、今日は鎌倉で世界遺産に関する市民ワークショップがあるんだ、余計なこといってさげすまれてははいけないな、気をつける。

2011/11/26

538江戸タワーと東京タワー

芝の増上寺の三門が、ただいま特別に一般公開中で、2階に登ることができると知人が教えてくれた。
 あの門の上からの風景はどんなものだろうか、広重の浮世絵にあるような芝浦の海が見えるわけはないが、それでも比較してみたい。
 入場料500円を自動販売機で買って、三門に登る梯子の下の受付の女性に渡す。ふと見ると梯子の手すりに「写真撮影禁止」と書いてある。
 え、でもこれは多分、中にある仏像のことでしょ、こちらは仏像には興味なくて、外部の風景だから撮影はOKだよな、でも念のために、受付女性に聞いた。

「あのー、撮影禁止って内部のことで、外の眺めはOKね」
「いいえ、それもお断りしています」(あ~っ、聞かなきゃ良かった、もう遅いか)
「え~っ、だって外の景色ですよ、それがなぜいけないの」
「だって、外を撮るカメラを回して中を撮る人がいるでしょ」
「宗教法人なのにケチですねえ」(お寺さんが人を疑うようになっては世も末だなあ)
「景色といってもビルばかりですよ」
「それを撮りにきたんですよ、ダメなら500円返してよ」
「ここには現金がないのです」(券売機に内外写真禁止と書いとけよ)
 後ろに行列ができているし、しょうがないから登ることにした。

 内部といっても、木組みにはすこし興味あるが、仏像群には何の興味もない。
 もっぱら景色を眺めていて、ふと足元の注意書きに気がついた。
「三門内撮影禁止 ご協力ください」
 ということは、三門「内」撮影禁止だから、三門「外」はいいんだよな、うん。
 で、これが三門二階から大門方向(東方向)を望む風景。

 広重の描いた「江戸名所 芝増上寺 従山門上市中眺望之図」はここに載っている。
http://www.lib.city.minato.tokyo.jp/yukari/j/ukiyoe-zoom.cgi?id=6&num=photo3
 同じ角度では撮影できないし、そもそもデフォルメがあるし、あまりにも変わりすぎていて今昔の比較を超えている風景となっている。
 江戸時時代のひとたちも、こうやって高いところに登って景色を見たいってのは、その後の東京タワー、そしていまやスカイツリーと、現代人と同じであった。
 増上寺三門は「江戸タワー」であったのだ。

 増上寺境内だった芝公園の中には東京タワーが建っているから、まさに江戸タワーの後継者であったのだと、その立地の由緒正しさを今ごろになって知った。
 江戸タワーに登ったついでに東京タワーにも登ろうかと行ってみた。
 え、1420円もするのかあ、それで250mじゃあ、無料で202mの東京都庁展望階のほうがいいなあ、なんて、懐勘定が先にたって引き返したのであった。
 独りで登るのはもったいない、出直して誰かとわいわい騒ぎながら登ろう。

 東京タワーはわたしが大学生時代に、日々高くなっていくのを眺めたという青春のシンボルタワーなのだ。
 でも、実は東京タワーに登ったという記憶はあるのだが、それがいつのことか思い出せない。40年以上も前だったような。
 このところスカイツリーばかり評判なのが、ちょっとシャクである。
 こうなったら、「東京タワーには登るけどスカイツリーには登らない会」を作ってやるか。会員兼会長はわたし一人か。
 そういえば、だいぶ前に思いついていたことに、「東京ディズニーランドに入らない会」ってのがあった。今となったら、入ったことのない人が自慢になる。
 わたしは実は裏門から一度だけ、ご招待いただいて入ったことがあるから、会員の資格がない。でも、正面から金を払って入ったことがないので、会員資格ありとするか。

2011/11/25

537【くたばれ乗用車】人を撥ね飛ばす車BMW広告

この広告を出した企業BMWは、こんな賞賛を受けることを期待しているに違いないから、ご期待に沿うことにする。(朝日新聞2011年11月25日 13版 10ページ)
「山あり谷ありを愉しくする…」って文句で、スキー場にはいり込んだBMWが、スキーヤーを撥ね飛ばした写真が載っている。
 すごいねえ、山や川、スキー場だって平気だ、どんどん車で入り込んで、人を撥ねて愉しむんだってさ。
 
 普通は、こうはなかなか言えるものではない。自動車屋の本音を吐露した貴重な広告として、保存に値する。

 今日の朝日朝刊には、自動車広告が多い。ついでにあげつらう。
 Mercedes-Bebzの広告の文句は、ナントカカントカ波で「…あなたを守ります」って、新興宗教みたいだが、これって当然、歩いている人を守るってことですよね。

 VOLVOの広告の文句には「…常に人を第1に考える製品哲学…」とあるから、これも当然に歩く人を第1に考えるってことでしょう。

 SUBARUの広告の文句は「こいつとなら、とべる」とある。なるほど、歩行者を轢き殺しそうになったら、パッと飛び上がるんですね、エライっ。

 Golfの広告文句は、「1.4本分 1495本分」とあって、クイズである。読んでもなんのことかわからないまま。

2011/11/21

536ラーメンと歩道橋

東京のあるラーメン屋が、日本来訪中のブータン国王のご要望で、ラーメンを献上にいくので午後は休業というBLOG記事を発したところ、本気にして問い合わせした人、そんな不敬なる冗談はけしからんと怒る人で、サイト炎上したとか、そんなネット情報が流れている。
http://www.j-cast.com/2011/11/20113703.html?p=all
 このネット情報そのものが、もしかしたらタイアップ宣伝かもしれないが、冗談を真に受ける人が多いのは、ネット言語社会が未成熟なる証拠である。

 この店は、ちょくちょくこういう冗談口を流しているのだそうだ。おもしろい。
http://jirora.blogspot.com/2011/11/blog-post_1911.html
「さてさて毎度急で申し訳ありませんが、臨時休業のお知らせです。本日19日土曜日昼の部、目黒店はお休みさせて頂きます。国民総幸福(GNH)が高い指標を誇るブータンの国王夫妻が来日中で、ラーメン二郎を食してみたいとのご要望があり、赤坂迎賓館まで出向いて参ります。美男美女の国王夫妻に幸せのとどめを刺して参ります。夜は真面目に営業いたします。何卒よろしくお願い致します。」

 未成熟なるネット社会で、わたしも「横断歩道橋は素晴らしい」という冗談記事を、わたしのサイトに乗せたら、まじめにお問い合わせがいくつかきて、弱ったことがある。
http://homepage2.nifty.com/datey/m3hodokyo.htm
 しょうがないから、文章の後に「これは冗談です」と追加記入したものである。
 まったくもってネット社会は、用語も言葉遣いも間違いだらけの日本語だし、パロディや皮肉、冗談が通じない、つまらないところかもなあ。

ーーーーーーーーーーーーー990610ーーーーーーー
横断歩道橋は素晴らしい   伊達美徳

●横断歩道橋は安全安心社会を実現する
 昇り降りが大変な歩道橋ですが、見方を変えるとこれは足腰を鍛えるために、自動車社会から人間へのありがたい贈りものですね。
 健康のために一日一万歩は歩きましょうなんて時代に、毎日これを昇り降りして買い物やら通勤通学していると、老後への健康が保証されるのです。アスレティッククラブで走らない自転車こいだり、ベルトコンベアーの上を走ってるより、はるかに経済的です。
 われらが税金の投資効果はここにも現れます。健康な老人が増えると、高齢者介護や保健の問題も解決します。
 もちろん、横断歩道無視の車に轢かれなくてよくなるので、交通事故がなくなります。
 大災害があって、道は燃える自動車にふさがれたとしても、横断歩道橋をわたって避難することもできます。
 安全安心社会は横断歩道橋から、ということになりそうです。 

