2024/04/18

1812【豊後水道で地震】東京湾内に現存する原子力発電戦艦で近未来の関東大震災は超悲惨

 

東京湾内にある巨大核発電所

また地震だ、また核発電施設がある、困った日本列島だ。
 

2024年4月17日南予で震度6弱の地震発生 伊方は?

 ●伊方原発の近くで大地震

 昨夜、もう寝ようかなと思ったとたんに、ラジオから聞いたことのある不穏な心を掻き立てる音、チャランチャランチャラン緊急地震速報です緊急地震速報です!!
 眠気が突然去ってしまい聞き続けて、南予だって、え~?、あの辺りにはまた核発電所があったなあ、なんて言ったっけなあ、なんてうつらうつら深夜の時報を聞いたあたりで眠ったようだ。

 朝起きて新聞みればまだ書いてない。ネットを見れば、右のようにたくさん登場する。書き方がいろいろあって興味深い。大きな被害はなかったらしいとはわかるが、気になったのは、核発電所の伊方原発についての表現である。先般の能登半島地震での志賀核発電所(わざと原発といわないのだ)のことがあるから気になる。

 「問題ない、安全だ」から「事故があって発電能力が下がった」まで、各様である。能登と違って運転していたが、一部事故で出力が下がったまま発電を続けている様子である。「だから安心しろ」とその筋は言っているらしい。それは事故ではないのかしら?

 でもねえ、地震あるたびに核発電施設の心配をしなけりゃならない現実は、その心配する人間が自ら作ったものである。地震に伴って起こる津波や山崩れの自然災害ではないのだ。心配当事者が自ら作り出した心配であるところがおおきな問題である。そしてこの災害原因を除去することをしないままに過ごしていることが、さらに大きな問題である。いや、しないままどころか、もっと心配の種を増やそうとしているのだから、困ったものである。

 ハザードマップには核発電施設の存在が書いてあるのだろうか。洪水とか津波とか火山噴火とかと並んで書いてあるのだろうか?、もしも書いてないとしたら、大失態である。すぐに核発電所とか核のゴミのような核物質関係施設も重要なハザードとしておくべきだろう。

●東京湾内に現存する核発電施設

 さらに核兵器も書き込むべきだ。え、日本には核兵器はないハズと言うかもしれないが、いや、れっきとした核兵器があるのだ。神奈川県横須賀市のUSA ARMY BASE(米軍基地)の核発電施設を載せた巨大軍艦の空母ジョージワシントンは立派な兵器であり、これの動力は核発電が搭載されている。これが核兵器でなくて何であろう。

 もしも東京湾に巨大津波が押し寄せてきたら、巨大な航空母艦は核発電所を抱えたまま東京湾をさかのぼって、横浜川崎東京を襲うに違いない。それは3・11で東北地方の各海岸部に船が陸に上がった風景を見たのが、ここでは核発電所が陸に上がるのである。どんな事故が起こるか想像すると、身の毛もよだつことだ。関東南部は壊滅するに違いない。


 そうならば、わたしの住む横浜のハザードマップには、横須賀港にあるUSA軍の空母と潜水艦などの核発電施設がハザードとして書いてあるはずだ。そう、書いてあるに違いない。

●第2次関東大震災で東日本壊滅

 神奈川県のサイトには、下記のようなページがある。これは「防災。緊急情報」とあるから、怖いことなのである。今ここに大地震・大津波が来たらどうなるのだろうか?
神奈川県の「米原子力艦寄港情報」ページhttps://www.pref.kanagawa.jp/docs/bz3/cnt/f417274/index.html

 航空母艦は令和5年11月19日から(っていつのこと?、去年かな)潜水艦は令和6年4月18日から(っていつのこと?、今日かい)、どちらも私の住み街の近くに居座っているようだ。怖い怖い。戦争の道具として怖い震災の拡大原因として怖い、それなのにだれもそれを言わないのは何故かしら?、言っても無駄とあきらめているのか、素人の杞憂か?
これが関東大震災で核発電航空母艦だったら?  3・11岩手県大槌町赤浜

