2013/07/17

808「名ばかりマンション」をいまどき売る人買う人の気がしれない

 「マンション」(わたしに言わせると「名ばかりマンション」、マンションとは大邸宅のことだよ)が、南関東で好調に売れているのだそうだ。
 この区分所有型集合住宅(日本のマンションを正しくはこういう)を、いまどき売る人買う人の気がしれない。
 そりゃまあ、消費税が上がるとか、金利が上昇するかもとか、資材値上がりで高騰かもとか、あるんで心配してのことしょうけど、今するべき心配は、そんなことじゃなくて、大地震だよ。

 阪神大震災、東日本大震災で、被災したマンション(区分所有型集合住宅)の復旧や建て直しは、実に難しい問題があるんだと暴露されたのをもう忘れたのかい。
 姉歯事件てのもあって、賃貸型は解決が早かったけど、分譲型は未だ全部は解決してないらしいよ。

 この写真は、1995年神戸でわたしが撮ってきたもの。


 次は東海トラフが大暴れして、南関東から九州まで日本列島は大揺れ、大津波って、このところ脅迫的なニュースが出ている。大量の名ばかりマンション難民が出てくるぞ。
 本当に、そんな名ばかりマンションを買ってもいいんですか、みなさ~ん!

 とにかく金持ちも貧乏人も、区分所有ビルというひとつの船に平等に乗っていて、壊れて修繕するも、作り直すも、全員が平等に金を持ち寄ってOKしなきゃできないんですよ。
 必然的に貧乏人が足をひっぱって、大修繕も建て直しもできないってことになるんですよ。あなたはお金持ちですか。わたしは足引っ張り役になりたくない。

 壊して土地だけにしても、一戸の持分は猫の額もない狭さだし、共有地だからままならない。要するにどうしようもない不良資産になるんですよ。そして大借金も残るんですねえ。
 マンション難民が大量に出てくる次の大地震まで、わたしは生きていたくない。

 まあ、わたしは貧乏人だし地震がこわいから、借家に住んでますけどね。ここが被災したら、遠くにある戸建て持ち家に移るつもり。
 とにかく、名ばかりマンションを買うのは、おやめなさい
 もう買ってしまった人は、次の大地震が来る前に売り逃げしなさい。せめて、わたしのように、一棟すべてが賃貸借の集合住宅ビルに移りなさいよ、財産を失うことはないし、壊れビルと猫の額土地という負の財産を背負うこともない。
 大地震、明日来るかもしれないよ。

参照:くたばれマンション
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tosikyoju

2013/07/16

807【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・2】谷間の底の落合坂を行く(その1)


(【麻布我善坊谷その1】のつづき)http://datey.blogspot.jp/2013/07/806.html

2.我善坊谷底の落合坂を行く(その1)

 では徘徊開始!
 六本木駅で地下鉄を降りて、駅付近の街の変化をウロウロと眺める。
 地下鉄駅上の「ラクロス六本木」というビルには、わたしも昔に開発にかかわったことがある。岐阜県が土地の一部所有者だったので、県のコンサルタントをしたのであった。現ビル内を見ると岐阜県は撤退したらしく、県のアンテナショップも観光案内所もミニシアターもなくなっている。
 当時の梶原さんとい県知事が主導した、岐阜県を東京を通じて全国に売り出すプロジェクトだったが、どうしたのだろうか。

    

にぎやかな六本木通りの裏道にはいると、墓場はまだ健在であった。繁華街のすぐ裏がこれだから面白い。向こうに見える超高層が墓石と競い合っている。すぐそばにも再開発ビルが建っている。
 もうこのあたりならビックリする程でもない変化の街を、プチ浦島太郎気分で眺めていた。
 起伏が多い街である。要するに山をそのまま街にしたのである。しばらく上り下りする細い裏道をヨロヨロ歩いて、アークヒルズの南、泉ガーデンなる巨大ビルの前までやってきた。

 もう10年以上前になったが、アーク森ビルに慶応大学院の教室があって(今もあるか)、都市空間論の講義をしに週1回、5年ほど通っていたことがあるから、このあたりは記憶にある街である。
 その記憶では、このあたりは坂道だらけの路地に、ちまちました家やらお寺が立ち並んでいたような気がする。巨大ビルと言えばアークヒルズくらいなものだった。今はたくさんの超高層ビルが立ち並んでいてずいぶん変わっているようで、浦島太郎気分になる。

