2010/12/26

362有楽町西武閉店

 有楽町西武百貨店が閉店したそうだ。西武のWEBサイトに閉店挨拶がある。
「永きにわたり地域の皆さまにご愛顧、ご支援いただいてまいりました西武有楽町店は本日12月25日(土)をもちまして営業を終了のうえ、閉店させていただきました(以下略)」
 おいおい、させていただきましたって言い方はないでしょ。それじゃあ、客が閉店しろって言ったから閉店したって聞こえますよ。
 まあ、つい本音が出たのかもなあ、客がちっとも来ないから閉店したんだよ、そういいたかったのでしょうね、ごもっともなことで。
    ◆
 有楽町西武の入っているマリオンビルができたのが1984年だから、26年間の営業だった。これは百貨店としては長いのか短いのか、どっちなんだろう。
 一方の有楽町阪急は営業継続らしい。ここに東西の電鉄資本百貨店経営の実力差が現れていると見て良いのだろうか。
 西武の後に入るのががルミネだそうだから、これも鉄道資本傘下であるのが興味深い。
 鉄道資本が鉄道駅とはなれて物販事業をすると、どうもうまくいかないようだ。日本橋にあった東急は、元は白木屋デパートを乗っ取ったものだが、これも10年くらい前だったかつぶれた。
 阪急は大丈夫か。銀座には名鉄資本のメルサがあるが、どうなんだろうか。ルミネもこれが鉄道から離れる営業の初めてのケースだそうだが、どうなんだろうか。
    ◆
 西武の入っていたマリオンビルは、もとは日本劇場と朝日新聞本社が建っていたところで、敷地を合体して1984年に建て直したものである。
 日本劇場は渡辺仁の設計で1933年竣工、華やかなレビュー劇場であった。渡辺は銀座和光、上野東京国立博物館、日比谷第一生命館、横浜ホテルニューグランドなどを設計している。
 わたしは学生時代に、当時流行ったロカビリーのウエスタンカーニバルなるショーを見に行って、小坂一也とかウィリー沖山とかを観たことを覚えている。
 5階にあるミュージックホールにも行ったことがある。お色気ショーはなんだか舞台が赤かったくらいしかよく覚えていないが、大男のE.Hエリックと芸名を忘れた小男のコントのほうが印象にある。
 朝日新聞本社には従兄が勤めていたので、1950年代末に訪ねていって入ったことがある。一階ホールの傘のような鉄骨が印象にある。この建物は1927年に竣工している。設計は竹中工務店で、担当は後に有名になった建築家の石本喜久治である。
 ここに最後に行ったのは1977年に、建築家山口文象についていったときだった。山口文象は1926年に石本喜久治のもとで、この建物の設計を手伝った。
 これらを壊した跡にできたマリオンビルは、竹中工務店の設計である。
     ◆
 池袋の田舎が本拠の西武百貨店としては、どうしても銀座に進出したかった。そこでこのマリオンビルで「銀座西武」百貨店を開業するつもりだったけど、あんな外れに出てきて銀座を名乗るのはおこがましいと、銀座老舗の旦那達から横槍が入って有楽町西武になったとか、その頃そんな話を聞いたことがある。
 そしてバブル時代、堤清二にひきいられてイメージ合戦に出た西武は、「おいしい生活」なる糸井重里つくるキャッチコピーでマリオン現象をおこして時代を泡泡とリードするも、バブルパンクでいまや量販店のイトーヨーカ堂の傘下になる始末。
 あちこちのバブル時代の遺物の片付けを今もやっている中に、この有楽町西武もあったということなんだろう。
 西武は結局は銀座ブランドには、なれなかった。もっとも、銀座ブランドの老舗三越だって、業界としては新宿田舎新興勢力の伊勢丹の傘下に入ってるもんなあ。
 銀座にはしばらく行ってないけど、最近は衣料や電器のファストショップつまり安売屋がけっこう進出しているそうだ。10年先にどうなっているか消長が楽しみである。
 あ、まてよ、10年先と気軽に言ってるけど、こっちは消長どころか消一方だろうなあ。
    ◆(追記101228)
 有楽町で百貨店閉店事件といえば、「有楽町そごう」のこともついでに書いておこう。
 有楽町駅前に「そごう」が開店したのは1957年5月25日だった。

 その年の3月、わたしは狭い城下町盆地を抜け出して、だだっ広い関東平野の一角に暮らし始めた。以後の高度成長底辺都市漂流人生の始まりだった。
 街にはフランク永井が歌う「有楽町で逢いしょう」がながれてた。
「あ、鉈を待てば、飴、が降る、濡手、粉糠と、木に掛かる、あ~あ、、」

 こんな風にしか聞こえなくて、妙な気分で聞いていた記憶がある。今、U-TUBEで聞いてみたら、やっぱりこう聞こえたが、元の歌詞を知らない人もいるだろうから書いておく。
「貴方を待てば、雨が降る 濡れて来ぬかと、気にかかる あ~あ」
    ◆
 後にその宣伝作戦の陣頭指揮した人から聞いて知ったが、大阪から東京に始めて進出するそごうの、有楽町開店のテレビ、映画、ラジオのメディアミックス宣伝作戦は、それが当たり前になる時代の端緒だったそうである。
 映画の方は吉田正の作曲でフランク永井の唄であった。テレビ番組「有楽町で逢いましょう」の主題歌が、三木鶏郎作曲で唄はデユークエイセスで、これらはまったく違う歌だったそうだが、こちらは覚えがない。
 この歌に出てくる外が見える2階の「ティールーム」に、大阪から修学旅行でやってきた従妹をつれて行ったことがある。そのときは有楽町駅東口の最近ようやく再開発されてできた「イトシア」あたりの路地の寿司屋に入り、日劇ではロカビリーも見た。

(今思い出したがフランクの歌の続きに「雨もいとしや、すすりなく~」とあったが、これでイトシアと名づけたのじゃないよなあ)
   ◆
 建築学生としては、あの村野藤吾設計の「読売会館」に興味がつきなかった。青味を帯びた硝子ブロックと何本もの深い陰の横ストライプで微妙にカーブする壁面、上層階の白い品のよいテッセラタイル壁面、百貨店の階段の巧みさ、読売ホール内部の玄妙とも言うべきデザインに、大いに惹かれた。
 関連して「新建築」事件というのがあったが、これは業界内コップの中の嵐。
 読売会館は、80年代だったか外装が似て非なるものに改装されて輝きを失い、更にそごうが撤退後に安売り電器屋がはいると電飾がやたらにとりついて、同じ建物なのにこうも変なものになるのかと驚くばかり。

2010/12/22

361年寄り風邪

 この上旬から胃の調子が悪いのがつづいて、どうも風邪らしいと思っていたら、中旬から腹は治って、今度は喉が痛くなってきた。
 そして今、下旬になったら咳が出てしょうがない。気分が悪いが熱はない。
 昔は風邪で熱と咳で寝込んでも1週間もあれば完治したのに、年とると風邪にかかる能力も落ちてきて、少しずつ症状を順番に巡るようになったから、治るのにも1ヶ月以上もかかるようになった。
 あまり咳が出るので横隔膜が痛い。だから寝ていてもけっこう運動していることになるのだ。
 食事もあまり取らないし、もちろん酒も飲まない。太りすぎが止まっているだろう。
 風邪ひくと健康に良いような気がしてきた。
   ◆(追記101224)
 風邪は下から上へとやってくる。胃、喉が終わると今度は鼻である。
 この次は眼に来て、それから額に湯気が立つほど熱が出て、最後に頭髪がばっさりと抜け落ちて禿げ頭、いや、脳に来てボケる、という筋書きだろうか。
 ずーッと寝ていると、とめどなく寝られるわが身体が不思議である。起きても朝やら昼やら夜やら分らないことがあると、そのままずーッと寝ているとどこまで行くのか楽しみな気分になってきて、またこれをやりたいと思う。
 しかしながら現実は厳しく、空腹で胃から目覚めるのがナサケナイというか、よくできているというか。

 

2010/12/17

360菅さんには諫早も沖縄も些細なことか

 はじめに「広辞苑」を引いておく。
こだわ・る コダハル【自五】①さわる。さしさわる。さまたげとなる。 ②気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる。拘泥する。「形式に―・る」 ③故障を言い立てる。なんくせをつける。
 2010年12月16日の朝日新聞東京版の朝刊に、「諫早開門道険し 首相こだわり貫く」の見出しがある。
 この意味は次のどれだろうか。
1.菅さんは、「諫早開門」をさしさわりがあると思っている。
2.菅さんは、気にしなくてもよいような些細な「諫早開門」ごときにとらわれている。
3.菅さんは、「諫早開門」になんくせをつけている。
 記事の中味を読むと、諫早開門をしたいと思っているらしいから、1でも3でもなくて2のようだが、それも些細なことと思っているのではなさそうだから、ヘンな見出しである。
    ◆
 これはどうも、朝日新聞が言葉遣いを間違ったらしい。
 このごろはどうも間違った言い方が流行っていて、「レストランのこだわりの味のパスタ」なんていったりして、とうとう朝日新聞もそれに染まったらしい。
 以前に政府の事業仕分けで、スーパーコンピューターについて世界で2番目じゃなぜいけないのって議員に言われて、富士通の社長が「それでもうちはスパコンにこだわる」といってると新聞に載っていた。どうして富士通にとってはスパコンは些細なことなんだろうか、と思ったことがある。http://datey.blogspot.com/2009/12/215.html
 こうやって間違い言葉が優先していって、言葉はだんだんと意味を変えていくのだろう。
   ◆
追記(101218)
 今朝の朝日新聞にも「菅首相 訪問にこだわる」との見出しがある。
 菅さんがそういったとは書いていないから、その見出しつけた朝日新聞社の人(デスクと言う人かしら)がそう思っているのだろう。
 つまり、「朝日新聞社としては沖縄訪問なんて些細なことと思っている。なのに、菅さんは訪問に妙に拘泥して行きたがった。おかしいな人だ」という意味になる。
 菅さんか、仲井真さんか、どちらかが朝日新聞社に抗議するにちがいない、だって最近言葉づかいで抗議ごっこが流行っているもん。
 朝日新聞デスクは“間違いこだわり”に、わたしは“こだわり間違い”に、それぞれこだわっているのか、とらわれているのか、執着しているのか。

2010/12/14

359東京駅たそがれ

久しぶりに東京に行った。知人がオフィス開設40周年記念で大忘年会をするという。しばらく都市計画界の知人たちに顔を合わせてなくて、忘れられるのも癪なのでちょうど良い機会とでかけた。久方の方々に大勢であって、まあよかった。
 途中に東京駅に降りて、八重洲側の新しい大丸13階の便所に寄る。
 便意なくとも入るのは便所が目的はなくて、ここのでかい窓から見る東京駅と丸の内の風景が目当てである。
 もちろん便所でなくとも、レストランに入って窓際に座れば見えるのだが、便所なら無料であるところがよろしい。
 そのうちに横に増築するらしいから、そうしたらまた別の角度で見えるようになるだろう。

いまから23年前に同じような位置から写した写真がある。比べて見ると雲泥の差といって良い。
 丸の内側の旧国鉄本社跡に建ったビルに入り、本屋の丸善で時間をつぶして、エスカレーターで降りていると、JAXAのショールームがあった。今評判の失敗金星探査機と失敗か成功か分らないイトカワ探検機をやらかした団体である。
 ロケット模型やなにやらパネル展示がしてあったが、なんのことかよく分らなかった。映像の月面から昇る地球のでっかい映像を映していて、そこに写りこむ自分の姿を見て宇宙飛行士気分にちょっとなった。
(追記101231)この展示場は2010年末で閉鎖となった。政府の事業仕分けの結果だとか。

2010/12/07

358サイトコンペ優秀賞

 ウェブサイト「まちもり通信」を始めて10年、「伊達な世界」は2年半、この間になんだかんだで14万余の眼が閲覧していただいたらしい。
 見てますよと、会う人からときどき言われることがあるが、実のところは、全体として、どこのどのようなお方がどうご覧になって思われているのか、よくわからないのがインターネットの宿命である。
 この「伊達な世界」のほうにはグーグル側でアクセス分析するらしく、そのページを見ると、時間軸で閲覧数が分るし、どの記事がいちばん見られたか、どの国からアクセスしたかとか出てくる。
 でもそれを見ても、まさかそんな記事をたくさんの人が読むわけないでしょ、とか、なんでそんなときに閲覧が集中するんだよ、とか、腑に落ちない分析となっていて、信用できない。このブログシステムの分析統計は変である。
    ◆
 本の形になっているものは、歴史があるからそれなりに評価の仕方があって、内容や装丁に対する賞もあるのに、誕生間もないウェブサイトにはそんなものはまだないのかしら、こちらが知らないだけかと思っていたら、埼玉県のIT企業で構成する社団法人が、ホームページコンテストをやっているのを発見した。
 これまでの入賞例を見ると、わたしも応募できそうである。「まちもり通信」の中から抜粋したものと新たなもので24ページのサイトを編集して応募した。
 そうしたら、「シニアの部 優秀賞」に入ったのである。最優秀賞でないのが口惜しい。総合優勝でもないなあ。
 評価基準が分らないが、とりあえずはわたしのやっていることは一定の評価にあることが分ったのが収穫である。
 1月20日が表彰式なので出席して、審査員に何を評価したのか聞いてみたい。
 あ、賞金が出るのかなあ、応募規定には「賞金総額100万円相当」と書いてあるけど、「相当」とは賞金じゃなくて賞品なのかなあ。
 それにしても、このブログにはIT業の日本語知らずをボロクソに書いているにもかかわらず、賞を贈ってくださるとは、度量のある主催者だと敬服している。
     ◆
(付記110120)
 2011年1月20日14時から、大宮駅前のパレスホテルにて、(社)埼玉県情報サービス産業協会主催のホームページコンテスト入賞者表彰式があった。

 シニアの部優秀賞に入ったので、どんな人がどんな内容を応募し、どのような評価基準で審査したのか知りたかったので、行ってきた。
 応募総数69点で入賞は21点だから、たいした競争率ではなかった。
 ●参照→入賞作品http://www.sisia.or.jp/homepage-contest/index.html
 1等賞に相当するのが埼玉県知事賞らしかったが、これをとったの中学生の女性だった。体験をベースにして一種の努力賞といってもよい一生懸命のつくり方であるが、文章がほんとに中学生なのかと思うような書きぶりであるのが気にかかる。受賞者代表で挨拶をしたが、なかなかしっかりした子である。
埼玉県知事賞 中学生女子の!釣り講座
http://www.sisia.or.jp/homepage-contest/hpc2010/hyoshoshiki/sakuhin/sho-chu/A22/index.html
 2等賞に相当するのがさいたま市長賞らしいが、これはなかなかよくできている。わたしが負けたと思ったのはこれだけである。内容も技術も独創性もある。そのほかの入賞作品は、独創性や社会への訴求性が弱かった。
 さいたま市長賞 動く絵 UGOKY
http://www.sisia.or.jp/homepage-contest/hpc2010/hyoshoshiki/sakuhin/ippan/C02/index.html
 わたしと同じ部門のシニアの部最優秀賞はグラフィックデザインとしてはなかなかよいものである。ただ、インタネットでなくてもできる表現内容なのが気になる。
 わたしはビリから3分の1くらいのあたりの順位だったようだ。
 審査委員長が挨拶で、技術よりも内容で審査したとのことであった。
 表彰式での司会者がわたしのサイト紹介を簡単にしてくれたが、ちょっとピント外れの言い方であった。わたしとしては社会批評としてみてほしいのに、画像の作り方が面白いとか、詩が書いてあると言われたのにはがっくり来た。
 まあ、こちらの表現がまずいので、そうとしか観てくださらないのだろう。