 この次の関東大震災は、これらの核兵器戦艦が津波に乗って東京湾を遡上して、その抱える核発電施設から核毒を関東全体に振りまくにちがいない。超悲惨なことになり、すくなくとも関東、いや東日本は壊滅するだろう。
 わたしにできることは、その前にこの世からさっさと退散することだ。それが唯一にして最も効果のある、そして完璧なる防災対策だ。

(20240418記)

本ブログの関連記事

2008/09/29・045【世相戯評】地震に強いかも原子力発電船https://datey.blogspot.com/2008/09/nuclear-carrier.html

2014/08/10・980福島原発なみの東京湾巨大原発が稼働中https://datey.blogspot.com/2014/08/980.html

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2024/04/13

1811【コロナ見舞い】今になりコロナ感染とは?流行遅れの八十路の友よ!花見に間に合う退院を!

 同年の畏友Mコロナに感染したという。4月2日に当人が電話をかけてきた。Mの住む町は桃の花と菜の花が共演する桃源郷であり、今やそのもっとも美しい季節のはずである。花見のお誘いかと思ったら、おお、コロナとは、なんということだ。

桃源郷風景

 八十路半ばで新規感染とは、いくら流行に疎い老人とはいえ、それは遅すぎるだろう、そうか、わたしはまだ感染したことはないのだから、こちらの方が流行から断然遅れているのだな。そんな冗談を言いあえる長い付き合いの親友の間柄だが、そう思っただけでさすがに言えなかった。

 電話の3日前の夜に、急に立ち上がれなくなり、病院に救急搬送され、検査したらなんとまあコロナだと分かった。そこは小さな町なので病院は大騒ぎになり、土曜日なのに医師が全員呼び出されて対応方法を大慌てで検討したとかで、その間の3時間程は患者当人のMは、外の車の中で待たされたという。

 とにかく入院して、次に朝は立ち直ったというから安心した。だが、なんだか食べものの味が違う感じがしている、味覚にもう後遺症が出たらしい、これまでは酒を一滴も飲めなかったが、これで飲めるようになったら嬉しいな、なんてのんきなことを言っている。暇で暇で仕方ないが、PCの持ち込みできない。スマホで外とつながっているので掛けてきたというのだ。

 それから4日後に又電話がかかってきた。退院したのかと聞けば、それがいつ退院できるかわからなくなったという。コロナはともかくとして、関連する病というか後遺症というのか、後期高齢老人にふさわしくあれやこれやの病が出てきて、次々と対応する羽目になっているという。Mはもともとは元気老人だったのに、コロナが引き金になって病気老人に転化したらしい。

 電話の話しぶりはいつもと変わらない様子だから、なにとぞはやく退院してきてほしい。まず仲間の定例ZOOMに顔を見せること、そしてこれまで毎年のようにやってきた桃源郷花見をやりたいものだ。そう、花の下のてんぷら宴会をやる。退院を待っているうちに花は散るだろうが、それなら来年の花見の約束をしたいものだ。人生最後の花見を一緒にやりたい。あ、そうだ、それよりもなによりもMが生涯をかける福祉ロボット研究をさらに進めてほしい。待っているよ。

 さてさて、世の中は今は能登半島大震災とか、日本某政党政治家85人で約6億余円ネコババ事件とか、USAプロ野球通訳1人で60億余円ネコババ事件とかばかり、あのコロナはもうとっくに消えたのだろう。
 そんなところに親友のコロナ感染事件、なんとまあこんな身近に潜んでいたのであったか、いや距離的には遠いのだが、年齢的にはあまりに近すぎる。油断できない。

コロナ感染2022122~202404 NHK

関東4県コロナ感染202305~202404 東京新聞20240413

 この最近のコロナ情報を見ると、コロナの奴は今もなお波を蹴立てて押し寄せているのであったか、これは第10波か11波か、全くしぶとい奴である。Mもしぶとくやれ。
(20240413記)
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2024/04/10

