2013/12/15

875ついに始まった東電核毒事件の福島貯蔵地は百年前の足尾鉱毒事件の渡良瀬遊水地そっくり

 今日のニュース(朝日新聞DIGITAL2013年12月14日20時56分)
中間貯蔵施設、福島3町などに受け入れ要請 環境相ら
 福島県内の除染で出た土などを保管する中間貯蔵施設について、石原伸晃環境相と根本匠復興相は14日、佐藤雄平知事と候補地である双葉、大熊、楢葉3町長に建設受け入れを要請した。
 3町の計約19平方キロメートルを国が買い上げて施設を造り、2015年1月からの搬入を目指す。ただ、地元には不安が根強く、受け入れがすんなりと決まる見通しはない。

 

  19世紀末に起きた、古河鉱業足尾銅山の鉱毒による大規模公害事件は、垂れ流し鉱毒を貯蔵する渡良瀬遊水地をつくるために、谷中村など大勢の住民のいる村を滅した。
 明治政府はそうやって古河鉱業を救った。

 21世紀初に起きた、東京電力福島第1原発の核毒による大規模公害事件は、撒き散らした核毒を貯蔵する中間貯蔵施設をつくるために、双葉、大熊、楢葉3町あたりの大勢の住民がいる街を滅しつつある。
 そうやって、今の政府も東京電力を救うのか。
 
 やれやれ、歴史は繰り返す。
そうなるに違いないと思い、わたしは東電核毒事件が起きた年の夏に、こんなことを書いた。
 
http://datey.blogspot.jp/2011/08/476.html
●21世紀の「谷中村」は「核毒の森」
http://datey.blogspot.jp/2011/08/47921.html
●核毒の森と海
https://sites.google.com/site/dandysworldg/kakudoku-woods
 
 被害者は2重3重に被災を重ねざるを得ない気の毒なことだが、古河鉱毒さえも100年以上経った今でも根絶できないのだから、東電核毒はその毒の性質からもっともっとかかるだろう。明け渡しは仕方ないことだろう。
しかし強権をもって村人を追い払った明治政府と現代の政府と違うことは、東電はしっかり補償し、国がそれを実行させる担保を負うのは当然のことである。

でも不思議におもうのだが、どういうわけか、真犯人の東電はニュースの表にいつも出てこないのは、どうしてなのだろうか。はじめに引用したニュース前振り文にも、直接の責任者の東電は全く出てこない。
 これはメディアの怠慢なのか、東電の怠慢なのか、国が東電を救うためにしゃしゃり出すぎるのか、とにかく犯人東電はもっと前に出てこい、と、いつも思うのである。

 税金で何もかもやられて、東電も株主も貸付銀行も、のうのうと生き残るってことになる筋書きは、僅かながらも税金を納める庶民にとっては、そうなっても東電に電気代を納め続けなければならないのだから、なんともやりきれない気分である。

2013/12/11

874高齢者が書いた高齢者を種にした小噺を読んだ高齢者が小噺を地で行く小噺

喜寿前後の大学同期生仲間で、メーリングリストであれこれと情報交換している。その中に毎月一回、創作小噺を書いてくるやつがいる。
今月は、あるプロ野球の小噺(全文を勝手に引用するが、お許しを)。

●引退
数々の最年長記録を更新してきた球界最年長投手が引退記者会見を行った。会見に先立ち、投手の投球が披露された。記者の質問が行われた。
記「やはり年齢からくる、肉体の衰えですか」
投「先ほどもお見せした通り、まだまだ体は大丈夫です」
記「ではなぜ引退を決意されたのですか」
投「本当はまだ投げ続けたいのです。球団の意向が・・・」

 通常の引退会見のように進まないまま、会見は打ち切られ投手は退席した。記者が残った球団関係者に質問した。
記「本人は引退したいとは思っていないようですし、見せてもらった投球内容も、全然衰えていないようですが」
球「全くその通りです」
記「ではなぜ引退をさせるのですか」
球「投球内容は全く衰えていません。球団としても現役を続けて欲しいのです」
記「・・・・・・?」
球「なぜかしら、最近グローブが無くなったとか、時には財布が無くなったなどと彼がチームメイトに問いただすことが目立ち、チームの和が保てなくなりました。潮時かと・・」

 メーリングリストの小噺は、ここまでである。
 さて、これを読んだ仲間のひとり(元大学教授)が反応して返信した。もちろん彼も喜寿である。
「この選手は誰か見当つきますが、彼の裏情報まではわたしの住む地方にまでは届いてこない。ということで、小噺の終わり数行がいまいち、わかりません。でも証拠の残るメール上での解説は不要です。秘密は保護するに限る」

 これを読んだ小噺発信元がまた書いた。
「あの~、大丈夫ですか。本気になって聞いてくる君のことが、とても心配です。これは小噺ですよ、小噺、よろしいでしょうか」

 これで2回も笑えたのだが、返信したのはわたしではありません。わたしはプロ野球を全然知らないから笑っただけだが、知っていたら、わたしも返信したかもなあ。

2013/12/10

873【五輪騒動】都市計画談議(その7)外苑は特許公園で再開発するのだろうか

これまで「神宮外苑地区地区計画」の話とは言いながら、実は外苑区域の外の国立競技場がらみの話ばかりしてきた。ここら辺で外苑の中の話にしたい。
それにしてもこの地区計画は、国立競技場の建て直しのために造った感じが濃厚だから、名称からして本当は「国立競技場等地区地区計画」とすべきであったとおもう。
それにもかかわらず、国立競技場の建て直しには直接には関係のない外苑をも地区計画の範囲にして、神宮外苑とわざわざ名付けたのは、なにか魂胆あるに違いない、と、わたしだけではなく誰もが思うはずだ。え、思わない?、わたしだけかなあ、まあ、いいや。