●横断歩道橋は都市景観に個性をもたらす
 何でもないストリートの風景を、横断歩道橋はひきしめています。単調な人どおりのない田んぼの中の道にかかっていると、特にいいですね。
 街の入り口に建っていると、ゲート役割をします。橋桁に街の名前や案内が書いてあり、ここがどこかよくわかります。
 でかい横断幕がかかっていて、上手な字で「呑んだら乗るな、、」なんて、ありがたい交通安全標語が書いてあったりして、その歩道橋も横断幕も風雨にさらされて、さびやらほころびやらでエイジングがゆきとどいたりしていると、そのまちの風格がよく見えてきます。
 歩道橋の上に登ると、ちょっと違った風景が見えて、あらたな都市を眺める視点場を提供します。鎌倉の若宮大路の八幡宮の「一の鳥居」と「二の鳥居」との間にある横断歩道橋の上から眺めまわすと、この都市の歴史的な風土の構成ををひとめで理解することができます。
 これも鎌倉のもっとも重要な歴史軸である若宮大路の上にかかっているからこそ、それがよくわかるのです。他の場所じゃだめで、うまいところを選んだものだと、道路事業者の眼のつけどころに敬服します。
  ところでその位置からして、この橋にこそ「二の鳥居」の名前をあげて、今の「二の鳥居」と「三の鳥居」は、順送りに三、四と変えるべきでしょう。、
 道路でお祭りやら暴走族のイベントがあると、横断歩道橋は格好の高見の見物席になります。街の活性化の重要な仕掛けです。
 横断歩道橋は、その街の都会度・田舎度をはかるバロメーターになります。もちろん橋の数がおおいほど都会であり、横断歩道橋がうちの街の田んぼ道にもついて、都会度が1ポイントあがった、なんて喜ぶようになるのです。
 こうして横断歩道橋は、都市と田舎論をめぐる都市民俗学の研究にも今や影響をもたらしつつあります。

●横断歩道橋は日本経済に活力をもたらす
 交差点という交差点には、すべて横断歩道橋をかけましょう。いや交差点ばかりか、とにかく車道を横断するところはすべて横断歩道橋をかけるように、道路法を改正を提案します。
 こうすれば公共投資が全国に波及します。用地買収しなくてもよいし、するとしてもそれほど大規模な用地が要るわけじゃないので、やりやすい。しかも地方の中小建設業でもできますね。
 今、横断歩道のあるところだって、設置すればよいのです。現にそういうところがあちこちにあります。誰も渡らないけど厳然とかかる橋、これを純粋歩道橋(赤瀬川原平さん流に)といいます。でも、公共投資でうるおっている人々もいるのです。
 また、車椅子のために新しいエレベーターやらアプト式エスカレータとか、技術革新をもたらします。
 車椅子ばかりじゃなく、自転車、乳母車、老人手押し車、子供三輪車、リヤカー、大八車など、どんどん横断歩道橋システムを開発しましょう。
 外国にもそのうちに横断歩道橋を輸出する時代がくるでしょうから、世界に追随をゆるさない横断歩道橋先進国日本は、たとえばタイ向けには象の渡るシステムを今から開発しておくとよいでしょう。
 この不況下の日本で、建設業にもメーカーにも活気をもたらすのが横断歩道橋、まことにけっこうなしろものです。
 いっぽうで、横断歩道橋の大普及につれて横断歩道がなくなっていけば、道路の自動車渋滞がなくなって、経済への波及効果は大きいでしょう。
 歩行者だって、どこでも横断歩道橋を渡ることができるようになれば、信号待ち時間がなくなるので、約束に遅れて商談に失敗することだってなくなり、まことにありがたいことです。
 こうして横断歩道橋の及ぼす経済波及効果は、某M菱N村総研シンクタンクの計算によると800兆円とか。(完 990610 まち2ネット投稿)
*参考文献「横断歩道橋の文化経済学」(未来出版)ほか
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 小論は、横断歩道橋への皮肉のつもりであるが、時に、真正面からお読みいただく方があって、投資効果(うそ800兆円)や参考文献の照会をされることがある。当方の文才の至らなさを、お許しいただきたい。(020616追記)

2011/11/19

535◆千ページ英語小説一気読み

年寄りのヒマ人になると、こういうこともできるという見本のような行為。
 本文985ページの分厚いハードカバーの小説本「Fall of Giants」(Ken Follett 2010)を、20日間もかけて一気に読んだ。
 こんな分厚い本を一気に読むなんて、これまでにないことである。それでも毎日寝る前の4時間、20日もかかったってことは、英語だからである。暇だからこそ、面白いからこそできたことだ。
 ただし、ハードカバーでこれだけ分厚いと、重くて寝転んで読めないのが難であった。いすに座り続けて尻が痛くなった。

 日本語のようにななめ読み飛ばしでもわかるほどの英語読解力は、わたしにはない。一応全文に眼を通さざるを得ないから、まどろっこしい。
 さらにまどろっこしいのは、知らない単語や言い回しがしょっちゅう出てくることだ。
 いちいち辞書を引いていたのでは、この稀代のストーリーテラーの物語を読むという、本読みの醍醐味の興をそがれてしまう。辞書から本に眼を戻すと、はて、どこを読んでたんだっけ?

 だから判らなくても、まあこういうことだろうと前後から類推して、どんどん進む。
 ケン・フォレットは、くどくどと状況説明をしてくれる大衆小説だから、それでもなんとかなる。
 よくわからなくて類推に頭を働かせていると、大衆小説がブンガクになるような気がするところが、よろしい。
 そうやっても1000ページを毎日毎日読ませるだけのストーリーだってことがすごい。

 それにしても1000ページの本である。
 しかも、表紙に「BOOK ONE OF THE CENTURY TRILOGY」と書いてあるから、まだこれから2冊の続編が出るらしい。3000ページかあ、すごいなあ。
 フォレットの小説はペーパバックで全部読んだはずだ。歴史物は面白いが、現代ものは愚作もある。
 前作の「WORLD WHITHOUT END」は中世の都市物語で、面白かった。
 今回は20世紀の物語で、第1次大戦を英独仏露米と地球ひとまわりが舞台で、これも面白かった。次作は第2次世界大戦だろうか。

 ケンフォレットのインタネットサイトを見たら、こう書いてあった。
More information on Fall of Giants
Winter of the World
Winter of the World, the second book in the 'Century' series, will feature the children of the characters in Fall of Giants as they live through the Depression and the Second World War. It is due to be published in the second half of 2012.
The third book, due out in 2014, will be about the next generation during the Cold War.
 そうか、これで来年と再々来年の暇つぶしは決まった。

●関連→japaniese-knotweed
http://datey.blogspot.com/2009/09/182japaniese-knotweed.html

2011/11/18

534間違っているぞ原発事故用語

福島第1原発の事故以来、なんだかよく分からない言葉がマスメディアに登場するのだが、どうも間違って使っているような気がするので、ここであげつらうことにする。

●「放射ナントカ」がわからん
 放射線、放射能、放射性物質など、どう違うの? 新聞に書いてある解説をたまには読むが、すぐに忘れる。
 専門的な用語はおいといて、要するに問題は「核毒」のことでしょ。「核毒」とはわたしの造語である。
 放射ナントカが人体に毒があることに要点があるのだから、そこのところをわかるような言葉遣いにしてもらいたいので、「核毒」といってしまってはどうだというのが、わたしの提案である。
「人体に直ちには影響がない放射ナントカ…」といわれてもピンとこない。「直ちには影響がない核毒…」といってもらいたい。そのうちに毒が回ってくるってわかるからね。
 ついでに、原子力発電は核分裂によって出る熱でお湯を沸かし、その水蒸気で発電機を回すんですってね。意外に原始的な原子力である。
 で、なんでも核融合ってのもあるらしいが、分裂で熱が出るならその反対の融合は冷却するんでしょうね。核融合で瞬間冷凍原子爆弾ができるのだろうか