 でも巨大開発にはもう興味がないので、そちらには背を向けて、今日のお目当ての街へとさらに南へ都道放射2号脇の「行合坂」を南に下る。
 
 行合坂の谷底から放射2号を背にして東に左折、ようやくにして本日の狙いをつけた「我善坊」に、西から入った。町名に台とついているから尾根かと思ったら、意外にも谷底の街だった。
 この谷底の中央を東西に走る道を、「落合坂」というらしい。坂と言ってもかなりなだらかに下って行く。左右の街並みの奥に急な崖が立ち上がって、谷底街を挟み込む。
 おお、この両側のゴチャゴチャ下町的雰囲気は、あきらかに高級住宅街イメージの麻布ではないなあ、丘も谷もいっしょくたに麻布台と町名変更したらしい。
 江戸時代は我善坊丁、近代になって麻布我善坊町だったけど、そりゃあ麻布台のほうがイメージは良いのだろうが、でも、なんだかなあ。

 なお、谷底街の東部の谷がおわって桜田通りの平地に開けるあたりは、かつては「西久保八幡町」といい、今も麻布台ではなくて虎ノ門と言っている。しかし、ここでは東西分けて呼ぶのが面倒なので、この谷底の全部を「我善坊谷」とよび、中央を東西に串刺しする道の全部を「落合坂」とよぶことにする。

 まず我善坊谷あたりの拡大図。

車のすれ違いも難しい谷底の落合坂が東西方向に通り、やがて東の飯倉、神谷町方面の桜田通りに谷を抜け出る。
 道の両側には低層の木造住宅やアパートが並び、一部に中高層の集合住宅ビルが挟まる。その背後は高さ30mほどの崖であり、その上の尾根から巨大なビル群が谷間を覗き込んでいる。
 この谷地の南側が飯倉台地、北が仙石山とよばれている。

 ここで記録としてわかりやすく写真を整理して載せる。実はグーグルストリートでこの道を見ればよく分るので、ここには精選して載せる。ただし左右の路地や坂などの面白さはグーグルストリートではわからないので、あとで詳しく載せる。

 まずは落合坂を、西から東へ向かって進みつつ見る風景

落合坂の正面に霊友会釈迦堂の大きな黒いピラミッド屋根が見える
この谷間の東のランドマークとなっているが、ちょっと不気味な感もある

左に仙石山の上にある集合住宅ビルが顔を出すのだが、
谷底から見上げるとかなりのスールアウトな風景
このほかにも超高層ビルが見下ろすのだがゴジラの群れみたい

低層の町並みの正面の霊友会の右に東京タワーが現れた
谷は前後左右からビルやら塔やらピラミッドやらに見下ろされる

途中にクランクがあるのは江戸期は警察官舎の街だったからか?
風景としての霊友会釈迦殿と東京タワーのとりあいは悪くないのだが、
あのスキャンダルで有名だった宗教団体のイメージがどうもなあ

手前も向こうも霊友会、このあたりは広い空き地、空き家が多い
ここから右に三年坂を登ると飯倉台へ、左に我善坊坂を登ると仙石山
  
ようやく霊友会から解放されて飯倉台の東端の八幡宮の森が見える


向こうに桜田通りが見えてこれで我善坊谷は終わり

今度は逆に落合坂を東から西に進んで見る景色

桜田通りから入ると道がクランクする
ここから右に路地を入ると大善寺、左の路地は八幡神社の森に登る

左の八幡神社の森が切れると霊友会の巨大施設が表れる
このあたりは一面の空き地で、開発を待つ雰囲気

左は霊友会、右に高く見えるのは仙石山の森ビルによる開発

この十字路を右に行くと我善坊坂で仙石山の森ビルによる巨大開発へ、
左に行くと三年坂で霊友会釈迦殿の裏から飯倉台へ
左右の山上の巨大ビルと谷間の低層住宅や空き地との対比が興味深い

西の向こうの奥に見える高いビルは六本木ミッドタウン開発
右の高層ビルは仙石山の上の開発

地名に台とついているのがおかしい谷間の町並み

高層の集合住宅もいくつかある

この下町らしい風景は近い将来に大規模開発によって消えるらしい


 というわけで、写真が多くなったが、近く消えてゆく風景の記録のためである。


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伊達美徳=まちもり散人
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2013/07/12

806【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・1】谷底に緑に覆われた家々がひっそりと立ち並ぶ東京の秘境か

 建物をツタの葉で覆い尽くした建物に、街でときどき起き出くわす。なかなか恰好が良い。
実はわたしも鎌倉の谷戸の奥に住んでいた頃、自分の家をそうしたことがある。格好良いと悦にっていたら、実はこの蔦に木造建物を浸食されて、腐食しつつあることに気が付いて、あわててはエイヤッベリベリと引きはがしたら、外壁に貼った板壁ごと倒れてきたのには驚いた。

