2015/05/31

1095【小笠原地震】大揺れ天災人災列島だけどすこしでも安心して暮らす場所を探してもう逃げだそうと思う

●天も地も右も左も上も下も大揺れの日々

 久しぶりに大揺れだったなあ、小笠原のあたりが震源だとか。
 うちの7階空中陋閣借家は、ユッサユッサ、歩くとフラフラしたのは、ただいま第4腰椎圧迫骨折の身の身障者体験中のせいもあるが、歩行する足を上げておろそうとすると、そこの床が逃げるのであった。ユラユラ歩く。
ひび割れガラス板に乗る日本列島

 やや、なにやら家の中でザ~ザ~水が流れる音がする。7階まで津波がやってきたか。
 なんとまあ、風呂の湯が大波となって蓋を押し上げ、津波となって洗い場をバチャンバチャンと襲っているのである。
 この風呂の湯の流失による損失が、今回の唯一の震災被害であった。

 このあたりは幕末の開港の街として、入り江を埋め立てつくったから、地盤が悪い。
 こういう類の地震があると、なにやら長周期地震動とか言って、高層ビルはユルユルと大きく揺れるのだそうだ。それが嵩じるとポキンと折れたり、バタンと倒れるのだろう。
 倒れなくても歪んだら、鉄ドアが開かなくなって幽閉さてしまう。あわてて玄関を開けたのであった。

 一昨日は奄美群島の口永良部島で火山の噴火、近くの箱根山が噴火するらしいなんて言ってたら、遠くでこの噴火、それに桜島も噴火だそうだ。
 そういえば御嶽山の噴火があったなあ、こうなれば近くの富士山も負けていられないって、噴火したくてウズウズしているんだろうなあ。
 火山ばかりにいい格好させたくないって、地震ナマズが奮い立って、小笠原あたりで大地震を起したらしい。次はもうちょっと北に寄って、東南海トラフで暴れるぞって、ナマズも健在を誇示している。地球がきな臭い。
 そういえば、つい先日茨城県あたりでも揺れたなあ。だんだん近づくずくなあ、楽しみだなあ。

 きな臭いのは地球ばかりじゃなくて、人間の方だよなあ。集団的自衛権行使問題なんて、東京のあたりを震源地にして、人間ナマズが暴れている。
 遠くのISとか凹ハラムとか北コリアとかって人間ナマズも暴れているらしい。
 もう、この地上では、どこにに行けば安心して暮らせるのか、皆目分らない。日本列島はなんだかひび割れガラス板に乗っているようだしなあ。

 それでもいくところがないから、せめて日本列島の中で暮らすに安心できそうなところを探してみよう。
 その条件は次のようである。
(1)地震がないって無理だろうからせめて他と比較して少ないこと
(2)海で地震があっても津波がやって来ないこと
(3)噴火する活火山から遠いこと
(4)核発電所(原発のこと)から遠いこと
(5)軍事基地から遠いこと
(6)気候が寒冷あるいは猛暑でなくて温暖なこと
(7)山間や荒蕪の僻地でなくて適当に便利なこと
 
 この中での「~から遠いこと」の条件だが、実はどれくらい遠くなら良いのかわからないから、まあ100~200kmくらいにしておこうか。

●日本列島で安全なところは、ここだ!

 実は、先ごろそう思って、あれこれ調べていたら、その結果が実に意外なところにおさまったのであった。そこは、わたしの生まれ故郷(岡山県高梁市)だったのだ。
 ぴったりとあてはまったのは、客観的データによるのであるから、贔屓目じゃなくて、本当ですよ。
 このブログにそれを書いていたのだが、一部補足整理してここに採録する。
高梁の位置
(1)の地震問題である。
 これ↓を見てください。高梁のあたりは地震が少ない。
  日本全国広域 最新30日間の震央分布図 (独立行政法人防災科学技術研究所)
 http://www.hinet.bosai.go.jp/hypomap/

 (2)の津波問題である。
 そして今の一番怖い四国沖での南海大地震が起きても、何とか大丈夫のよう。
 中央防災会議資料 http://www.jjjnet.com/image/shindo_nankai.gif
 東南海トラフ大地震が起きても四国の向うの事件だし、津波が起きても瀬戸内海から高梁川を遡上して到達するには、あまりに遠すぎる。

 (3)の火山問題は、鳥取県の大山が一番近いが、それでも結構遠い。富士山が爆発しても、高梁まで灰が降ってくることはなかろう。

 (4)の核発電所問題である。
 島根原発が、高梁に一番近いがそれでもかなり遠い。下記のサイトで島根原発のところの図を見てください。
  全国の原子力発電所の周辺人口(2005年)埼玉大学谷謙二研究室
 http://ktgis.net/tohoku_data/genpatsu/

 (5)の軍事基地問題は、一番近い米軍基地は山口県岩国だから、これもかなり遠い。

 (6)の気候問題は、住んでいた少年時代の記憶では、雪はめったに降らないし、猛暑でもない、温暖な地であった。
 ところが最近、ときどき日本一の猛暑ランキングに高梁市が登場する。この50年ほどで気候変動が起きたのか。不思議だ。
 故郷に住む旧友に聞けば、昔と変わらないけど、その原因は、最近、数年前に気象台の測候所ができたことだという。え、なんのこと?
 住民が肌寒い日であっても、「今日は日本一の高温」と発表されて、奇妙かつ不思議な気分だそうだ。「気温を測ってる場所がおかしい」とのこと。ということで、(6)も、まあ問題なしとしよう。

 (7)の僻地問題は、地方都市としては、そこそこに便利なところであるから、良しとしよう。

 というわけで、生れ故郷は良いところと分ってはいたけど、こういう意味でよいところと今頃になって知ったのである。
 わたしの生まれ故郷だけがそうではないが、各地域がこの地こそ安全な条件にあることを宣伝すれば、日本列島の人口再配分が進みそうな気がする。
 この場所は危険だという情報はたくさん出てくるようになったが、ここなら安全だという情報が意外に少ないのは、どういうわけだろうか。

 もっとも、わたしは今の地から逃げ出すには、もう間に合わない。生まれ故郷にはもうひとりの親戚もなし、父母の住んだ家も空き家問題解消のために処分した。
 だが、わたしには、ひとつだけ逃げ出すべき安全な場所が、かなり近くにあるのだ。これを思うと気楽なもんだ。
 それは、あの世である。。

2015/05/29

1094【世相いちゃもん】公的機関でもないFIFAの役員が公金でもない裏金もらって何が悪いんだ?