●「除染」じゃなくて「汚除」でしょ?
 この事件ではじめて「除染」なる言葉を知った。長い人生ではじめてであったので、手元の広辞苑をひいたが、載っていない。もしかしてこれは造語なのだろうか。
 造語なら仕方ないにしても、読んだだけでは意味が分からないどころか、間違っている。
 汚染は「汚く染まる」のだから、その汚れをとり除くのなら「汚除」(漢文風に「汚を除す」ならば「除汚」か)であるはずだ。誰かが「汚染」から類推して「除染」と言い出したのだろうと、わたしは類推する。
 さらに問題なのは、核毒の汚れはとり除くことが不可能ということである。何かに着いた核毒を雑巾で拭いてそこからとり除いても、毒は雑巾に映っただけ、その雑巾を水洗いすると水に毒が映る、水を流すと下水道に映る、そして処理場にどんどんと蓄積されて、毒はどんどんと毒性を増してくる。
 汚除して汚除しても、汚移するだけで、ますます汚増、汚貯する始末である。
 除染なんていい加減な言葉は、誤解を招くだけのような気がする。明快に「除毒」といってほしい。

●「電源喪失」って「童貞喪失」みたいなものなの?
 福島第1原発が事故を起こしたのは「電源喪失」によるのだそうだ。要するに事故を防ぐ電力がこなくなったってことらしい。
 わたしがひっかるのは、まず「電源」である。電源とは「電源開発」というように、発電所のことだろう。福島原発は確かに電源だが、電源喪失の電源は他の発電所から来る電力のことを言っているようだ。
 それなら他の発電所が地震で消え去ったのかと読んでみたら、それは無事で、要するに電力が来る電線が切れたってことらしい。
 じゃあ、電源喪失じゃなくて電線喪失でしょ。
 さらに「喪失」がおかしい、ヘンである。
 普通は喪失ってのは、処女(童貞)喪失とか記憶喪失とか権威喪失とか気力喪失とかって、どんと心に響く属人的な状況に使うのである。
 電気なんて物理的なことには使わないもので、金銭喪失で貧乏とか、食料喪失で腹ペコとか、あなた、言いますか?
 ここは「電力遮断」なんでしょ。
 なお、本当の電源喪失とは、発電能力を失った福島第1原発がまさにそうである。いまや「強力核毒大型ゴミ」であるが。

2011/11/17

533毎度おなじみ横浜都計審批評

本日は横浜市都市計画審議が開催されたので、恒例の傍聴に行ってきた。
 そして、わたしがかつて委員になる前も、委員になってからも、委員を辞めてからもここに掲載してきた恒例の批評を書く。

●いい加減な制度の生産緑地
前回は8月だったが、そのときは市街地再開発事業の都市計画案件が議題だったので、これをどう審議するのだろうかと興味があった。
 その結果はこちらを参照→大丈夫か横浜都計審 
 今回は、あのいい加減すぎる都市計画制度「生産緑地」が案件だったので、これをどう審議するか興味があった。
 結論を先に言えば、なんの審議もせずに原案とおりに可決した。委員の発言がなかったのではないが、要するに制度の解説を事務局の役人に教えてもらっただけであった。
 議案の中身の当該地へいって現状を見たきたものは、ひとりもいないようだ。
 そもそも生産緑地の都市計画ほど、都市計画を馬鹿にした都市計画はない。都市計画というごとくに計画的に指定したり解除したりしているのではなく、地主農民の申し出の成り行きまかせで、それをたんに手続的に追認するだけのことであるようだ。
 わたしが委員だったときの一番のイライラはそのことであり、毎回の審議会の前に現地を見てきては問題点を指摘して改善を訴えた。
 そこに審議会はなぜ切り込んで審議をしないのか。
 2番目の議題の、鶴見区馬場4丁目特別緑地保全地区の案件についても、委員の発言は制度の解説を求めるものばかりで、とても審議とは言えない。

●地元商店街発案の地区計画
 3番目の地区計画は、神奈川区の大口商店街の地元から要望があって定めるという、珍しいものであった。
 既存の商店街がその振興のために、自ら街づくりに地区計画を持ち込もうとする、その意気込みを高く評価する。
 その内容はいろいろと地元参加の調整のうえのことだろうから、わたしがあれこれ言うことはない。委員の発言もそのあたりを心得ていたようで、商店街振興への提案的な内容もあった。
 わたしが気になったのは審議内容よりも、今回の傍聴者はわたし一人だけであったことだ。
 この議題のような地元からの発意で作られた地区計画ならば、これを都市計画審議会がどう評価するだろうかと、地元の人は気にならないのだろうか。わたしなら気になる。
 商店街の人が誰も傍聴に来ないということは、都計審のことを知らないか、知っていてもどうせ原案通り可決だからとバカにしてるのか、どうなのだろうか。
 ところでこの地区計画に至る経緯は、会議資料には大口まちづくり委員会が「横浜市長あてに要望書提出」と書いてある。
 これは都市計画法第16条第3項の地区計画等の申出制度によるものだろうか。それとも単なる要望だろうか、そのあたりを委員は聞いてほしかった。

●せっかく本質的な発言なのに
 第4の議題は、泉区の泉新橋榎橋地区の地区計画である。これは大口とちがって、郊外の新開発住宅地である。
 ここはただいま土地区画整理事業による開発が進行しており、これに地区計画をかけて、詳細な土地利用や建物の制限をする。
 わたしとしては、土地区画整理事業が先にあるのだから、その経緯や内容、事業者などについて聞き、それを踏まえて審議してほしかった。
 この議題で、本日はじめてといってもよい内容にかかわる意見が、市民委員から出された。
 それは、建物の隣地境界線から離す距離を60センチとしているが、自宅での経験的にもそれは狭すぎる、せめて80センチ以上にするべき、との意見である。
 わたしはこの数字のよしあしをここでは論じないが、地区計画の内容にかかわる審議すべき事柄である。
 原案についての事務局の考えは、民法の寸法によっているとして、という趣旨であった。(民法では50センチだよなあ)
 ところが、この市民委員の発言のしかたが、「本質にかかわることでないので恐縮ですが…」という、実に遠慮深いものいいであった。
 せっかく地区計画の内容の本質にかかわることで、これこそ委員らしい意見であるのに、これでは何か勘違いをされているようである。
 結局、それ以上に押して発言されることなく、審議会もこの意見について何の審議もしないで、無視されてしまったかたちで、原案通りに可決した。
 わたしなら、原案に反対の手を上げただろう。

●相変わらずだんまり市議委員
 今回の出席委員は16、欠席は9名で内学識者は4、市議が4、市民ひとり。
 市議員は、ひとりが特別緑地保全の議案でこの制度を批判するちょっとピントはずれに聞こえた発言をされたほかは、いつものとおり全員だんまり並び大名。
 なんにしても、都市計画勉強会とか都市計画質疑会じゃなくて、都市計画審議会として実質的な審議をしてほしいものである。
 なお、前回の議事録は、3ヶ月も後の本日になって、ようやく横浜市都市計画サイトに公開された。情報公開がおそいよ~。
●関連→あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている

2011/11/16

532横浜ご近所再開発6題

横浜のご近所のあちこちで、町の姿が変わってくる。それを追いつつ徘徊するのだ。
●参照→347ご近所再開発 http://datey.blogspot.com/2010/11/347.html

 横浜の伊勢佐木モールにあった、ちょっとクラシックなビルの松坂屋百貨店が取り壊されたのは208年のことだった。
 閉店の前にそのアールヌーボー的な内部意匠を見学した。
 それから工事弁の中でトンカチ工事が進んでいた。今日みると、工事囲いの上に新ビルが顔を出している。
 おや、なんだか昔見たような姿だ。どうやら元の建物の表の姿の一部をコピーして再現したらしい。
 でも、ちょっと縮んだかな、なんだか物足りないような。
 写真を撮って以前おと比べたら、やっぱりかなり省略してコピーしているのであった。まあ、その努力だけは認めましょう。
 といいつつも、馬車道の日動火災ほどの断固たるデザイン意図を持ったハイブリッドデザインでもないのが、ものたりない。