というのは、再開発等促進区の地区計画は、その区域の環境を守るためではなくて、土地利用を大きく変化させることを目的にして定めるものである。とすれば、「計画」なのだからどちらに向かうのか計ることができないようなことを決めることはできない。
そこには将来構想を言葉と範囲だけではなくて、ある程度は具体的な絵もなければ、都市計画を決めることはできないはずである。

ところが、少なくともウェブサイトから見つかる絵は、この1枚だけである。再開発促進区の地区整備計画のある範囲だけで、JSCの地元説明会用資料の一部らしい。ここはこの地区計画の震源地の新国立競技場計画という、極めて具体的な事件が進行中だからあって当たり前である。もっと詳しい図があるはずだが、見つからない。

●地区整備計画区域の構想図

地区整備計画の区域でさえものこの程度だから、他の区域についてはさっぱりわからない。どうにでも解釈できる方針の言葉と、区域を示す図しか見当たらない。都庁の資料室にはおいてあるかもしれないから、いつか行ってみよう。
地区計画図を睨む。団扇というかラケット形のところ(B地区)だけ除いて、ほか全部が再開発促進区である。つまり、ラケットの中は現在の条件を保全するところ、その外の全部のエリアは再開発を促進するところである。

 ●地区計画区域の空中写真

ラケットといっても、グリップ部は道路だから、実態はラケットのフェイス部分の絵画館と軟式野球場についての地区計画である。
絵画館とその周りは外苑発祥の根源的な場所だから、いわゆる歴史的な文脈を受けての保全については、もう誰もが納得せざるを得ない。
では、絵画館前庭の軟式野球場となっているあたりはどうするのか。ごたごた建っている建物を含めて、軟式野球場として保全を続けるのか、それとも当初の設計の形に復元するのか、今後に出てくる地区整備計画と詳細計画図が楽しみである、としか言いようがない。

再開発等促進区の地区整備計画外のエリア(A地区)について、各論的基本方針にはこう書いてある。
「既存スポーツ施設及び関連施設等の更新・再編により、あらたな時代のスポーツに対応した施設の整備を図るとともに、神宮外苑の緑豊かな風格ある都市景観と調和しながら、地区に魅力的なにぎわいを与える商業、文化、交流、業務等機能の集積を図る」
 これって、要するに「何でもあり」ということである。青山通り沿いの民有地もあれば、外苑の宗教法人所有地やTEPIA財団用地もあるから、広く目くばりせざるを得ない。
青山通り沿いあたり民有地はそれでよしとして、問題は外苑地区(B地区以外)で文字通りに再開発等をどのようにするつもりなのだろうか。

地区計画を制定するときは、一般的にはある程度の将来構想をもって内容を定める必要がある。保全型地区計画は分かりやすい将来構想が書きやすいのだが、再開発促進区は簡単ではない。再開発であるから、その将来像は今よりもかなり変化することになる。
その変化することを容認する都市計画だから、少なくともどの方向に変化するかくらいは分かっていないと、都市計画にはならない。

外苑の中は都市計画公園指定区域だから、用途や建蔽率が厳しく制限される。再開発なんてできるものだろうか。それができるのである。
実は東京には、都市計画公園指定区域内の有名な開発事例がある。特許事業として整備した後楽園と芝公園である。
後楽園は、昔からの庭園の小石川後楽園と、東京ドームや遊園地やホテルのある後楽園も、両方とも併せて都市公園であり、小石川後楽園の他が民間による特許事業である。
芝公園も東京タワーなどがある公園だが、超高層建築のプリンスパークタワーのあるあたりは民間特許事業によって開園している。
もしかしてこの特許事業方式で外苑再開発事業をしようともくろんでいるのなら、先例に見るように、神宮球場に屋根をかけた外苑ドームや、外苑遊園地、超高層外苑ホテルができるかもしれない。

●特許公園の後楽園の開発状況(東京ドームもホテルも都市公園) 
ついでにこちらも参照されたしhttps://sites.google.com/site/machimorig0/keikangizo#koraku

●特許公園の芝公園の開発状況(ホテルも東京タワーも増上寺も都市公園)
 
●今後どのように再開発されるのか、明治ドームができるのか、
タワーホテルができるのか、楽しみで気になる明治公園

国立競技場が新国立競技場に替わり、テニス場が巨大JSCビルに変るのは、かなりその方向が詳しくわかっているから、地区整備計画を定めることができた。
そのほかのエリアはまだ詳しいことがわからないから、再開発促進区ではあるが、地区整備計画は定めないということは、分る。
それにしても、外苑地区は特許事業で整備を進めるとしても、どのような将来構想をもっているのか気になるのだが、その構想はどこにあるのだろうか、ないのだろうか。

とにかく、再開発等促進区の地区計画にしては、いくら地区整備計画がないといっても、ある程度の将来構想図くらいはないと、都市環境の将来を決める都市計画として、ほとんど判定できないだろうに、これはいったいどうしたことなのだろうか。
地元の新宿区の都市計画審議会にさえも出していないらしいから、都の審議会にも出していないのだろう。将来構想が分らないままに都市計画決定したとすれば、やっぱり都市計画審議会は、いいかげんなものである(わたしが横浜市都市計画審議会で経験したように)。
今後に出てくる地区整備計画と詳細計画図が楽しみである、としか言いようがない。(つづく
参照◆新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢と似非言い
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