 プロスポーツとかって、見るだけスポーツを大嫌いである。TVをもともと見ないし、新聞スポーツ欄も読まないで飛ばしている。だから、毎日毎日、屑紙に金を払っている。
 でも時々スポーツ欄を読むことがある。それはときどき起きるスポーツスキャンダル記事である。

 たいていが八百長とかって金が絡んでいるのが、その業界とスポーツ好きの人々の体質を現している。
 スポーツ好きの体質と言えば、フットボール(サッカー)の見物人たちが、世界中でしょっちゅう人種差別するってのが、なんともいやらしい。
 だからわたしはプロスポーツとかって、見るだけスポーツを大嫌いなのだ。

 ところで、そのフットボール業界の世界元締めというか胴元の、FIFA(これはファイファと読むんだろうなあ)って団体の役員たちが、アメリカにしょっぴかれているとか。
 何十億円とかの巨額の収賄で、アメリカ司法当局に起訴されたそうだ。TV放映権を獲得のために動いた関係業者から、金をもらったのだそうだ。

 どうしてそれが犯罪なんだろうか、それがわたしにはわからない。
 だって、FIFAって公共機関でもなし、その金は公金でもなし、勝手にやり取りすればいいでしょ。
 もとは企業の広告料だろうから、まわり回ってその企業の売ってる物の価格に反映してるのだろう。オリンピックだって、いつかそんなことがあったなあ。
 アメリカではこういうのも犯罪なのだろうか。日本では民民の取引だから贈収賄罪にはなるまい。

 スポーツ世界大会の裏に、こういう行為があることが嫌なら、プロフットボールなんか見るのを止せばよいでしょ。
 でも実際は、こんなことが起きてもスポーツファンは、すぐ忘れてまた応援に見に行ってしまうおバカさんであることとは、大相撲が良い例であろう。
 賭博やら八百長やらやっても、すぐに忘れて見に行くんだもんなあ、スポーツ見物好きは、ほんとにおバカさんである。
 

2015/05/25

1093【くたばれマンション】北風政策の空き家強制撤去新法って日本の居住政策のなんと貧しいことよというよりも不在なんだな

●増えた空き家を強制撤去させる法律とはねえ 

 「空き家の強制撤去」だそうである。
 空き家が増えて、倒れてきて危ないとかで、持ち主に強制的に撤去させる特別措置法だそうである。

 おいおい、自分の持家をどんどん建てろ、政府はそう言って来ているような気がするけど、違うのかい。
 ドンドン買え、持ち家にはドンドン融資するから借金しろ、税金も負けてやるぞって、確かそう言ってるぞ。
 あのなあ、一方では借金しても建てろ建てろ買え買え、一方で壊せ壊せ壊さないと罰金とるぞって、この日本には居住政策なんてものは、全然ないんだなあ。

 住宅に住むってのは基本的人権nなのだから、居住政策は社会政策であるべきなのを、日本では経済政策の景気対策にしてしまったから、持ち家ばかりを増やしてきた。
 それも土地が高価だから、土地が安い遠い郊外にどんどん広げていって、一戸あたりを安くするから狭い宅地に狭い家ばかりが建ち並んだ。
 だから今、人口減少超高齢化で、それらが空き家になってしまった。人口減少も高齢化もとっくに分っていたことなのに、こんなことになるのだよ。
 
 人口変動に対応して調整の効く、公的あるいは民営の賃貸住宅の供給政策を、全く怠ってきたから、こういうことになるのだ。
 先日、川崎でドヤが焼けて死者が出たのも、居住政策が社会政策でない日本の恥部が表出したのだ。
 一方で大借金させて建てた空き家の続出、一方でドヤ街のような超劣悪居住環境の蔓延、いったいこれはだれの責任だ。格差社会はますます進む。

 では、この空き家対応が解決かというと、単なる弥縫策に過ぎないのは誰でもわかることだ。こんな北風政策では解決しないぞ、泥縄とはこのことだが、縄にさえなっていない。
 これってモグラ叩きそっくりだよなあ。こんあことしても、日本中のモグラ退治は無理でしょ。モグラをたたくのじゃなくて、モグラが発生しないような居住政策が必要なのになあ。

 どうもこの話は、一戸建てとか木造アパートが対象らしいが、大問題が控えているよ。共同住宅ビルのの空き家である。
 日本じゃ共同住宅を「マンション」なんて誤訳してるけど、区分所有の共同住宅ビルが、どんどん虫食い状態に空き家になると、空き家問題は深刻だぞ。いやもう起きているか。
 権利関係が複雑だから、壊すのが一戸建てのようにはいかない。空き家だらけのスラムビルがあちこちに立ちあがって、都市問題になるに違いない。
 これははもうモグラじゃなくて、モンスターだよなあ。モグラ叩きで遊んでる場合じゃないよ。

●総合的な居住政策をやるべきなのに

 この空き家特別措置法は、そのような時代に対応できるようになっているのだろうか。
 空き家対策は、空き家を取り壊すのではなくて、総合的な居住政策のひとつとして、いかに再活用するか、その政策が本質にあるべきなのに、全然見えないのは何故か。
 取り壊した跡の空き地がまた問題になるにきまっている。根本的な点で間違ってるぞ。

 実は住宅困窮層はまだまだいるし、格差社会の進行、高齢化による人口移動が、新たな住宅困窮者を発生させているはずだ。
 空き家対策が必要になったこれまで住宅政策の背景をよく反省し、これを契機に日本の居住政策の社会政策への転換をしてもらいたいものだ。

 はは~、これも相変わらず経済政策で、壊すことで建設業の仕事が増えるって、そんな景気対策なんだろうか。
 経済政策として庶民に借金させる持ち家政策はとっくに破たんしているのに、一向に賃貸住宅促進に転換をしない政府は、いったいなにしてるんだよ。

 東北地方で災害公営住宅の整備が遅れているのも、これまで公営住宅整備をさぼって、その建設や運営のノウハウがなくなっていたからだろう。
 あるいはまた、これまで公的な賃貸住宅の供給がきちんとあれば、災害避難時への対応ももっと円滑だったろうにとも思う。もうすぐ次の大地震が来るんだぞ、どうする?