 終わってからの懇親会で、審査員にいろいろと審査基準を聞いてみたかったのだが、始まるまでの名士たちの挨拶がだらだらとながいので、もう嫌になって帰ってきた。
 賞金の熨斗袋をあけてみたら、1万円、う~む。
 わたしの入賞作品も協会のサイトに載っているが、そのうちに削除されるだろう。応募作品は山村の四季を愉しむ景観戯造を再編集したものである。

2010/12/06

357今度はURも賃貸住宅縮小か

 先日、公営住宅の縮小を嘆いたら、こんどは都市再生機構も賃貸住宅を民間に売ると新聞記事にある。
 2010年12月5日の日経新聞によると「都市機構、高額賃貸住宅を2.6万戸売却」として、国土交通省は来年から都市再生機構(UR)保有の賃貸住宅を民間企業や個人に売却する方針で、家賃月15万円以上などの高額物件を対象に、最大約2万6000戸を販売、家賃の引き上げも検討、だそうである。
 URにとっては賃貸住宅はそのもっとも柱となる事業である。それを手ばなすとは、一体何を考えているか、貧すれば貪するとはこのことか、日本の居住政策はどこに行ったのか。
 どうして住宅政策は経済政策のままで、社会政策にならないのか。民主党政府になっても変らないのか。
 まったくもって困るんだよなあ、こんなことが流行ると、この次はわたしんちの公社も真似して同じことやろうと言い出すに決まっているんだから。
 生活信条としてわざわざ公的賃借住宅を選んで住んでいるこちとらには、迷惑きわまることである。

2010/12/05

356老老介護実地演習

 ただいまつれあいがぎっくり腰で身体不自由なので、老老介護の実地演習中である。
 でもまあ、洗濯機も風呂も炊飯もほとんど自動式だし、空中楼閣の公的家だから建物管理のわずらわしさはないし、食べ物は5分も歩けば何でもそろう店があるし、かかりつけ医院は真下にあり、総合病院も50mの所にあるし、消防署も警察だって50mほどだし、ドヤ街だって風俗街だって300mほど先にあるし(あ、老老介護と関係ないか)、8年前に引っ越してきた都心暮らしは、こちらが身体機能低下を来してもなんとかなる期間が長くなるだろうと意図したとおりに便利なものである。
 問題あるとすれば、どちらか元気ならばよいが、同時に故障になると困る。でもこれは若いカップルでも同様だから、老老カップルとしては同時故障になる確率が高い点が問題である。
 強力な安全保障対策は、デキノヨイ息子たちが近くにいることである。

2010/11/30

355立ち退き補償よこせ血出痔TV

 今日の朝日新聞に、「周波数再編、劇場困った マイク使えない?TV中継にも影響」なる記事がある。
 asahi.comによれば、「総務省が進める電波利用の再編で、現在、劇場やホールのワイヤレスマイクとテレビ中継などが使っている周波数帯が、新たに携帯電話に割り当てられる方向が固まった。「立ち退き」を迫られた形の音楽や演劇、放送関係者には、反発と困惑が広がっている
 そして「周波数帯が変われば、いま使っているワイヤレスの音響機器はすべて買い替えが必要になる」ので、「総務省はこうした買い替えなどに必要な費用を1千億円程度とみており、「跡地」を使う携帯電話事業者に負担してもらう方針だ」そうだ。
 つまり、「立ち退き」で起きる損害の補償をするって言うのだ。
 えっ、おいおい、そっちの補償はいいけど、こっちの補償はどうしてくれるんだよ
 変ですよ、だってさ、オレの家のTVも血出痔で「立ち退き」にあっているのに、その損害は全部こちらが負担せよって言ってて、それなのに音楽や演劇、放送関係者にだけは補償金を出すのは、まったくもって不公平きわまるでしょ。
 こちらにも補償金をよこせ。
    ◆
 先日、外に出かけている間にTV放送があった能「三ツ山」の予約録画をしておいた。
 それを再生してみていて、どうも変なコマーシャルがずっと映っているのに気がついた。
 NHKなのにおかしいと思って、読むと総務省の広告で「血出痔の相談は、、、」とある。
 この名人・豊島訓三の能を見ているあいだずっとこの広告が出っぱなしとは、無粋きわまる。ジャマでしょうがないから、そこに紙を貼り付けて見たのであった。
 相談先の「血出痔凍るセンター」電話番号が書いてあるので、そこに「血出痔補償金はいくらで、いつ、どうやって受け取るのでしょうか」と、相談してみようかなあ。

参照→145血出痔の準備
参照→295血出痔TV

2010/11/29

354関内駅近くの違反建築

 散歩していたら、ビルのピロティの前に、こんな表示がしてある。
 アレ、おかしいな、ここは公開空地のはずだぞと、あたりを見たら、やっぱりあった。
 ここは横浜市環境設計制度による公開空地であると、立派な表示がしてある。
 関係者のほか立ち入り禁止とは、立派な法令違反行為である。
 そうしたいなら、建物のボーナスで貰った容積率割増分の床面積と、斜線制限の緩和の部分の出っ張りを取り壊す必要がありますよ。
 横浜市は是正の指導をしなさいよ。
   ◆
 参考までに、建築基準法第59条の2 総合設計制度による横浜市市街地環境設計制度の一部を引用しておく。

第2編 公開空地の基準
第1章 公開空地の定義
1 基本的事項
(1)公開空地は一般の人が通常自由に通行又は利用(占用的利用は除く。)できるものとし、原則として終日一般に開放できるものとする。
第7編 維持・管理等
第1章 公開空地等の維持・管理
1 建築主は、第2編第1章1に則り、公開空地を一般に開放し、維持・管理を適切に行うものとする。また、その旨の誓約書を様式1により、許可申請時に市長宛に提出するものとする。

2010/11/28

353公営住宅縮小の愚策

 今日の朝日新聞朝刊によれば、多くの自治体で公営住宅を縮小の傾向にあるという。
 その理由が、入居者が高齢者ばかりになっていて、今後人口が減るからだそうだ。
 それは間違っているよ。
 だって、高齢者はこれから増えるのは間違いないでしょ。
 そもそも高齢者ばかり入るような入居資格を設定するからそうなるので、子育て世代だって入りたいのに、収入基準では入れないという。基本が間違っている。
 その証拠には、入居希望者の倍率は8倍以上もある。これが1倍を切っているのならともかく、こんなに入りたくても入れない人たちがいるのに、縮小とは間違いもは甚だしい。
    ◆
 民主党政権になっても、住宅政策は自民党政権時代とかわらない。
 このところいろいろ民主党政権も言われているが、マスメディアは始めはちやほするが、すぐに飽きて足を引っぱるほうがニュースになるって有様。
 それに冗談もユーモアも解さないおバカな大衆が乗るって、このパターンは衆愚そのものである。
 初期故障だとおもって、もうちょっと我慢したいのだが、住宅政策についてはこの政権にはがっかりしている。

2010/11/25

352【横浜都計審】発言しないままのだんまり市議委員て何のための委員か

 市会議員という方はおとなしい人たちなのだろうか、それともめったなことでは発言をされない人たちだろうか、それとも議事内容について何にも意見も見識もない人たちだろうか。
 今日は横浜市の都市計画審議会だったので、傍聴に行った。

 何しろ会場がわたしの家から歩いて十分足らずのところであるから、買い物ついでに便利である。
 7月まではわたしは委員だったので、傍聴される側にいたが、任期が切れた今回からは傍聴する側である。
 2年前までは一般市民として傍聴に毎度通っていたから、それが元に戻ったのである。

 さて、出席委員は19名、そのうち10名が市会議員から選出された委員である。こ
 の方々は、審議会の1時間半、全く一言も発言をなさらなかったのであった。雁首を並べていらっしゃるのだが、あまりの静寂さに不気味でさえあった。

 これはわたしが委員であった前回の審議会のときも、けっこうもめた議案があったのに、市議委員全員が不気味に3時間余も黙りこくったままであった。
 ここまで沈黙されると、なにか特別の理由があるのだろうかと不審に思う。連続だんまり記録(なんてものがあるとすれば)を更新しようとなさっているのだろうか。

    ◆

 わたしが退任した後の公募市民委員は、男女二人の方が新任された。どのような方か存じ上げないが、それなりの発言をされていた。
 “それなり”とは、事前に資料を調べれば分かる制度について初歩質問するのではなく、もうちょっと突っ込んで本質を追求してほしいと言う意味を込めている。

 学識委員が12名なのだが、そのうち5名も欠席である。10名全員が出席しても黙りこくる市議委員も問題だが、こんなにも大勢の専門家が欠席するのはもっと問題である。
 あいかわらず市議会日程優先で審議会日程を決めるているからだろうか。

 まあ、事務局としては専門家に突っ込まれるよりは、なにも言わないで賛成だけする市議委員を優先したいのだろう。その気持ちは分かるが、まったくもってケシカラン。

    ◆

 議題となっている場所を事前に見に行って発言しているのかしらと、委員の発言を聞いていたが、どうもどなたも見には行っていないらしい。
 わたしは必ず現地を見に行っていた。だから問題がよく分かったのである。わたしは今回からはもう委員ではないし、事前に資料もないから、現地を見に行っていないので、事務局の資料説明を聞いても、問題の所在がほとんど分からなかった。

 とくに今回の生産緑地に関しては、現地に行くと必ず問題があるもので、わたしが委員のときに2回この議題があったが、いずれのときもたくさんの問題指摘をして、議案に反対したものであった。
 なにしろ、これほど都市計画審議会を馬鹿にした制度はないのである。現地を見てご覧、その上で都計審に出てきなさいよ。

    ◆

 傍聴者がわたしひとりだけだった。
 傍聴席と資料を20名分も用意してあるのが、もったいなかった。だからといって次から少なくすればよいのではないが、一人の市民としてなんだか寂しいことである。
 そもそも平日の昼日中にやって、一般の人が傍聴に来るのは、そうとうに閑人か(わたし)、議題に関係ある当事者だけになるだろう。
 以前に審議会でわたしが提案した、休日の昼とか平日の夜に開催せよと言う提案は通らなかったが、そのときに事務局の言い訳が、「だから議事録を公開しているのだ」と言うのであった。

 ところがである。この前の審議会は7月5日であったが、その議事録が公開されたのは4ヵ月半も後の11月21日であった。
 これじゃあ、あんまりにも後出しすぎて、当日傍聴の代替とはとてもいえない。議事録を20日目ぐらいで公開せよ、と言うわたしの提案は無視されたままである。

 もっとも、その議事録を読んだとて、都市計画には必須の図表や図面あるいは写真が一切載ってないから、なにを言っているのかさっぱり分からない。審議会の議事内容を公開しているとは、とても言いがたい代物である。
 そこで、わが横浜都計審市民委員体験記を書いて公表したのである。これなら分かるよ。

●参照→あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている

 まあ、なんですな、世の中いろいろと腹立つことあるので、年寄りのボケ防止になって、こりゃまたありがたいことでございます。
 
●参照→都市計画審議会を改革せよ
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tokeisin

2010/11/22

351【各地の風景】静岡県は次郎長親分の清水湊に行ってきた

♪ ぺぺんぺぺぺんぺん ヨーオッハッ ぺぺぺン
旅行けば~ 駿河の路に 茶の香り ヨーオッ
名大なるかな 東海道 名所古跡の多いところ ハーッ
中でも三保の羽衣の 松と並んでその名を残す ぺペン
街道一の親分は 清水湊の次郎長~ 
ペペペンペン ペ~ンペペンペン ♪
    ◆
 これは昔々のこと、わたしが少年時代に一世を風靡した、広澤虎造なる浪花節語りの「清水の次郎長」シリーズ冒頭部分です。
 もう次郎長の浪花節なんてご存じない方が多いでしょうが、今でもときに言われる「バカは死ななきゃあ、なおらな~い」ってのは、この中の一節です。
 あ、といってもわたしは浪花節世代じゃないですよ、親の世代がそうあったので、少年の頃はなんとなく耳に入っていました。でもうろ覚えなので、U-TUBEで聞いて書いたのが冒頭のクダリです。
    ◆
なんでこんな話をしているのかというと、その清水の次郎長の清水湊(今じゃあ静岡市清水区のうち)に行ってきたからです。
 そこの昔の港湾の街なかにある、石造りの蔵を見てきました。江戸時代から廻船問屋が立ち並ぶ港湾流通の中心地でしたから、荷を入れる蔵があちことにあり、それは伊豆石で作ってありますので堅固なものです。
 この街は太平洋戦争末期に、駿河湾にやって来たアメリカの軍艦からの艦砲射撃で燃えたのですが、石蔵はさすがに焼け残ったそうです。
 いまや港湾流通機能は衰えて、水辺にあったたくさんの石蔵は取り壊され、数少なくなっています。
 今ある屋敷地内の蔵は、ほとんどが店蔵ではなくて屋敷地の裏にあって、表から見えにくいので、知らない間になくなることもあるようです。
 そこで地元の有志が「しみず蔵倶楽部」なる会を作って、どこにあるか探すと共に、持ち主とコンタクトして新たな機能で活用保存しようと活動しています。
 港町の風情を持っている路地の街のあちこちに、石蔵がひっそりとそして凛として建っています。
 そのひとつを持ち主の好意で開放していただき、街歩きの後で見学会の一行は美味い地酒を飲んできました。
    ◆
 で、清水の次郎長の話です。
 さすがに清水には、次郎長通りという懐かしい雰囲気の商店街があり、その一角には次郎長生家があって、次郎長グッズお土産を売っているのです。
もちろん次郎長がどんな人だったか、パネル展示やパンフレットなどもあります。
 浪花節の次郎長は、賭博やってる暴力団の親分で、同業者との抗争に明け暮れているストーリーばかりだったように覚えています。
 ところがなんと、後半生では港湾流通業や社会事業もやったのだとか、そんなことも書いてあります。
 ということで、廃れた港町のまちおこし材料に、次郎長さんも登場しているようです。ただし、次郎長の名を知っている人は、今の世にどれくらいいるもんでしょうかねえ。
 静岡市となった今では、郷土の偉人はなんと言っても徳川家康でしょうねえ。
 次郎長や家康に対抗できる今の清水の人は誰だろうと考えつつ歩いていたら、ありましたよ、鈴与さんの豪邸が、。
 そう、TV見ないからよくはしらないけど、サッカーチーム一家の胴元(というのかしら)とか、航空会社という廻船屋をやったりして、これはまさに清水の次郎長の現代版ですね。
 あ、そうそう、こちらさまのお屋敷には、さすがに立派な石蔵がありましたねえ、お宝が入っていそうな。
    ◆
 清水に行くんだと、清水出身の友人に言ったら、次郎長通りを通って小学校に通っていたんだとメールがきました。
 次郎長通りは、どこか懐かしいような魚屋とか練り物屋とか和菓子屋とかが、あまり凝らない看板建築を並べていて、くたびれたアーケードのシャッター通りです。
ここをランドセルをしょった少女が歩いていく、三丁目の夕陽のような風景を幻視しましたね。
 そういえば、TV見ないからこれもよく知らないけど、清水はチビマルコとか言う漫画の舞台だそうで、次郎長通りを歩いてたのはその女の子か。
    ◆
 この次郎長通りから細い横丁を入ると石の蔵があり、そこの裏路地は昔はどうも色街だったらしい様子の建物の残滓も見えるのでした。
 蔵を探して裏道を歩きまわっていると、ひょいとお稲荷さんの境内に出たり、どうもこの道は昔は水路だったなと思わせたり、道端に井戸があって昔はこれに屋根があって釣瓶で水を汲み上げたんだろうなと思わせたり、石蔵を紅葉盛りの蔦が一面に真っ赤に飾っていたり、なかなか楽しい路地の街でした。
 わたしの好きな、いわゆるB級街並みです。ぜひとも「全国路地のまち連絡協議会」に参加してもらいたいなと思いました。参照http://jsurp.net/roji/