2013/12/09

872評伝「RIA創設の建築家 山口文象の生涯」

建築ジャーナリズム界のメジャーファッション誌といえば、老舗雑誌の『新建築」である。
わたしが学生の頃は、これに加えて『建築文化』『近代建築』『建築』があり、『国際建築』はあったかもう廃刊していたか、その後『都市住宅』が出た。
今は『近代建築』だけが、なんだか広告専門誌のようになって続いている様子だが、他はみな廃刊らしい。

その『新建築』が、別冊と銘打って特別テーマのムックを次々と出しているようである。設計事務所特集や開発事業者特集も多いようで、商業的宣伝誌の様相になりつつある感がある。
そのひとつとして11月に『まちをつくるプロセス RIAの手法』が発刊になった。
RIAとは、昔は「RIA建築綜合研究所」、今は「㈱アール・アイ・エー」のことで、正式社名にはRIAはないのだが、昔からRIAとかいて流布ししており、初期はリアと読んでいたものだ。

そのRIAの創立60年記念誌を兼ねた出版らしい。
主に都市再開発、今流の言葉でいえば「まちづくり」に関して、要領よくまとめてある。
そしてそのなかに、「RIA創設の建築家 山口文象の生涯」なる4ページにわたるコラムがあり、近藤正一さんとわたしが執筆している。

そのわたしが担当した山口文象評伝を、ここに紹介する。
https://sites.google.com/site/dateyg/bunzo-syougai
近藤さんの書く、山口文象がなぜRIAを始め、なぜRIAという名称なのか、そこのところが面白いのだが、そこは本を買ってお読みください。

なお、この本の書評は、このブログに前に紹介した。
https://sites.google.com/site/matimorig2x/ria-process

●参照→「山口文象+RIA」サイト
https://sites.google.com/site/machimorig0/#bunzo

2013/12/08

871【五輪騒動】都市計画談議(その6)都営住宅消滅させてJSCビル焼け太りか

(その5)からの続き>

新国立競技場の都市計画変更で、その高さ制限を30mから75mまで緩和したことが、地域景観に与える影響でもっとも大きなことあることは間違いないし、だからいろいろと世間から騒がれている。

だが実は、もうひとつ大きな緩和をした地区がある。神宮球場の西、スタジアム通りを挟んだ向かいにあるテニス場の土地である。このテニス場も国立競技場と同じくJSCの経営する施設である。
ここは地区整備計画ではA-4地区、0.8ヘクタール、容積率限度600%、高さ限度80mとなっている。ということは、現容積率300%から2倍になり、高さ30mから2.7倍に緩和である。


ここから南にスタジアム通り沿いにテピアの前あたりまでは300%・30mだから、飛び地状に突出した大きさ・高さになる。
想像するに、将来はこのスタジアム通りも青山通りなみに、高く大きく都市計画変更するつもりであろう。この突出ぶりはそうとしか考えられない。

はじめてこの地区計画をみたとき、ここの突出ぶりはどうしてだろうかと思ったものだ。そして、新国立競技場で無くなるなにかの施設の移転先なんだろうなあ、それならやむを得ないか。
なにが無くなるのか図をにらんで、ハハン、都営住宅が無くなるんだ、だからここに高層の都営住宅を建てるのだろうと気が付いた。しかし、違っていた。
無くなる施設の代替え施設建設用地であることは違っていなかったが、移転して来るのは都営住宅ではなくて、JSC本部と日本青年館だそうである。
建築敷地約6800㎡、施設規模は最大で延べ約41000㎡まで可能で、両施設の既存機能を維持するとすれば31000㎡程度となる、とある。(建設通信新聞2013-06-06

では、公園用地になってしまう都営住宅は、いったいどこに建てるだろうか。これはどうも、現住民は他の都営住宅に移転させて、代替の都営住宅は建てないらしい。
ということは、オリンピックのせいで、公営住宅の戸数が減少するということになる。JSCという政府機関がこういうことをやってよいのか。
日本は居住政策がどんどん貧困になってきているが、まさかオリンピックの最初の敗者が都営住宅になるとはねえ、なんだか解せない感がある。
誤解のないように付け加えるが、わたしはここの住民が他の都営住宅に引っ越すことが解せないのではなく、代替住宅を建てないで公営住宅戸数を減少する政策後退を解せないのである。

ついでだから書いておくが、いまのような民間分譲型共同住宅(いわゆるマンション)ばかりを奨励する経済政策型居住政策をやっていると、今にたいへんなことになるぞ。
こんどの関東大地震が来たら倒れるものもあるが、倒れなくても住めなくなる高層共同住宅が頻出して、ものすごい数の住宅難民が出るぞ。
大規模分譲型共同住宅では、建てなおすのも同意が大変なことは、阪神淡路でも東日本でも姉歯事件でも十分に経験済みなのになあ。
公的賃貸住宅を充実しておけば、東日本大震災でも住宅難民がまだ少なかったはずだ。いまになって災害公営住宅をどかどか建てているから、よくわかったでしょ、今度はね。

話をもどして、このテニス場がどうしてそのような巨大ビル用地に化けることができたのだろうか。
容積率と高さ緩和ばかりか、都市公園としての既存の都市計画決定も、ここだけ廃止決定をした。
都市公園を狭くする決定はないだろうと思うので、たぶん、都営住宅と日本青年館の跡地が公園になることから、都市公園の指定区域全体はひろがるから、ここを廃止することができたのだろう。
よく見ると、この北に既に開園している都営住宅東隣の明治公園の三角公園(ここでは仮にこう言っておく)までも、合わせて廃止している。(公園変更計画図参照