1810【変わる都市景観】緑の日常景観を目隠しして登場したあまりにも平凡な高層建築

 わたしが住むのは地上20mの空中陋屋である。その居間のガラス戸の先に公園があり、300mほど向こうには山手丘陵地の樹林が左右に広がる。この斜面の緑に3方を囲い込まれた景観が、この都心部市街地の特徴である。

 もう一つの特徴は、その山手の緑の50mほど手前にある川の上を、首都高速道路の高架橋が横に長く景観を上下に切っていることである。景観上は誠に邪魔な代物であるばかりか、それなりに騒音が聞こえるし、たぶん排ガスもこちらに来ているだろう。
 この高架道路は、飛鳥田・田村時代に六大事業と称したひとつである。これについては2019年にこのブログに【都市プランナー田村明の呪い】と題して書いている。

空中陋屋から見る緑と切断する高架道路 2023年12月

 その景観の中に、わが陋屋から150mほどのところに、新しい高層建築の工事が去年から始まって次第に建ちあがっていた。建設騒音は交通騒音とは異質で、かなり甲高い。鉄骨が次第に高く組みあがっていく風景は、こどもがレゴのようで面白かった。

 何種類もの鉄骨が毎日のように運び込まれてきて、歩道に建てたクレーン車がそれを吊り上げる。それを空中で待ち受ける鳶職が伸長に受け取って組み立てていく。これを何回も何日もかけてやる。あの限られた広さと高さの中だから、かなり緻密なる計画と段取りがあらかじめきめられているにちがいない。その空中の職人と鉄骨とクレーンの動きを飽きもせず眺めていたら、これは巨大な精密機械のように見えてきた。
 このあたりのことをすでにこのブログの2023年11月に【空中陋屋景観】と題して書き込んでいる。

 しかし一方では、あの向こうの山手の緑を目隠ししてしまうこの新高層ビルは、それに見合うだけのどんな格好良い建築として出現してくれるのだろうかとの楽しみと、いやいや不格好なものを毎日眺めさせられるかもしれぬとの不安、それらがないまぜの日々であった。

2024年4月初め被り物で顔を隠した高層ビルが出現

 なにしろのわが空中陋屋から日々の目に入る景観の中の重要な位置を占めるのだから、気にせずにおれない。工事用の囲いテントが外れるのを毎日待っていた。
 さて、4月初旬、桜の開花とともに工事用の囲いの幕が外れた。え、なんだあ、つまらない建築だね~、ふ~ん、道路に面する表は単純な横長連窓、裏面の3方は全部が壁、ふむ、手抜き設計であるぞ.

 いやいや、これは都市的環境に対応したデザインであると言えるのは、山手の緑の景観と日照をすっぱりとあきらめ、高速道路に明確の背を向けたことである。つまり、首都高高架道路が24時間振りまく騒音と排ガスに面する側を、真っ黒な壁にしてしまったのだ。これこそが手抜き設計ではないと、この建築の主張するところだろうが、住宅ではないからできる芸当だ。

 それはこの並びに立ち並ぶいくつもの高層共同住宅(いわゆる“名ばかり”マンション)が、騒音と排気ガスにめげずに日照を求めて高速道路側にバルコニーを設けているのとは対照的である。
 それに関連して、つい最近になりこの近くに、この高速道路に背を向けた共同住宅ビルが建った。日照を犠牲にしても騒音を避けたらしい(その記事はこちら)。


遂に姿を現したがこれはまあなんという平凡な姿!