 さて、先日徘徊した街は、その緑の家の宝庫であった。これほども出会う秘境は少ないだろう。まずはその一部を公開して、この街を徘徊した話に入る。






1.東京麻布の谷間の街の興味深い現在から過去と未来へ

 健康のためというよりも、好奇心で街なか徘徊をよくやっている。
 基本的にはご近所での街なかを、ふらふら適当にやる。時に遠くに用事があって出かける場合は、用事のある目的地にまっすぐに至らないで、ちょっと離れた場所から、おおざっぱに見当つけて、徘徊寄り道して着くようにする。
 要するに、好奇心と有り余る暇とを同時に消費し、無い金を消費しないという、一応は合理的な行動のつもりである。

 この時、わざわざ徘徊する距離と時間が、事前の検討課題となる(大げさに言えば)。
 10年くらい前までは、仕事などで忙しくて時間のないことが問題だった。いまは時間はいっぱいあって、これは問題はきれいに解消した(きれいすぎてヒマすぎるという問題が発生た)。
 ところが距離については、かつてはかなりの距離を歩いても平気だったが(65歳の時、1日に30km歩いたことがある)、いまは肉体的衰えが持続歩行距離をどんどん縮めていくのらしい。今や2、3時間でへこたれるのが、なんともなさけない。
 つまり、時間と空間は反比例するという、物理学ならぬ生物学の新法則をわたしは発見したのである。

 そこで最近は、目的場所の3キロ程度手前の鉄道駅から歩くことにして、その徘徊路線を地図をにらんで考える。
 その路線選定基準は、以前によく知っているところで、長らくご無沙汰しているところがよい。その後の変化を見て、浦島太郎気分を味わうのである。乙姫の連れがいないのがキズだが。
 あるいは、まったく知らなくて、しかもゴチャゴチャグネグネしている街である。土地区画整理事業やら近頃の大規模再開発やらがされていないところである。そこでは、もしかしたら昔の日本の街の姿を見ることができるかもしれないと、老人らしく懐かしむ楽しみがある。

 そうやって選んだはじめて行く知らないところでも、ただ地図をにらむだけで決める。
 今ではインタネットで大方の場所について詳しい情報を事前に得られるのだが、ぶっつけで行く方が面白い。時には期待が空振りもするが、どうせ遊びだから、それでよい。

 今回の最終目的地は東京は港区の愛宕山の麓である。そこで夕方から飲み会がある。
 六本木あたりから出発が良かろうと、地図でゴチャゴチャグネグネ街を探したら、見つかった。麻布台一丁目あたりである。東京や横浜でこういうところは、たいていは尾根筋か谷筋かである。
 ここを中心にして前後によく知っているがご無沙汰の地の、六本木駅あたり、アークヒルズ付近、神谷町元パストラルホテル付近、虎ノ門環状2号線工事中あたり、愛宕下路地などをルートに組み込んで、その地図をプリントした。準備はここまでである。

 これから書くことは、いかにも知ったかぶりの記述をするが、現地写真のほかは、実は帰宅後にインタネットや図書館で調べた結果である。
 こういう徘徊はしょっちゅうやっているのだが、収穫があることは少ない。面白いことがあれば、このわたしの主宰する「まちもり通信」サイトや「伊達の眼鏡」ブログに載せることにしている。

 今回ここに載せるのは、知らないないままに入り込んだ谷間の街が、どうもアヤシク変だったからである。異界のごとき感じにおおいに興味がわいて、ここに記録に残すことにした。
 インタネットには、この街ことを書いたのページがたくさん出てくる。だがどれも踏み込みがない記事ばかりで隔靴掻痒の感がある。
 そこで自分で靴の中に手を突っ込んで痒い水虫を掻いて踏み込むことにした。ヒマなな徘徊老人のお遊びレポートである。

 とりあえず、これが徘徊した道筋である。青線が1回目、緑線が2回目。
   出発の六本木駅から目的地の愛宕までは、普通に歩けば30分くらいだろうが、ここを3時間もかけて歩いた。まんなかあたりに狙いの港区麻布台1丁目がある

 帰宅後に調べたら、この谷は「我善坊谷」というらしい、江戸時代は下級武士の与力同心の社宅地だったらしい、永井荷風正宗白鳥など文士が居たらしい、どうやら近いうちに消える街らしい、などなどを知った。
 そこで、興味がわいて、見落としたところを見に、もう一度行ってみた。この熱中症になりそうな猛暑の真昼間を、ふらふら2回も徘徊するわたしに、なにやってんだいと自分で言いつつ。                   (つづく


大きな地図で見る
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伊達美徳=まちもり散人
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2013/07/08