 高齢社会の居住、人口減社会の居住、少子社会の居住、災大規模害など、それぞれが連動した総合的な居住政策が今こそ必要だろうに、どうなっているのか。


参照◆父の家を売る 
http://datey.blogspot.com/2015/05/1083.html
くたばれマンション
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tosikyoju

2015/05/24

1092【消されゆく戦争の記憶】5月25日の日本の悲惨な記念碑の東京駅を70年経つと積極的に改装して記憶を消してしまった

 5月25日は、東京の悲しい記念日なんだけど、それがなにか知っていますか?
 深夜数時間のうちに死んだ人7415人、22万戸が燃えた、しかも天災じゃなくて人災によって。そう、1945年のこと、戦争である。
 USAB29爆撃機が、東京都心に焼夷弾をばらまいたのだった。

 「日米開戦以来当局は、『東京の守りは万全で、敵一機たりとも侵入を許さない』と発言し続けてきた。にもかかわらずB29はゆうゆうとして侵入。・・・ 
 当夜は 警報発令後数分にして駅前広場に焼夷弾が落下、一面火の海と化した。とみるうちに降車口が焼夷弾を受け出火した。ホテルの部屋続きのため、延焼を防ぐため バケツを持って駆けつけたが、火を吹いてるのは天井でバケツを必死に操作しても火に届かない。
 駅側に手押しポンプ一台があったが、それも役に立たなかっ た。かくするうち、西端の食堂部分からも発火、続いて中央郵便局も火を吹き始め、それまで微風であったものが一五㍍ぐらいの強風が西側より吹き荒れ始め た。・・・

 これは1945年5月25日の深夜、空襲により炎上した東京駅丸の内駅舎にあるステーションホテル支配人だった井上三郎さんの手記の一部である(「東京大空襲・戦災誌」第2巻763ページ)

 その前の1945年3月10日には、罹災者約100万人、焼失家屋は約27万戸、東京の3分の1以上の面積(40平方キロメートル)が焼失した。このときは東京駅は罹災しなかった。
 あまりにも多くの死者で、その数は明確ではないが推定10万人とされる(「東京大空襲・戦災誌」第1巻26ページ)。たったの2時間半で10万人が死ぬ惨劇であった。
 なお、1923年の関東大震災の死者が10万人~14万人と、これもあまりに多すぎて正確な数字はわかっていない。

 その前、日本が太平洋戦争を始めた次の年の1942年4月18日、さっそく東京は米軍機による空襲を受けていたのだった。
 日米開戦以来当局は『東京の守りは万全で、敵一機たりとも侵入を許さない』と発言し続けてきたから、誰もが びっくりし当局でさえもうろたえた。
 この初空襲では、下町方面が爆撃を受けて死傷者346名(死者39名)。焼失破損家屋251戸であった(東京大空襲・戦災誌第2巻22p)。

 というわけで、今朝の朝日新聞に戦後70年連載記事として、1945年5月25日の空襲に関連して、その当時の建物の写真と被災した人の記事が載っている。
 このような庶民の悲しい歴史は、70年も経つと埋もれてしまうから、今のうちに発掘しなければなるまい。

 だが、8年前までは、そのような東京の悲惨な5月25日の記憶の記念物のなかでも、東京だけでなく日本中の人々が知っていた、最も有名だったを戦災記念の建築物があったのだ。
 そして、それを積極的に消滅させてしまった事件があったことを、覚えている人はどれくらいいるだろうか。

 それは、東京駅の赤レンガ駅舎のことである。
 赤レンガ駅舎は1945年5月25日に空爆により炎上したが、木造内装や鉄骨などは燃えたが、赤レンガの壁などは残った。
 鉄道省はすぐさま修復にとりかかったが、終戦を経て、占領軍からの要求なども取り入れて、1947年に修復が完成した。

 その修復された姿は、設計者である辰野金吾(1854~1919)の西洋様式意匠への憧れ時代の下半身に、修復設計者の伊藤滋(1898~1971)のモダニズム意匠の上半身が、実に巧みに乗っていた。
 あの物資がない戦争直後の時期に、よくまあ、あれほどのことができたものである。
戦後修復による東京駅赤レンガ駅舎(2007年再度修復開始直前の姿)

 まさにそれは戦争とそこからの復興の記念碑であり、修復デザインのお手本と言っても良かった。
 それが2007年に壊されるまで60年も保っていたのだから、それは戦災前の1914年から31年間よりも倍も長かったのである。

 それなのに、あれは仮の姿だから早く元に戻したいものだと、世間では言うし、辰野金吾の系譜にある東大系の建築史学者もそういう。多くの建築家もそう言った。
 そして東大大御所の伊藤滋(1931~修復建築家と同姓同名だがこちらは存命の都市計画家)と鈴木博之(1945-2014)がその音頭をとったのが、このために発明した特例容積制というという都市計画の荒業であった。東京駅に身売りをさせて、500億円の御化粧代を稼いだ。
 その金を使って今の辰野金吾式の賑やかな花魁頭の昔の姿をレプリカコピーで再現してしまった。戦争と復興の記念碑としての価値に見向きもせずに、。
 そして誰もそのことによって、あの日本の悲劇の記念碑が消滅したことを、考えようとしない。

 「あれは仮の姿だから、昔に戻そう」という言葉で連想するのは、「あれは占領軍に押し付けられたから、、、」という、どなたかたちの声高の発言によく似ている。
 そういえば東京駅修復も、占領軍からの推進圧力があった。道路が悪い日本では、鉄道が全国占領統治策に有効だから、その中枢機能(RTO)として東京駅修復が必要だったのだ。

