2010/03/13

249【父の十五年戦争】父と叔父の戦場

 十五年戦争中に、父親が3回延べ7年半の兵役についた記録をまとめた。
 満州事変での父の激戦地である中国河北省「界嶺口」、太平洋戦争で叔父が戦死したフィリピンマニラ東方の山地が、いったいどこであるのかインターネットのgoogle earthで探してみた。
 正確な地名が分からないし、山の中の辺境もいいところだから、探し当てるのはかなり苦労したが、あれこれやっているうちに両方とも見つけた。
 1933年、22歳の父が最前線に出て銃弾をかいくぐった「界嶺口」は、河北省北部の万里の長城の関所だったみたいな村であるらしい。
 なるほどよくみると万里の長城が、峰を伝ってえんえんと延びているのがgoogle earth画像に見える。それをどんどん伝っていくときりも無い。まったくもって人間がつくった最大のものといわれることが分かる。
 今の山村風景からは想像できない戦場であったのだ。
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 1945年、31歳の叔父の終焉の地は、「千秋山」と生き残った部隊長の戦記には書かれているのだが、これは日本軍が勝手につけた名だから検索しようがない。
 モンタルバン、ワワダム、マリキナという地名が出てくるので、これでまず検索したら日本からの観光旅行の記事が出てきた。
 戦場であったことを知らないでいた人もいれば、慰霊に訪問した遺族の記事もある。ただし、そのままではgoole earth検索のキイワードにならないので、適当にローマ字を当てて何度も検索をくり返し、地形をたどっていたら遂にあたった。
 ここはダムがあって、今はマニラ郊外の観光地だそうだ。
 現地に行かなくてもこんなことが分かるのだ。goole earthはほんとにすごい。こんなことができる時代にわが人生が間に合ってよかった。
 そうそう、グーグルストリートで、わたしの生家の神社が出てきたのには驚いた。

父の15年戦争

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