 伊勢崎町2丁目の角に先月末に巨大なパチンコ屋が開店した。ここには3階建ての防火建築帯であったと思しいビルがあった。ながらく空き地のままだったが、2年ほど前に工事が始まった。
●参照→365横浜ご近所再開発2011正月 http://datey.blogspot.com/2011/01/3652011.html
 1年足らずで3階建てくらいの建物がほとんどできた頃、どういうわけか取り壊しが始まった。その囲いのままにまた工事をしていて、ビルとしてはたいしたことない規模なのに、ずいぶん時間がかかった。
 伊勢佐木モールもだんだんと高級老舗店舗はなくなっていって、チェーン店がはびこり、そしてパチンコやゲーム屋などの風俗営業店舗が多くなりつつある。街の雰囲気がだんだんと落ち着きがなくなって、ハデハデになってきてる。


 これだけ地震騒ぎで分譲共同住宅はあぶないものなに、その建設はとまらない。山吹町に共同住宅がまたひとつできた。


 長者町2丁目角にガソリンスタンドがあったのが壊されて、ここにも分譲共同住宅が建つに違いないと見ていたら、なんと高齢者専用の施設ができあがった。
 介護センターとか、介護老人ホームとか、わたしが今後の用がある施設である。
 なるほど、こういう時代に対応する再開発が成り立つ時代である。分譲共同住宅でないのが、なかなかよろしい。
 
 富士見町で4年ほど前から建設していた共同住宅ビルが、地上2階床までコンクリートをうったところで、デベロッパーが倒産だとかで工事がとまったままになっていた。
 1年ほどブランクの後に、新たなディベロッパーが買ったらしく工事が再会した。
 つい先月に一応出来上がったようだ。販売パンフレットを見ると、ほとんどが1寝室、少し2寝室がある程度だ。投資屋向けかもしれない。
 これはわたしの家のある貸借共同住宅ビルの道を隔てたすぐ北側にあるから、日当たりはあまりよくない。

 山田町に小さな敷地に精一杯建てたペンシルビルができた。これは1寝室の単身者用の賃貸住宅らしい。完成から3ヶ月くらいたつが、見たところ入っているのは2、3戸程度か。これも、わたしの家のあるビルが邪魔で日陰だもんなあ。
●参照→297共同住宅ペンシルビルhttp://datey.blogspot.com/2010/07/297_29.html

2011/11/15

531地下便所の境界線

 地下鉄の便所で小便をしようとして気がついた。
 律儀にも道路と民地の境界線をタイルの壁に表示してある。
 この線の左だと道路で立小便、右でやるとどこかのお宅の庭で立小便。
 なぜここだけ表示してあるのだろうか。別々に管理しているのかしら。
 まあ、どうでもよろしいですが、書いてあると気になる。

 小便ついでに、もうひとつ。
 スイスのゴルナーグラードというマッタホルンが見える高原にある便所。
 小便しようと便器を見ると、蝿がとまっている。
 こんな高山でも蝿がいるのか、こいつをめがけて放水するのは、男の本能だ。でも一向に蝿のやつは気にしない。
 よく見れば絵である。
 ふむ、ひっかかったか、いや小便じゃなくて、わたしが。

2011/11/14

530酉の市とB級グルメクラシック

 横浜南区の真金町にある大鷲神社で、今日は今年の二の酉の市。
 この屋台がずらりと並ぶ祭りに風景を大好きである。これまでは夜に訪ねたが、今回は写真を撮りやすい昼に訪ねた。

 平日なのにもう混雑している。縁起物の熊手を売る露店では、手拍子の音が景気よく聞こえる。熊手が売れたらその場でシャンシャンと打つ。
 熊手は、小さなものはストラップの飾り物から、大きいのは両手を広げるくらいのものまである。値段が書いてないが、何十万円もするのだろう。縁起物だから、買う人は買う。

 熊での飾りをしげしげと見る。お多福の面、小判、米俵、鯛、宝船、末広がり扇、鶴亀などなど、日本の古典的な富の姿をモロに飾りつけているのが、欲望丸出しで面白い。
 サイケデリックデザインというかキッチュという他はない。現代アートかもしれないとさえ見えてくる。

 露店が並ぶ中を歩く。見ているだけだが楽しい、そのサイケデリックなようで、統一感がるようで、ばらばらなような露店デザインが面白い。これも現代アート並みに不思議な光景である。

 露店で売っているものは、縁起物のダルマや招き猫もあるし、射的、スマートボール、金魚すくいなどの古典的ゲーム、お子様向けのお面は時代のヒーローを現し、そして元祖B級グルメとでも言うべきさまざまな食べ物飲み物がならぶ。

 クラシックないか焼き、焼き鳥はもちろんだが、トルコ発祥のシュシカバブが露店の地位を占めたのが面白い。
 露店で売る食い物の時代的変化を追うと、なかなか面白そうだ。
 最近。B-1グランプリなんていうB級グルメの全国大会があるそうだが、この露店の繁盛の様子こそB級クラシックレースとでも言うべきか。ただしこれは全国区のB級グルメであるところがB-1とは違う。
 富士宮焼きそばとか白コロホルモンの露店が出ているのだが、これってB-1グランプリでまさにグランプリをとったB級グルメだったから、こうやって全国区になったのだろうか。

●関連→060横浜ご近所探検・酉の市

2011/11/13

529除染、滅染、移染

昨日と一昨日に「福島会議」が福島大学で開催、わたしは行けないがネット中継を少し見た。
 放射能に関して専門家がチェルノブイリの現状に関して調査したことを語っったあとで、質問や意見があったなかでの会場の女性からの発言。

 その人は地元の方らしいが、放射性物質の除去に熱心に取り組んで活動しているそうだ。
 その除染の方法は、汚染地にEM菌を撒くのだそうだ。
 そうすると放射能がぐんと下がるので、あちこちでやっているが、公的機関でも積極的にやれ、みたいなことをおっしゃった。

 え、そうなの、初めて聞いた。EM菌てのは多様な微生物によって土壌とか水質の浄化をするのに使うとかって、聞いたことはある。
 だが、微生物が放射線を浄化するというか、半減期を短縮するって、そういうことが本当にあるのかしら。
 ネットで調べると、賛否両論があてなんだか分からない。
 わたしは放射線物質のことはなんにも知らないが、なんだか信じがたい。
 
 現地のその会議に出席している知人に、FACEBOOK経由で聞いてみた。
「EM菌で除染できるって、真剣に発言したおばさんがおられましたが、本当ですか? 核の毒を菌が食うんですか?不思議」

 知人の返事。
「その方、私の斜め前に座っていた女性ですね。真剣そうでしたよ。でも現場の住民はわらをつかむ思いなので、その後もみんなで話を聴いてあげました。
 本日(昨日)の高畑さんの放射能分科会の最大の話題でしたが、EMにせよなんにせよ放射性物質の「無害化」ではなく「移動」にしかすぎない、ということをなかなか理解してもらえず苦労していました。
 でも、各分野の専門家とよばれるような人たちでもわからないことだらけなので、ましてや被災した一般市民が、不正確な情報による俗説に振り回されるのは、やむをえないことと思います。
 正しい知識・情報を共有することは最重要課題なのですが、同時に現場(追い詰められた現地住民)の感情に配慮した情報の「伝え方」にも、もっと工夫が必要だと感じました」

 なるほど、現地に入った人だからこそ、実体験として現地の人たちの感情が身に染みて分かるからこそう、そう言えることですね
 おぼれるものの藁かもしれないが、つかむ藁がそこにあることで、次に流れてくる浮き輪をつかむ手だてになるってことを、支援なさる現場の人たちは知っているのですね。

 それにしても、除染は単に移染に過ぎなくて、決して減染でもまっしてや滅染でもないってことが、実に重要なポイントである。
 これまでは除染とは、物理的な汚染は水に流すし、生物的あるいは化学的な汚染は煮沸や薬によって完了するものだった。
 水俣病や四日市公害の除染も、時間はかかっても、基本的にはそうであった。
 ところが核毒はまったく次元が異なるものだから、なんとも理解するのが困難である。
 人間に「三尺流れて水清し」の時代があったことが、いまや夢みたいである。

2011/11/11

528わからんオリンポス事件

ギリシャ発祥の経済問題が日本のカメラ会社にも飛び火した(らしい)。だって会社名がオリンポスなんだから。
 損失隠しとか飛ばしとか投資家に迷惑かけるとか、その世界のことはぜんぜん、なにを言ってるのかサッパリ分からん。
 ひそか処理して、誰も損してなかったか、あるいは損しても誰も知らなかったとすれば、20年もナントカやってきたんだし、会社そのものは今も経営がうまく行ってるんだから、これはもう損はなかったことになるはずでしょ。
 それを今頃になってなに言ってんのよ!