 話を元に戻すが、しかしだねえ、こちらに見えるファサードデザインは、もうちょっとは芸があってもよさそうなのになあ、そうか、元受け工事屋さんの設計施工らしいからなあ、できるだけ合理的に単純に安く建てたかったのかねえ、あ、いや、もしかして、こちらからは公園の木の陰で見えない下半身には、なにか芸があるのかもしれない。

 前々から街なかで建設現場を見るたびに思うのだが、鉄骨高層建築は鉄骨だけ立ち上がった時が一番美しい。そこに外装仕上げ材料があれこれとくっついてくるにつれて、どんどん美しさを減じていく。
 木造住宅も木組みが立ちあがった時が最も美しい。その点ではコンクリート建築は、コンクリート構造だけではどうももっさりしていてつまらない。
 
 これでわが陋屋からの山手の緑の景観はふさがれてしまった。横浜都心部の重要な緑景観なんだけど、都市デザインで有名な横浜市のチェックはなかったのだろうなあ、しょうがないかなあ、まあ、このビルの更に向こうの、うちから250mほど先にある首都高速高架を、これが目隠しと防音壁になってくれるから、それをもってよしとするしかない。これで田村明の呪いがちょっと弱まるというものだ。

 それにしても、この建築の用途は、普通のオフィスビルではなくて、何か特定の研修のための施設であるらしい。それなら、もう少しそれらしい格好をつけてはいかがかな。
 いやいや、下手な建築家に下手な格好つけられては、それを日々眺めさせられるこちらはむしろ困るから、この簡単至極平凡な飽きが来ない姿をもって良しとしよう、めでたしめでたし。

(20240410記)

このブログの関連記事
202311【空中陋屋景観】、201909【田村明の呪い

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2024/04/08

1809【今年も人生最後の花見】願はくは花の下にて春死なむそのキャンパスの満開のころ

 今年も人生最後の花見に母校キャンパスを訪ねてきた。毎年毎年、最期いや最後の花見をしてきたのだが、今年でもう最後だな、と言いつつ毎年来ている。今年こそ最後だな。
 ホホウ咲いておるな、今年も、おおけなげなことよ、これほどに身を横たえるほどに老いさらばえても、これほどに腰が曲っても、これほどに瘤瘤の身となっても、これほどに衰えたる姿でも、春が来れば幹にも枝にも樹冠にも、花をつける。その健気さよ。

本館前にはもう立つことも難しく横に横にと何本も杖つきながらそれでも咲く老い木


老い木の花のもとにはキャンパスの主の若人たちが満開

老いさらばえてしまえど幹にも小さな花を咲かせるけなげさよ



 この老い木の姿はすごい。能・西行櫻のように、花の精の白髪老人が現れて、西行の歌を謡っても不思議ではない。

 花見んと群れつつ人のくるのみぞ あたら櫻のとがにはありける 

 さすがに老い木の老いのすごさを見かねたか、若木が登場して老木の列の外に立ち並んでおり、今やそれなりの花を咲かせているのがうれしい。
 あと数年でこれら老い木群は退場して、若木の列が今よりも一回り広く大きな花のドームをつくるだろう。それを私が見ることはない。花の下に埋める死体になりたい。
あと何年かしたら老い木の列は消え、その外に立ち並び待つ若木に替わるだろう

 さて、ではここからはようやく本命桜花の登場である。
 今年も桜花ドームはあるのかと、老いさらばえたるわが身を杖にすがって伸ばし見上げれば、おお、これはすごい、ドーム健在である。花は空一面をおおうのであった。
 その老友桜の姿に、わが身のよれよれをを恥ずかしがるばかり。いや、ヨレヨレぶりは我が身よりも桜の方がはるかに勝っているのだが、現役としての咲きぶりにはコテンパンに負けてしまった。
今年も咲いてくれたか、よしよし

おお、狂気のごとく咲くとは、このことか、

おいおい、これは咲きすぎだろ、大丈夫か、その老いの身で、こんなに花咲かせて、

まさかこれを最後のひと花として咲かせたのではあるまいなが

 これが今年の花である。ドーム下から見上げるとすごいものだが、外から全体を見ると、老い木の曲がりや暴れが気になる。今や老々介護ならぬまさに老々花見である。
 今年の花は、どこか狂気をはらんで咲き誇る気配だ。なんだか危ない気がしてくる。これを最後に一花、いや最期のひと花咲かせてやった、なんて老い木のひそかなつぶやきが聞こえたような。いや、こちらの僻みのせいか。