 ♪ ペペペンペン ペ~ンペペンペン 
  地球の上に朝が来る その裏側は夜だろう~
  西の国ならヨーロッパ、東の国なら東洋の~ ♪ 
  (後を忘れたけど関連して思いだした耳に残る節回し
   これは広澤虎造じゃないよ、虎造節をアレンジして歌った
   コミックバンド「川田晴久とダイナ・ブラザーズ」
   あ、最後のあたりを思い出したぞ)
 ♪ 川田とダイナブラザーズ 
  時間くるま~で つとめましょうお~
   ペペペンペン ペ~ンペペンペン ♪ 

 アレ、清水とはなんの関係もないな。

2010/11/15

350【言葉の酔時記】現代IT語裏辞典をつくったぞ

 『現代語裏辞典』(筒井康隆)が売れているらしい。
 そこでわたしも負けずに『現代IT語裏辞典』を作ることにした。
 おバカ言葉だらけで種に不自由しない。筒井流のエッチ度も少し加えているが、レベルは及びもつかない。

アイコン:①視線と視線を交わすこと(アイコンタクトの略語) ②藍と紺を混同すること
・アクセス:あくせくしつつ到達してもバカなことしか書いてないよなあ
・アダルトサイト:当初は幼児の言うようなことばかり書いていたのが、次第に大人びてそれらしいことを書くように成長してきたホームページのこと
・圧縮ソフト:やわらかく圧縮すること
アナログ【穴魯愚】:いまだに昔のTV受像機で見ている人を「あな魯愚なるかな」とあざける。反対語「出痔樽」
一太郎:一太郎や~い(なんで可笑しいか分かるかな)
インストール:受胎させること
インターネット:①内部の網のこと。②インターチェンジあたりで網を張ってスピード違反を捕まえること。③どうでもいいことを伝え合うこと。
ウェブサイト:サーフィン場、波止場
お気に入り:なんでここだけくだけた言い方になるんだよ、ならば「検索」は「お探しもの」、「挿入」は「はめこみ」、「移動」は「お引っ越し」とか言えよ。
・オンライン:綱渡り
・キーボード:食いカス、コーヒー、ジュースなどを裏表にこびりつかせる鍵盤
ギガバイト:アルバイトで10億円稼ぐこと
クラウド:雲行き怪しいIT業界のこと
クリック:クリを指でいじくること →例:右クリック=右手指でいじくること
・ケータイ:懐中式電子情報交換無線装置
・コピーペースト:論文制作方法 (略語:コピペ)
・更新:単に追加記事を載せること(なんで可笑しいか分かるかな、言葉を知らないIT屋が間違って翻訳したのだ)
・購読:無料メールマガジン配信を受けること(なんで可笑しいか分かるかな、言葉を知らないIT屋が間違って翻訳したのだ)
サーバー【魚~青↑】(鯖を引き伸ばしたイントネーションのつもり。IT語は東北弁イントネーションで発音するものらしい)コンピュータに間違い言葉をサービスする機械のこと
サイト【斉藤↑】(尻あがりに東北弁風に発音)電網のなかのどこかの場所のことらしいが、斉藤さんが発明したのでその名を取って発音する。
シェアウェア:数人で共用して使う衣類 類語:シェアルーム
サムネイル:①親指の爪。②クリックすると全然違う写真が出てくる小写真。
ソフトウェア:柔らかい衣類
チデジ【血出痔↑】:地上で出痔樽放送するので、テレビ受像機を買い換えなければならなくなって、家計に赤血が出て痔になること。
・ツイッター:長文を書く能力のない人のための電子メール術
データ【出~たっ↑】(尻あがりに東北弁風に発音):PCの中でどこに行ったか分からないデータがタマタマ見つかると「出た~っ」と喜ぶ。
ディスク【でぃ掬う↑】(尻あがりに東北弁風に発音)要するに円盤のことだろ
デジタル【出痔樽】:「血出痔」を見よ。反対語「穴魯愚」
投稿:自分が主宰するブログに自分が書き込むこと(なんで可笑しいか分かるかな、言葉を知らないIT屋が間違って翻訳したのだ)
トラックバック:貨物自動車が後退すること
・ドラッグ&ドロップ:薬を飲んで吐き出すこと
・2チャンネル:うちのアナログTV受像機ではここにBS2を設定した
・ネット【熱湯↑】(尻あがりに東北弁風に発音)網のこと。この網をつかってどうでもいいことを伝え合うのがインターネット
・ネットワーク:網にひっかって逃げられない仕事
ハードウェア:硬い着物のこと
・パスワード:「合言葉」って立派な日本語があるのにIT屋が知らないもんだから翻訳できなかったらしい →例:「山」「川」
・パソコン通信:懐かしいなあ、その前はワープロ通信といったなあ
・プロバイダ:職業売女
・ブックマーク:本印
・フリーソフトウェア:柔らかな衣類を脱ぐこと
・ブリーフケース:下着パンツ入れ
・ブロードバンド:くだらぬものでもどんどん結んでしまう幅の広い帯
・ブログ【風呂愚↑ blog】:風呂の中の屁のごとく愚にもつかぬことをだらだら垂れること
・ヘルプ:読んでも分からず、ちっとも助からないのでOh Help!
・ホームページ:自分のこれを開設して初めてホームレスではなくなる
・マイクロソフト:①ミニソフトクリーム ②小さくて柔らかなアレのこと
・マッキントッシュ:マックとトッシュが設立したリンゴを売る会社
・マナーモード:①エケチットモード(なぜ可笑しいか分かるかな) ②お行儀気分って何のこと?、え、ムードじゃないの?
・マニュアル:①意味不明のことを書いた文書 ②日本語を知らない奴が書いた日本語に似たような言葉の本
・マルチメディア:口、手振り、身振りを使って話し合うこと
・メール【眼選る↑】(尻あがりに東北弁風に発音)猫も杓子も文章書きになって、ちょっとは本も読むようになるかと思ったけど、書いてる内容がアホだからそうはならなかった。
・メガバイト:アルバイトで100万円稼ぐこと
・USB:B級アメリカ
・ユビキタス【指切ったス、湯引き足すUbiquitous】:①指を切ること ②指でいじくっていてモヤモヤ来すこと
・リセット:ああ、ここで人生リセットしてやり直せたらなあ
・リンク:コンピューター業界専用のスケート場
・ログイン:「山」と言われて「川」と答えると、中に入れさせてくれること
・ワード【和~銅↑】:余計なおせっかい焼き
・ワイヤレスマウス:尻尾のない鼠

2010/11/13

349【横浜ご近所探検】ただいま世界一安全な横浜の都心

 横浜都心はどこもかしこも警官だらけの景観である。
 ただいま横浜都心の海岸部にある国際会議場でAPECなる会議をやっていて、遠くからやってきた小浜じゃなくてオバマとか、フチンタオ(字がわからん)とか、ナントカスキー(だったか?それともなんとかエフか?)とか、イミョンパッとか、カンチョッジン(菅直人)とかいう、地球上各地の要人の用心しているんだろう。

 今日は万国橋会議場で研修会に参加していて、その昼休みにぶらぶらとAPEC見物に行ってきた。
 道であった知り合いから「逮捕されないようにね」なんていわれながらも、野次馬は止まらない。
 APEC会場の手前100mくらいの橋で完全交通遮断、IDカードのない人はここから先へは行けませんと警官が声高に言う。
 小学生がひとり、地図を持ってこの橋の先にあるらしい行き先を遮断警官に聞いている。あっちへぐる~りと遠回りして行けと言われて、半べそをかいている。
 やってきた男女カップルもここから先デートコースお断りとて、AVECでAPEC見物もダメ。
 今日は稼ぎ時の土曜日だというのに、そばの大遊園地は休業させられている。

 でもまあ、おかげでこのあたりは世界一の安全な街である。これじゃあ、テロはもとより、万引きもできにくいし、横断歩道信号無視横断なんていつもやってることもコワゴワである。
通行する車も少ないので静かである。なかなかよろしい。
 できればAPECを1年中やっていてもらいたいものである。
    ◆
 関内駅近くで、かなり大勢で長いデモ隊行列に出会った。APEC反対のシュプレヒコール(いまでもこう言うか?)、プラカードや幕を掲げている。妙なお祭気分のような仮装の人もいる。
 久しぶりにデモ隊に出会って、60年安保世代としては懐かしくなって、入れてもらおうかと思ったが、まあ、やめておいた。
 こうやって反対デモを堂々とできる今の世の中は、とりあえず健全であると思う。

 これだけ警官が多くても、うっかり道を聞いてはいけない。だって、山形県警、青森県警、秋田県警なんて、制服の背中に書いてあるんだもの。
 今日は鎌倉も世界一安全らしい。要人夫人たちがエキスカーションで鎌倉見物だからである。
 なんでも14日にはオバマが鎌倉大仏見物で抹茶アイスクリームを食うのだとかで、しばらくは安全な鎌倉がつづく。

2010/11/09

348【世相戯評】尖閣事件極秘資料がネット流出して海保はオキノドク

 尖閣諸島での中国漁船と配乗保安庁の船との衝突事件のビデオ画像を、何者かがインターネット動画投稿公開サイトに載せたという。
 わたしもサイト検索して見た。グーグル検索サイトにあった産経新聞のページに入ったら、その画像へのリンクがあり、二つの衝突を見ることができた。
 TVのニュースではその動画のコピーを放映しているし、新聞もその動画からコピーらしい写真を載せている。

 海上保安庁が流出させた人を告発し、検察庁がそれを受理したから、この動画は違法流出容疑の代物であるらしい。
 で、どうも分からないのだが、違法容疑の代物を、そうやって勝手にコピーして、マスメディアで公開してよいのだろうか。
 これってその容疑者の行為を幇助していることのような気がするが、ちがうか。

 おりから、警視庁の公安関係文書がネットに流出しているが、こちらはTVも新聞もそのコピーを見せてくれないのは、どうしてだろうか。
 尖閣画像も警視庁安資料も状況は同じであろうに、不思議である。
 海上保安庁のように、警視庁はなぜ犯人を告発しないのか(告発と言う手続きのことはよく分からないが)。
    ◆
 もうひとつ気になるのは、尖閣事件画像の著作権はどこが持っているのだろうか。もしも海上保安庁が持っているなら、マスメディアはそこの許可を取ったのだろうか。
 これもおりから、村上春樹のベストセラー小説(わたしは読まないが)の中国語デジタル海賊版が、堂々とネット販売されているそうだ。ネット販売屋はそれが海賊かどうかは知らない、文句あるなら小説家か出版社が、それを書いた奴と話せよと言うのだそうだ。ニセモノを売っても、つくるやつが悪くて売るほうは関係ないというのだ。

 途上国だった1950~60年代の日本がまさにそうだったし(made in Japanとは安物偽物の代名詞だった)、今の中国がまさにそこにいるのだが、マスメディア屋は今も昔のままか。
 この論理で言うと、新聞もTVも著作権問題は、投稿した奴と海上保安庁で話をつけろってことか。著作権問題には人一倍神経質な新聞社が、そんないいかげんでよいのだろうか。

 いい加減で良いのなら、ぜひとも警視庁流出の公安資料も、新聞に堂々と掲載してほしい。でないと、海上保安庁だけがギャンギャン言われていて、なんだかお気の毒だぞ。



2010/11/07

347【横浜ご近所探検】横浜ご近所再開発流行り

 横浜都心に引っ越してきて8年、その間にあたりでけっこうたくさんの共同住宅ビル(わたしはあえてマンションと言わない、名ばかりマンションだから)が建ったし、今も建ちつつある。こんなに需要があるのだろうか。
 北隣では、2階の床までコンクリートを打っていたのに、去年4月、そこでデベロッパーが倒産したらしくて1年半ばかり工事を停止していた。
 最近になって買い手のディベロッパーがついたらしく、工事再開のお知らせパンフが郵便受けに入ってきた。プランを見るとほとんどが1寝室か1寝室+ダイニングキチンだから、もしかしたら投資型の区分所有共同住宅か。 
  参照→092隣に迫る大不況
 東隣では、小さな敷地に鉛筆のような細い共同住宅ビルが建設中である。これは1寝室ばかりの賃貸住宅らしい。これはその北隣の既存共同住宅を真っ暗にしてしまった。
参照→297共同住宅ペンシルビル
 2ブロック先に、2棟の県公社であったらしい1960年代と思われる古い共同住宅ビルがあり、戦後史を物語っているようで興味深かったが、2008年にそのうちの1棟が建替えられて高層共同住宅になった。
 もう1棟も同じかと思ったら、なかなかそうならない。だんだんと空き家が増えていく様子が見えていたが、この10月になって遂に撤去工事が始まった。区分所有型共同ビルになるらしく、宣伝マンが板囲いの前でパンフを配っている。
 気になるのは、今度のビルで始めに建ったほうは半分くらいは日陰になるらしいことだ。
 その北隣ブロックでも区分所有共同住宅が建ち、更にその隣あたりでは高齢者用の共同住宅が建設中である。わたしの家の前のブロックにも建つのじゃあるまいかと心配になってきた。
駐車場だからいつでもできそうだからなあ、そうなったら逃げ出すか、それもいいけど引越しがめんどくさいなあ。

2010/11/05

346【世相戯評】物の値段がわからん

 新聞を読んでいたり街を歩いていると、そんなに安くてよいのかという物の値段の広告に出くわす。今日の朝日新聞からそれを拾ってみる。
 13面に、安物PCの通信販売広告がある。中古品で1万円から3万5千円、それはまあよいとしても、「当社指定インターネット申し込み」で100円とはどういうことだ。
 新聞折り込みチラシ広告の新品PCでも、「当社…」だと3万円も安くなると書いてある。
 でもこちらはもう、昔きちんと金を払ってインターネットプロバイダーと契約したし、PCもきちんと買ったのだから、なんだよ~今頃って、もうバカらしくて新たにPCを買う気が、まったく起きなくなってしまった。
 もう買うのやめたッ、誰かからお古をタダで貰いたいものだ。
   ◆
 14面にも一面全部を使った通信販売広告がある。絹製パジャマ1980円、布団4980である。なんだか安すぎて気持ちが悪い。
 そんな安物にこんな全面広告の広告(多分1千万円を超える掲載費)をかけるのが不審である。
 どこか欠陥商品か、あるいは注文で知られたこちらの住所などが悪用されるにちがいない、うっかりひっかからないぞ、と思うこちらは、正常か異常か。
   ◆
 15面経済欄に、エコポイントなるなんだかよく分からないもので、安売り電器屋が大儲けしているとの記事がある。
 これって要するに税金を使って儲けてるってことである。大いに腹が立つ。
 同じ面に、小さな電気自動車を売り出して、その値段が398万円、ところがそれに国の補助金が114万円出るのだそうだ。
 おいおい、エコだからって自動車は自動車だぞ、作ること自体がエコじゃないし、走らせると電気エネルギー消費するし、衝突すれば人身事故がおきてこれこそエコじゃないし、なんで税金をつぎ込むんだよ。
 どっちもエゴポイントだよな。腹が立つ。
 車に乗らないオレ様がいちばんエコなんだぞ、114万円よこせ。
    ◆
 ファストフード牛丼屋の値段競争の記事もある。1杯280円250だそうである。
 わたしはどんぶりものはあまり好きではないが、昔、いそがしかった頃のこと、昼飯時間を節約するために安牛丼屋にはいったこともあるにはある。
 だが、アレはほんとに不味い。脂ギトギト肉と霜降り肉とを間違えているらしい。
 まあ、好きな人は勝手にどうぞだけど、時にはちゃんとしたすき焼き屋さんの牛丼も食いなさいよ。
    ◆
 17面の株値の欄、かつて生命保険(合名会社)にはいっていて、そこが株式会社になったとて、株を配給(というのかしら)してきた。
 20年以上も前のことであったが、そのときの株価が9000円弱であったと記憶する。今日の新聞のそれは1657円とある。
 経済のことは分からないが、あの頃の5分の1の景気ということかしら。あの株はわたしの会社を廃止するときに処分した。
    ◆
 小説家のよしもとばななと村上龍の写真が、35面にある。自分で電子書籍会社を作って、出版を始めるとのこと。
 村上は既に1500円でダウンロードできる小説を売り出しているそうだ。
 1500円が安いのか高いのか、よく分からない。
 紙に比べると安いようにも思うが、流通や印刷経費を考えるともっと安くてもよさそうな気もする。でも、小説は原価計算するものではないな。
 そうか、わたしの著作も「まちもり通信」で売ってみるか。買う人がいてもいなくても、流通原価はタダみたいなものだからなあ。