 だって、その昔も損失を隠してたから配当があって、投資屋(なんで投資ってえらそうにいうんだろう)たちは、大もうけしたんでしょ。
 今になって、当時の損失をひそかに処理したってのがバレて、株価が下落して損したって騒ぐなら、その昔に損失がありながら配当を受けたお金を返すのかしら。
 もらうものはもらった、損失は損失ってけしからんて、それはリスクを負ってやる投資屋の言うべき言葉じゃないような気がする。

 ガイジン社長が暴露しなきゃ、そのままで平和だったんでしょ。
 と、株はしかしらないわたしは思うのである。

 オリンポスの株価は、ばれる前の5分の1になったそうだ。
 唯一知ってる株価がある。T&DHDという保険屋である。
 20年以上前だったかに、相互会社から株式会社に変更して、加入者だったわたしの会社が自動的に株券を受け取ったことがある。200株だったか。
 その頃のこの株価は8000円くらいだった。
 それが今はナンと今日見ると700円である。10分の1以下!
 なんでこんなになっているかサッパリ分からない。オリンポスよりもひどいが、似たような事件があったのかしら。

2011/11/10

527空に浮く生活・地に這う暮し

 晩秋の東京散歩である。東京駅から八重洲通りを歩き出して、中央大橋を渡った。
 この橋を渡ると20世紀末のバブル景気の産物「大川端リバーシティ」である。そのすぐ隣に細い運河を隔てて、佃煮の名前の発祥地・佃島である。
 前者が日本のバブル景気の超高層住宅群、後者が江戸から続く漁師町の密集木造住宅群である。
 どちらの土地も、隅田川の河口の島として江戸時代にあった。
 そのあまりに近くにありながら、あまりに異なる風景が対照的で面白い。
 それだけに、東京の都市問題を考えさせられる。

「大川端リバーシティ21」のある土地は、江戸時代の人足寄場の「石川島」であり、19世紀半ばから石川島播磨重工業(現・IHI)の造船所となり、戦艦をたくさん製造した。
 造船所が景気が悪くなって土地を売り、1985年ごろから大川端リバーシティの名で再開発をはじめて、2000年までに8棟の超高層集合住宅ビルが建った。約3800戸が住んでいるらしい。

 大川端を広辞苑で見ると、「隅田川の吾妻橋(大川橋)より下流の右岸一帯、特に両国橋から新大橋辺までの称」とある。とすれば、大川端リバーシティは位置的に新大橋の下流の左岸にあるから、これは詐称である。時代が変われば、湘南みたいに拡大するのであろう。

 公開空地に入ってみれば、ここは日本かしらと思うような風景である。
 日本かしらと思うのもおかしいが、要するに街として造っているんだぞって、そういうデザイナーというか開発者の意気込みが、ここもかしこもみえみえで、新聞折込のマンション広告パンフの写真みたいな風景である。
 そう、きれいなんだが、なんだか押し付けがましさ感がうっとうしいのである。公開空地の庭のあちこちに、入るとか登るなとか注意書きがあるのも気に食わない。

 見上げる空に超高層住宅が夕日に輝いている。はて、天空のあそこに人の暮らしがあるんだろうか、どんな人が暮らすのかなあと思う。
 あんな高いところに住み着くと、地上に降りるのに一仕事と思うような気がする。
 7階に住んでいる私でさえもそう思うのだから、まして30階もの超高層建築の上のほうでは、いくら超スピードエレベータがあっても、心理的な隔絶感があるにちがいない。

 リバーシティと隣の佃島との間には細い運河があって、昔からの形で隔てられている。
 島の西の隅田川から運河は入り込んで、住吉神社を角にして南に曲がると舟溜まりである。島の南にあった運河は佃大橋がかかって埋め立てになったから、佃島は今は3方が水である。

 佃島からリバーシティを眺めると、どこでも写真になる。その対比が「いかにも」の風景になるのである。わたしは15年ぶりくらいにきたのだが、その風景はほとんど変化がなかったのは、佃島は再開発されていないのである。

 佃島は昔の漁師町の町割りを今も継続して使っているから、大川端の大ブロック・超高層建築・広場のある西欧型近代都市計画とはまったく逆の、零細敷地・木造2階建て・路地という構成である。
 しかし、公共施設の道路や公園あるいは運河については、それなりにこざっぱりときれいに修景をしているから、清潔である。
 そして路地には生活観があふれている。リバーシティは開放的な都会の生活があるとすれば、ここには息ぐるしいほどの緊密な暮らしがある。
 小公園で大勢の子どもが声高に遊んでいるのが、下町らしい。リバーシティでは池の中(入ってはいけないと注意書き)で魚取りしていた子ども二人を見ただけだった。

 リバーシティではちょっと歩くと、まあこんなもんだろうと、見て歩く興味を失ったが、佃島ではあちこちの路地を抜け、神社境内に入り、運河を渡り、舟溜まりを覗き込み、川向こうの超高層建築群を見上げ、まことに興味がつきないのであった。
 ここには地に付いた暮らしがある。
 地についた仕事としての佃煮は、いまはどうなのか知らないが、「竹安」なる店で昆布・貝ひも・浅利の3種類各100グラム、金1820円を買い求めた。

 佃島からはずれて、夕暮れの月島商店街へと入れば、もんじゃ焼き観光街の様相はますます著しい。下町の近隣商店街の変貌は驚くばかりである。
 表通りは集合住宅ビルもいくつも建っていて佃島とはちがうが、裏に入ると佃島と同じような姿の路地の町である。

 商店街を通して勝どき方面を見れば、大きな超高層建築群が見える。
 20年ほど前に、東京都から依頼で、勝どき交差点角の再開発構想計画をしたときにはじめてきて、それからもういちど10年ほど前にきたことがあるが、こんなに超高層建築はなかった。
 ずいぶん変わったものだ。(2011.11.01)

2011/11/09

526【ふるさと高梁盆地】昔よりも短くなった方谷橋

 高梁盆地の高梁川には、現在は2本の橋が架かって、東西の町を結んでいる。
 下流側の「高梁大橋」は1972年に架けた、現代のありふれた鋼製の桁橋である。
上流側の「方谷橋」は、上に鉄骨アーチをもっていて特徴ある形態だ。これは1934年の水害の後、1937年に架けている。
 上のアーチから、下の路盤面を支える直線の鉄骨主桁を吊っている形式である。
 でもよく見ると、路盤側の主桁もかなり立派なものだから、アーチと直線の桁とでつくる半月形の構造体で、これをランガー形式というらしい。