明治公園の全体図

変更前の明治公園開園状況


ということは、新JSCビルの用地には、三角広場廃止跡地まで入っているだろうか。
でも図をよく見ると、三角公園とテニスコートの間には、細い道のようなものがはいっていて、二つの土地は繋がっていない。この道のような土地は、たぶん、その西奥にある外苑ハウスの進入路の土地だろう。

地区整備計画図には、この三角広場跡地に、公共施設ではない地区施設として、広場約1000㎡を指定しているので、ここは多分JSC用地になるのであろう。でも、もともと公共施設だった公園を廃止して、同じところに地区施設の広場をつくる意図が分らない。
しばらく睨んでいて、ハハン、これは三角広場とテニス場の二つの跡地を一体とみなして、テニス場跡地に巨大JSCビルを建てるために、都市計画の緩和措置を引き出すためのお土産だろう、と、推理を働かせたのである。

そうであったかどうか確証はないが、テニス場跡地の4m歩道状空地だけで、このような大幅緩和は考えられないから、そうにちがいない。
緩和するにはそれに見合う公共へのお土産が必要である。それがこの広場とスタジアム通り沿いの4m幅の歩道状空地であるらしい。
更に、日本青年館のホールのような文化施設による社会貢献も、お土産に認められているかもしれない。

でも、考えてみると、広場も文化ホールも、もともと地区計画の区域内にあった公園と日本青年館だから、新たなお土産と見るのは、かなり無理があるような気がする。それで容積も高さも2倍以上になるって、ちょっと甘いような。
まあ、これも東京都の都市計画当局が「東京都再開発等促進区を定める地区計画運用基準基準」をもとに定めたのだし、第201回東京都都市計画審議会ばっちり審議した結果だから、それでよいのだ、たぶん。
都営住宅は消滅なのに、JSCと日本青年館はもしかしたら焼け太りか、ふ~ん。

巨大JSCビルの東隣になる国学院高校と外苑ハウスは、どう思っているのだろうか。高校は地区計画区域に入っていないが、外苑ハウスは入っているのは、どういうわけなんだろうか。
外苑ハウスは、新JSCビルで朝日も眺望もさえぎられるデメリットがあるが、そのかわり神宮球場からの騒音もさえぎられるメリットはある。もしかしたら建て替えのときには、ここにも地区整備計画を追加して、テニス場なみの緩和をねらって地区計画に参加したのかしら。つづく






2013/12/07

870【五輪騒動】都市計画談議(その5)土地利用転換なくて緩和だけ再開発等促進区もありか

(その4)からの続き

新国立競技場が20120年オリンピックのメイン会場であるためには、どうしても今の競技場の建て替えしか、場所がなかったらしい。
というのは、2016年オリピック招致に失敗した原因に、その時のメイン会場を臨海つくるとして立後補したのだが、IOCから交通が不便だし、三方を海に囲まれテロ対策が難しいと、マイナス評価されことがあったのだ。
そのときも今のような拡張敷地を検討したが、土地関係者との調整や費用の面であきらめた。(ニュースソース2012/7/27 日本経済新聞 電子版

また失敗を繰り返さないためには、今度はなにがなんでも建て替えすることになったようだ。
そして、それが確実であることをIOCに示すためには、国際コンペをやって計画案を決め、その計画案の実現を担保する都市計画決定が必要であったのだろう。
だから、2013年9月のオリピックの時期開催を決める日取りから逆算して、2012年7月コンペ開始、同9月一等案決定、2013年1月都市計画手続き開始、同5月道路と公園の変更および地区計画が決定という、非常に忙しいことだった。

でも考えてみると、2016年招致活動の時にもいろいろと検討していただろうから、こんどはそのときの反省にたって新たな対策と延長上で準備をすることができたはずだ。
建築や都市計画の専門家が協力しているだろうから、今回の地区計画もそのときに俎上にあがっていたかもしれない。
国際コンペまでもやったのは、東京は本気だぞとIOCへの宣伝だったのかもしれない。

さて、オリピック用には、今や8万人収容の施設が必要となる。いろいろ検討すると、新競技場計画床面積は29万㎡にもなる。今の5万人収容可能で延べ床面積は5.2万㎡、現在施設の改修では無理だし、現敷地面積74000㎡にも収まらない
そこで2016年招致活動の時と同じ交渉を周辺地主と交渉して、こんどは敷地を隣接地に拡げて113000㎡までは確保できることになった。
それでも現在の都市計画の決めている容積率200%、高さ20mの制限には収まらないから緩和してもらおう。ということで都市計画提案制度を使って、再開発等促進区を有する地区計画の登場である。

この再開発等促進区の地区計画は、元来は土地利用が大きく転換をする地区に適用するものである。たとえば臨海部の大規模工場倉庫跡地を市街地に変えるとか、密集した市街地で公共施設整備と併せて土地の合理的活用をする再開発事業などに使われてきた。
既存の都市計画による建築の用途や形態の制限を、土地利用の転換に合わせてきめ細かに変更することで、新たな市街地を誘導するのが目的である。
だから公共的空間の新たな整備と引き換えに、用途や形態の緩和もできることが特徴である。極端に言えば、合理的理由があれば、既存の都市計画を無視して、まったく別の都市計画を決めることができる。

ところで、新国立競技場の計画は、なにか別の用途であった土地の土地利用が大きく転換するものではない。結果から見ると、もともとの用途の競技場がひろがり、容積率と高さ制限が緩和されただけである。
公園や道路が一部替わったが、再開発促進区地区計画の本来の目的の、大幅な土地利用の転換があるとは、とても言えない。
早い話が、土地利用機能は変わらないが、容積率と高さの規制緩和だけを行った感が強い。そうか、こういう再開発等促進区のかけ方もあるのかと、感心した