2010/11/04

345【法末の四季】法末にも秋の色が濃い

中越山村の法末に秋がやってきた。棚田の米の穫り入れはもう全部終わった。
 今年の夏は暑すぎた。それなのに不思議なことに水は不足しなかった。こんなもうすぐ尾根になる谷川もないところなのに、どのような水路のネットワークがあるのだろうか、深雪が土中に蓄えられているのか。
 わたしたちの棚田の米の収穫は、去年の8割くらいだった。味は良いのだが、見たところ白濁粒が混じる率が多いようで、透明感に欠ける。
 売り物としては、一等米の率が少ないのはそういうところにあるらしいが、わたしたちは見た目よりも美味ければそれで良いのだ。
 もうすぐやってくる豪雪に備えて冬支度にとりかからなければならない。
この前の冬は豪雪で2メートル以上積った。道路は集落共同の除雪機がまわるけれど、自分の敷地内は自分で除雪しなければならない。
 しばらく留守にすると、庭に積った雪が屋根の雪とつながって、家はすっぽりと深雪に包まれてしまう。
 雪かきと言わず雪掘りというくらい深い。年とると雪国の冬は暮しにくい。
 家を放棄して街に暮らす人が増える。廃屋が増える。冬の雪がやがて廃屋を押しつぶし倒壊させる。そこに蔦が絡まり、木が生えてきて、そうやって村は自然に還って行く。
 四季の風景は、四季ごとにそれぞれ美しい。人間はいなくなっても、自然は全く自立的にその姿を四季ごとに装う。
 ●参照→山村の四季を愉しむ

2010/11/03

344【本づくり趣味】「本の雑誌」に本づくり趣味のことを投稿したら掲載された

「本の雑誌」という名の雑誌がある。椎名誠たちがもう35年も前に創刊した、本好き人間のための月刊誌である。わたしはその頃から愛読している。
 ちょっとマニアックな面もあるが、書き手がなかなかに興味ある人たちだし、小説やエッセイもあって面白い。
中に「三角窓口」という読者投稿欄がある。始めてそこに投稿したら掲載された。下記のような文である。

 若い頃は、読んでいる本を他人に知られるのが恥かしかった。紙カバーのかけ方を数年にわたっていろいろ工夫していたが、ある方法に落ち着いた。
 本誌6月号の「カバー掛けの旅」を見て、おお、わたしは「由緒正しい掛け方」に自主到達していたのだった。
 歳とって恥を知らなくなってカバーはやめた。本屋さんで「カバーはいりません」というと、かならず「恐れ入ります」というのだが、あれは本屋同盟の談合事項だろうか。
 本誌9月号に新潮社『幻の特装本』のイラストがある。わたしは専門書はいくつか出版したが、雑文はわがホームページに載せている。すぐに世に出せるし、売れなくても絶版はないし、世界中の誰かがどこかで読むし、だいいち金がかからないのがよい。
 でもせっかく書いてきたのだから本の形にしてみたい。そこで執筆、印刷、装丁、製本、発行を、机上のPCで5冊だけやると決心。栃折久美子さんの本を読んで、道具を百円ストアで揃えたのが3ヶ月前のこと。
 だが、まだとりかかってていない。そうか、どうせやるなら皮の特装本でつくるぞ。装丁がすごいのなら厚さもいるし、中味もそれなりにしなくちゃ。
 実は父の遺品に、三回の戦場体験の手記があったので、手製ブックレットにして息子や従兄妹に配ったのだが、今度はこれに自分史も加え水増しして大河小説仕立てにすると、それなりの厚さの本になりそうだ。これはなかなかの大プロジェクトである。
 問題は、締切がないので原稿が上がらないおそれがあることだが、人生の締切が近い年頃とも気がついている。
 果たして手製特装本はこの世に出現するか、本当に幻となるか。(伊達美徳 本屋徘徊老人ときどき越後に米つくり73歳・横浜市)

 これに対して、発行人の浜本さんから、「プロジェクトの成功を祈っております」とコメントがついていた。
 文中の新潮社『幻の特装本』とは、新潮社では自社発行の単行本で10万部を突破したベストセラーには、革で特別に装丁した本を4部を作り、2部を著者に寄贈、2部を保存するのだそうだ。
 その革で装本する職人芸をイラストで紹介した記事のことである。下手くそでもいいから、わたしもやってみたい。
●参照→325まちもり叢書縁起

●自家製ブックレット「まちもり叢書シリーズ

2010/10/30

343【父の十五年戦争】続・父の遺品の蛇腹写真機の製作出自が判明した

 昨年4月にこのブログに「118父の遺品の蛇腹写真機」を掲載した。
 それをご覧になった方からメールをいただいた。承諾を得てその一部を引用する。

ご尊父の遺品のカメラですが、戦前に私の祖父が経営していた山本写真機製作所の製品の錦華ハンドカメラに間違いないと思います。1933年ごろの製品です。神田小川町に所在し、近くの錦華公園に因んでKINKAと名付けたようです。山本」(抜粋)

 おお、そうであったか。「日本製だろうか」と書いたけど、れっきとした国産であったか。身元がわかって嬉しい。
 さっそくウェブサイト検索したらCamerapediaというサイトがあり、そこにKinka plate foldersなるページがある。はじめのほうにこう書いてある。

The Kinka (錦華カメラ) 6.5×9cm plate folders were made in the early 1930s by Yamamoto Shashinki Kosakusho. One source says that they were released in 1931. The company later made a number of other cameras under the Kinka brand: see Kinka Lucky, Kinka Roll and Semi Kinka.」

 これによると錦華カメラは、1930年代に山本写真機工作所が製造販売したらしい。
そこにカメラ雑誌の「アサヒカメラ」1932年6月号に載っている広告の画像があるので引用した。
 このFAMOSEを辞書を引いても分からないが、FAMOUSの書き間違いだろうか。
 父がカメラを買ったのは、多分、初めての子が生まれた1935年だろうから、山本さんのメールにある1933年ごろの製品とすると年代的には合う。

 ここに載っているカメラと父のカメラとは、形はソックリだけど、部品はちょっと違うようだ。
 父のカメラのレンズは、Munchenとあるからドイツ製らしいが、シャッターはELKA T.B.C.T.とあって、Camerapediaで調べると製造所はよく分からないが日本製とある。

 値段もわからないが、広告にあるものと大差ないとして30余円だろう。
 物価の差を調べてみると当時の葉書が1銭5厘、今は50円だから3333倍、とすると30円の3333倍は10万円か、高いようにも思うが、今と違ってカメラは珍しい頃だからそのようなものだろう。

 父はどのようにしてこれを買ったのだろうか。昔、高梁の新町に写真機店(店名を忘れた)があったから、あとあと乾板を買う必要もあるからそこで買ったのだろう。
 現像と印画は家でやっていたようだ。薬や印画紙がたくさんあったが、少年のわたしが玩具にして露光させてしまった。
 なんにしてもインターネット時代はすごいものである。普通なら古物写真機マニアにしか分からないことが、こうやって分かるのだから。


2010/10/29

342【各地の風景】新潟の裏路地と巻町の鯛車を見てきた

新潟に行ってきた。毎年、各地持ち回りでやっている「全国路地サミット」なる会合である。
 昼間は路地をうろうろと歩いて、夜は飲む会である。それだけではまずかろうと、飲む前に一応のシンポジウムのようなこともやる。
 言ってることはいつも同じで、狭い路地はいいなあ、飲み屋もあるし、酔っ払っていても車は入らなくて安心だと、その開催した街の裏路地が好きなノンベの変人奇人たちがジマンするのである。

 新潟にもその類の男や女がいて、全国各地から来た物好きも入れて200人ばかり集まった。よそから来た奴も自分ところの路地のほうが狭い長い汚い綺麗とかなんとかジマンする。
 新潟の古町・本町あたりは、表通りは立派な中心商店街であるが、そのすぐ裏に入ると怪しげなお兄さんが客引きしたり、料亭・置屋・揚屋などの花街になるのが面白い。
 夜の宴会は、いまはもう閉鎖している待合をわざわざ開けて、仕出料理を取ってやった。さすがに新潟芸者を呼ぶには金の足りない会議であった。

 来年は東京の向島でやることに決まった。あそこは江戸時代の田圃がそのまま町になったところで、路地でないところを探すほうが難しいくらいである。
 あくる日は巻町に行った。鯛車でまちおこしの意気込みが面白かった。鯛車は新発田の金魚台輪が鯛になったものだが、大きさが断然違うのであった。

参照→住民による住民のための観光・巻町を歩く

2010/10/27

341【各地の風景】信州山中の金ぴか御殿

 信州安曇野の東隣あたりに、今は松本市に吸収されているが、四賀村というのんびりした農山村がある。
そこのクラインガルテンで野菜つくりと絵描きをしている旧友がいる。
 その娘夫婦は、いわゆるIターンでこの村にやってきて住み着き、専業農家をしている。いまどきそういう若者たちがいるのである。日本の将来は明るい。
     ●参照→はるばる農園

 旧友の作った野菜を仲間で食べに行く「収穫祭」と称する小旅行を毎年やっている。
 この村は松茸の産地である。今年は松茸が豊作とて、夜は市営のその名も「松茸山荘」に泊まって、松茸料理コースを堪能(?)してきた。
 このあたりは昔は善光寺街道の宿場であり、今も伝わる古寺や街並みも魅力的である。
 食べるだけでなく、近隣の古社寺や隣の安曇野に美術館をたずねる文化的なこともやる。
だがなんといっても、田園の人文と山並みの自然が織りなす四季の風景がすばらしい。風景を描くのが好きな旧友がここに来たわけも分かるような気がする。
   ◆
 そのようなのどかな農山村の中を徘徊していると、突然、白亜に金ピカと彫像装飾だらけの西洋の古城が出現した。
 信州ゴールデンキャッスルと看板がある。つまり金ぴか御殿か。
 ふ~ん、こんな山の中でラブホテルかよ~、それもいいかもなあ、なんて近寄ってみんなで車を降りて立ち並んで、その周囲の風景との対比のスルドサに呆然として眺めいる。
 ヨーロッパのどことかのお城みたいだ、あ、ノイシュバンシュタイン城なら行ったことがあるぞ、でもちがうなあ。

 すると中から宮廷衣装のお姫様ならぬ普通の洋服を着た女性がでてきて、案内パンフレットをくれる。
 聞けば、ここはなんとあの伝統ある居酒屋チェーン「養老の滝」の創業者である会長の故郷であり、その関連会社が経営する結婚式場だそうだ。まあ、ラブホと縁がないでもない。
 この白亜西洋古城風彫像行列デザインは、その会長さんのご趣味であるとのこと。

 裏山も西洋風か日本風か分からない豪華な造園をしておられて、庭のあちこちになんだか値段が高そうな銘石類を配置というか展示してあり、ひとつひとつに名札を立てておられる。ついでにお買いになったお値段も書いてくださると分かりやすいと思った。

 多分このあたりの大地主さんだろうから、これからは裏山のほうばかりではなく、周囲の農家も田圃も全部に手入れをしていただいて、田園はベルサイユ宮殿ばりの花咲き池のある大庭園に、家屋は西洋農家風にフランス瓦とスタッコ壁で緑の窓枠なんて模様替えして下さると、実によろしい様な気がいたしました。

2010/10/25

340【各地の風景】上高地に山岳部時代思い出センチメンタルジャーニー

 何しろ晩年を迎えているのだから、特に深刻でもないが、今のうちにできることをしておこう思う。そのひとつにセンチメンタルジャニー、つまり感傷旅行がある。
 若い頃に訪ねて印象深かったところを、もういちど訪ねて、わが人生を振り返るのである。振り返ってどうするってことではないが、まあ、身体能力の差を明確に確認することはできる。
    ◆
 信濃から越後へと1週間の旅をぶらぶらとしてきたが、その中で日本アルプスの登山基地である上高地を訪ねる感傷旅行をした。
 半世紀以上も昔になったが、大学山岳部の春合宿で、初めて上高地に入り、帝国ホテルに泊まった。といっても積雪期はホテル営業はしていないし、たとえ営業していても学生が泊まれるところでもなかった。泊まったのはホテル管理人の家であった。登山者たちを泊めてくれていたのだ。
 その後、いつの日か上高地帝国ホテルに泊まりたいと思っていながら、いまだに果たせていない。それで今回は遂にその宿願を果たした。というのは嘘で、松本駅前のビジネスホテルに泊まっての日帰りであるのが、情けない。
 上高地までバスで行き、帰りのバス時間を決めておいて、その間で行き着けるだけ行って戻ってくることにした。
なんだか東京繁華街並みのにぎやかな河童橋あたりを抜けて奥へ奥へと歩き出す。
 紅葉が美しい林の中を植生を楽しみながら、ときどき林が切れて梓川と穂高の山並みが顔を出す雄大な風景を楽しみながら、徳沢園まで6.5km、往復13kmを歩いた。
    ◆
 昔々、初めて上高地に入った山岳部合宿のときは、西穂尾根に登って西穂高岳まで行く予定は、尾根の上で吹雪の日々が続いてテントに閉じ込められて敗退した。もちろん島々から重い荷物を背負って雪道を徒歩で往復である。
 次の年の夏は剱岳から縦走してきて、横尾にテントを張って屏風岩を登攀した後に、歩いて上高地に下り、更に歩いて島々まで下った。
 その秋だったか、島々から徳本峠を越えて上高地に入り、涸沢でテント生活数日、北穂高岳滝谷の岩場登攀、奥穂から槍ヶ岳に縦走して帰ったこともあった。
それが今ではもう下から眺めて、それらの思い出を心の中で反芻するだけの、センチメンタルジャーニーである。もし次のチャンスがあるならば、せめて横尾から屏風岩の下まで行って見たい。往復20kmを超えるが。

2010/10/18

339【世相戯評】ミラノとベルガモを間違えたように羽田と成田を間違うよ

 羽田空港が国際化されて、成田と両方が国際空港になるそうだ。不案内の外国人が困ることが起きるであろうと、他人ことながら気になる。
 それは、わたしが困ったことがあったからだ。

 ミラノにはマルペンサとベルガモの二つの空港がある。あれはもう15年ほども前のことだったか、知人と二人でフランクフルト経由でミラノに降り立った。
 ミラノ都心までバスで行く予定にしていたので、バスターミナルに行った。