 土木学会のサイトで図面を見ると、半月の弦の長さは56メートルである。
 アーチの両端部を、それぞれ橋脚が支えている。それに加えて路盤を支える主桁が、アーチの両端から4.4メートルはねだし形式(カンチレバー)でもちだして、それは皿という字の上を丸く描いた形である。土木の専門語で「下路カンチレバー状ランガー」形式というそうだ。
 その皿の下の一文字の先に別の桁が架かっていて、両岸と結んでいる。橋の総長さは99.9メートルだが、竣工時の図面では110.7メートルとなっている。


 
 方谷橋が竣工したときの1937年に写した記念写真がある。今の方谷橋と比べて見る。
 大きな違いはふたつある。ひとつはアーチの先の東側の桁が西側のそれと比べて、10メートルほど短くなっていることだ。
 橋の主桁についている工事銘盤に1972年3月とあるから、このときに東側の桁を短縮左右のバランスが崩れた。

 ということは、その年に川の東岸にある国道を10mほど拡幅したことになる。その拡幅分の川幅が狭くなるから、それまでどおりに流水量を確保するためには堤防を高くする必要があったのだろう。
 いまでは堤防の道からの立ち上がりが2メートルくらいは高くなって、 街から川は見えなくなってしまっている。昔はそれが1メートルくらいだった。
 川岸の国道は広く、堤防は高く、川と街は切り離されたようだ。

 もうひとつの違いは、かつてあったおしゃれな高欄親柱が、今はなくなっていることである。橋には欄干などで構成する高欄がどこでもある。その一番端っこには大きな柱を立てるが、これ親柱という。親柱は橋の玄関の門のような役割をする。
  関東大震災の後で多くの鉄の橋がかけられ、そこには都市の風景としてのデザインが加えられるようになってきた。
 方谷橋ができるころは、日本の橋のデザインもセンスがよくなってきたが、その片鱗を方谷橋でも見ることができる。

 ここでは当時の流行のひとつである表現派風の曲線が見えていて、アーチの曲線と共におしゃれなモダン風景である。
 それは両岸側共にあったのだが、今はどちらにもない。いつ頃なくなったのであろうか。無愛想なコンクリの塊に橋名板があるだけだ。
 高いコンクリ塀となった堤防を土塀コピーするのも、まあ、よろしいが、国道拡幅でなくした親柱を復元してはいかがか。

●全文は→ふるさとの川と橋
●関連→高梁の風景論集

2011/11/08

525新聞の話題ふたつ

 プロ野球に何の興味もないが、モガベーとかモベガーとかDeDTとか言う会社が、横浜のプロ野球を買収すると、新聞の社会面にあるのを読んだ。
 どうぞご勝手に。でもモゲバー・ベイズダーズなんて、語感が悪いよなあ。
 ネットでモガベーを検索すると、結構たくさん出てくる。
     ◆
 オリンポスなる会社が、なんだか変なことしたって、投資屋に申し訳ないとか言ってる。
 ガイジン社長が社内告発したら、逆にクビになっちゃって、イギリスに逃げて遠吠えしたら、マスメディアが喜んで食らいついたらしい。
 まあ、こちとらは投資なんて関係ないから、どうぞご勝手に。
 でも、外人が騒がなきゃそのまま臭いものにふたして、会社も社員も無事だったのになあ、余計なことしてくれたよなあ、って、そう思います。
 日本では納豆やなれ寿司のように、臭いものにふたをしておくとそのうちに発酵して美味になるってことを、ガイジンは知らないからなあ。
 で、これもオリンポスだから、ギリシャ発祥の騒ぎのひとつなんだろうなあ。

2011/11/07

524老婆の橋、少年の橋梁

 東京駅前から八重洲通りを八丁堀まで歩いて隅田川に出ようとしたら、その前の支流の亀島川に、なにやら鉄骨トラスの橋が見える。いまどき珍しい。
 近寄ってみると橋の入り口に門型が組んであって、「南高橋」なる銘盤が掲げてある。これはまあ、明治の頃にはやった形である。

 橋詰広場に案内板があり、隅田川に架かっていた両国橋(1904年竣工)の一部を、1931年にもってきて再利用して架けたとある。つまり震災復興の橋である
 震災復興で両国橋は新品に架け替えたが、ここには新規架橋なのにお下がりを頂戴して架けたというのである。おかげで、今も珍しい形を見ることができる。

 両国橋は最初は1660年に木橋が架かり、その後なんども流れたり焼けたりして架け替えがあった。1897年の川開き花火の見物客が大勢乗りすぎて崩落して死傷者を出したので1904年に鉄橋に架け替えた。

 橋に入る門型のデザインが、なんだか古写真で見た懐かしいというか珍しく眺めたのであった。
 亀島川よりも隅田川の方が広いから、3つあったトラスのうちの中央の一つを持ってきたとあるから、それに両端の門型装飾ををくっつけたけたのであろう。トラスにつける門型は、昔の吾妻橋の絵にもある。

 現代の鉄の橋はたいていは道の下に単純な梁が架かっていて、単なる道路の一部に過ぎないが、こういうトラス橋だと、さあ、向こう岸の別世界に潜り抜けて渡るぞって、そんな特別の気分になる。
 橋とは元来そういう役割を持っていたのだ。橋は民俗学的に面白いのだが、その話をするときりがない
 それにしても100歳を超える橋とは、品のよい銀髪の老婆に出会ったようだ。

 横浜にもこのような古いトラス橋がある。中村川にかかる「浦舟水道橋」で、水道管と歩行者を渡らせている。
 この橋も南高橋のように、他にあったものを持ってきたと銘盤に書いてある。それがなんとここに来る前にも一度引越しをしていて、最初の創建時は1893年とあるから、両国橋よりも古い。

 この橋の上には高速道路の高架橋があり、橋の下の橋となっていて、ちょっと気の毒な風景である。昔から橋の下は家なし乞食がいて、今はホームレスがいるところ、この橋もさまよってここに居を見つけたか。
 それでも真っ赤になって気張っているのが、老婆というよりもこちらは少女のようで、可愛らしい。


 横浜には桜木町に「汽車道」という歩行者専用の道が海のなかを通っているが、ここにトラス橋がある。1907年に臨港鉄道の橋として架かったものだそうだ。
 今はレクリエーションの道として、人だけが通るのだが、歩行面にしいた板の間にレールを見えるように残している。

 トラス橋は古いものばかりではなくて、東京品川区の天王洲には1996年に架かった、新しいトラス橋もある。これも人道橋である。
 これは天王洲再開発における新規プロジェクトのひとつであり、運河沿いの散歩道で島をつなげるのに、ちょっと面白くしようと、わざわざレトロデザインをしたのだと、ここの開発コンサルタントから聞いた。
 遊び心のレトロデザインはよいとしても、その名が「天王洲ふれあい橋」とは、味気ない。
 
 話を戻して、南高橋を渡って川沿いに歩き、隅田川にかかる「中央大橋」を大川端リバーシティへと渡る。
 こちらも1993年にできた新しい橋のごとく、名前は味気ない。
 超モダンな斜張橋の中央大橋は、主塔がたくさんのロープを引っ張って、そばの超高層ビルに負けないようにピンと突っ立っている。
 おしゃれを気取る不良少年のようで、先ほど渡った銀髪老婆の南高橋とは対照的である。(2011.11.01)

2011/11/06

523いびきをかくコンピューター

 この10日ばかり前から、机の上のPCがときどきイビキをかく。人間の寝息とちょうど同じ間隔で、グーッ、グーッと気持ちよさそうである。
 はじめは隣の部屋の連れ合いのイビキか、壁を隔てて聞こえるようでは大変、脳梗塞でダウンしたかと見れば、なんだ、居間でテレビを見ている。

 数年前にこのPCが妙にやかましくなったことがある。イビキではなくて鼻息荒いのであったが、しばらくしたらPCそのものが壊れた。
 中にホコリが溜まってファンが回らなくなったのが原因だった。ハードディスクを取り替えた。