花のもとには老い木にふさわしい花見客もちらほらといる

今年も人生最後の花見やってきた老い木にふさわしい同期の仲間
この中の一人は忙しく仕事をしている現役の建築家であるのが嬉しい

 ここは今、新卒学生を送り新入学生を迎えたばかりの若い人たちのキャンパス、彼ら彼女らを大きく包み抱えこんで咲き誇る花のドームは、彼らのキャンパスライフの記憶に刻み込まれているはずだ。
 ところが、わたしたち60余年も昔の老いたる卒業生には、そんな春の花の記憶は全くないのである。下の写真はそのころのキャンパスの姿だが、若木が立ち並ぶばかりであった。それでもちらほらと咲いていた記憶もあるにはあるが、印象はごくごく薄い。
1950年代のキャンパス風景

現在のキャンパス風景(google earth)

 こうして今年も何回目かの人生最後の花見を決行したのであった、だが、これまでと大きく違ったのは、広いキャンパスのいつものコースの半分しか回れなかったことだ。そう、足腰が追い付かないのだ。
 そしてまた、花見につきものの、そのつきものつきの花見弁当を楽しんだのは一人だけ、そして商店街のいつもの店での花見反省会もできなったことも、大きな変化である。桜の老い木よりも、こちらが先に消えると自覚させられた。何しろ八十路半ばを越えたのだものなあ。来年の大岡山老々花見は、はたしてあるだろうか、賭けるか。

 ここで格好つけて世阿弥のごとく「老い木の花」を語りたいが、非才の身にできぬものは仕方ない。せめて本歌取り狂歌を。

願はくは花の下にて春死なむそのキャンパスの満開のころ

(20240408記)

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2024/04/04

1808【三島・湧水の街と観光と】富士の白雪が解けて流れて湧き出る街に生活と湧水の景観を見に

●ノーエ節の街へ

♩富士の白雪ゃノーエ~、富士の白雪ゃノーエ~、富士のサイサイ、白雪ゃ朝日でとける~、ソリャとけて流れてノーエ~、とけて流れてノーエ~、とけてサイサイ、流れて三島にそそぐ♩

 これは民謡の「三島ノーエ節」の出だしであり、幕末の野毛節の元歌であるらしい。この続きに三島女郎衆が出てくるのだが、まあ、鉄砲が出てくる野毛節よりは平和でよろしい。
 コロナ明けの春の初旅は、駿河の三島に行ってきた。あいにくの天候で富士は見えなかったが、その白雪が解けて地中を流れ下って湧き出す水の流れる街を見てきた。

●源兵衛川を歩く

 源兵衛川がその代表的景観であるらしい。そして観光の目玉であるらしい。わたしは観光的な場所には興味はないが、いくつかの生活と川のとりあい景観をのせる。

源兵衛川はの駅前の楽寿園の湧水を水源とする自然景観の流れ
川の中の遊歩道へ導入部 幽谷景観だが背景に高層建築があるように実は街の中


源兵衛川の修景された景観 暮らしと水の接点の井戸手押しポンプ

生活と水と接する仕掛けの橋、階段、石垣、かつての洗濯場等の修景的景観

源兵衛川下流部の水と生活とが背を向けあう原風景的景観 
無理矢理に通す
水路内を観光遊歩道が川を汚す行為を防ぐか

●蓮沼川を歩く

 三島の街の中には湧水の流れがいくつかあるので、少し見てきた。蓮沼川はいかにも街中の川らしい表情である。かつては家々に水を引き込んでいたかもしれない。あるいは家々の前に洗濯場があったかもしれないと、偲ばせる。観光の景観ではない。
生活景としての蓮沼川 源兵衛川と同水源で並行する流れだが全く異なる景観