805【東京路地徘徊】愛宕下の路地は今や空き地だらけでもうすぐ超高層ビルでも建つのかも

 久しぶりに港区愛宕1丁目の日本都市計画家協会に行く。近くの神谷町駅からまっすぐ行っても面白くないので、わざわざ六本木駅で降りて、大回りしつつ山坂を越えつつ、3時間もこの暑い中を歩く。
 われながらご苦労なことであるが、徘徊は唯一の趣味だからしょうがない。この徘徊で「我善坊谷」という実に興味深い路地を発見したのだが、それは別に書く
 ●大回り徘徊コース

 一応は愛宕神社に敬意を表するために、参拝なんてしないが、講談でおなじみの(いまやおなじみじゃないかなあ)間垣平九郎の出世話の舞台である石段の前までやってきた。

  歩いて登ろうかとちょっとだけ考えて、足をエレベーターに向ける。森蛭と森虎が愛宕山のお寺を開発したときに造ったやつである。
 簡単に山頂のNHKの脇に着く。ここで日本はじめての放送をしたそうだ。
 エレベーターの目の下の愛宕山麓まで、巨大な空き地化が進行中で、もうすぐ開発が始まりそうだ。ここも森蛭か森虎かだろうか。

 神社境内には、平九郎さん花咲く枝を折って将軍に持って降りたという梅の木がこれだと、もう命枯れ枯れの木の根元に案内が書いてある。調べると1634年の出来事とあるから、あれから380年も経っているから、何代目かの梅だろう。
 石段を上から見下ろすと、これは怖い、ここを馬に乗って降りたなんて、ウソでしょ。


 下りは裏の車用のスロープをあるいて、愛宕下の路地に出る。ここはかつて都市計画家協会に通っていた頃に興味を持って観察してきたところである。
 虎ノ門から神谷町にかけては、次々と大きなビルに建て替えられてきているのだが、ここ愛宕山の裏麓は、小さな住宅が縦横の狭い路地にひっそりと立ち並んでいる。
 ここがいつまでこの姿のままだろうかと気にしながら、定点観察していると、ポツンポツンと空き地が増えていく。
 路地の表通りに面した一皮は、中高層のビルが建っているが、このあたりの再開発の勢いだと、それらも呑み込んでいくだろう。
 久しぶりに愛宕山から降りてきてその路地に足をふみれると、以前よりもずいぶんと明るい。ということは空き地がぐんと増えたということである。

雑草が生える路地に、黒猫が悠然と歩くだけで、人影はない。
 路地の向うの上空に、とてつもない巨大なビルが建ちつつある。環状2号線いわゆるマッカーサー道路の真ん中に立つ森蛭の再開発ビルである。




そうか、このあたりにも蛭か虎が蔓延しているのだなあ。ということは、ここの路地の表にある都市計画家協会のいる小ビルも、風前の灯なんだろうなあ。
 森蛭がやってきたら、しっかり立ち退き料をいただいてくださいよ、それで貧乏な協会財政の立て直しをして、再開発に協力して、、、なんて取らぬ狸か…。

 
 最後に、愛宕裏麓路地の1997~2012年空き地(赤点)進行具合いをご覧ください。


 

2013/07/04

804【不投票キャンペーン】産院じゃなくて山陰いや参院占拠いや選挙投票に行かないぞ!

 これは「たった独りキャンペーン」である。
 これまで「東京駅復元反対」はもろに惨敗したし、「くたばれマンション」は日々負けが込んでいるし、「都市計画審議会改革」は完全無視されているし、「地域を閉じる」も何の進展もない。
 わたしの「たった独りキャンペーン」は、連戦連敗のいさぎよい状況にある。

 今日から参議院選挙の運動が始まるらしいので、新キャンペーンの開始だ。
 キャンペーンと言っても、投票参加運動と違って、人様の投票をやめなさいとは言わない。ただただ、わたしが投票しない理由を探して、愚痴をグダグダ書くだけである。

 さて、立候補政党がいっぱいあって、なにがなんだかわからない。
 この際、「自民民主維新公明みんな生活共産社民みどり大地社大幸福緑無所属党」にまとまって、名称を「新ちゃんぽん党」としてくださいな。一党独裁政権!?