 それから5年、今回はいびき程度だがよく起こるので、また壊れる前兆かと怪しみ、今日はふたを開けて、ファンの掃除にかかった。
 なるほど、ふたつのファンにはホコリがいっぱいついている。こんなにホコリをどこから吸い込んだのだろうかと思えど、わが書斎からであるに違いない。
 綿棒でぬぐい、掃除機でていねいに吸い取る。
 そして起動すれば、今のところイビキかかずに起きて働いている様子である。

 一度ハードディスクを換えたとはいえ、もう8年とはPCとしては十分に働いたXPであるが、持ち主と同様に、老いてももうちょっとがんばってほしい。
 XPのあとにVistaそして7とちがうやつが出てきているが、さてこいつが壊れたら次はどうするかなあ。

 XPの前にMeてのを買ったら、すぐにXPが出てきてMeはママコ扱いになってしまったことがある。Vistaもどうもそんな気配である。
 次はいっそのことMACにするかなあ、最初に買ったのがそうだったから、老いては昔に戻るのである。
 ただし問題は、慣れるまでに面倒だよなあ、でも、ボケ防止になるかもなあ。

2011/11/05

522紙ヒコーキ超高層

 丸の内の東京駅の斜め前では、中央郵便局舎の建て替え工事が進み、下半身の旧ファ
ザード一部保全工事部分はまだ梱包の中だが、上空にガラスのタワーが全部見えてきた。
おお、やっぱり、どうみても紙ヒコーキだよな、これは。あのガラス壁の折れ曲がりは、懐かしい折り紙だよ。

 ほぼできあがったガラスのタワーを横から見たら、ガラス面は一枚の折紙のように、ビル表面に浮いてくっつくディテールである。
 まさに巨大折り紙ヒコーキそのものである。

 去年、この再開発プロジェクトの完成予想図が公表されたのを見て、はて、これはデザインソースは紙ヒコーキだよなあ、そう思ったのだが、現実にそうなっているのだ。
 デザインを担当したという建築家ヘルムート・ヤーンはアメリカ人だが、これもよくあるガイジンが抱く日本イメージのひとつなんだろうなあ。

 そして、アッと気がついたのは、これはまさに9.11のパロディだぞ、ってことだった。そう気がついてすぐにこんなことをわたしのサイトに書いた。
「その絵をしげしげと見ていて、はっと気がついたのだが、この上部構造の超高層建築のデザインは、折り紙飛行機なのである。
 ガラス板で折ったヒコーキは今、下部構造たる中央郵便局舎に突っ込んできて、まっさかさまにブスリと突き刺さったのだ。
 次の瞬間、、、なにもおこりはしないが、ある幻惑にかられるのだ。超高層部は立ち上がっているのではなく、天から舞い降り突入してきたのだ。
 21世紀幕開けの年にニューヨークで起こったあの9.11事件、これはそのパロディにちがいない。
 かの地の業務中枢のマンハッタンとこの地の丸の内、最高に高いWTCとJPタワー、そしてガラスに託したヒコーキのメタファー、これはパロディであるかもしれないが、むしろ真正面からの文明批評と言わねばなるまい。」
全文は→東京中央郵便局舎の改築と建築保存の諸問題
http://homepage2.nifty.com/datey/tyuyu0807.htm

 これは建築デザインによる文明批評に違いない。
 USAではそんなパロディは袋叩きだろうが、遠い日本ならパロディでもよいだろう、はたしてパロディと気がつくかどうかが問題だが、とまあ、こんなふうにへルムート・ヤーンが考えたかどうか、もちろん知らない。
 でもモダンアートは見るほうの心が決めることだから、ありうるのだ。

 ところで、下半身のほうは梱包が解けたら、どう見えてくるだろうか楽しみである。
 そのモダニズムデザインは、俗受けしないから東京駅ほどには保存運動は盛り上がらなかった。
 当時の鳩山総務大臣(元総理大臣の弟)が口出しして、マスメディアが面白がった事件があった。ちょっとだけ盛り上がったが、結局は駅前広場に面する2スパン分の保全が決まった。
 免震構造にするとかで、面倒な工事をしているらしい。

 東京駅丸の内駅前広場を囲む建築は、三菱ビル・丸ビル・新丸ビル・オアゾは21世紀の新築だが、日本工業倶楽部会館は1920年と2003年の重層で完成、そして東京駅が1904年と2012年、中央郵便局が1931年と2012年のそれぞれ重層となってできあがるのである。
 建築における歴史の重層的表現を、これからどのように評価するか、楽しみである。

 と同時に、東京駅赤レンガ駅舎といい、三菱1号館美術館といい、大金をかけて昔の建築をコピー再現する見世物小屋をつくるという、奇妙な退廃的爛熟気味の時代の面白さも楽しみである。(2011.11.01)


●関連→丸の内貼り混ぜ屏風の世界
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/tokyostmitubisi1go

2011/11/04

521見世物建築ちょい顔見世

 東京駅と丸の内は、何十年ものわたしの定点観測地点である。
 今の赤レンガの東京駅舎は、クリストのアートのごとくに布で梱包されていて、復原という名目をつけて、歴史的風景の破壊工事中である。
来年半ばには完成らしいが、先日(2011年11月1日)一部の梱包がとりはらわれていて、コピー再現した建物の部分がちょこちょこと見える。

 中央郵便局寄りの角の尖塔のあたりが下から上まで見える。尖塔の頭の辺りはあんな形であったのか。
 図面でのイメージと違うと思ったのは、なんだか丸髷が椀をかぶったような鈍重さである。

 修復された壁や窓まわりのレンガや石の装飾をよく見ると、汚れたところときれいなところが混じっている。既存材と新規補填材との区別がつくようにしたらしい。

文化財の修理の考え方も、昔はできるだけ新旧がわからないように、わざわざ新材を古びさせる工夫をしたものだが、現代はその逆となったらしい。それは歴史の重層を表現して、まことによろしいことである。

 梱包の上の方から、丸いドームの頭が出ている。なんだか思っていたよりも全体に小さい。壁部分が赤色でなくて茶色であるのは、あそこは赤レンガではなかったのだろうか。
 丸い頭に細い避雷針のような尖塔が立つ形は、19世紀プロイセンの軍隊がかぶった鶴嘴鉄兜(ピッケルハウベ)を連想させる。

 工事囲塀に工事の内容と出来上がりの絵などが展示してある。そこに今回の修復前(1947年)と修復後(2012年)の比較の立面図が書いてある。
 立ち止まってしげしげと見ていて、ドームが小さく見えた理由がわかった。実際に小さくなったのであった。半分以下の大きさになっている。
 そうか戦災で焼ける前は、そうだったのか。

 そして思うのは、あの物資の極端にない敗戦直後のときに、簡単な屋根でも雨をしのぐことができたろうに、よくまあ鉄道省の建築家たちはがんばってこんな大きなドーム屋根を作ったものだ、ということである。
 ついでに言えば、ドームの天井内装も、ローマのパンテオンのモダナイズであるのも、なかなかすごいことだ。あの壮大な天井も消えるのであろうか、もったいない。

 大きなドームも壮麗な天井も、あれは戦後の仮設に過ぎないから、昔に戻すのだというのが復原の論理らしいがが、どうしてどうして、あれが仮設であるはずがない。
 だからこそ66年も保ち続けて、創建時の姿よりも長生きをしたのだ。

 そしてまたふたつの図を見比べつつ思ったのは、どちらかといえば、戦後修復デザインの方が、辰野金吾のオリジナルよりもメリハリがきいていて、プロポーションもよいということである。
 辰野デザインはただただ長く横たわり、尖塔やドームでメリハリつけようとするのだが、全体に鈍重である。辰野の設計の建物は、どれも西欧様式ディテールのアプライは得意だが、総じて建築デザインとしては鈍重である。

 国鉄の建築家(課長・伊藤滋)が戦災復興のために手がけた修復デザインは、台形ドームを載せるという近代建築の手法を様式建築にアプライして、非凡な腕を見せている。
 みればみるほど、日本の不幸な戦争とそこからの力強い復興の姿を、これほど如実に表現していた証人たる建築が、復原という美名に聞こえる宣伝の仕業で消え去ろうとしているのが、残念でならない。