蓮沼川には私設の橋が多く架かる 金沢の鞍月用水を思い出させる
 
蓮沼川の堰

●御殿川を歩く
 
 さらに、源兵衛川とは湧水源を異にする御殿川の上流部も見てきた。まさに街の中を流れる川で、生活景観の川であるようだ。

御殿川の水流、このビルは湧水の流れに囲まれる

白滝公園の御殿川の中の建物

御殿川と街並み景観 このありふれた修景が好もしい

●水の街の都市再開発

 もう一つ三島の街の水環境に関して重要な場所も通りすがりに見た。それは三島駅南口東街区再開発事業地区である。これが三島の湧水の水脈を断ち切るおそれがあると、市民の再開発反対運動に直面したことは、かなり前に聞いていた。いかにも水環境の街三島らしい再開発反対運動である。

 地元の知人の話では、富士からの水はポーラスな地下溶岩を透過して流れ下るのである。かつて駅の北側に大工場が建ったころに、あるいは新幹線ができたころ、三島の街の湧水が枯れたことがあったそうだ。それらの地下構造物を地中の溶岩を掘って作ったために、水流を遮断したのであった。再開発ビルも同じ恐れがあるということで反対運動になった。

 経緯は知らないが、ネット資料によると昨年2023年末に事業認可から権利変換認可までも進んだそうから、再開発工事にGOサインが出たことになる。その水流対策は再開発建築が地下水脈を切断しないように、地下の溶岩に建築基礎をのせるという。それよりも下の地中には建設をしないから溶岩内を流れる水を遮断しないということらしい。現地で外まわりから見きた現場の様子は、既存建築群を撤去中だったから工事に着手していた。これからは現地と周辺の湧水モニターが常に監視するのだろう。

●水の街とノーエ節と

 実はもう30年も前になるだろうか、三島の街を訪れて富士の湧水の様子を見たことがある。あまりに昔で記憶が薄れているが、三島グラウンドワークなる活動団体の案内であった。かつてどこの街でもそうであったように、三島でも湧水豊かに流れる水路はドブ川だったが、この団体が三島の水環境の再生活動を始めたころであった。

 その後はどうなっているか見たかった。グラウンドワークの活動は成功しているようで、美しい水環境の街として三島は有名になっている。そこで久しぶりに見たかったのは、特に水環境再生と都市生活そして街なか観光がどのように折り合っているのかであった。結果的には、眼で見ただけではよくわからなかった。

 なるほど三島は川の街として環境再生してるようであったが、そもそも水の姿は千差万別で空中、地表、地中を動き回り、動植物の体内を通り抜けて、産業や生活にあらゆる場面に登場し、眼で見てすべてがわかるようなものではない。富士山から三島に流れて駿河湾にそそぎ、また蒸発して富士の高嶺に戻り、また解けて流れ下り、、、。

 そうだ、これは冒頭に書いたノーエ節である。「♪富士の白雪やノーエ・・・娘島田は情けで解ける・・・解けて流れてノーエ・・・♩」というように、これがエンドレスの歌であるのは、水循環を意味していたのであったか、そんな意義深さをひそめる歌であったとは、、、さすがに水の街三島である。

 わたしが訪れた川の水と生活が融和する景観の街は、内外に多くあった。日本での印象的な街は、滋賀県高島市の新旭町飛騨古川町、福岡県柳川市などがある。外国ではベネチアは別格だが、印象に残っているのはアムステルダムトレヴィゾである。
 
トレヴィーゾ 街の風景 1995年

トレヴィーゾ 橋の広場 1995年

 三島の街なかを歩いているときに「農兵節資料室」と看板を掲げる店舗に出くわした。のうへいせつ?、アッ、そうか、おお、富士の白雪の~えのあのノーエ節は、実は農兵節と書くのであったか。店を覗きこんだら、なんとまあゴミ屋敷だった。あの有名なノーエ節の資料をたぶん私的に蒐集公開していらした川口洋服店の店主氏は、どこにどうされたのだろうか。
 ということで、エンドレス民謡ノーエ節に倣って、冒頭のその歌の話に戻った。(20240404記)

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2024/04/01

1807【四月バカの日】戦場と戦争準備の記事の日々エイプリルフール毎日であれかし

 2024年4月1日東京新聞、見開き全部が4月バカ記事ばかり。もちろんのこと広告の腰痛薬も、飲む目薬も、オーディオ高価買取も、男の悩みズバリも、み~んなエイプリルフール!(だよね)。