 その現実の価値よりも、出自に問題があるというのは、まるで人種差別みたいなものである。
 戦争が終わって70年、東京駅が炎上して70年、あの戦争記念碑を積極的に消滅させて、あの戦争を積極的に忘れようとしている今の時代を、なんだか怖い。
再度修復でコピー再現された現在の東京駅 
容積移転制度で東京駅が身売りをした揚句がもたらした超高層の風景

●参照
東京駅復元反対論
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tokyoeki

2015/05/23

1091【言葉の酔時記】~してもらってもいいですか?という頼まれ方で誤解したぞ

 5月初めに尻餅搗いて第4腰椎圧迫骨折で寝たきりになり、その16日目に3度目の病院である。
 長時間待ちに待った問診がおわって、医師が言った。
 「では、コツミツドケンサしてもらっても、いいですか?」

 え?、してもらってもいいか、って?、「もらいたい」というからには、この医師はこのわたしにむかって、ご自分の身体のなにかを検査してもらいたいらしい。
 え?、患者はわたしなのに、なぜ医師がご自分の検査をするのだろうか。しかも素人のわたしに頼んでいる。

 「はあ?、で、どうやるんですか?」と聞けば、看護師がこちらへどうぞと検査室の前に案内してくれて、「ここで待ってもらっていいですか」という。
 では、後から医師が来るのだろう。だが、待てども一向に来ない。

 コツミツドとは骨密度のことだろうか、骨の硬さを調べるのか、ということは肌の上から骨をつまんで、固いか柔らかいか確かめるんだろうなあ、あ、この若い女医さんにそんなことやったら、ホントのお医者さんごっこだよなあ、妄想が膨らむ。
  
 と、検査室のドアが開いて、むくつけき男が「お待たせしました、こちらで検査します」と出てきて、中に引きずり込まれた。
 「上着を脱いでもらっていいですか」、「ここに座ってもらってもいいですか」、「ここに腕を置いてもらってもいいですか」と、矢継ぎ早の「もらってもいいですか」攻撃である、え?、え?

 さすがに分った。
 この病院用語で「○○せよ」との意味で「○○してもらっても、いいですか」と言うらしい。そんな専門語を使わないでもらいたい。
 「○○してください」と言えばよいのに、クソ丁寧語のつもりかよ。誤解したぞ。
 
 でもなあ、例えばだよ、菓子屋の店先で女性に「このケーキを買ってもらっても、いいですか」って言われたら、あなた、どう思います?
 だれでも、その女性がケーキを食べたいから、買ってくれと言ってるって思うでしょ。まさか、わたしにそのケーキを買って食えと言っているとは、普通は思わないよなあ。

 で、わたしの身体の骨密度検査結果は、
医師「骨は年齢相当で丈夫ですから、今回の負傷はよほどひどく転んだのですね」
わたし「はい、実に立派な演技で、オリンピック尻餅搗き競技でしたら優勝ですね」
2015/05/18骨密度検査結果



2015/05/19

1090【尻餅散人横臥戯録6】病院とは行列して待つために行くところ、待つ間に症状を悪化させるところか

【尻餅散人横臥戯録5】からつづき

●行列待ち大嫌いなわたしなのに

 うちのちかくの薄汚いラーメン屋の前に、いつも10数人の行列がある。ここは店名からして「ニ郎」という名のイッコク親父が、ここだけの特別な味で食わせるのかと思っているが、行列待ちを大嫌いだから、入ったことはない。
 あのなあ、たかがラーメンで並ぶなよ。
 その行列待ち嫌いのわたしが、今月になって3度の病院通いで、延べにして6時間も行列待ちをやっている。ラーメン待ちじゃなくて、診察待ちである。大嫌いでも、やむを得ない。

 最初の病院通いは、いきなり3時間待たされて、問診3分、待ち15分、X線15分、待ち15分、問診10分、支払い終って釈放されたのは入ってから3時間半後だった。そのうち待ち時間が、87パーセントを占めた
 2度目は、時間予約してのMRI検査と問診だったが、全部で2時間、そのうち待ち時間が50%を占めた。

 3度目の昨日は、病院に入ってから出るまでに171分、そのうち問診と検査で32分、行列待ちで139分、つまり全体のうちの待ち時間が81パーセントを占めていた。
 受付(10:24)…待ち69分(11:33)…問診7分(11:40)…待ち10分(11:50)…骨密度検査15分(12:05)…待ち45分(12:50)…問診10分(13:00)…待ち10分(13:10)…診療費支払(13:15)。
2015年5月7,8,18日の病院通いであまりに待たされたのでグラフにしてみた

自分の順番が来て呼び出されるのを、ただただ待つばかりの病院とは、診療に行くところじゃなくて、待つために行くところであると悟った。
 診療を目的と思うから待つのが腹が立つ。しかし、真の目的は待つことにあり、そのなかで退屈しのぎに診察やら検査を行うのだと思えば、腹も立たないのである。
 
 しかしなあ、実は今のわたしの症状は、椅子に腰負けると腰回りが痛くて痛くて、最もつらい姿勢なのである。
 10時40分予約だから、30分くらいはしょうがない、と思えども、1時間たってもお呼びでない。もう、我慢できない、空いている長椅子にごろりと横たわった。これなら楽だ。お行儀悪くてもここは病院だから、お許しを。7日も8日にもこの姿勢で待った。 

 問題は、問診や検査に入っている間にその長椅子を誰かに取られることだ。長椅子が一本空いていることはめったにないから、空きができるまで我慢するしかない。
 家で寝ていればこんなに痛くないぞ、だんだん症状が悪化しているような気がする。
 病院に来ると病状が悪化するってのは、いかがなものか。

●病院は待ち行列マネージメントをせよ

 さて、本日の診察の結果は、骨が固まるまで後1ヶ月の静養とて、薬も必要なし、これまでどおりの寝たきり生活継続となった。
 そこでひとこと、わたし「ところで、この待ち時間の超長いのは、何とかなりませんか。病院に来ると、待っている姿勢が苦しく、症状が悪化してきて、かえって良くないようです」
 医師「大勢の方が来られますのでねえ。本当に治療の必要な方を、早く診療してあげられるといいのですがねえ。すみません