その容積率を200%から250%へ、高さを20mから75mへと緩和した引き換えに、競技場が公共のために提供したお土産は、3000㎡の広場が2か所と、敷地の周囲の道路沿いに歩道状の幅8m空地である。
このお土産が緩和に見合うものかどうか、広場は敷地カウントされないから純粋にお土産だが、歩道状空地は敷地だからお土産としては半分くらいの価値か。

でも、実は新国立競技場が奪ってしまって、滅失する公共施設がふたつある。ひとつは現競技場とか霞ヶ丘広場との間にある幅15mの道路である。もうひとつは230戸余りの都営霞ヶ丘アパートである。
公園は立体公園制度までつかって面積確保したのに、図を見てもこれら二つの公共施設は、どこにも代替え施設が見当たらない。この二つでお土産は帳消しになるような気がするが、どうなのだろうか。
なんだか緩和が甘い待遇のような気もするが、もちろん東京都の都市計画当局が「東京都再開発等促進区を定める地区計画運用基準基準」によって定めたのだし、第201回東京都都市計画審議会でばっちり審議した結果だから、それでよいのだ、たぶん。

その新競技場の計画の図は、コンペ当選案のザハ・ハディド描くところの、お名前の通りのドハデな絵ばかりがまかりとおっているが、きちんと地区計画に従って収まる絵は、12年11月の地元説明会資料のものだけのようである。
都庁に行けばあるのかもしれないが、とりあえずこの図をあるブログから拾った。一等当選案の競技場の形のように見える。

地区計画はきめ細かな都市計画だから、その将来像を事前にかなりの程度に描いておいて、それに対応するように内容を定めるものである。
特に再開発促進区の地区整備計画は、その整備内容も実行する事業者も事業推進の方法も、かなり確実なものを前提に定めるものだ。内容の企画評価作業も必要である。
だからJSCは詳しい事業計画を、都市計画提案ととも都に提出しているだろう。でも、少なくともネットには登場しない。
ましてや、明治神宮外苑なども含めた地区計画区域全体の将来構想図は、あるのだろうか、ないのだろうか、それさえもわからない。
でも将来構想がないままに、再開発等促進区にするのもいかがなものかと思う。

この地区計画案について東京都への意見回答について審議をした「158回新宿区都市計画審議会議事録」で、倉田委員がこう指摘している。
全体の構想というようなものを前提となっている、それを示していただいて、ゆえに地区計画が必要なんだということをお示ししていただく必要がある
ということは、この審議会にも具体的な絵が出されていないのである。これほどにプロジェクト性が強い地区計画で、競技場だけでなく広い外苑の変化もありうる都市計画なのに、どうして公開されていないのだろうか。なんだか不思議な気がする。
新宿区の都市計画審議会にはこれについての議決権はないので、軽く扱われたのか。
(つづく)

参照◆新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢と似非言い
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

2013/12/06

869【五輪騒動】都市計画談議(その4)地元提案都市計画だったけど気になることある

  <(その3)からの続き>
この新国立競技場を建て替えるための地区計画という都市計画は、地元の人たちが東京都に提案した結果でできたものであった。
地元とは地主たちで、国立競技場の持ち主の国はもちろん、東京都や明治神宮や、青山通りのビルの持ち主などである。

都市計画法に「都市計画提案制度」なるものがある。昔は行政が一方的に立案して施行するのが都市計画だったのが、今や市民参加の時代である。
地域住民が自分の住む地域を良くするために、今の都市計画を変更するとか、新しい都市計画を決めようと、行政に提案することができるのだ。これを受けて行政がその都市計画を行う。つまり地元からの都市計画というわけである。

というわけで、あの新国立競技場の都市計画「神宮外苑地区地区計画」は、競技場の持ち主の独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)が提案したのである。
ただし、JSCの新競技場計画の土地だけの地区計画ではなくて、神宮外苑も青山通り沿いのビル街までも入っているから、これはJSCがそれらの地権者の代表となって提案したのだろう。

都市計画を提案できる資格者は、その対象地区の土地権利者であり、その人数と土地の広さの3分の2以上の同意が必要と定められている。
さて、あの地区計画の範囲にはどれほどの地権者がいるのだろうか。地区計画図のA-1、A-2、A-3、A-4の各地区は、東京都と国、B地区は明治神宮という大地権者である。

A地区がちょっと複雑で、秩父宮ラグビー場は国、そのほかにTEPIA財団、青山通り沿いの民有地があるが、一か所でもっとも地権者数が多いのは、A-4地区の裏になっている外苑ハウスという集合住宅であろう。
外苑ハウスは、1964年の東京オリンピックの時に外国報道関係者用に住宅公団がつくった宿舎で、その後、分譲した。196戸あるそうだから、地権者の数もそれくらいはいるだろう。

そもそも、新国立競技場だけの建て替えが目的だから、地区計画の区域をそこまで広げなくても良さそうなものだ。つまりA-1、A-2、A-3の範囲で十分だし、同意だって国と都だけだから簡単しごくだろう。それなのに、なぜそこまで広げたか。
多くの地権者に話をつけて同意書をもらったのだろうから、それなりに時間と手間がかかったであろう。なお、都営住宅の住民は土地権利者ではないから、対象外である。