 ところが事前に調べていたミラノ都心行きのバスが見つからない。そのあたりの人に聞いても、そんなバスはない、ミラノ空港行きバスならあるという。
 だってここはミラノ空港だろう、何言ってるんだよって、数人に聞いても同じようなことを言って、なんだかよく分からない。もちろん言葉が通じにくいのは当たりまえ。

 どうも変なので、空港の中まで引き返して案内所で聞くと、分かった。
 ここはミラノ空港ではなくて、ベルガモ空港だという。え、ミラノじゃないの?
 なんとまあ、ミラノが霧で降りられなかったので、ここに降りたという。だからミラノ空港までのバスで行って、そこから都心に行けというのだ。

 こちらはてっきりここはミラノ空港だばかり思い込んでいて、その前提で人に聞くから、変なことになっていたらしい。間違いの原因はこちらにあった。
 でも、それならそれと飛行機の中で言いそうなものだと思ったが、考えてみるとフランクフルトで乗り換えたのが、ヨーロッパ内のローカル線なので、こんなことはよくあることとて、放送はしたのだろうが、ごく普通の調子であったのだろう。こちらはそれに気がつかなかった。

 羽田に下りたはずが成田だったの感じで、ずいぶん距離は違う。そんな間違いがこれからありそうだ。

2010/10/15

338【怪しいハイテク】検察官が証拠物件のフロッピディスクデータ改竄とは

 検察官が証拠品として被疑者から押収したフロッピーディスクのプロパティに手を加えて、文書作成日付を検察側に都合がいいように書き換えたという検察官の犯罪事件が、いま世を騒がせている。
 わたしはデータのプロパティの書き換えができるなんてことは知らなかったが、それを知っていた検察官も、書き換えたことがディスクに記載されるってことを知らなかった。
 もしも裁判でそのディスクが証拠品として提出されたとしても、それを専門家に鑑定されると、改竄がばれたはずである。

 今回は裁判の外で新聞記者がばらしたので、その被疑者の上司が冤罪だった無罪判決と共に、社会的事件となっている。
 こうしてみると、電磁記録による証拠なんてものは、本当に証拠となるのだろうか。ディスクの中の奥の奥まで見ることができるということは、奥の奥まで改竄することができるってことだろうと思うのだ。

 今回はそこまで知らない人の仕業だったからばれたけれど、これからはそうはいかない。だから改竄しないようになるのではなくて、奥の奥まで改竄できるソフトウェアが出回るに違いない。
 こうなると、手書きのものしか証拠にできなくなる時代に逆戻りかもしれない。
 あ、それも高級テクニックで手書きを改竄することができるようになるかもなあ。いたちごっことはこのこと。

2010/10/14

327【世相戯評】元に戻っただけ

 地球の裏側で土中深くに閉じ込められた33人の人たちを、長尺の穴を掘って助け出す作戦が成功したとかで、新聞テレビはこのニュースで持ちきりである。
 個人名から顔写真一覧まであって、普通の報道でここまでするものかしら。
 それはそれでよかったのだが、この原因が天災ではなくて、鉱山の落盤という産業事故であることが気になる。なぜ事故が起きたのか、そのあたりの報道が全く無い。

 いかにも美談らしく報道しているが、実は人災の大事故の始末なのである。
 現場に国旗や国家が登場してくるのは、お国柄や人さまざまであるが、こちらではそれはないだろうなあと思う。

 考えてみると、この事件は何も前向きのことはなくて、地上に戻ってきて元に戻っただけである。
 こちらでおきた事件で、厚生労働省の局長が冤罪逮捕から裁判で無罪になって戻ってきたのと同じである。
 マイナスの状況がプラスマイナスゼロになっただけで、本当は喜ぶのはおかしいはずである。
追記101015)
 今朝の朝日新聞に、33人閉じ込め事件のチリの鉱山は、これまでも事故が頻発して問題となっていたと記事が載っている。全員無事に救出できたから、ようやくその面に眼が向いたか。

2010/10/09

326【世相戯評】差別意識が見えるノーベル賞

 インドで新言語が発見されたとの報道がある(2010.10.05朝日新聞夕刊)。500人ほどの人がしゃべるコロ語だそうである。
 これってまるでコロンブスの新大陸発見みたいに、発見するほうとされるほうという極端な差別意識がある。発見するほうが常に先進文化で、されるのは後進であるとの意識が見える。
 コロ語をしゃべる人たちは、発見される立場なのか、誰が発見するのか。この報道の元が、USAナショナルジオグラフィック協会だというのだから、なるほどそうかと思った。
 一時ナショナルジオグラフィックを定期購読していたことがある。記事は面白いのだが、いつもその西欧的な眼で未開の文化を「発見」する差別意識が見え見えで気になっていた。
 今に日本のどこかの村で新言語を「発見」されるかもしれない。
   ◆
 国会議事堂の中で、雑誌の商業的タイアップ記事の写真を、女性代議士をモデルにて撮影したのは、ケシカランと男の議員が怒っているとの新聞記事がある。
 神聖なる場所を穢した、ケシカランと言うのだそうだが、ヘンである。
 ファッション雑誌に載るようならようやく国会も庶民に近くなってきたのであろうに。
 税金で作って、税金で運営してるんだから、神聖なる場所を穢すなんて、差別用語を使って忌避してはいけませんよ。
 ところで国会を舞台にしたテレビドラマとか漫画とかはあるのかしら? 無いとしたら、似たようなイチャモンがあったのだろうか?
   ◆
 2010年のノーベル平和賞は、中国の獄中にある民主運動の活動家だそうである。
 中国政府当局はカンカンにお怒りらしい。個人的なことなのに、ノルウェーと国交断絶なんて、見当違いのことをするかもなあ。
 でもねえ、去年はオバマだったし、その前はアウンサン・スー・チーとかダライ・ラマだったし、日本で唯一それは佐藤栄作であったよなあ。なにか筋があるのか考えてもスーチーと佐藤栄作なんて天地の差で、なんか分からんよなあ。

 そもそも平和賞なんてのは、極端に政治的な代物であるから、アチラから見れば平和主義者、こちらから見れば政治犯となるのはあたりまえである。
 その点ではノルウェーのノーベル平和賞委員会ってところは、度胸があるなあ、としか言いようがない。
 平和賞なんてものが存在する世の中がそもそも間違っている。

 ノーベル賞も「授与」するって言うから、授け与えるほうと受け戴くほうの間の差別感が著しい。
 王権にある者が特権階級を保証する勲章や爵位があった時代のそれと同じように誰もが思っているらしいが、どうも前近代的である。
 いつも思うのだが、賞なんてものは授与するものじゃなくて、感謝して贈るものであろう。例えば文学賞はたいていは「贈呈式」といっているから、贈るものであろう。もっとも出版社が贈るのだから、儲けさせてもらうお礼かもしれない。

 だとすればノーベル賞だって、社会のために有意義なことをした人たちへの、世界の人々からのお礼の贈りものであり、それをノーベル財団の寄附で行なっているという風にならんもんですかねえ。
参照→254授与と贈呈

2010/10/07

325【本づくり趣味】「まちもり叢書」縁起

 以前に書籍の手作りなる趣味をはじめたことを書いた。
 306手製本2種http://datey.blogspot.com/2010/08/306.html
 268本作り趣味 http://datey.blogspot.com/2010/05/268.html
 本日、第5号「街なかで暮らす」ができて、これまで5種類の本を編集したことになる。
 そこで、よく会う人たち、久しぶりに会う人たち、その人が読みそうなもの、というより、その人に読ませたいものを選んで手製の本にして、勝手に押し付けている。
 5種類ともなると、なんだかシリーズになるような気がしてきた。
そこで「まちもり叢書」と名づけることにした。随時出版つまりDTPである。
 各本の最後に下記のようないわれを書いた。

●まちもり叢書縁起 2010年8月 まちもり散人
 長い人生で仕事やその周辺、そして趣味でたくさんの文章を書いてきた。いわゆる商業出版物は、共著も含めて10冊くらいだろうか。仕事でまとめた報告書なる印刷物は、200冊を越えるだろう。それらは商業出版ではないが、わたしとしては面白がって、私見もたくさん書き込んだものである。雑誌への雑分類の寄稿もある。
 それらの昔の頃からの書き物を整理して、2000年末からインタネットサイト「まちもり通信」に掲載を始めた。そのうちに書き下ろしも載せるようになり、ついには2008年からブログ「伊達な世界」も始めた。ぼう大なファイル数のサイトになってしまった。
 実は10年くらいまえに、主なものをまとめて出版しようかと思ってその気になった。だが思い直した。これほどにインタネットが普及すると、紙情報よりもこちらのほうが優れていると思うようになった。絶版はないし、誰でもアクセスできるし、ほとんど無料だし、随時公開できるのである。
 だが問題は、読ませたい人が読んでいただいているかどうかとなると、インタネットはまことに心細い。これが書籍ならば、こちらから一方的に直接押し付けて、読め読めと催促できるし、読む人も持って歩いて電車でも読める。
 そこで考えた。ジャンルを決めて編集し、机上でデザインして編集、プリントして装丁・製本、趣味の手作り本にして、そのときどきの見せたい人に配ることにしたのである。
 題して「まちもり叢書」、随時出版、つまりDTPである。
 今これをお読みの方は、その被害者のお一人である。なにとぞ、徘徊老人のボケに免じてご容赦を。

 そして現今既刊と将来刊行見込みはこうである。

●まちもり叢書・趣味の卓上手作り出版
―――既刊(2010.10時点)―――
父の十五年戦争/神主通信兵の手記を読み解く
波羅立ち猜時記/日々の小言僻言繰言寝言
・街なかで暮らす/あぶないマンション・いらないバイパス
―――続刊(見込み)―――
・建築保存とは何か/赤煉瓦東京駅舎の復原から考える
・中越山村の四季/棚田の米つくりから見てくること
・自然の風景・文化の景観/なにもかもが人間の仕業
・山口文象/時代の先端を駆け抜けた異色建築家
・高梁川/鎮守の森から

 さて、続刊できますかどうか、われとわが身を試すお楽しみである。

●参照⇒「まちもり叢書」ブックレットシリーズ

2010/10/03

324【言葉の酔時記】アパートと共同住宅とマンションはどう違うのか

 少年が放火で逮捕されたというニュース。その中味はともかく、新聞によって下記のように放火建物が違うのである(いずれも「あらたにす」サイトから引用)。
 読売では「アパートから出火、木造2階建て約670平方メートルを全焼」、
 日経では「アパートから出火、木造モルタル2階建て計約650平方メートルを全焼」、
 朝日では「共同住宅付近から火が出ていると119番通報」
 これらのアパートと共同住宅にはどのような差があるのだろうか。
 新聞社によって書き方が違うのかと思ったら、朝日には「隣のアパートに住む女性(26)は火事に気づいて外に出た際、」ともある。放火の「共同住宅」の隣には「アパート」があるらしい。この違いは何だろうか。
 国勢調査では、アパートもマンションも共同住宅に分類されている。
 2階建てならアパート、3階以上ならマンションというのも珍妙である。長屋(テラスハウスなるものもこの形式)はなんと言うのか。
 不動産屋が誇大セールスのために勝手につけた奇妙な名前にしたがって、新聞屋もいちいち違えて言うからおかしくなるのだ。
 1棟2戸以上の建物は全部「共同住宅」にして、2階建て部屋割り型(いわゆるアパート)とか、2階建て連戸型(いわゆるテラスハウス)とか、30階建て区分所有型(いわゆるマンション)とか、くっつけてはどうか。
●参照→くたばれマンション



2010/10/01

323【世相戯評】正義を振りかざす

 なんでも検察官が、犯罪者の犯行の証拠品を改造して、無実の人に罪をかぶせようとしたとかで、マスメディアがけしからんとボロクソに言って騒いでいる。
 ちょっと待てよ、その罪をかぶせられようとして無実なのに逮捕された厚生労働省の逆転無罪局長は、その当時マスメディアから犯人扱いされて、ケシカランとボロクソに言われていたような気がする。
 ということは、こんどの逮捕された検察官をボロクソに言っている今の報道は、もしかしたらこれも怪しいような気がする。またもや逆転無罪検察官になって、大恥をかくかもしれないぞ。
 社会の木鐸だとか言って、マスメデディアは正義を振りかざしたがる。どこから正義でどこから不正義なって、ホンマは分からんことだよなあ。
 最近アメリカの大学教授が「正義について語ろう」なんて名講義をして、日本でも大評判らしい。
 でもなあ、「正義」を振りかざされると、なんとも胡散臭いと思ってしまって、そちらさまでご勝手にどうぞ、わたしは敬遠しますって、言いたくなるのである。

2010/09/29

322【世相戯評】国勢調査にいちゃもん

 5年ごとに行なう国勢調査の調査票が来た。郵送でもよくなったのが、まことによろしい。
 記入していて、いろいろ気づいたこと。

男女の別」の記入だが、国勢調査は実態を把握するものであるらしいから、昨今のような性同一性ナントカントカを言われる時代となって、「男」「女」か迷う人もいるだろうし、男女どちらでもない「その他」の欄が必要かもしれない。5年後の調査にはそれが登場するだろうか。

出生の年月」に、以前は無かった西暦での記入が登場したのは、時代の移り変わりだろう。

配偶者」とは何か、これも難しいことがありそうだ。届出は配偶者であっても、実態はそうでないときは、どう記入するのかしら。同居していて、一方はそう思っていても、もう一方はそうではないかもしれない。同性の場合でも、互いにそう思っていると配偶者と書くのであろうか。
    
住居の種類」で、公営住宅が選択肢に無い。多分、「都市機構・公社等の賃貸住宅」なのであろうが、解説に列挙してある中に公営住宅は無い。国政府の調査で「など」の一部になるほどに、日本の公営住宅政策は落ちぶれてしまったのである。

住宅の建て方」の選択肢に「マンション」が出てくるかと思ったら、そうではなくて「共同住宅」となっていて、これでよろしい。解説には共同住宅の例にマンションの言葉もあるが、欧米系外国人が読んだら頭を傾げるだろう。

住宅の面積」の選択肢に、20㎡未満があるのが悲しい。上は250㎡以上でまとまってしまうのも寂しい。
    
教育」の選択肢に「在学中」「卒業」とあるが、これだと「中退」の場合はどうするか困りそうだ。多分、「卒業」のほうにするのだろう。
 学校の選択肢に「高校・旧中」とあって、「旧中」の解説で旧制の尋常中学校などが例示してある。生まれ故郷の町に旧制中学校があったが、戦後の学制改革で新制の高等学校となり、別に中学校が新設された。大人たちはしばらくの間、元の中学校が新制高校となっても中学校とつい言ってしまって、商品の配達先や子供のお遣い先やらの間違いがよくあった。新制の中学校は「新中」といっていた。

9月24日から30日までの1週間に仕事をしましたか」という問にも、自由業の者は回答に困る。例えば、売れない文筆業ならば、その期間に書いた原稿が売れたら仕事したことになるし、売れなければそうでないから、今の時点で回答できない。また例えば、都市計画審議会の委員をやっているとして、会合の日の日当は出るが、その前の下調べとか終わってからの検証とかやらなくてもよいことをしたら、これは仕事か仕事でないのか。
    
 以前の調査には「年収」の欄があったが、今回は無いのはどうしてだろうか。
 全体に調査項目が少ないような気がする。こんなに金かけてやるのだから、もっと詳しく聞いてはどうか。
 例えば、お酒を飲みますか、なにが好きですかなんてあって、日本酒やら焼酎やら選択肢があると、書き込みも楽しいのだがなあ。旅行にはどこに行きましたか、とかね。え、どうでもよい?、いや、日本の産業振興のための統計になりますよ。