 あれ、謝られてしまった。わたしはそういう回答を求めているのではなくて、予約しているのだからきちんと待ち行列のマネージをしてはどうか、とのつもりだった。
 待たなくても良いマネージメントもあるだろうし、待つものにスマホを持たせて呼び出せば、狭い廊下で行列していることもあるまいにと思ったのだ。
 まあ、それ以上に話ししだすとゴチャゴチャするだろうし、わたしの後に待つ人たちを待たせることになるから、それでおしまいにした。

 でも、この医師の言外に感じたのは、病院には診療を受ける必要がないような症状の人々も大勢押しかけてきているらしい。医師側も患者側も問題らしい。
 ラーメン屋に見るように、行列待ちを好きな人もいるかもしれないが、病院にそういう人が来そうにはない。普通の人ならが、なにか痛い症状が出るとつい病院に行くこともあるだろう。それを一概に悪いとは言えないが、いっぽうでは本当に診療の必要な人にしわ寄せがいくことも事実だろう。

 それにしても、この病院でざっと見て常時80人ほどが、待ち行列をつくっている。たぶん、どこの病院も同じように待っている人がいるのだろう。
 日本中では膨大な待ち行列、何十万人か、何百万人か、そしてものすごく膨大な時間が、ただ待つだけに浪費されているのだ。
 う~む、これを活用できないものか。なにか待ち時間ビジネスなんてのがありそうだ。待ち時間パワーなんてものがあれば、なにかエネルギーに転換するとか。

 とにかく、昨日は待ち時間中に寝ころべない時間が長くて、腰回りはどんどん痛くなり、病院で症状が悪化してしまった。病院とは待つために行くところ、病状を悪化させるところである。
 でもまあ、最初と比べると、ずいぶん動きやすくなったもんだ。
 それにしても、ああ、ヒマである。(つづく)

参照
・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが、、、2015/05/05~


2015/05/15

1089【尻餅散人横臥戯録5】寝たきり事件発生から2週間、立ったきり生活試行を開始

尻餅散人横臥戯録4】からつづき
 
●突発寝たきり事件2週間目で直立試行へ

 医師によれば全治3か月の第4腰椎圧迫骨折事件から、今日で2週間になった。
 ベッド便所往復の外は、平臥専門の寝たきり老人をやってきた。でも、寝たきり生活にホトホト飽きた。そろそろ脱するかと模索中である。
 平臥姿勢と直立姿勢になっていて動かなければ、ほとんど痛むようなことはない。ということは、ここらあたりで直立生活も加えて、立ったきり老人も交えてみることにしようと考えた。
 立ったきりはできても、中腰とか腰曲げをできない。要するにお行儀良い姿勢を、わたしの身体が要求するのだ。

 まず、PCをどうやるか。はじめは横臥して半開きノートPCを横に立ていた。でも目が疲れるし、打ちにくい。
 そのうちに思いついて、PCを床に置いてベッドに腹ばいで身を乗り出してキイボード打ちをやっていた。これは胸が痛いし、垂れる頭を支えて首が疲れる。
 直立できるようになって、ようやくPCをもとの机の上に戻した。だが、椅子に座ると痛い、腰を曲げると痛い。机上にスツールを乗せ、その上にPCを置くとちょうどよい高さになった。
 今、これはそうやって使っている。楽である。脚が疲れるけど、この2週間ほとんど歩かなかったので、リハビリテーションである。

 この直立PC打ち姿勢を、枕元食事ケータリングの家人に発見されてしまった。これで寝たきり上げ膳据え膳の快楽は廃絶、せっかく寝たきり飲食文化を起そうとしたのに、やむを得ない。
 だが、食卓の椅子に腰掛ける姿勢は、右の腰回りが痛くてかなわない。椅子を引いて、直立して食事することにした。毎度の食事が立ち食い、立食パーティだ。まあ、これもよし。
 
 残る問題は、平臥と直立の両姿勢の間の移行を、いかに円滑に進めるかということである。痛い腰をかばってのヨロヨロ立ち上がり動作は、他人には見せられない。だがこれも、次第に上手になりつつある。赤ん坊の立ち上がり時期と同じだ。
 そしてもうひとの問題は、座位の時に発生する右尻腰痛にどう対処するかである。まあ、そのうちに治るんでしょう。待つしかない。

 でも、全治3か月との宣告を受けている身だから、あまり早く治癒しては、医師に失礼だろうと思う。早くても2カ月くらいにしないとなあ、って言ってもまだ先は長いなあ。
 そしてまた、わたしにはこれは実に貴重な体験だから、あまり早く元の身体に戻っては、なんだかもったいないと、思わないでもない。
 ユルユルと行こうと思う。

●雑踏の中で座り込んでいた事件発端尻餅の日のこと

 寝たきり生活2週間、ヒマだからあれこれ考える。まあ、脳だけは活性化しているんだろう。
 この突発寝たきり事件の発端は、商店街モールで自転車から降りようとして転んで、派手に尻餅を搗いたことである。その搗き方は、スットーン、模範演技であった。
 搗いたとたんに、あ、こりゃしばらく動けそうにないぞ、ヘンに立ち上がる努力して不様な格好になるよりも、しばらく尻餅姿勢を保つことにした。
こんな様子の都心商店街の雑踏に小一時間も座り込んでいた
土曜日の午後、目の前に地下道出入口があり、人通りの多い都心の繁華街の道の真ん中に、転んでいる自転車とへたりこんだ老人がいては邪魔だろう。
 でも、さっとは位置を変えられない。尻を地に着けたままズルズルと、転んだ自転車を引きずり、近くの街路樹のもとに匍匐前進移動、幹に寄りかかって一息。
 さて、このまま動けないとなると、転んだ自転車を前にして、どうしたものかと思案する。