ここでなぜ広げたか妄想してみよう。
都市計画提案制度は民間から積極的に都市計画に参加する制度だが、もしも国と都の土地だけで提案すると、それはお役所同志のなれあい都市計画だという批判が出ると危惧したのかもしれない。
あるいは、単に競技場だけの建て替えのための都市計画は、国のエゴであると非難も出るかもしれない。
そこで、まちづくりとして仕立てるために、周りの地権者にも話をもっていったら、参加者が増えたということかもしれない。
あるいは内部検討段階で情報がまわりの地域に漏れたとかで、どんどんと増えたのかもしれない。

では、なぜ参加者が増えたか。
妄想の2段重ねだが、新国立競技場がらみの地区計画で容積率や高さ制限が緩和されるのなら、うちの土地でもそれをやりたい、たぶん、そう思う人が結構いたのであろう。
じっとしているだけで不動産価値があがるのだから、こんなうまい話はない、これは美味しい都市計画だと、土地持ちは思うに違いない。
明治神宮も外苑の広い土地をもっと活かしたいと思うし、民有地はもちろん大きなビルに建て替えて儲けたい、そう思うに決まっている。
ということで、われもわれもとなって、あんなにもひろくなったのだろう、、、か。

いやいや、なにをいうのですか、わたしどもはそんなさもしいことを考えてはいませんよ、オリピック成功のためには協力を惜しまないってことに、きまってますでしょ、、。

おかげで官民協同の都市計画になって、国立競技場の建て替えというエゴ都市計画とならなくて、地域まちづくりに貢献できるという大義名分もできた、と、JSCは思っているかもしれない。
で、とりあえず計画内容が固まっている国立競技場がらみのところだけに、オリンピックの誘致運動のプレゼンにおいて建て替えの保障として言えるように間に合わせるために、先行して地区整備計画をかけておき、そのほかはおいおい追加しようという作戦であろう。

面白いのは、大部分が再開発促進区の緩和型地区計画の区域にしているのに、絵画館に関連する団扇のような形のところだけは、一般の保全規制型の地区計画の区域としていることである。
さすがに絵画館を建てなおして高層化するとか、軟式野球場に高層ビルを建てるのは、それこそ外苑の歴史的文脈から畏れ多くて無理過ぎるってことであろう。まことにごもっともである。
そのかわり、絵画館の周囲の道路の外側は再開発促進区だから、そのうちに地区整備計画が出てきて、高いビルが建つ可能性は十分にある。その用意はできたのである。

ところでこの都市計画案の近隣住民への説明会は、2012年の11月であったそうだ。つまり、あの国際コンペで新国立競技場案が決まった直後である。
当然、関係する地権者たちは知っていただろうが、ここで初めて知って一番びっくりしたのは、たぶん、都営住宅の住民たちだろう。
それよりまえに公表されたコンペの要綱を見れば、都営住宅が無くなることは明白なのだから、それまでには東京都の住宅局は住民に対して何らかの手を打っていたのだろう、と、常識的には思う。(つづく

参照→◆新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢と似非言い
 

2013/12/05

868【五輪騒動】都市計画談議(その3)立体公園という奥の手が登場した

  <(その2)からの続き>

新国立競技場建て替えがらみでこのあたり一帯にかけた「神宮外苑地区計画」の全体を眺めていると、いまに明治神宮外苑は建物だらけにする仕掛けが施されたのかと妄想がはたらく。
だが、その全体妄想話はあとにして、先ずはこの都市計画の震源地である国立霞ヶ丘競技場のあたり(A-2地区)から妄想していこう。
国際コンペ当選のザハ・ハディド女史デザインの競技場建築の良し悪しの話は、ここではさておく。もっぱら敷地と都市計画の問題を考える。

建物を建て替えるとき、計画する新建物が大きすぎたら普通はどうするか。ひとつは、今の敷地に入るように計画変更する。ふたつめは、他のところに条件に合う土地を見つけて引っ越す。三つ目は、まわりの土地を地上げして敷地を広くする。
新競技場はこの三つ目を採用したのだが、臨海部など広い土地はいっぱいあるのに、どうしてこの場所に拘泥して動かないのか、そこのところはいろいろと政治的なことがあったのだろうが、わたしの妄想能力を超えるので、言及しない。

ではどこを地上げするか。周りを見ると、東は絵画館だからこれは不可能だが、南東の三角地は何とかなるだろう。西と南は明治公園だから、この公園を廃止して取り込めばよさそうだ。
日本青年館もなんとかなるだろう。北にはある外苑のアイススケート場もよさそうだ。
こう考えただろう、たぶん。

で、結局は、東と北の明治神宮の土地はダメで、都の公園と日本青年館が地上げ対処となった。日本青年館はどこか別のところに建てればよいとしても、公園を廃止するのはいまどき問題になるだろう。
では、既に開設している明治公園を移設するにはどうするか。
南の公園(霞丘広場)のさらに南に都営霞ヶ丘住宅があるが、かなり老朽化しているからこれを地上げして、ここに公園を移すことにしよう。
そして日本青年館と東京都とに話をつけた、と、まあ、こんなことだったのだろう、たぶん、妄想は広がる。


としても、公園を取り込んだり道路を変えたり廃止したりするのは、民有地を地上げするのとは違って、都市計画の変更だからその手続きがいる。
変更手続きついでに、容積率や高さの制限も緩和させてしまおう。てなことになったのだろう。
ということで、ここから都市計画屋の登場である。

こういう時にお役にたつ都市計画の手法は何であるか、専門家だから知っているだろう。
はい、それはもうなんといっても地区計画でございましょう。地区計画は比較的限定的なエリアで都市計画を決めることができますが、とくに再開発等促進区の地区計画がここでは適してますな。