東京駅丸の内側から八重洲側に移り、東京駅を背にして八重洲通りをまっすぐに歩く。

 銀座通りとの交差点でふりかえって見ると、道の真正面が真っ黒な新丸ビルである。丸の内の行幸道路とは一直線でなくて軸が曲がるので、こうなるのである。

 新丸ビルがこんな風に見えるのなら、都市景観としてはこんな中途半端な形態ではなくて、もっと正面性を持たせるデザインであった方がよかった。(2011.11.01)

*参照→東京駅復原反対論
http://homepage2.nifty.com/datey/tokyo-st/index.htm

2011/11/03

520鎌倉世界遺産登録推進第ワークショップ

毎年開いている鎌倉ワークショップへのお誘いです。
      
●鎌倉世界遺産登録推進第5回ワークショップ

【テーマ】『住んでよく、訪れてよい鎌倉のまちづくり』
「武家の古都・鎌倉」は日本の世界文化遺産としての登録を
ユネスコへ推薦されることになりました。
登録後を見すえた「歴史を活かすまちづくり」について、
みんなで語りあいましょう。
・主催 鎌倉世界遺産登録推進協議会
   http://www.shonan-it.org/KWH-kyogikai/
・共催 鎌倉の世界遺産登録をめざす市民の会

【ワークショップの進め方】
①下記のテーマごとのグループに分かれて自由に意見交換
Aグループ
  
交通問題:交通混雑への対策、望ましい回遊空間の整備
Bグループ
  
情報センター:世界遺産情報の発信とその内容、保護、管理
Cグループ
  
まちの姿:鎌倉の多様な空間要望に応える都市空間の整備
②意見や提案を付箋に記入、多様な考え方を一覧しながらグループごとにまとめる。
 意見や提案は必ずしも一つにまとまる必要はありません。
③中間で進行状況を発表、ゲストや運営側の感想や意見を聞く。
 さらに、グループとしての意見をまとめて発表。
*提案の成果は、事務局でできるだけ早くまとめて公表します。

【日時】平成23年11月27日(日)13:30~16:30<13:15開場>

【場所】鎌倉市役所・第三分庁舎講堂(鎌倉駅西口徒歩5分)

【参加料】無料

【申込締切】平成23年11月18日(金)必着
   先着50名様…結果は全員に通知いたします

【申込み先】
 〒248-8686(住所は省略できます)
 鎌倉市役所 鎌倉世界遺産登録推進協議会「11/27ワークショップ係」
 電話:0467(61)3849
 FAX:0467(23)1085 
 E-mail:sekaiisan@city.kamakura.kanagawa.jp

【申込方法】
 下記必要事項を記入、FAX・Eメール・はがき、
 いずれかでお申込みください。

=====参加申し込み=======
11月27日第5回ワークショップ参加申込書
・氏名(ふりがな)
・住所 〒
・性別   男性 女性(○をつけてください)
・電話番号
・FAX番号
・Eメールアドレス
・参加希望するグループ(○をつけてください)
  第一希望  A交通問題 B情報センタ Cまちの姿
  第二希望  A交通問題 B情報センタ Cまちの姿
  第三希望  A交通問題 B情報センタ Cまちの姿
・ご意見や話題にしたいテーマなど自由にお書きください。




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このブログの関連ページ→210鎌倉の世界遺産

2011/11/02

519価格ゼロ円の原発被災土地

 原発被災土地の地価がどうなるのか気にしていたら、こんな新聞記事が出た。
「国税庁は1日、相続税や贈与税の算定基準となる2011年分(1月1日時点)の路線価に、東日本大震災直後の地価下落を反映させる調整率(倍率)を発表した。(中略)第一原発周辺の警戒区域と計画的避難区域、緊急時避難準備区域(9月30日解除)については、放射性物質などの影響を算定できないとして、調整率の設定を見送り、税務申告の際、路線価の欄に「0円」と記せるようにした。国税庁は「土地の価値を0円と判断したわけではない」としている」(読売新聞2011年11月1日夕刊)

 路線価は税制上の値で、国税庁が「土地の価値を0円と判断したわけではない」と言っても、現実の土地取引価格に影響するのは常識である。
 地震津波被災では対応する調整率を示したが、原発被災地では示すことが不可能としてはいるが、実態は価格ゼロを不動産業界では意味するだろう。
 地震津波は天災だから、天災の影響を受けやすい土地の価格が低くなるのは、取引上ではあたりまえ。
 だが、原発事故被害は天災ではなくて人災である。

 これまでも人災による被害はあってもそのまま土地価格下落に影響することは、ないことはないだろうが、ほとんど一過性だっただろうと思う。
 原発の場合は、人災ながらもその影響の深刻さ、時間の長さ、範囲の広さがはなはだしいから、土地価格へも大きな影響が長期に響く。
 その公的な認知が、原発被災地の路線価対応でようやく始まったといえる。
 さて、その土地価格ゼロ円になった財産下落について、その原因者の東電はどう補償するのだろうか。
 いま行いつつある被害補償に、この項目もあるるのだろうか。多分、ないだろう。核毒の濃度、除染の具合、元に戻る期間など、算定条件があまりにも難しい。
 だからといってこの財産侵害を等閑視しておいてよいことでもない。

 そのいっぽうで、こんなことも考えるのだ。
 これは8月22日にこのブログに書いた記事21世紀の「谷中村」は「核毒の森http://datey.blogspot.com/2011/08/47921.htmlであるが一部再掲する。
『「菅政権は、東京電力福島第一原発の周辺で放射線量が高い地域の住民に対し、居住を長期間禁止するとともに、その地域の土地を借り上げる方向で検討に入った。(朝日新聞8月21日朝刊)」
 わたしでさえ予想していたのだから、その筋の業界のかたがたは、現地地権者との折衝に、すでに動いていらっしゃるかもしれない。
 こうなったら、政府は土地建物立木等権利移動凍結・価格凍結の施策を今すぐにでも打つべきである。
 もたもた遅れている間に、妙なことをする人々が介入してきて権利移動・価格高騰が起きると、結局は住民にも国民にも迷惑がかかることになる』

 つまり、住民がもう戻れないと見られる土地、つまり路線価ゼロ円の土地を、いまのうちに所有者から買い叩いて買占め、いずれ政府なり自治体なりに高額に貸したり売りつけようって、そういうアウトローなことが起きるのではあるまいかって、ことである。
 わたしの杞憂であれば幸いである。

(追記111103)
 相続税が減額されるってことは、国の税収が減るってことである。
 その原発によっての減額に関しては、その原因者の東電が、原発事故がなかったなら徴収できるとみなした差額の税金を、国に補填をするべきである。
 でないと関係のない沖縄の人までも被災することになる。
 同様に、固定資産税も減額になるだろうし、その他、土地取引にかかる諸税、事業所がなくなるに伴う諸税など、もろもろの減少についても同様である。

2011/11/01

518天日干し自作新米がやってきた

 さあ、今夜は自作のうまい米の飯だあ!
 中越の法末から新米コシヒカリが、先ほど届いた。
 わたしもメンバーの「法末棚田クラブ」の仲間たちで作ったものである。
 今回で6回目の収穫である。
 わたしは今年は、田植えと稲刈りの2回だけの参加だったが、実態は、会費さえ払えば、それだけで米ができるものではない。
 田植えの前の準備、田植えしてから水の管理と草取り、ハサつくり、稲刈り、天日干し、そして脱穀、精米、袋つめ、発送などなど、たくさんの仕事がある。
 指導してくださる地元の田の持ち主、ちょっと現地にはまって稲作をがんばってくれる仲間たちがいるからこそ、うまい飯に到達できる。感謝。
●参照→中越山村の四季