 なお、昨年暮れの衆院投票では、「日本民主自民公明国民生活維新共産社民大地改革社大減税反TPP脱原発消費増税凍結太陽未来みんなみどりたちあがれきづなさきがけ緑風農民新自由愛国労働雑民スマイル幸福諸派無所属党」でしたが、これを「日本ちゃんぽん党」と名付けました。


 実はこれまでにもこのブログに、選挙投票のアホラシサに関して、2008年の「選挙に行かない」以来、こんなに書いてきている。

699選挙結果を見ると福島県の人たちも実は原発推進であったか ...2012年12月19日
698浦島太郎の選挙風景、翼賛選挙大成功)2012年12月16日
697みんなが揃って一定方向に流れるのが我慢できない ...2012年12月15日 
695憲法改正で戦争可能になると核兵器がいるので原発 ...2012年12月05日 
627いまや高齢者はアホアホ老軍団になりつつあるらしい2012年6月08日 
441総理大臣が毎年交替する事情2011年6月29日 
292やっぱり根性無し選挙2010年7月12日 
291消費税選挙2010年7月11日
281政党名2010年6月26日 
175選挙TV報道2009年8月31日 
174選挙あれこれ2009年8月30日 
172またもや翼賛選挙2009年8月27日 
167時代遅れの民主党公約2009年8月17日 
165下種のマヌケフェスト2009年8月13日 
163政党の名前2009年8月09日
042選挙に行かない2008年9月22日


2013/07/02

803【横浜ご近所探検】横浜都心の戦後復興期の残影と高度成長期の残滓を徘徊する

「中村川の上を通るのは景観的には問題だが
他の案よりはましだ」

 (田村 明著『田村明の闘い』84ページ)

 横浜市の都心部(関外)にある空中陋屋借家(地震を怖いから共同住宅持ち家は嫌い)に引っ越してきてから、もう11年になった。
 ここに来る前は鎌倉の谷戸の奥に住んでいた。買い物や街遊びには不便だが、一年中ウグイスやホトトギスが鳴き、深い緑の中は静かだった。それが、このガチャガチャした街の中に移ってきたはじめの2年ほどは、車の騒音に悩まされた。

 今はどうにか慣れたその騒音は、バルコニーの向う250mほど離れた中村川の上に架かる高架道路からやってくる。
 上下2層の高架構造物の上段は左から右へ、下段は右から左へとブンブン走る絶え間ないトッラク群の騒音が聞こえ、その排気ガスも臭うような気がする。
  山手の緑の風景を横にぶった切って美くしくないから、田村明が言うように「景観的には問題」だが、そこからの公害発生はとても「ましな」選択ではない。
(わたしの住まいのバルコニーからの風景に中村川の上を通る高速道路が大きく位置を占める)
 
                        ◆
 冒頭の一文は、この高速道路の都心部貫通計画で、いろいろな案があった中で中村川の上に通すことにしたのが、他と比べて「ましな案」と言っているのである。わたし個人としては、「他の案のほうがまし」であった。
 その本の著者・田村明は、その当時の横浜市の役人として、建設省の役人と争って都市計画決定路線を変更させた人である。
 田村明時代と言ってもよいほどに、高度成長期になる1970年代からの都市・横浜を造り育てた。田村時代の前は、戦後復興期と言ってよいだろう。

 いま中村川に行ってみると、暗い水面の両岸に鉄の箱柱が立ち並び、上空を鉄の箱梁で覆われて空がない。
 都市の貴重な水の空間をこうやってつぶすよりも、もう300mほどに南に追いやって、山手の丘陵にもぐりこむトンネルにしてくれれば、川も生きるし、山手景観も保つし、わたしも騒音に悩まされないのにと、後世の住民としてグチが出る。
 狭い都心部では、どこかがマシになれば、どこかがマシでなくなるのはやむを得ないとは知りつつも、そう思う。
◆続きの全文はこちらを参照「横浜都心の戦後復興期残影と高度成長期残滓
https://sites.google.com/site/matimorig2x/yokohama-tamura

2013/07/01

802「今でしょ」なんて流行語を知らなくても知らないことを自慢する歳になってしまった

 TVを見ない。嫌いでさえある。だから流行おくれの徘徊老人である。
 「いつやるか、今でしょ」
 最近、妙にあちこち(新聞、ウエブページ)で読む流行語らしいフレーズは、いつものようにTVからかしら、またお嗤い芸人か?