 そうやって小一時間もすわっていたろうか、この間、誰もわたしに注意を払ってくださった人はいない。
 ま、こちらも若干見栄を張って、苦痛の顔でない努力もしていたのだが、。
 それに、ここの商店街にはけっこう年寄りの酔っ払いが、真昼間からベンチに座り込んでいるからなあ。風体からしてわたしがそれのひとりと見えてもしょうがない、決して横浜の人情が冷たいわけじゃない、、、。 

 例外的にひとりだけ、一部始終を見て、こちらを注視してくださっている人がいた。商店街に直行する車道に車を止めて客待ちしていた、タクシーの運転手である。
 あのタクシーに乗ってうちに戻ろうかなあ、それとも救急車を呼ぶかなあ、それとも歩けるようになるかなあ、などと、うじうじと考えていたら、タクシーは客を拾って行ってしまった。
 
 しょうがないから立ってみようかと、膝を付けて四つ這いから、ヨッコラショと何とか立ちあがった。背中や脚が猛烈に痛い。
 今から考えると火事場の馬鹿力だった。とにかく自転車に乗って自宅まで200mをイテテイテテと漕いで帰り着いた。今ならとてもできない。
 そのあとは寝たきりである。

 その時は気が付かなかったが、世の中はその日から5連続の休日で、医院も休診であったのが、つらかった。大型連休を発明した人を恨んだ。
 救急車を自宅に呼んで病院に行くべきか、このまま連休あけまで寝たきりか、もしかしたら手遅れでこんごは寝たきりになるかもなど、悶々と寝たきり週間をやった。
 そして思ったのは、あのときの3つの選択肢のうち、救急車を呼ぶのが正解だったようだ。
 まあ、連休明けの病院で、手遅れ宣告がなかったのには、正直にホッとした。(つづく

参照

・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが、、、2015/05/05~

2015/05/13

1088【世界遺産登録騒ぎ】お隣から文句言われて屁理屈こねてる明治日本の産業革命世界遺産登録

 またぞろ世界遺産である。このへんには世界遺産を好きな人たちが多いらしい。
 こんどはお隣から文句を付けられて、屁理屈こねている。

 ニュースによるとこういうことらしい。http://www.asahi.com/articles/ASH5D56BKH5DUHBI01B.html
「韓国国会は12日の本会議で、日本政府が「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録を推進していることを糾弾する決議を可決、採択した。朝鮮半島出身者が強制労働をさせられた施設が含まれていると強調し、登録するかを最終決定する世界遺産委員会に慎重な対応を求めた。
 韓国側は、対象となる23資産のうち、高島炭坑など7資産で計5万7900人の朝鮮半島出身者が徴用されたとしている。決議は、日本政府が登録を進めることを「外交的な挑発行為」などと批判。韓国政府にも厳しく対応するよう求めた。」
 
 これに対して日本側は、こう言うのだそうである。
http://www.sankei.com/world/news/150511/wor1505110041-n1.html
「超党派の日韓・韓日議員連盟の合同幹事会が11日、ソウル市内で開かれた。日本側は「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録に韓国政府が反対していることについて、政治問題化しないよう韓国側に理解を求めた。日韓議連幹事長を務める自民党の河村建夫元官房長官が会議終了後に明らかにした。
 河村氏は会議で「徴用を否定しないが、(遺産の対象となる年代と)時期がずれている。日本が近代化を遂げた際の歴史的、文化的遺産だ」と韓国側に説明した。これに対し韓国側は「微妙な問題だ」とし、賛否について回答しなかったという。」

 この「(遺産の対象となる年代と)時期がずれている」とは、こういうことらしい。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150508/k10010072911000.html
「これについて岸田外務大臣は「今回の遺産は、対象の年代が1850年代から1910年とされており、韓国が主張しているような朝鮮半島出身の旧民間人の徴用工の問題とは年代や歴史的な位置づけ、背景が異なる。あくまで産業遺産としての顕著な価値に着目したものだ」と述べ、韓国側の主張は当たらないという認識を示しました。」

 どうもよく分らない。
 今回の世界遺産登録に出した構成資産は、日本の近代化時代の産業遺産であるらしいが、当然のことに産業だから1910年に、ばたり突然に廃墟になった遺跡ではない。
 なかにはいまだに工場で活躍している施設も構成資産である。そして、近代の構築物だから、今生きている人にも記憶に生に存在しているものでもある。
 韓国会が言わなくても、日本人にだってけっこう悲惨な歴史の記憶があるはずだ。現に私だって、三井三池炭鉱の大災害や大争議は、同時進行に新聞で毎日見ていた記憶がある。

 それを1910年以前にできた施設だから、関係がないと言っては、歴史文化資産に失礼というものである。
 歴史とは、それら悲しいことも、嬉しいこともすべて包摂することでなりたつものだ。ある時点でとどまることはないのだ。
 1910年以前だからというところが、いかにもわざとらしい。韓国併合以前だから、文句は言わせないって、姑息極まる。
 これって、たぶん、隣国から文句が出たらそう答えるんだと打合せしつつ、1910年以後の資産を除外して登録手続きに出したのだろう。姑息である。
 
 朝鮮半島の人だろうが日本列島の人だろうが、近代日本の発足時の追いつけ追い越せと励んだときに、悲惨な労働環境で低賃金で働いた人々がいて、ようやくテイクオフできたという事実は否定できない。
 炭鉱労働が囚人の懲役の場であったことが、物語るところは深い。
  韓国会は、登録に反対するよりも、そのような強制徴用工の悲惨な歴史も、これらの文化遺産のコンセプトに込めるように働きかける方が、はるかに賢明であると、わたしは思う。

 端島炭鉱が軍艦島といわれて、ヘンに廃墟観光名所になっているが、あの超過密な孤島牢獄のような生活環境に暮らし、その地底や海底に働いた人々は、はたして幸せだったのか。どんな暮らしで、どんな労働だったのか。
 現場にいたことで負の思いをもつ人たちは、日本人でもいるはずだが、隣国からのように声をあげることはできない気分かもしれない。
 いまや世界遺産反対なんて言うと、国賊あつかいだもんなあ。
 美名だけが大手を振って、それが世界遺産の本質なんだろうか。だったらやめなさい。