 更に下に載せた同日の別面の記事、沖縄ではもうすぐ戦争になるから準備を始めたというのだ!、これももちろんエイプリルフール記事であろう、これこそ四月バカであろうなあ。


 日本が戦争する気になっていることは、エイプリルがまだ来ない数日前のこんな新聞記事にも表れているから、もう確実に本当のことであろう。いやだいやだ。
 安倍政権のころから特にそうなのだが、じわじわと戦争やりたい気分が日本国政府には高まってきている気配であったが、ここまで来ているのである。いやだいやだ。


 わたしはギリギリ戦争当時を身体的に知る年齢である。戦争によって少年時に最も身に応えたことは、日常的に食べるものが少なくて、いつも腹を空かせていたことだった。食い物の恨みは一生続くものだ。たぶんそのころの親たちは、自分が食べる分の食事を、その子たちに食べさせていたのだと、大人になってからようやくわかったのであった。

 幸いにもわたしの子等にそれを体験させないできたが、どうやら孫(わたしには孫はいないが)の世代の親子たちには、またもやありそうな気配だ。すでに外国では現実にウクライナやパレスチナあるいはミャンマーで起きているから、日本にそれがやってくるのは確実だろう。

 もう年とってよれよれになって何もできないわたしは、この現実から早く立ち去るしかない。そう、「あの世」と言う絶対的に安全にして、いつでも行くことができる避難先を用意しているのだ。

戦場と戦争準備の記事の日々エイプリルフール毎日であれかし

(20240401記)

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2024/03/25

1806【ミーハー推し】巨人大鵬卵焼き/阪神柏戸ライスカレー/ラーメン大谷尊富士

 見世物スポーツ嫌のわたしは、新聞のスポーツ欄を飛ばし読みする。そもそもTVそのものをを見ないから、スポーツ番組放送も見ない。
 ところが時々、新聞スポーツ欄から社会面記事へはみ出してくるスポーツ関係ニュースがあるので、そこで知るスポーツニュースがある。それにはちょっと興味を持つ。最近立て続けに2件あった。

 ひとつはUSAプロ野球に「大谷ショーヘー」とかいう活躍する日本人プレーヤーが居るそうだ。この人の専属通訳がギャンブルで大損して、雇い主の大谷のカネを盗んで穴埋めしたとの事件。
 その金額がなんとまあ数億円の巨額、そんな金を大谷は持っているのかあ、わたしはそれ以上にこの事件内容に興味ないが、本場野球でアジア人が活躍して大金を稼いでいるんだなあ。

 ところでそのギャンブル通訳の名が「水原」という。なに?野球で水原だって?、何かが引っ掛かった。そうだ、昔々の1950年代のことだったかなあ、日本プロ野球に「水原茂」という監督がいたなあ、あれは巨人チームだったかしら、なんか常勝の神様みたいな評判だったなあ。何の関係もないがふっと記憶の底から出てきた。

 もう一つのスポーツ欄から社会面にはみ出し記事は、日本の大相撲つまりプロ相撲トーナメント戦での珍事である。なんでも初めてそのトーナメントに参加した新人力士が、なみいるベテランたちを倒しまくって、初登場で初優勝してしまったというのである。そんなことは110年前にあっただけの奇跡的な事件だそうだ。その力士は「尊富士」(たけるふじ)とて、何とも尊大な名である。

 そしてこれについても思い出したことがある。プロ相撲で新人の大活躍と言えば、わたしの記憶には「大鵬」(たいほう)という力士の印象が深い。1950年代の末ごろのある日の午後、学生食堂で遅い昼飯を食いながらなにげなく見ていたTV画面に、まさに新人であった大鵬が映っていた。バタ臭い顔とすらりとした体形に外国人かと思った。外国人力士は全くいない頃であった。