 で、これも貧者の百科事典で調べたら、大学受験予備校の講師が、その予備校のTVCM放送でのフレーズだそうである。
 UTUBEで見たが、なんだい、今は予備校講師もお嗤い芸人かよ~。
 ふん、つまらん。予備校なんて俺はいかなかったから、コンプレックスがあるんだよ。

 流行おくれと言えば、スマートフォンなるものをもっていない。買いたいような、要らないような。
 隠居したら外部との連絡が極端に少なくなってしまって、必要性を感じない。
 なるほど、これが社会的老化ということか。

 でも携帯電話機を持っている。ただし、文字通り電話機で、ネット接続できないからメールはもちろん、TVも見えないが、それでいいのである。
 ふらふらと当てもなく出かける徘徊老人には、行方不明や迷い爺になっても、これが本人と家人をつなぐ生命線である。

 携帯電話機の予定メモも使っているが、昔の手帳と比べて書き込み件数の少ないことよ。昔なら全部覚えていられるほどだが、今は脳力がそうはいかないから、役に立つ。
 ただし、書き込むことを忘れたり、書き込んだのに見ることを忘れることも、けっこう多い。

こういう小型大人のおもちゃを、昔から大好きである。
 1960年代のコニカコンパクト写真機、オリンパスマイクロレコーダー、70年代のポケコン、80年代のアップル初期コンピュータ、90年代のデジタル録音機兼カメラなどなど、初期の発売品を買っては、ロクに使わないうちに壊れて、また次に移るのであった。

 1980年代半ばから使ってきたWP専用機とコンピューターは、おもちゃと同時に仕事の道具であった。ただしゲーム嫌いである。
 WP専用機は、何回も買い換えた。10年間で12機くらいか。進化が著しく速かったが成熟も早かった。PCのWP機能が追い付くまでは、PCと併用していた。
 ワープロ通信を使っていた。いまと比べると通信速度がものすごく遅かった。

 新品PCについては、すぐ買うなんてことはしなかったが、MACから始まって、今のWin7ノートに至るまでに、何機を使いつぶしただろうか。
 デスクトップ、ラップトップ、モバイルなど、12機くらいか。四半世紀でこれなら、大事に使っている方かもしれない。

 TVを見ないと、たしかに流行遅れになる。世間に影響力のあるらしいTVは、観てないわたしには何の影響力もない。
 でも不自由しないのは、既に社会的に老いているからだ。今やもう、流行語を知らなくても、知らないことを自慢するようになっている。

 そしてそれを補っているのは、PCによるウェブサーフィンである。
 これはすごい。
 ウェブサイトのほうがTVよりも幅が広く奥が深いと思う。ただし、深すぎて広すぎるので、どう取り組むかという問題はある。

 社会的孤立化する高齢者を救うものは、PCによるウェブサーフィンである。
 どうやら私は、その波の端っこにでもすがりついているらしい。
 これは要するに、TVを見ない代わりにインタネットに見入っているだけのことである。これからそういう老人が増える。わたしはその先駆けであるってことかよ~。
 老人ホームにはウェブサーフィンできるPCを常備してくれい!



2013/06/29

801【言葉の酔時記】BAD‐ASSとかEDとか街頭に大書の珍妙な広告に驚くのは観る方の心が歪んでいるのか

 ふらふら歩いていると、喫茶店の外壁に「BAD ASS COFFEE」と書いてある広告。
    え、そんなあ、いくら英語だって、普通の日本人だってわかるよ、そんな汚い言葉は…。
 「ワルケツコーヒー」かい、すごいなあ、飲み物に尻ケツなんてつけて。

 あまりにひどいので念のために、俗語の出ている辞書でbad assをみたら、形容詞として「たちの悪い」って意味はあるのだが、どうやら卑俗な使い方として、なんとまあ「凄い、素晴らしい、格好いい」なんて意味があるらしい。
 日本語に訳すと、例えば「やばい」だろうか、うん、「チョーヤバコーヒー」とか…。
 まあ、英語か米語か母国語の人には通じるのかもしれないけど、こちとらには印象が汚らしくって、そんなコーヒーは自宅でも遠慮します。

  ◆◆
 またふらふら、「ED」と巨大な広告が見える。
そうか、こんなに大書するほどだから、ED(erectile dysfunction)もいまや誰もが悩む市民権のある言葉になったんだなあ、薬屋の広告だろうなあ。
 よくみたら、どうもそうじゃないらしいと気がついたけど、それにしてもう~ん。

2013/06/25

800世界文化遺産だと決められた富士山がオレは自然火山だぞって怒って東海虎と共謀して地震噴火するかも

 今日2013年6月25日朝日新聞夕刊の4コマ漫画(作者:しりあがり寿 コピーを載せるのはまずいので言葉で書く)
1こま目 青くそびえる富士山
2こま目 2013年世界遺産 (人間が喜ぶ絵)
3こま目 青く輝く地球
4こま目 ××××年 宇宙遺産!!(宇宙人が喜ぶ絵)