 あ、そうだ、総務省の調査なんだから、ぜひとも血出痔問題についても聞いてほしかったぞ、賛成、反対なんかね、わたしは断然反対、個人財産を国家が補償なしに廃棄させるのはファシズムであるってね。

2010/09/28

321【東京風景】六本木から神谷町へ

  今年の夏はあまりに暑くて、徘徊老人をやることができなかった。机上のPCに向ってばかりいたのだが、どうも運動不足の上、姿勢が悪かったらしい。ちょっと腰をひねると、イタッとなるぎっくり腰もどきである。正しい姿勢で徘徊運動再開が望ましい。
さて、猛暑から突然の晩秋である。出歩くには絶好である。小雨のなかを六本木から神谷町まで、ぶらぶら徘徊した。
   ◆
 地下鉄六本木駅から久しぶりに六本木交差点に出た。防衛庁跡地の「東京ミッドスクエア」開発を見る。この前は一昨年だったろうか、まだ工事中であったが、すっかりできあがっている。
 超高層建築はなんだかつまらないデザインである。「ガレリア」なるサントリー美術館が移ってきた大きな吹き抜けのも、今時では陳腐なものである。
 外は開発緑地と檜町公園(既存改修)とが連続していて大きな都市のオープンスペースとなっているのが、なかなか良い。
 その開発緑地の隅っこに、平屋で横長の三角屋根が見える。「21‐21design site」なる美術館であるらしい。安藤忠雄の設計であるから例によって遺跡、割り込みデザインである。
 入ってみると、現代アート見世物展覧会であった。佐藤雅彦ディレクション「“これも自分と認めざるを得ない”展」だそうである。大勢の若い男女が、コンピューター仕掛けの見世物に嬉々としていた。このような見世物アートは好きだが、仕掛けが見え見えなのがちょっと気にいらない。
    ◆
 六本木から檜町公園下までずいぶんレベル差がある。このあたりは全く起伏の激しい土地である。東京だからこんなに斜面でも何でも建物を建てているが、田舎なら森の丘陵と入り組んだ谷に水が流れる地である。
 檜町公園の下、赤坂中学よりに、屋敷の林の中にずいぶん古そうな廃屋寸前に見える木造家屋がある。一昨年にきたときもあったが、今度も健在であった。ミッドタウンの超高層との取り合いが面白い。
 昔々、なにかの用事で六本木駅から防衛庁の横の細い道を下って、赤坂秀和レジデンスに行ったことがあったことを思い出した。あの寂しいところがこんなになったのか。
    ◆
 氷川神社を経て六本木二丁目方面に移動する。氷川神社の森はここが東京の真ん中かと思わせる。山王日枝神社みたいにこの空中権を移転して開発するって話がありそうなものだが、どうなのだろうか。
 一山超えてアークヒルズの近くまで来る。アメリカ大使館の下にある神社境内から見る超高層群も、鳥居と取り合わせるとなんだか妙なものである。
 首都高の谷町ジャンクションに来る。ここは三角の交差点が三角の高速道路に囲まれ、下には駐車場などで、上も下も環境も景観も悪い、全くもって雑駁きわまる空間である。アークヒルズが都市空間をあれだけ一生懸命につくっても、この交差点のあまりのひどさに帳消しになってしまう。
 森ビルの開発の手は、アークヒルズの周りに伸びているが、すぐ南の二つの寺はまだ手がついていないらしい。道源寺の昔なりの墓地と本堂、庫裏が健在である。墓石、石仏と超高層との取り合わせはなかなかよろしい。

 また一山超えて神谷町にやってくる。
 オヤ、「虎ノ門パストラル」(農林年金会館)を取り壊している。新館のほうはけっこう新しいはずだったが、もう壊すのか。超高層のオフィスや共同住宅に変るのだろうが、なんだかもったいないような気がする。ここの会議室はけっこう使ったことがあるから、特にそう思う。
 愛宕山の西側にやって来ると、木造家屋が立ち並ぶ一角がある。ここは日本都市計画家協会への通勤でよく通っていたから、山の東側に建つ超高層との取り合わせを楽しんでいたが、まだその風景は健在であった。
 虎ノ門三丁目のあたりは、広く工事用の塀で囲って、建っていた建物がすっかりなくなっていた。環状2号道路の建設が始まったのだ。
 それにしてもこのあたりは建物が立ち並んでいて、いつも見慣れた風景であったのに、なくなってみると何があったかほとんど思い出せないのが、不思議である。

2010/09/22

320【法末の四季】今年の稲刈り

中越の棚田の山村・法末での米つくりは4年目に入った。先日、今年の稲刈りをしてきた。日照りで水不足と聞いていたが、実際はよく実っていた。棚田の場所によっては水不足もあったらしいが、わたしたちの田は大丈夫であった。
 3枚の棚田のうち、初日の午前中に下の一枚を3人で刈り取った。バインダーなる機械を使ったから、3人でも効率が上がった。
 後からやってきた7人を加えて10人で、その日の午後と次の日の午前中ですべて刈り取り、ハサ掛けを終えた。2週間後に脱穀である。
   ◆
 集落では超高齢化が進んで、農作業から離れていく人たちがボツボツと出てくる。
 わたしたちの仲間は、今年はこれまでところに加えて更に2枚の棚田をつくった。この棚田は、去年までは元気であった長老格の人のものだが、体調が悪くて仲間が米つくり支援を引き受けた。これは仲間の一人ががんばって刈り取った。
 ほかにも米つくりを撤退しようかという人もいるそうだ。現実に耕作されていない棚田があちこちに出現している。
 まだ元気だが近くの街に引っ越して行き、こちらの家は農作業用にしている通勤農業の人もいる。あるいは高齢の親を支援して、近くに住む息子夫婦が農作業にかよってくる例も多い。
   ◆
 80人いるかどうかの集落だが、毎年1~2人の死者が出る。入ってくる人はいない。
 この冬は自死者があったそうだ。この男性は首都圏のある都市からこちらに10年位前にやってきた。年金生活者のようであったが、モダンな家を建てて、山野草や盆栽が趣味であった。
 いちど訪ねてその沢山の鉢植えを見せてもらったことがある。解説を聴いたがこちらにその趣味がないのでよく分からない。周りの山の中から珍しい品種を採集して育てるのだそうである。なるほど、こういう趣味でここに住むのは、それなりに目的に適うものであると知った。
 そんな積極的な生き方をしているように見えた人だったのに、この冬、山中の深い雪の中で遺体が見つかり、覚悟の自死であったという。
 それ以上の詳しいことは知らないが、考えようでは、この山里を死に場所として選んだのかもしれない。生きがいのある場所でもあったが、死にがいのある場所でもあったのだろうとも思う。
 この「死にがいのある場所」とは、なかなかに深い含蓄があると思うのだ。
 自分の終焉の場を自分で選ぶのは、実際は難しい。美しい山野があり、清くて深い雪のあるこの地を選んだその人の気持ちが、おぼろげながら分かるような気がする。

2010/09/21

319【東京風景】変りゆく東京駅八重洲口の風景も面白い

去年のはじめに東京駅の八重洲口に行ったら、巨大な真っ白な壁が出現していて驚いた。大丸取り壊し工事のための囲いである。この白い壁の架かる前は、ビルの黒いガラスのカーテンウォールであった。
 ごたごたした八重洲駅前に、幅200m、高さ50mくらいの真っ白な壁が立ちあがるのは、クリストのアートかと思わせるようなシュールリアリズムの光景であった。ただ真っ白で、いまどき流行の広告もなくて、潔かった。
   ◆
 先日久しぶりに八重洲通りから東京駅を眺めたたら、白い壁は下のほうに一部だけになっていて、丸の内側の高層ビルがいくつも見える。
 このビルを壊した跡は低層の建物を建てるらしい。新しい八重洲側の顔になるだろうが、上空に見える新丸ビルと丸ビルの超高層風景は、なんだか正面性がなくて中途半端にごたごたしている。
 それは八重洲通りと丸の内の駅前通り(通称・行幸通り)とが、軸がずれているからだ。八重洲側から見ると半端に正面に立つ新丸ビルの、これまた半端なデザインが気になる。
 丸の内側のビルの建築家は、八重洲から見える景観を考えて丸の内のビルを設計すべきところを、多分、忘れていたのだろう。
 同様に今後は、八重洲・京橋側の建築のデザインは、丸の内から見通す景観を考えて設計しなければならない。
   ◆
 八重洲口から東京駅に入るには、この工事中のごたごたしたところを通り抜けなければならない。
 そこを歩いていてふと思い出したのは、あれは1954年だったと思うが、修学旅行で東京に行き従姉にあったときが、まさにこんな工事中の東京駅であった。ごたごたした駅を通り抜けるときに、いま駅ビルを工事中なのだと教えてくれて、どこかのレストランでエビフライをご馳走してもらった。
 そのときは、いま壊しつつある駅ビルが完成間近の建設中であったのだ。あれから55年でビルは命を終えた。
 わたしより後から生まれてきたあんな巨大で頑丈なものが、わたしよりも先に消えるなんて、なんだかこちらが長生きしすぎているように思えてくる。

2010/09/16

318【老い行く自分】目も耳も人の縁も遠くなるばかりだなあ

 年取るとオシッコは近くなるが、逆にいろいろと遠くなることが起きる。目と耳がいちばん典型的である。縁も遠くなる人が増えてくる。
 わたしはまだ耳も目も、まだ遠くはなっていないと思っているが、それはこちらが勝手にそう思っているだけかもしれない。
 ただ、聞くのがめんどくさくなることが多くなった。話し相手でも会議での発言者でも、小さな声でぼそぼそしゃべるのは、もう聞かないことにしている。耳をそばだてるのが疲れるからである。
 居酒屋のガヤガヤのなかでも、若いときはしっかりと聞いたりしゃべったりしても、特にどうってことなかったが、今はどうせそんなところでの話だから真剣でなくてもいいやと、聞く努力をしないのである。聞こえる音をただ音として聞いているだけ。これが老人のボンヤリ姿になるのであろう。
 これは多分、同時に聞こえるほかの雑音との聞き分け能力、脳内仕分け能力が老化減退しているのだろう。
 勝手ツンボは、まだ芸がなくて、できない。
    ◆
 目が遠くなるのはまだ来ないが、乱視近視遠視(目が遠いと遠視とは違う)は進むようだ。若いときは変な姿勢で本を読んでも平気だったが、いまは寝転んで読書はちょっとつらい。目がチカチカ、腕がくたびれる。
 ただ、目が遠いフリをしておいたほうがよいように思う。なにしろ、人様の顔と名前を覚えるのが不得意のうえに老化が進んで、最近会った人も忘れる。次に会って向うから挨拶されても、忘れたのじゃなくて目が遠くて分からなかったと、すり抜けるのである。

2010/09/15

317【くたばれマンション】衣のファストフード、食のファストファッション、そして住のファストハウス、ファストマンション

 衣食足って礼節を知る、と、昔の人は言った。
 一般に衣食住と3つを並べていうけど、なぜ住はなくても礼節を知ることができるのか?
 食は足りすぎた先にファストフードとかジャンクフードとか、立ち食い屋みたいなどうにも礼節のない輩が登場している。

 では衣はどうか。最近はユニシロとかでてきて、それを真似するて安売り衣料屋が流行るとかで、それらをファストファッションというそうだ。
 ファストフードもファストファッションもそれなりに美味いものもあり、格好も良いものもあるのが、なんだか癪に障るが、戦後半世紀以上経って衣食はようやくそこまで来たってことである。

 で、残りの住はどうか。ファストハウスとかファストマンションとか、そんなものがあるのだろうか。夜な夜な立ちあがるダンボールハウスのことか。
 住だけは安くて品が良いってファスト段階にはいまだに及ばなくて、高くて品が悪い名ばかりマンションがはびこっている。衣でいえばプレタポルテ時代だな、食で言えばいまだに代用食時代だな。

2010/09/09

316【都市・地域、くたばれマンション】首都圏の住みたい街アンケート回答御三家は吉祥寺・自由が丘・横浜だって?

 マンション販売屋の大手8社が調査した、首都圏での住みたい街アンケートが発表されている。http://www.major7.net/contents/trendlabo/research/vol013/
 2005年から2010年までのランキングを見ると、毎年ベストテンに登場しているのは、吉祥寺、自由が丘、横浜が毎度のトップ御三家である。そのほかは二子玉川、恵比寿、広尾、鎌倉が毎回登場している。ふ~ん、そういうものなのか。
 マンション屋のアンケート調査だから、共同住宅を買って住みたい街はどこかという問いであり、一戸建て住宅や賃貸住宅は回答の対象ではないであろうことを前提に考えなければならない。
    ◆
 この中で横浜と鎌倉はほかと比べてエリアが広すぎるけれど、多分、共同住宅が多く建つところでそれなりに地域イメージがあるのは、横浜ならば関内あたり、鎌倉ならば旧鎌倉の市街地を言っているのであろう。
 東京では下町はでてこないし、千葉方面もない。ベスト20くらいまで入れると、豊洲や浦安が出てくる。
 川崎は、武蔵小杉だけが登場する。最近になって、大希望工場跡地ににょきにょきと超高層共同住宅群が登場した。マンション屋としてはイメージ作戦で武蔵小杉をベストテンに入れさせたかったのであろう。でも、あの街のどこがよいのかしら。環境とか景観よりも、比較的交通便利で比較的安価が理由であろう。
    ◆
 吉祥寺と自由が丘が毎年トップを争っているが、どちらもわたしには縁が深い町である。
 自由が丘は大学時代は遊ぶ街であったし、家庭教師アルバイトの街であった。その後も日吉に住んで通勤の行き帰りに何かと縁がある。いまでもたまに昔からの飲み屋に行く。あんなゴチャゴチャしたところが、どうして住みたい街なのかしらと首を傾げたくなる。
 吉祥寺は1970年代に、まちづくりに通っていた街である。その伊勢丹ができてからがらりと変わった。まあ、住みたくなるような街を作ったひとりかもしれないとも思う。でも、東京でトップになるってのがよく分からない。
 二子玉川は、学生のころは山岳部トレーニングでマラソンしてよく行った。その後は幼い息子をつれて遊園地に行った。あのあたりは上野毛からの台地にお屋敷があって、庶民が住みたいと思うようなところではなかった。それが高島屋のショッピングセンターができてから、ガラリと雰囲気が変わった。いまは遊園地であったところに超高層マンションが建ちつつあるらしい。
 恵比寿も昔はどうってこともないところだった。大きなビール工場があり、あたりは起伏の多いゴチャゴチャとした住宅街であった。ビール工場の跡地開発が街のイメージをがらりと変えた。
    ◆
ここまでを見て、自由が丘だけがずいぶん違うことに気がついた(横浜と鎌倉は別格)。どこも何か大規模な開発があってガラリと転換して行ったのだが、自由が丘は特にそのようなこともなく、狭い道のままに、じわじわと住宅街に商業が滲み出しつつ、なんとなく賑わいが出てきた街である。駅前の姿なんてわたしの学生時代と大差がない。ちょっと妙な街である。
 鎌倉は四半世紀住んだところ(ただし共同住宅でない戸建住宅)、横浜の関内の隣の関外に現在は住んでいる(ただしマンションではない賃借共同住宅)。東京の吉祥寺や自由が丘には住めなかったが、わたしもまあまあのミーハー居住地選択だった。そうだ、学生時代には自由が丘の隣の緑ヶ丘に住んでいたぞ、大学の中の寮だけど。
●参照→251百貨店時代の終わり