でも、あまり狭い範囲だと身勝手エゴ都市計画になりますので、広く網をかけてもっともらしい大きな方針を書いておいて、その一部に地区整備計画として本当にやりたいこと、つまり、容積率や高さとかの緩和やら、道路の付け替えなんかを書きこめばよろしい、、、てなことが話されたかもしれない、たぶん。

さて、問題は公園の地上げである。今の公園面積を減少させては、いくらなんでも市民からたたかれるだろうから、なにがなんでも同面積以上にする必要がある。玉突きで都営住宅をどかせた跡地を明治公園にするだけでは、どうも広さが足りない。
それに、ここの公園(四季の庭)を無くしたら、明治公園が連続しなくなってしまう。困った。


そこでウルトラC(ちょっと古いか、オリンピックがくるから勘弁)の手法登場、なんと西側の明治公園(四季の庭)を、都体育館との間の道路の上空と、競技場建築敷地の中の2階とに移すのである。道路や建物と2段重ねになった公園をつくってもよろしいという、立体公園制度の適用である。

これで公園の下にもぐりこんで、公園のエリアも含めて敷地に使うことができる。だから一階から地下にも競技場施設をつくることができるし、セットバックも公園の床下でもよいという奥の手である。
早く言えば、国立競技場が四季の庭にせり出してきて、2階の上に押し上げてしまった、ということである。
なんともはや、姑息なことであるが、でもまあ、これで公園のネットワークは、デッキレベルだけど保つことができた。

上の都市公園の変更図にみるように、この西側のデッキ上の公園(新四季の庭というべきか)の微妙なカーブが面白い。これは多分、コンペ1等当選のザハ・ハディドデザインの新競技場のカーブをなぞっているのだろう。都市計画は、建築計画の忠実な従僕である。
といっても、この立体公園計画を今年になって初めて考え出したのではなく、一連の都市計画全部が、たぶん、2年くらいも前から考えられていて、コンペで新競技場の建築計画案が決まったので表に出して手続したのだろう。
当然のことに、たくさんの関係者に事前に了解を得ているはずだから、けっこう早くから始めていたにちがいない。

現在この四季の庭の下には、新宿御苑あたりを源流とする渋谷川が暗渠になって埋められているが、これはどこかに切り替えるのだろうか。
渋谷川は暗渠で下流にながれて渋谷駅を過ぎたあたりで地上に顔を見せる。下水道化される東京の都市河川の典型だろう。
この立体公園となっては、ここではもう渋谷川が地上に姿を現すことはできなくなってしまった。もしかしたらデッキ上公園に、水道水の流れる似非渋谷川ができるのかもしれない。

さて、もうひとつの都営霞ヶ丘住宅跡地に移る霞丘広場の公園は、玉突き問題はないのだろうか?(つづく

参照◆新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢と似非言い
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

2013/12/04

867【五輪騒動】都市計画談議(その2)なぜ隣近所を巻き込むのか

  <(その1)からの続き>
2020年東京オリピック用の国立競技場を建て替えるために、このあたりの都有地、国有地、神宮外苑用地、それに民有地など、64.3ヘクタールの広い地区に、地区計画をかけたのである。
かけたのは、東京都知事である。地区計画は3ヘクタール以上になると都が決定する。
だから東京都都市計画審議会がチェックをしている。もっとも、審議会議事録を読んだ限りでは、ほとんど実質的な審議をしていない。

一般地区計画(これは規制型)と再開発等促進区地区計画(これは緩和型)の2種類の地区計画をかけている。
どうしてこの新たな都市計画を必要としたかと言えば、その目的は実に明白で、オリンピック主会場となる新国立競技場がデカすぎて、今の敷地に入らないので、敷地を広げるためである。
もちろん、地区計画の文章にはそうは直接には書いていなくて、このあたりをもっと良い環境にしたいから、なんて意味が書いてるのだが、計画図を見れば明らかに国立競技場対策である。

つまりたったひとつの建物の建て替えが、都市レベルに大きな影響をもたらすほどの大規模な建築であるということだ。
新競技場を入れるには、今の競技場敷地をまわりにふくらませる必要がある。ふくらむ先には道路、公園があり、建物が建っている。しょうがないから道路の上を公園にしたり、テニスコートに建物を移転させたり、都営住宅をどかせたりするのである。まあ、玉突き状に周りを変えていくのだ。

となると、都市計画で決まっている道路や公園を廃止したり、新設したりする必要があるので、それは都市計画で対応するしかない。
ついでに、建て直す競技場やJSCビルの建築のために、高さ制限や容積率の緩和もしてもらおうって、JSCは考えたに違いない。当然それには知恵を授ける専門家がいる。それは都市計画プランナー事務所の名門㈱都市計画設計研究所が、JSCから受託したらしい。
そこで都市計画提案制度なるものを使って、一気にやってしまおう。で、それに適する制度として考え付いたのが、容積率や高さ限度を緩和できる「再開発等促進区地区計画」である。なるほど、そうなのだろうと、わたしはちょっと感心した。

というのは、再開発等促進区は、密集市街地での再開発事業とか、工場地帯の市街地への転換、大規模埋立地の市街地への誘導などの、土地の利用の仕方が用途や規模が大きく変わり、道路や公園を新たにつくる時に使う制度とばかりに思っていたからだ。
まさか道路も公園も整っていて、しかも都市計画公園の中で、既存の施設を同じ機能で建て替えるだけのために、これを使うとは、ほう、頭がいいなあ、こういうのもありなのかと思った。