◆宇宙遺産ってのをつくってはどうか
熊五郎 ご隠居、ご隠居、この新聞見て下さいよ。
ご隠居 なんだね、熊さん、騒々しいね。
 ホラ、これ見てくださいよ。
 なになに、ははは、宇宙遺産ねえ、いいねえ。
 あのね、覚えていないんですかい。
 なにをだい。
 あれはもう4年もまえのこと、鎌倉の世界遺産登録について、ご隠居と話したことがあったでしょ。あのとき,あっしが宇宙遺産ってのを提案したんですよ。
 ●参照http://homepage2.nifty.com/datey/kama-sekaiisan.htm
 おお、そんなことあったなあ、そうそう、そもそも文化財は、市指定より県指定が上で、それより上が国指定で、もっと上等なのが世界文化遺産だなんて、だれが考えたんだ、こうなりゃもうひとつ上の宇宙文化遺産ってのをつくろう、なんて、お前は息巻いていたなあ。
 それで、その第1号登録はガガーリンのスプートニク、第2号は月にある人間の足跡なんてね。
 ということは、この漫画でお前の意見にも、世間の人が気がついたってことだね。
 世間というか、漫画家がですよ、まあ、与太話の域を出ませんが、でも、あっしひとりの考えじゃないってことは、わかりましたよ。


◆富士山と鎌倉を一体に登録すれば
 今年の世界遺産登録騒ぎは、結局は鎌倉は不合格、富士山は合格ってことだったねえ。
 鎌倉はユネスコ委員会にかかる前に、こっちから取り下げたんで、不合格の烙印は押されなかったでしょ。
 あ、そうだね、イコモスっていう専門家による勧告団体に、事前に不合格って言われたんだね。まあ、いろいろあるんだろうが、20年もたなざらしになってたのを、ようやく玄関まで持って行けたのに、そこで引き返したなんて、なんだか格好つかないような気分だね。
 イコモスってのは、世界の文化に優劣をつけるなんて、そんなに権威があるもんですかねえ。
 なんだかヘンなんだよ、富士山についてのイコモスの勧告は、三保の松原を外したら合格って、条件付きだったんだね。ところが、ユネスコの委員会では三保の松原を入れるべきってことになって、無事に一緒に合格なんだよ。
 ってことは、イコモス勧告が無視されたんですね、そりゃまた権威がないんだなあ。それともユネスコ委員会は政治的に左右されるような、もっと権威のないところでしょうかね。そんなことなら、鎌倉も取り下げないで政治工作してたら合格だったかも…。
 おお、そうだったかもしれないねえ、惜しい。でも、なおさら権威のないものなるがね。
 三保の松原がいいのなら、鎌倉の海岸からもあちらに負けず富士山がよく見えますよ、ついでに鎌倉も富士山の登録に含めてもらえばよかったのに…。
 だんだん、いい加減な世界遺産になってくるねえ。

◆富士山はなぜ文化遺産なのか
 どうもピンとこないんですが、なんで富士山が自然じゃなくて文化遺産なんですかねえ。山でしょ、山が何で文化財なんです。
 そうだねえ、わたしも釈然としないんだよ。たとえばヒマラヤのエベレスト、ほんとはネパール語でチョモランマと言うんだけどね、これは世界自然遺産なんだよ。

 あ、そうだ、最近は金さえかければ、シェルパが寄ってたかって押し上げてくれる。一定以上の体力があれば、極端には80歳の老人でも登れるらしいですよ。だから登山者の行列ができていて、夜に見ると登山道に灯りがずらーっとならんでるそうですよ。ゴミだってすごいらしい。
 じゃあ、富士山とおんなじだねえ、まあ、あちらが登録したときは、まだあんまり人が居なかったのかもしれないねえ。スイスアルプスのユングフラウのあたりも世界自然遺産だよ。
 あっしは遊びに行ったことがありますよ。あそこは富士山よりも高いほとんど頂上まで登山電車で登りましたよ。富士山なみに大勢登山者がいるし、富士山より高いところにホテルや観光施設あるし、富士山にはない登山電車やロープウェイはあちこちにあるし…。それなのに、あちらは自然遺産こちらは文化遺産、この違いはどこにあるんでしょうねえ。
 あちらと比べてこちらはよっぽど俗化していて、イコモスの専門家の目にはとても自然に見えそうにない、でも世界遺産になりたい、しょうがないから居直って文化遺産てことで登録申請したって、こういうことなのかねえ。
 なるほど、居直り文化遺産ですか。そうまでして登録されたいのですかねえ。