2010/09/08

315【各地の風景】浅草寺の門前町に今じゃあ建築という見世物小屋も建つんだな

 建築は見世物である。最近そう思うと、いろいろなことが分かるようになった。
 建築家は、自分のことをもちろん建築家というし、設計するものはもちろん建築と言うが、同時に「作品」とも言う。
 つまり、画家とか作家とかに肩を並べて「家」をつけたがるし、設計したものは絵画や小説と同じに芸術品でありたいらしい。
 ところが世間ではそうは言っていないのである。「建物」をつくる「設計士」である。街の不動産屋さんは「物件」という。どちらも「物」である。設計士と言うと、弁護士と肩を並べているようだが、どうも庭師とか指物師のような職人に聞こえる。
    ◆
 ヨーロッパに初めて行ったのは、もう40年も前だった。都市の観光コースには必ず地元のガイドが乗ってきて、ひととおりの説明をする。
 こちらは建築史の出だから、都市によっては世界的に有名な建築があって、写真で知っている現物に出会って驚き、喜ぶこともしばしばある。
 そのような建物の説明は現地ガイドはその設計者も入れて説明する。こちらは知っているから、ああ、あの建築家の名前を言っていると、外国語でもある程度は分かる。
 ところが、これを日本人通訳が翻訳すると、必ずといってよいほど建築家の名前を言わないのである。それは多分、怠慢ではなくて、建物ごとになんで設計した人の名を言うのか、そのこと自体が理解できていないからであろうと思った。それが悪いといっているのではない。日本はそういう文化なのだ。
    ◆
 日本の観光名所に行って美しい建築があると、パンフレットなどに説明書きがある。そこには必ずといって良いほど設計者の名前があることはない。広さが広いとか、こんなに昔に建ったとか、柱が太いとか、欄間が精巧であるとか。だれそれという有名人が住んでいたとか、ようするに不動産の物件説明よりましな程度の見世物としての説明である。
 東京駅を今、昔の姿に戻す工事をしている。1945年に戦災で焼けた3階から上を復原するのだという。わたしに言わせると、戦災から復興したときから今までの姿こそが、戦争とその復興を記念する姿だから、昔の姿に戻すべきでないと思うのだ。

 ところが世間では、JR東日本はすごい、500億円もかけて、昔の姿に戻すとはえらい、コピーであろうとレプリカであろうと早く明治(実は大正だが)の栄光の姿を見てみたいものだ、なんて、もてはやすばかりである。
 単なる見世物として期待をするのである。ディズニーランドと同じである。

 さて、建築見世物論を十分に堪能させる建物が建ちつつある。東京は浅草の観音様の雷門、その道の向かいに建築中の「浅草観光センター」である。
 なんでも去年、台東区主催で建築デザインコンペをして、一等賞は隈研吾さんだったとかで、さて地元説明会も終えて着工したろころで、地元からクレームがついた。
 それが浅草寺と地元商店街からだそうだ。審査員には地元商業界代表もいたし、もう決まって半年以上たつのに、どうしたことか。
 WEBサイトを探すと、それらしい区議会への陳情書があり、「雷門を起点とする浅草寺境内の宗教的聖域性に調和しない同センターの高さなどの空間的実感について、地域住民および関係者の要望を反映して現行案を縮小するように変更していただきたく存じます」と再考を求めている。
 マスメディアの報道なども読むと、どうもデザインがどうとかではなくて、雷門が日陰になるのが嫌だという浅草寺の強硬なる意向に、観音様で食わせてもらっている商店街が同調したようである。
    ◆
 さて、そのコンペ当選案を台東区のサイトで見たら、なんともはや、これこそ神社仏閣の祭りのときににわかに登場して祭が終わると消えさる、あの懐かしい見世物の掛け小屋のデザインである。筵の掛け小屋が立体的に積みあがっているのだ。
 そのザンシンさに噴き出してしまった。さすがにあのバブル時代に名を成した隈さんである。これは21世紀の浅草凌雲閣である。あの関東大震災でもろくも折れた浅草十二階がこんな形で戻ってきたのだ。
 浅草寺のクレームは、高さだけに対するもので、デザインにではないらしい。その見世物小屋デザインは「宗教的聖域性」にはマッチしていると思っておいでなのであろう。そこのところが、まことに興味深い。
 コンペでは2等賞は乾久美子さんだったが、この案もなかなかに門前町らしい賑わいに富んだ見世物デザインである。わたしとしては隈案よりもこちらのほうが好きである。
 いずれも、なんでもありの日本の門前町の景観を、建築という見世物にして見せてくれている。
 といことで、こんなのが家の近くに建ったら、とてもじゃないがたまらないけど、浅草には見世物小屋がよく似合う。あ、そうそう、川向こうにある空飛ぶ黄金色のウンコも浅草によく似合う。

2010/09/07

314【横浜ご近所探検】日の出町から伊勢佐木町へ

市立図書館にぶらぶらと歩いて通う。図書館近くの日之出町界隈はどこか戦後の下世話な雰囲気がある。
「ストリップ浜劇」が幹線道路に面して建っている。その向かいには「光音座 神奈川で唯一のゲイムービー(成人向け)」と看板のある映画館もある。
 図書館の近くでは風俗営業は禁止であるはずだが、図書館のほうが後からできたのだろう。

 大岡川を渡ったところのビルの谷間に、2階建て瓦屋根の煉瓦造の蔵がひっそりっ建っている。1945年の戦災の焼け残りであろうが、寂しそうながらけなげである。
 もうすこし伊勢佐木町よりに、全身が緑のツタにおおわれていて、何階建てか分からないビルがある。もこももとした姿が、ドーモ君にソックリである。今ならエコビルといわれるのか。でも窓まで塞いで暗いから電気代がかえってかかるかも知れない。

 更に進んで伊勢佐木町になると真っ赤で巨大な蟹がビルの壁に張り付いて、眼、爪、脚を振りたてている。どこか大阪的などぎついユーモラスさがある。
 大阪と書いたが、この「かに道楽」創始者は、たしか但馬の城之崎あたりの出身であったと覚えている。昔々その人に会ったことがある。そうだ、思い出した、日和山観光の今津さんといった。エネルギッシュな人であった。
 ぶらぶら徘徊していると、いろいろと興味をそそられる物件がある。

2010/09/05

313【言葉の酔時記】ヘンな「させていただく」の大流行

これほどまでになっているのかと、驚いた。2010年9月4日の朝日新聞(Be on Sunday)にあるアンケート結果である。
「させていただきます」がヘンであるか、ヘンでないか4202人の読者に聞いたところ、変だ54%、変でない45%だというのである。
 おおそうか、これほどにも「させていただく」が、変でない言葉として普及しているのか。

 世の中の言葉はこうやって、正反対の方向に変わっていくのだろうか。
 とにかくわたしは「させていただきます」を聞くと、背筋がムズムズするので、できるだけ聞きたくない。珍妙な遣い方だとふきだしてしまう。
 アンケート回答にもその例があり、不動産屋にこのあたりの道は渋滞するかと聞いたら、「朝はかなり渋滞させていただきます」と答えたという。読んで吹きだした。

 ある会社に電話をして知人につないでもらおうとしたら、本日お休みをいただいておりますとか、お休みさせていただいておりますなんて答えがあった。
 ほかでも一度ならずそれがある。おいおい、おれは休ませろなんて言った覚えはないぞといいたくなる。

 もちろん使って良いときもあるのだが、ほとんど正しい使い方であることはないのが原状だ.。これほどの割合で正しいと信じている人がいるとはねえ。

(追記)9月6日朝刊に小澤征二さんが「ひとこと謝らせていただきます」といったとある。腰痛で予定していた指揮ができなくなった音楽会でのこと。
 小澤さんはわたしと同じ年齢であるはずだ。う~む、困ったもんだ。間違って遣ったのでないとすれば、謝れといった人がいたのであろう。
   ◆
 この言葉については既に別に書いているが、ここに全文掲載しておく。

●イチャモンコラム8月号●させていただきたくない
 「作業スタッフ4~5名で伺わせていただきまして、お部屋の中からお部屋の中までお運びさせていただきまして、インターネット割引をさせていただきまして、できるだけお勉強させていただきたいもので、上司に交渉させて いただきましたところ、100,000~120,000円(税別・保険代(1,000円))まで、何とかOKを、取らせていただいたのですけれども・・・」(原文のまま)

 これは最近、引越し見積もりをインターネットで取ったら、ある業者からの返答メイルの一部である。オオ、6回も「させいてたただく」の大インフレ。全文この調子で、目が引っかかってチカチカイライラする。

 この10年くらいだろうか、「させていただき」大流行、挨拶なんぞで舌を噛みながら言っているやつもいる。
 元来「させていただく」の意味するところは、「あなた様のご意思に従ってそのようにいたします」という謙譲言葉とわたしは解釈しているので、こちらがそうは思っていないのに勝手にそう思わせられては困るし、腹も立つのである。

 「お疲れさま」とか「ご苦労さま」とか、若いやつから言われるとムカッとする。
 言うほうは無邪気なもんだろうが、元来はねぎらいの言葉は上から下に言うものである。お前にねぎらわれるほどもうろくしてないよ。

 居酒屋で注文すると「それでいいですか?」、ムカッ、そんな安物注文で悪かったよなあ、俺はそれいいから注文したんだっ。

 電車で「お忘れ物ございませんようにご注意を、、」と放送、おいおい、車掌の荷物までオレが知るかよー、「ございます」は自分のことに使うもんだよー、・・なさいませんようにって言え。

 故障の時など「ご迷惑をおかけしました」といって、それでおしまいの放送がよくある。迷惑かけた認識はあるらしいが、だからといって「お詫びします」とは言わないから、詫びないのである。

 この暑いときに、どうか日常語くらいは、いらいらさせていただきたくないものである。年とると骨が折れることが多くなるもんだなあ。(020722) 

2010/09/01

312【横浜都計審】市民委員退任にあたっての反省記

 役人や大組織の人事異動のときの挨拶の言葉として、他に出て行く人は「大過なく無事に務めることができてありがとう」という。
 これに対して入ってくる人は「図らずも任じられて来ましたがよろしく」という。

 わたしが横浜市都市計画審議会委員を、2008年11月からやって今年の7月で任期を終えた。
 これに関して挨拶するとしたら、「図って任じられましたが、大過なく無事に務めて残念でした」ということになる。
 公募に自分で応募したのだから、図ったのである。

 大過なく無事で残念とは、あれだけ毎回がんばっても、毎回わたしの意見は通らずに、審議会は毎回何事も無く終わったということである。
 7回の審議会に一度の欠席もせず、毎回事前調査を現地や市役所で行い、毎回議案の問題点を指摘する意見を映像資料を使って発表し、終わると毎回の状況をその都度「まちもり通信」に掲載してきた。
 これを愚直といわずしてなんであろう。

 マドンナという議題を一生懸命追いかけて、自分では口説いているつもりが、結局は相手にされない。
 そして次の審議会という旅にでて、またしょう懲りもなく次の議題というマドンナを口説くが結果は同じ。まったくもってフーテンの寅さんの気持ちがよくわかった。
 あるいは風車に立ち向かうドンキホーテであったかもしれない。

 終わって反省と立腹とがあるので、一応のまとめをしておいたので、お暇な方はお読みください。
 
参照⇒あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている2013:横浜都計審の実態(要約版)

2010/08/31

311【くたばれ乗用車】ドケドケッてお顔の自動車

 自動車には興味がない。ただし、ジャマだという意味では大いに興味がある。
駐車場を通り抜けていて、ふと気がついた。なんだか睨みつける沢山の視線を感じるのだ。
 わかった、並んでいる乗用車の人相(車相か)がドレもこれも、典型的な悪人とか意地悪な面構えなのである。
 オラオラ、ボケッとあるってんじゃね~よ、ドカねーか。
 このド太いでっかいバンパーが見えねーのかよ、撥ねっ飛ばすぞー。
 奈良美智の作品に出てくる例の意地悪顔ソックリのものもある。でっかいグリルでっかい電球目玉で、真っ赤に塗ると祭りに出てくる唐獅子面ソックリの奴もいる。真っ黒でダースベーダーな奴もいる。
 昔オーストラリアのリゾートにいったときに(調査にね)、あまりに太くてでっかい頑丈なバンパーをつけている車ばかりなので聞いたら、カンガルーが突然飛び出すからだそうだ。アチラのほうがでかくて、車が壊れるので対策だそうだ。
 日本では、いまや歩行人間がカンガルーなみに扱われるようになった。
 自動車デザイナーというか自動車メーカーの思想がよく分かる。

2010/08/28

310【本づくり趣味】手製本「まちもり叢書」第3号と4号を発行

本作り趣味を始めて、第3号と第4号の著書を作った。
 第1号は「父の十五年戦争」(発行部数11部)である。父が兵役についた満州事変、日中戦争、太平洋戦争の時に書いた手記である。
 
 第2号は「横浜B級観光ガイドブック・関外編」(同6部)。関外地区のことをあれこれ書いている。
 このガイドブックは、表紙をデザインしてくれた友人に3冊、そのほかの友人2人に1冊ずつ、息子に一冊で、今日までに合計発行部数は6冊である。

 今度の第3号は「波羅立ち猜時記」なるイチャモンエッセイ集で、堂々の120ページである。背に文字が入る。これは友人3名に居酒屋で押し付けた。今のところ発行部数3部である。

 つづく第4号は「あなたの街の都市計画はこんな会議が決めている」というのである。
 2008年11月から今年7月まで横浜都市計画審議会で公募市民委員を務めたので、その全7回の会議のドキュメンタリー報告である。これも堂々の112ページ。
 これは発行部数2冊、都市計画審議会の会議のための下調べなどで協力してくれた友人2人に送った。

 オンデマンド出版である。もっとも、デマンドはどこからもないので、デマ運動出版の押し付け発送である。
 だれかに送りつけようと思いついたら、その都度、内職みたいに机上作業をやる。何冊もやってくるとそれなりに手際がよくなってくる。
 いまのところホッチキス中綴じ製本だが、いつになったら糸でとじて、花きれもつけ、ハードカバーで、革装の豪華本を制作することができるだろうか。