 韓国会の抗議に真摯に応え、そのような事実も含めて、日本近代化の遺産の持つ正の価値も負の価値も包摂して、登録したければすればよろしい。
 だって、日本にはすでに原爆ドームがあるでしょ。あれだって、登録時は政治的な反対が太平洋の向うからあったのですよ。
 ビキニ環礁を世界遺産登録するときに、あの久保山さんが死んだ被曝事件をもとに、登録に抗議しなかった日本政府は、寛容なんだろうか、それとも単なる無知か、アメリカさんの言うことに反対不可能だったのか。
 
 三菱長崎造船所は、戦争中はたくさんの戦艦、兵器をつくった、いわば戦犯級の施設である。そのことに頬被りしてはなるまい。
 この幕府の長崎製鉄所の末裔が登録になるならば、これよりも先に起きた横須賀製鉄所の末裔であるところの、横須賀米軍基地をなぜ登録しないのか。
 歴史的価値ならば同等以上のはずだ。こちらには1871年にできた日本最初の船渠があるぞ。今回の登録にかかる三菱第3船渠の1905年より歴史は古いぞよ。
 だが、これこそまさに政治的に登録不可能な代物だ。まったく同じかそれ以上に貴重なコンセプトのうちにありながら、登録不可能な現実に眼をやることもなく、一方の登録に熱をあげるのも何かヘンである。
横須賀アメリカ軍基地内にある横須賀瀬鉄所時代の船渠 1998/04/04 DATEY
あの端島の廃墟を保全しようと考えているらしいが、やめてもらいたいものだ。廃墟になったことそのものに歴史的意味があるのだから。
 あのような人間が住む働くようなところでない環境に築いた人工の構築物が、いま、自然の揺り戻しで海に戻りつつあるのだから、そのまま自然の手に返してやればよい。
 廃墟が次第に自然に戻っていく姿、やがて消滅する過程をしっかりと見つめて、人間の営為とは何であったtかと思い考えることこそ、歴史文化遺産の価値である。
 廃墟に人工的な手を加えた途端に廃墟でなくなり、観光施設という物見遊山の見世物になってしまう。それは歴史と自然に対して、あまりに失礼千万である。
 レリホ~って歌が流行ってるんじゃン、ねッ。

 さて、近い将来、朝鮮半島あるいは中国大陸あるいは南アジア地域における戦争遺跡が、世界遺産登録の話題になる日が来るに違いない。
 文禄慶長の役、日中戦争、太平洋戦争について、歴史観をそれらの地域から問われることになるであろうことを、覚悟しておく必要がある。

裏長屋の世界遺産談義(2009.12)
再び唱える「福島第1原発を世界遺産にしよ(2013.4)

 

2015/05/10

1087【尻餅散人横臥戯録4】毎日朝夕寝転び飲食なのに身体はちゃんと出すべき所から出すべきものを出してくるのが不思議

1086【尻餅散人横臥戯録3】からの続き

●寝ころんで飲食するとクソダメ人間になるか

 尻餅搗いて第4腰椎圧迫骨折全治3か月の今日は9日目、まだ全行程の1割しかきていない。
 連続寝たきり食事である。椅子に座る姿勢が一番痛いからである。以前からのように1日2食だが、さすがに量は少ない。
 横臥姿勢で飲食するって、けっこう面白いような、アホらしいような。自分の手で口に運んでいるが、一口で入るように料理製作してもらう。
 寝ころんだ姿勢で食っても、以前のように椅子に座って食っていたように、口から排泄口まで体内運搬が、はたしてうまくいくのだろうか。

 だって、上の口から入れて、下の口から出すんだから、摂取食物類は万有引力というか重力に従って動いているはずだ。それが横になったままだと、重力は身体に横向きだよ。
 仰向けばかりだと背中に溜まるから、時々右や左に寝返っているけど、こうやっても下の口に向かう力が働らかないよなあ。
 現に初めの3日間は、便秘に困ったから、これは重力問題だと確信した。まさかと思うが、ナニが口に逆流してくるかも。

 寝たきりクソダメ人間になるのは嫌だから、芋虫が立ち木によじ登る如くに柱にすがって(人には見せられないヨロヨロ苦闘)、痛さをこらえて重力が体の上の口から下方向に働くように直立をする。
 しかし直立姿勢だと腰回りが痛くてたまらないから、すぐに横になる。これでは重力が体内流通運搬システムに効果をもたらすことは、全然なかったようだ。
 クソダメになってもしょうがないや、いや、便秘薬だ。

 そんなこんなで5日も寝転び飲食をやっていると、だんだんわかってきた。
 どうも体内には、上の口から下の口へと動くベルトコンベアが仕込んであるらしく、横になっていても出口に水もクソも届くらしい。
 そうか、わたしの体はうまくできているんだなあ、こういう時に備えて。

●寝転び飲食は平和の表徴かもしれない

 そうなると、考えた。これからはずっと、寝転んで飲み食いやろうかな。なにも腰掛けてやるべき理由はないような。
 そうですよ、飲み屋でも、みんな寝転び飲み会やればよいのだ。やったことないでしょ、これ、なかなか快適ですよ。やってみて初めて分った、いや、飲み会はまだだけど。
 
 人間はいつごろから、座ったあるいは立った姿勢で飲食するようになったのだろうか。楽な寝ころび姿勢を放棄したのはいつからだろうか。
 あ、違うかもなあ、大昔から人間は座ったり立ったりして食事していたのだろう。だって、食事中に他からの襲撃で、食い物を取られるとかあるだろう。食いながら逃げ出すとか、襲撃に備える姿勢としては、寝転んでいるのは圧倒的に不利だもんなあ。

 だからと言って、寝転び飲食が肉体的生理的に不可能ではないことを、わたしは今回発見したのである。
 立位座位飲食は防衛体勢が生んだ単なる習慣に過ぎない。寝転び飲食の方がむしろ快適なのである、便秘問題はあるにしても、。
 そうか、わかったぞ、今は食料を取り合いしなくてよい平和なわが街、わが地域だから、寝ころび飲み食いをできるのだな。
 寝転び飲食は平和の表現だ。これで地域から新たな文化を発信するのだ。寝転び飲食を地球上のどこでもできるように、国際貢献しよう。