◆富士山が火を噴いて怒るかも
 自然に対して人間の手がはいる度合いで、文化人類学的な意味で文化度がきまるとすると、文化遺産と自然遺産の境界線はどこにあるのかねえ。あまり権威がなさそうだと分かったイコモスやユネスコ委員会が決めたこととしても、富士山を文化遺産と決めつけられていいもんかい。
 富士山がオレは自然そのものだぞ、バカにするなって怒ってドッカーンって噴火なんてね。なにしろ東海トラフが目の下にあるんだから共謀して、揺するは津波をおこすは噴火するは、なんてことになったら、たまったもんじゃないですね。
 そうだねえ、そうなったら登録はどうなるんだろうね、文化的な構成資産が無くなったら、自然遺産に登録変更するのかねえ。
 なにをのんきなことを言ってるんです。ま、そうならないように祈っても、こればっかりはどうにも止められませんね。
 まあ、あたしが生きてるうちでないことを願ってるよ。
 勝手なこと言ってますねえ、ま、そういう人ほど長生きしますよ。
 そうだ、その前に福島第1原発を世界遺産に登録するべきと、わたしは震災直後から言ってるんだけど、漫画には出てこないかい。
 まだのようですよ。こっちのほうがご隠居が生きている内にもできないような。
 もしかして、これもアベノミクスで再稼働したりしてね…。
 おお、、地震津波に噴火に核毒、こいつぁヤバイのミックスだあ~。


●参照→裏長屋の世界遺産談義
http://homepage2.nifty.com/datey/kama-sekaiisan.htm

2013/06/23

799富士山を世界自然遺産ではなく文化遺産として登録することになんとなくジレンマを感じる

(空から見る自然富士)

 富士山が世界文化遺産登録になった。
 日本を代表する山だが、ではヨーロッパを代表するアルプスはどうなっているか。
(スイスアルプスのアイガー、メンヒ、ユングフラウ)
そこは「スイスアルプス ユングフラウ - アレッチ Swiss Alps Jungfrau-Aletsch」として2007年に世界自然遺産登録になっているのだ。
 そう、あちらは自然遺産で、こちらは文化遺産なのである。

 富士山だって本場アルプスだって、大勢の人が登っているのに、どうしてあちらは自然でこちらは文化なのか。どちらにも登ったことがあるわたしは、その差はなんなんだ、と思う。
 ヨーロッパアルプスでは、かなり上の方までいろいろな機械仕掛けで登ることができる。富士山頂並みの標高にホテルがあったりする。
 ユングフラウなんて、富士山頂上よりも高い頂上近くまでも電車で登ることができる。
(ユングフラウ登山電車:アイガーグレッチャー駅)

 富士山は5合目まで自動車で登る道路があるが、そこから先は歩くしかない。
 その開発度合いつまり文化度合いを比較すると、アルプスの方がは文化遺産にふさわしいのではあるまいか、などと思ってしまう。

 実は富士山も、当初は世界自然遺産としての登録をもくろんでいたのだ。
 それなのに、どうもこの人間の手の入りようでは、西欧文化的な眼しかなさそうなイコモス連中はウンと言いそうにない、これじゃあ自然遺産じゃ無理らしいとて、戦術変更した。
 そこで居直って、こんなに高いところまでも、こんな広い裾野や海岸までも、隅々まで人間の手が入っているのは、日本人の山岳信仰という文化行為の結果である、としたのであった(らしい)。
(東海道新幹線からみる文化富士)
 
(中央高速道路からみる文化富士)

 文化遺産とは、歴史的な長い時間においていかにたくさんの人間の手が入り、思いが込められているか、その度合いが評価の軸である。
 日本の富士山はもう自然ではない、世界の権威(らしい)ユネスコからそう認められたのである。
 冨士山が自然遺産でなくて文化遺産という決めつけ方が、いかにも西欧的自然観が表れているとおもう。そこに誰もジレンマを感じないのだろうか。
 自然は人間が征服するべきもの、征服し終わったものは文化遺産、征服できないままのものが自然遺産なのだろう。
 人間も自然も一体とする東洋的自然観から言えば、せめて自然と文化のハイブリッド遺産にしてもらいたいとは、日本側では思わなかったのだろうか。富士山はれっきとした活火山の自然そのものである。

 ついでの話だが、ヒマラヤのエベレストは世界自然遺産に登録されている。
 近頃は商業登山が盛んになっていて、富士山ほどではないが、登山者が行列していて、難所では震えて待つそうである。
 いまに富士山のように、文化遺産に登録替えするときが来るかもしれない。

 もう一つついでに冗談だが、三保の松原がユネスコ委員会で富士山の構成資産に認められたそうだから、鎌倉の海岸からも富士山はよく見えるから、こちらもついでに入れてもらえばよかったのに…。
(鎌倉の海岸から見える富士山 non copyright)
 

参照:三保の松原と高田の松原
http://datey.blogspot.jp/2013/05/759.html