 相撲取組放送を見ていたら、大鵬が相手のふんどしを両腕で掴んで押して土俵際に追い詰めたとたん、両腕をサッと抜きとり相手との間合いを開け、両手をそろえて相手の胸をドーンと突いて倒した。おお、土俵際であんなことできるものかと驚いた。

 そのころは街頭TVなるものがあちこちにあり、わたしはちょうど夕方からの家庭教師アルバイトに出かける時で、自由が丘駅前のそれを時に見たものだが。特定の相撲取組についての記憶は大鵬登場のこれ一つしかないから、かなり印象深かったのだ。若乃花とか栃錦という力士がいたなあ。

 さてその後の大鵬はみるみる横綱へと駆け登ったが、尊富士もそうなるだろうか。あの頃の大鵬の評判は、「巨人・大鵬・卵焼き」と並べられる流行語となり、ミーちゃんハーちゃんが大好きなものの象徴だった。わたしは勝手に「阪神・柏戸・ライスカレー」とひねくれて言ったものだ。となると現代では「ラーメン・大谷・尊富士」なんて言うのだろうか。

(20240325記)

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2024/03/21

1805【震災ミニ訓練】能登の次は関東で大地震があるような気配で今日は断水訓練

●次は房総半島地震だろうなあ

 なんだか最近は関東あたりが震源の地震が多いような気がする。今日2024年3月21日、朝9時頃に地震があった。うちの横浜あたりは震度3だったが、埼玉県では震度5という結構なレベルで揺れたそうだ。

2024年3月21日9時過ぎの地震の震度分布図
 何しろ今年は北陸では元旦から大揺れだったが、そのあたりではそれよりもだいぶ前から子鯰が群発していたそうだ。関東でもこのところ群発しているから、能登のように今にドカンと親玉鯰が登場してくるに違いないと思う。

日本列島過去100日間の震央分布図

 上のここ100日間の日本列島東半分での震央の分布図を見ると、元旦に起きた能登半島大地震のあたりが特に目立っている。それに次いで南関東あたり特に房総半島がにぎやかであるのが、同じ半島として能登並みになる恐れがありそうだ。できればわたしが死んだ後で来てほしいものだ。大地震が来るよりも先に死のうと、ただいま競争状況にある、か。

●計らずも自宅でミニ被災訓練

 能登震災地ではいまだに水道が開通しないところが多いらしい。実は今日はわたし住まいでも、朝9時から上水道が停まっている。なんとなく能登の被災者気分をちょっぴり味わっている感じであった。災害ではなくて、住まいのある共同住宅ビルの上水道給水ポンプ取り換え工事だから、事前通知により昨夜汲み置きの水で十分間に合ったが、ミニ訓練にはなったかもしれない。

能登の震災地では苦境が続く 20230421東京新聞


断水通知チラシ 
文中に「※不足の事態が・・」とあるが、たしかに水不足事態ではある

 給水がないということは、下水に流せないということで、便所の利用が不便であった。使うたびにバスタブに溜めた水を洗面器に汲んで便所まで持って行き便器に流す。その間4mほどだが、途中でこぼさないようにするのに疲れた。そんな震災ミニ訓練していた朝に、本物地震に出くわしたのであった。

 キッチンには薬缶や鍋に汲み置いておいた。今までにまる1日中をこんなことをやった記憶がない。これが災害で長く続くと、それだけのために避難することになるだろう。人間は水がないと生きられない生物である。


●断水、停電、波、断食など

 ふと思ったのは、水が止まると「停水」でなく「断水」というのはなぜかということ。電力が止まると「停電」といい、「断電」と言わぬのは何故か。電波が止まると「断波」じゃなくて「停波」と言うような気がするなあ、ガスが止まると断か停かどっちだろうか?

 そうか、「断」は水のようにそれがないと、すぐに生きられなくなるものに使うのだろう。「停」は、電力のようにそれが無くてもとりあえずは生きられるものに使うのだろう。
「断食」はまさにそうだなあ、でも「断気」とは言わないなあ。

(20240321記)

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伊達美徳=まちもり散人
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