 そうだ、どなたかがお好きらしい積極的平和主義の表現の為にも、寝転び飲食を広げよう。
 まずは、「寝転び飲食推進運動国民会議」を立ち上げるのだ。
 家庭では畳の食事室を復活して、今日は寝ころびスキ焼きだとか、学校給食は教室で寝転んで食う、ホテルバケットも寝転びタイプを売り出すとか、、そうだ、茶道も横千家を興す、とか。

 もうひとつ効用を思いついたぞ、日頃から寝転び飲食していると、本当に寝たきりになっても、食事に戸惑うことはないはずだ。
 そうだ!、寝転び飲食が、寝たきり老人が食べさせてもらう受動的寝転び飲食となっている現状を打破して、人間自らの手で摂取する能動的寝転び飲食文化、を確立しよう。
 あ、この際、寝転び文化そのものを目指して、「国際寝転ん党」(INP:international necoround's party)を結成しようかな。

 ああ、ヒマである。 つづく

参照・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが、、、2015/05/05~







 

2015/05/08

1086【尻餅散人横臥戯録3】ムリ検査証拠写真で医師の判決は有罪にして自宅禁固安静療養全治3か月の刑に処す

【尻餅老人横臥戯録3】からつづき

MRIって妙な機械に襲われてウンザリ

 人生初の寝たきり老人1週間、病院で昨日はX線では異常なし、今日はMRI検査である。さあ、丁と出るか半と出るか、じゃなくて吉か凶か。
病院前にて、ロシナンテ号に乗り槍を立てて、いざ出陣
昨日は予約なしの病院ランド入園だったから、目的の整形外科は大人気アトラクションらしく、予約入場希望者の婆さん爺さんの長蛇待ち行列、その後に回されて3時間待ち。

 今日は予約済みだから、希望アトラクションMRI検査室に直行すれども30分待ち。
 ヒマだからいいようなものだが、座って待つ姿勢がつらいのが問題。また今日も果報は長椅子に寝て待つのであった。
 ヒマなのはわたしだけで、車椅子押し付添いの息子は仕事を休んできてくれている。

 それにしてもMRIって、名前も“無理”なんて変だし、実物も妙な格好の遊具というか機械であった。
 仰臥しているこちらの鼻先5センチのところまで、全身に襲いかかり覆いかぶさってくる。この人間様を下に機械上位の体位のままに、約40分間も黙って対峙し続けるのだった。
 こりゃ、あの、どうも、犯されてるみたい。そうかムリヤリ体位だから、ムリ=MRIというのだな。
 閉所恐怖症のわたしは、パニックにっこそならかったが、かなりうんざり気分がきわまった。

 しかもヘンなことには、わたしは黙って寝転んでいるのに、上にいるMRI君は、妙にアナログ的な饒舌マンであった。
 トントントントン、ジーコジーコジーコ、ジャージャージャージャー、コンコンコン、、ときどき止まって考えこんでまた始める。いったい何やってるんだよ。ノコギリと金槌で、わたしの故障を修繕しているのか。
 さらに可笑しなことに、そのバックにドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」が聞こえるのである。う~む、この検査の後には、寝たきり老人の世界が新しく開けているのか。どうもこれはムリ技師の趣味の室内BGMらしい。


●ついに寝たきり老人に判決下る

 そうやって賑々しく犯されつつ作成したMRIの証拠写真により、医師の判決は、アア、有罪であった。
 罪名は「第4腰椎圧迫骨折」、収監はしないが、自宅禁固3か月安静ノ刑に処する。

 いやまったく、実に立派な名称の症状である。これなら連休をMLで仲間たちを騒がせたわたしも、まあまあ恥をかかないで済んだ。
 ホンの打撲傷です、なんて判決だったらどう言い訳けしようかと思っていたからだ。あ、勿論この恥かきの方が良かったのですが、。

 で、これがMRIによって作成された証拠写真である。今回の寝たきり老人事件の発生源である。
 背骨の途中で、なんだか潰れた風船みたいなの(椎間板というらしい)が顔を出している下の、白っぽいのが、圧迫骨折している第4腰椎だそうだ。
わたしの脊椎あたりのMRI画像
これはネットから拾った説明用模型

普通なら他の腰椎と同じ形だから、ここに異常があり、それが腰背中の痛みをもたらす。
 不幸中の幸いは、骨の損傷程度がひどいと入院手術だが、比較的軽くてその必要はない、安静にしていると3カ月くらいで自然治癒する、と、医師の御宣託である。
 その医師は、もしも私に孫娘がいたならこんなかもしれないなあ、って可愛い人。 

 即時入院コルセットはめて治療、そしてリハビリという刑をやってもいいけど、それも必要あるまいとのこと。薬もなし。
 まさか見放されたのではあるまいが、わたしの口と体の元気さをみて、積極的平和主義じゃなくて積極的治療の必要なしというところだろう。 
 まあ、違憲まではいかないが、違憲状態である、ってところかな、わたしも流行最先端だよ。

 ヤレヤレ、寝たきり老人やってりゃ自然治癒して、寝たきりを卒業できるんだあ、よかった、よかったあ。
 自然治癒と言えば、12年前に罹った「不治の病」と医師宣告の「大腿骨頭壊死症」を、わが念力で自然治癒した偉大な実体験実績を持っているわたしだから、えへん、自然治癒には自信があるんだよ。
 その件はこちらを参照・https://sites.google.com/site/machimorig0/handicapped
 さあ今度も念力だあ~。でも、どうやったっけかなあ。

 次は10日後に検査の約束をして、車椅子を息子に押してもらって帰宅。
 それにしてもだよ、尻餅から今日で7日目だが、わが芋虫身体には、いまだに曙光が見えないなあ。
 10日後は、病院往復100mを自力歩行したいものだ。
【尻餅散人横臥戯録4】へつづく

参照・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが、、、2015/05/05~