●関連→306手製本2種

2010/08/23

309【歴史・文化】映画「キャタピラー」と「氷雪の門」を見た

 近所の映画館ジャックアンドベティで、二つの映画を見た。
 ひとつは話題の新作「キャタピラー」、もうひとつは1974年の旧作「氷雪の門」リバイバルである。11時半から15時半まで、続けざまに見て疲れてしまった。
 ここでは俳優や映画制作については、知識がないから語らない。
 二つとも反戦映画という分類はなるだろうが、36年という時間のギャップが見えて、そこが面白かった。
 簡単に言えば、「氷雪の門」が一方的な被害者として戦争を語るのに対して、「キャタピラー」では加害者としての戦争も語るのである。これははたして時代の思潮の差なのだろうか。
   ◆
 映画「氷雪の門」を制作した頃は、ベトナム戦争の末期に当り、加害のアメリカ、被害のアジアという図式があった。それをサハリンに置き換えたのだろうか。
 あるいは、加害のアメリカ、被害の沖縄という図式の、サハリン版であったのだろうか。映画「ひめゆりの塔」(1953年)を連想する。
 氷雪の門では、加害者としての日本は全く登場しない。日ソ不可侵条約を一方的に廃棄して、日本が敗戦降伏後も戦いを挑んで、多くの死者を出したソ連を糾弾している。
 それはそれで事実であろう。だが同時に「キャタピラー」を見てしまったものには、あまりに安易なストーリーに見えてくる。
 なぜ今、リバイバル上映になったのか、そこが分からない。
   ◆
 サハリンの歴史は複雑である。歴史的に大昔からロシアと日本の共有の形であったが、互いに自国領土としていたようである。
 いさかいもありながら共有してやってきたのだが、そのけりを正式につけたのが、1857年の「樺太・千島交換条約」の締結であった。日本は樺太島の領有権を完全に放棄して全島がロシア領となったときである。
 この制度的に明快に落着した状況が破綻したのは、1904年に始まった日露戦争で、日本軍は樺太に上陸して占拠した。1905年日露戦争は日本の勝利となり、ポーツマス条約で樺太の南半分が、ロシアから日本へ割譲された。
 その後、日本はこの地に植民して開発してゆく。大勢の朝鮮人の徴用があって、その問題は今に尾を引いている。ここには植民地としての加害の歴史がある。もっとも日本の制度としては、朝鮮や台湾と違って本土の一部と決めたので、形式上は植民地ではないとしてるらしい。
 ロシアにとって見れば、条約で正式に領土となったものを、その後の日露戦争でむしりとられたとしていただろう。現代のいわゆる北方領土問題は、その延長上にある。
   ◆
「氷雪の門」に登場する若い女性が、わたしはここで生まれて育ったのだからここで死にたい、という。
 そこに植民地の深層にいたる問題があるのだが、映画ではそうは語られない。故郷を奪われる悲哀のみである。
 日本からの満州への植民で、現地の農民が追われたような加害は、サハリンではなかったのだろうか。歴史的にロシア、朝鮮、日本からこの島に人々が住み着いていたのだから、日本領となったときに何かがあったに違いない。
 1974年の公開当時に、ソ連がこの映画に不快感を示して、当時の日本映画会社とソ連との合作映画制作とからんで、全国上映が円滑にできなかったという。この映画がフィルム配給制度を押さえている日本の大手映画会社の制作でなかった為である。
 ソ連の不快感は、この映画を見れば単純によく分かるが、この島のソ連と日本の間の歴史的ななにかを見つめることも必要であろうと思う。
   ◆
 さて「キャタピラー」である。性的な場面で話題のようだが、それは女性の俳優に気の毒である。
 手足を戦場でもがれて芋虫(キャタピラー)となって帰還した男との性行為は、男の中国戦場での強姦という加害と関連あるために必要であるが、それは特に芋虫男である必然性はなかっただろう。映画として猟奇性の話題であろうか。
 この加害の場面は、「氷雪の門」で上陸してきたソ連兵の、市民への無差別殺戮と同じである。
 閉鎖的な農村の日常から針穴のような視界で、あるいは茅葺屋根の農家の座敷の茅の中から、日本の戦争を見渡すというこの映画の手法は、なかなかよくできている。ニュース映画の引用の戦場とのギャップが深い。
 いっぽうの「氷雪の門」は、戦争の大局的な視界の中のひとつの悲劇の場面として描かれる。これが映画としては普通の描き方だろうが、「キャタピラー」のひとひねり、ふたひねりにはとても敵わない。
 皮肉にも、前者がかなりの制作費らしいのと比べて、後者はかなり安かったように見える。
 性と食の同じような執拗なるくり返し場面が、徐々に変化していく作り方が面白かった。それにひきかえ、茅葺農家の点在する棚田の村の風景は、全く変らない。
   ◆
 わたしが気になった登場人物は、「あいつは戦争があるごとに気が触れる」といわれている、赤い着物の中年男である。
 この赤い着物は、芋虫男の軍服の対照として描かれている。どちらが狂気か、どちらも狂気か。
 このキャラクターは狂言まわし役であろうと期待していたが、それほどのこともなかった。もう少し、なにかをやらせることで、狂気と正気との逆転世界をあぶりだして見せてほしかった。
 敗戦となった日、赤い着物から着替えて白ワイシャツと黒ズボンで出てきて、バンザイと叫ぶのも、分かり易すぎてちょっと安易であった。もうひとひねりほしい。
 キャタピラーとは芋虫のことだそうだが、「氷雪の門」には戦車が登場して、ごうごうとキャタピラー音を立てて迫ってくる。思い出すと場面が混同する。
 芋虫男のことで、だいぶ前に読んだ『ジョニーは戦場へ行った』(Johnny Got His Gun ドルトン・トランボ作1934年)を思い出した。
 もうひとつ思い出したこと。戦後、街角やお祭の露天の間に、カーキ色の戦闘帽、病院の白衣、黒眼鏡の風体で手足の切断面を見せ、座り込んだり松葉杖で立ちつつ、アコーデオンを弾いて物乞いする男たちがいた。傷痍軍人と呼ばれ、1960年代には消えた。
   ◆(追記100826)
 大江志乃夫『日本植民地探訪』(新潮選書1998)を読んでいたら、サハリンのことも出ている。
 それを読むと、映画「氷雪の門」の真岡郵便局事件は、その局長が後になって書いた「美談」を元に脚色しているらしい。
 しかし、後に別の人が生き残りの人たちに聞き取りして出版しているが、それによると、真岡局には他にも局員はいたし、交換手も全員自殺ではなくて生き残りもいた、とある。
 わたしは娯楽映画が真実を描くべきとは全く持っていないが、事実はまた違うところにあることに興味を持った。

2010/08/22

308【言葉の酔時記】沖縄の姓はなんと読むのか?

 高校野球には特別興味はないが、今朝の新聞にあまりにも大きく記事が出ているので、ついつい目が行った。
 で、勝負はどうでもいいが、沖縄興南高校プレーヤーの姓に気をとられた。
 記事で振り仮名のあるものは兎も角として、そのほかもほとんど読めない。ウェブ検索すれば分かるだろうが、わざとしない。

 国吉陸は、クニヨシリクかしら?
 慶田城は、ケタグスクかとおもったら、振り仮名があってケダシロである。
 我如古は、ガジョコ? ワレ、イニシエノゴトシとは、なかなかに風格がある。
 真栄平は、マエヒラか。
 銘刈は、メカリだろう。
 山川は、ヤマカワにちがいないが、この人だけ平凡すぎる。
 伊礼は、イレイかイレか。
 安慶名は、アゲナと振り仮名があった。
 島袋、大城も沖縄の姓だが、これらは人口に膾炙している。
 監督は我喜屋で、ガキヤと振り仮名があった。

 これらを見て、この高校は野球で有名なのかどうか知らないが、全国あちこちから野球の上手い子を集めてきて特別教育をしてるのじゃなくて、地元でじっくりと人を育てているらしいことが分かる。
 ところで、対戦相手の東海大相模高校にも、変わった姓の人がいて、一二三にヒフミと振り仮名がついている。
 やれやれ、ようやく終わってくれて、野球ボケの朝日新聞は普通に戻るかしら。

2010/08/20

307【言葉の酔時記】一度はいたらどんなに汚れても脱げない魔法のパンツ

 海水浴にはもう長らく行っていない。行く元気が出ないくらい暑い。
 19世紀末頃か、ベルツだったか長与専斎だったかが公衆衛生学の立場から、健康医療活動として湘南海岸で始めたのだと、何かで読んだ。
 そこで水着である。ビキニ水着のことは原爆実験に発祥すると書いたから、もう書かない。ここは単に泳ぐためのパンツのことである。
あれをどうして海水パンツというのか。海水浴パンツであろうがッ。海水で作ったパンツかよッ。略して海パンとはなにごとか、海草の入ったパンか、海辺で売っているアンパンのことかッ。
 真水のプールで泳いでも海水パンツとは、これいかに。プールパンツだろッ、プーパンだよッ。いや真水パンツかも。
 水泳パンツといっていたのを、いつ頃から海水パンツというようになったのだろうか。
   ◆
 ところが、今朝の新聞に奇奇怪怪なるパンツの広告が載っている。
 いっぺん穿いたら、もう脱げなくなる魔法パンツだというのである。
 そんな無茶な、ウンコシッコ汗にまみれても脱げないままなるパンツなんて、思うだにぞっとする。
海パンならぬ怪パンである。いや魔パンか。
 パンツ、ズボン、ショーツ、パンティ、パンタロン、、、なんとかせい。

2010/08/18

306【本づくり趣味】手製本を2種つくった

 暑い、暑い、この3日間は締め切って冷房機をつけっぱなし。潜水艦の中にいるようで、閉所恐怖症気味のわたしはどうにもたまらない。
 時々は浮上して窓をあけて、ホンモノの空気を入れるが、これがまあ潜水中にいつのまにか熱湯の風呂桶の中に来ていたらしいのである。
 こもっていて不全をなすだけではなるまいと、ここらで趣味の手製本にそろそろ取り掛かることにした。

「父の十五年戦争」は、5月にキンコーズでプリントだけして、中綴じ10部つくって、息子や弟、従兄妹たちにくばった。これがまあ、テストである。
 今回からは、材料のほかはなにからなにまで自家製とするとして、「父の十五年戦争」新規製作からはじめた。
 東急ハンズで買ってきた二つ折り中綴じ専用のA4用紙に、これも最近買った新しいプリンターで冊子印刷で自家プリント、二つ折り中綴じホッチキスとめ製本、別紙で見返しと表紙をつけて、A5版55ページの本として製作した。これは息子にやった。
 その次は、「横浜B級観光ガイドブック 関外 横浜戦後復興の残照」である。
これには、絵画を趣味とする畏友に表紙のデザインを頼み、ついでに装丁もいろいろと助言してもらった。6冊と20枚程度の失敗刷りを経て、A5版、中綴じ、36ページ、オールカラーでできあがった。
 こちらは「父の十五年戦争」よりも、かなり質が高い。いや中味じゃなくて、体裁のことである。
 さっそく試作第1号を畏友にさし上げたところ、沢山のダメ出しをくらった。どの意見もごもっともである。
 で、今日は大幅に直して、40ページに仕立て直した試作第2号を送った。またどんな意見具申がくるか楽しみである。
    ◆
 こんな程度の厚さの本では、いつか買ってきた道具は、まだほとんど出番がない。
「本の雑誌」9月号に、新潮社では10万部販売突破した自社出版本は、4冊限定で特性の豪華皮装本にするとて、その製本過程のイラストレーションが描いてある。
 これだけで製本方法が分かるわけもなし、ものすごい年季の入った職人芸らしいから、わたしがすぐ真似することはできないが、こちらは自分が書いたものを、自分の趣味で本にするのだから、ちょっとくらい不体裁にできてもいいから、イッチョウやってみるかって気になった。

 立派な本は厚みが必要である。まあ、内容はともかく厚みだけなら、これまで書いてきた駄文を、アンソロジー風に編集すればなんとでもなる。
 しかし、装丁が立派なら、ついでに中味も立派な内容にしたいようにも思う、という大問題がクラウドの如く立ちのぼってきた。あ、いまどきのクラウドとはちがいますね。

 そうだなあ、書きおろしは大変だから、書き下ろし風におおきく編集し直しするか。
 それなら「父の十五年戦争」にくわえて、ご先祖様のこと、故郷のこと、自分自身のそこでの暮らしのことなどを、これまで書いてきたものをつなぎ合わせ、間につなぎ文を書き加えつつ、大河小説風にまとめると、けっこういいかも、、うん、いいぞ、やれ~。だれでもひとつは小説を書けるって、ソレである。

 大問題は、いつになったらその原稿がまとまってできあがるかである。なにしろ出版社から締切を追われることがないのだから、いつになってもできそうもない。
 だが、気がついたのだ、出版社よりも厳しい締切があることに、。
 ボケである。うん、早くやらなくちゃ。
 
 ●参照→268本作り趣味  http://datey.blogspot.com/2010/05/268.html

2010/08/17

305【父の十五年戦争】戦後60年の靖国神社に野次馬で行ってきた

 戦後65年目の今年の8月15日は暑すぎた。戦後60年目の8月15日に、わざわざ靖国神社に行ったことがあった。
 そのときの感想をまちもり通信に書いたのだが、どこに分類したか分からなくなったので、ここに再掲しておく。
 以下2005年の8月15日の記。
    ◆
 今年は8月15日、野次馬で東京九段の靖国神社に行ってみました。
 このところ総理大臣が参拝して近隣諸国が怒りアレコレあって、有名になりました。
 戦後60年目の節目の年(科学的な根拠はないでしょうが)とかで、どんなことが起きてるのかなあと興味津々、
 でも、実はたいしたことはありませんでした。
 起きてるだろうなあと思ったことが起きていたのは、終戦60年国民大会なる例の単純論調の絶叫が続く集まり、そしてこれも戦争懐古賛美らしき本やら映像やらの販売、無宗教の慰霊施設設置反対署名運動、みんなで参れば怖くない国会議員の集団参拝、日の丸を振る軍服の一団など。

 これらは当然やってるだろうと予想しましたが、ちょっと気になったことは、野次馬らしくない若者たちの姿が多いことでした。
 大勢の若者カップルが賽銭箱の前で手を合わせていて、もしかしたら初詣と間違えているんじゃないかしら、間違えているのならともかく、どこか不気味な感もありました。

 死者を貶めたくない遺された生者の心理と戦争暴力とがないまぜになると、このような社会現象がおきるのかなあと思うのでした。
いずれにしても戦死者を讃えると戦争駆動装置にならざるを得ません。いや、駆動装置だからこそ讃えるのか。
 南海に没した叔父もここに合祀されているのでしょうか。
 それにどんな意味があるのか理解できません。(050824)

   ◆

 上に「南海に没した」と書いた叔父は、フィリピンのマニラ東方山地で1945年5月に戦死したと、1948年になって戦死の公報が、名前を書いた白木の位牌のみ入った骨壷と共に届いた。
 そして遺族が、そのほぼ全滅となった悲惨な叔父の戦場を知ったのは、なんと1987年、死後42年も経ってからであった。
 わずかな生き残りの中の部隊長が、ようやく重い口を開いて手記を送ってきたからであった。そこにはジャングルを「転進」し続けながら、劣勢の中で戦ったことばかり書いてある。フィリピン戦線の悲惨さは悪名高いから、奇妙に思った。

 そこで傍証となる戦記を探したら、同じ戦場で兵站病院の衛生兵であった人の手記が出版されているのを見つけた。その中の一部に叔父の部隊の敗残兵たちの、あまりに無残な様子が書いてある。そこに叔父がいたかどうか知りようがないが、遺族が読むのは苦しい。
 これは「父の十五年戦争」執筆の、あまりに重すぎる副産物であった。

2010/08/15

304【世相戯評】夏の風物詩?

 東京は蒲田駅のコンコースに、西瓜を入れるロッカーが登場した。
 この駅の利用者は西瓜が大好きで、スイカの季節になると通勤の行きかえりに買っては、この保冷装置つきスイカ専用ロッカーに一時保管する。いかにも夏らしい風物詩である。
ということなのかしらと、昨日、蒲田駅をとおりかかってこれを見て思った。
   ◆
今日は敗戦記念日である。夏になると必ず登場する、古稀あたり以上の人には、それぞれに特別の思い出が詰まった日である。これも風物詩と言えそうである。
 先日、屋根を葺く瓦職人の話を聴く機会があった。そこに持ってこられた多くの見本の瓦のほかに、ちいさな瓦のかけらがひとつ。
 そのかけらの一面は普通の黒い瓦だが、もう一面は表面に粟粒模様が沢山できていて、なんだか煮え立った後のようである。
 実はこれは、1945年8月6日、広島で原子爆弾の灼熱を浴びたものの一部だそうである。
 瓦は熱線で、屋根の上で再び焼成されたのであった。
   ◆
 息子がやってきて、お盆だからやっぱり墓参りに行こう、という。親に似ぬ律儀な奴である。
 アア、そういえば世の中はそうであるな、神社の宮司であった祖父、父にもお盆なんてあったっけか?
まあなんでもいいやと、公園墓地におもむき、超暑い午後の陽に照らされつつ、墓石に榊を立てて、水をざぶざぶとかけてきた。
 これがいちばん夏の風物詩らしい。