だったら、その関係する範囲だけでやればよさそうなものを、隣の明治神宮外苑の中まで広げた地区計画になっているのは、なぜなんだろう。
つまり今度の競技場敷地拡大に関係する土地は、国有地と都有地の範囲だけで、私有地の明治神宮外苑にはまったく及んでいないのである。それなのに明治神宮も地区計画当事者に引きこむ理由はどこにあるのだろうか。

この全くどうでもよい都市計画趣味人の疑問解決のためには、地区計画の図面をしばらく睨んで妄想を働かせるしかないのだ。その妄想をおいおい書いていく。
地区計画の全体の範囲は、明治神宮の土地である外苑の明治記念館を除く全区域、国有地(国立競技場、秩父宮ラグビー場、西テニスコート、日本青年館)、都有地(東京都体育館、明治公園、明治公園、都営住宅)、民有地(外苑ハウス、青山通り沿い)等である。

これらのうちで、新国立競技場の敷地に関わる土地は、地区計画図のA-2地区で、巨大競技場のために敷地拡大し、高さや容積率の緩和をする必要がある。
だからこの範囲を緩和型の地区計画である再開発等促進区として、その整備の詳細である地区整備計画を定めている。
普通に考えるとこのA-2地区だけに再開発促進区の地区整備計画をかければよさそうなものだが、どういうわけか、隣近所のA-1、A-3,A-4地区までも定めてある。そちらにもなにか大きなものを建てるのか。

なぜそうなのか、推理小説でも読むような解読(ちょっと大げさか)が、この都市計画談議の面白いところである。(つづく

参照◆新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢と似非言い
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

2013/12/03

866【五輪騒動】都市計画談議(その1)デカすぎ論も歴史的文脈論もいいけど

オリンピックが2020年に東京にやってきたら、その主会場となる新国立競技場の建て直し計画について、一部か主要か知らないが建築家の方々が異議を唱えておられる。
異議の中身はいろいろで、デカ過ぎて景観阻害だから小さくせよとか、建てなおすよりも修繕したほうが良いとか、工事費が高すぎてもっと安くしろとか、国際コンペ(もう1年も前に終わった)のやり方がけしからんとか、あれやこれやだが、概して建築屋らしい言い分である。

わたしはオリピック嫌いだから、無駄使いだとは思うが、新競技場がどうなろうと知ったことではない。ただ、建築と都市計画を趣味としているから、横からイチャモンを言ってはみたい。
これまでも、ちょこちょこ言ってきたが、ヒマに任せてちょっと長く言いたいので、連載することにした。

建築家たちの市国立競技場案へのイチャモンは、いくつかあるようだ。
そのひとつは、去年やったコンペのやり方がおかしいというものだ。
でもなあ、1年も経った今ごろになってコンペがおかしいと言うのなら、なぜ、コンペのとき言わなかったのかって、わたしは思う。

ふたつ目は、あの形が大きすぎるので、景観的におかしいというのである。
でもなあ、これも今年の春にあの大きさを許容する都市計画を決める手続きがあった時に、どうして反対の意見書をだして、法的な対応をしなかったのかって、わたしは思う。
もちろん、今になってあれこれイチャモンつけるのは、それはそれでよいことである。
でもなあ、建築家ってのは専門家だろ、だのに公開手続きがとっくに終わってからあれこれ言うのは、素人と同じでしょって、わたしは思う。

気になっているのは、建築家たちや市民の反対派の言に、あの土地の「歴史的な文脈を尊重せよ」なる言い方がある点だ。
あそこの歴史と言えば、どこまでさかのぼるのか。
18世紀か、19世紀半ばか、20世紀初期か、20世紀後半か、はたまた縄文期か、それによって大いに異なる。多分、いま歴史的文脈を説く人たちの心の底にあるのは、明治神宮外苑ができた20世紀初期、つまり1926年あたりのことだろうと思う。

つまり、明治大帝賛美のためにつくった外苑の景観を保全せよ、こういうのだろうが、さて、その王権賛美の空間は今、どうなっているか、そこのところも考えなければなるまいし、それよりなにより、いまどき明治大帝王権賛美の景観とはいかがなものかと、わたしは思う。
あるいは、1940年の東京オリピックの時に、会場にするしないであれこれあった時の偉い人の言葉を持ち出すのも、なんともアナクロニズムであると思う。
デカすぎ論も歴史的文脈保存論もいいけど、話が冗長的いや情緒的にになって、なんだかなあ。

その話は、また別のところにとっておくことにして、ここでは都市計画のことを考えてみた。もちろん、王権賛美の景観は都市計画と大いに関係するのだが、それも別においておく。
ここでは、このたびの新国立競技場改築計画を実行するにあたって、この競技場の敷地とその周りに「神宮外苑地区地区計画」なる都市計画が新たに定められたことについて、ちょっと考えてみたのだ。
といっても、わたしが知る情報は、インタネットサイトにでタダで拝見可能な公開されたものだけであって、裏情報は全く知らないから、推理と言うか妄想を働かせて憶測するのみで、信用してもらってはいけないので、じゅうぶんにご注意を。

とにかく、国立競技場という、たった一つの建物のために、なぜ、まわりまでひろ~く新たな都市計画をかけ、公園や道路の変更もできたのだろうか。
普通は、オレのうちを建て替えたいから、容積率と高さの制限を今の2倍に緩和してよなんて、都知事に言いに行ったって、相手にしてくれないよなあ。それがここでは日本スポーツ振興センターが言いに行ったら、OKになっちゃった。  (つづく

参照→「新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢ページ一覧
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html