2008/05/05

003【怪しいハイテク】ブログを始めたけれどイチャモンだらけ(その2)

 開始から2日目である。ようやく書き込みできるようにページが開いて、今こうやって本日の記事を書いている。
 しかし、本日ここまで来るのさえ、よく分からなかったのだ。昨日は開始したばかりの初期画面だったから、あれこれなんとかできたのだ。 今日はこれから、これがブログ登載できるかどうかさえ分からない。

 本日の出だしから言えば、MS.I.Eの「お気に入り」(これが気に入らないが)に昨日登録していたので、わがブログページはすぐ登場した。
 だが、本日の記事を書き込んでブログ画面ページを更新をするのは、いったいどうすればよいのか、「書き込み」とか「更新」というところがないから、しばらくブログ画面をにらむ。

 まずは「ブログ作成」にちがいないと、矢印を持っていって鼠を押せば(クリックか)、なんだこれはブログを開設する画面だぞ、だったら作成じゃなくて「ブログ開設」って書いとけよ。
 戻ってじゃあ「ログイン」かなと押せば、なんだかごちゃごちゃ書いてるページが出たが、ここにも「書き込み」はない。それじゃあ「設定」かなと押しても、やっぱり違う。

 しょうがない、大嫌いなヘルプを見るかと押せば、おお、全文英語が出たぞ、Oh help!ってしゃれにもならない。
 しょうがない、また設定に戻って、ヘンだけど自分のブログに自分で「投稿」するしかないかと、「投稿」を押す、今、こうやって本日の記事を書いている。これでよいのか?
 新聞でも雑誌でも、その編集者や発行関係者自身がそこに「投稿」するとは言わないモンですよね。

 さて、この「投稿」がブログにどう登載されるのか、とりあえずここらで原稿記入中断して「投稿を公開」を押すぞよ、、この続きはまたあとで、。

・・・・・
 というわけで、「ブログの投稿を公開しました」って出てきて、おそるおそる「ブログを見る」を押したら、おお、今書いた記事が本文の初めにのっているぞ、よそからの投稿ではなくて、自分の登載記事の体裁となっている。
 だから「投稿」じゃないんですよ。 「書き込み」と直しなさい。

 「記事の投稿・・」ではなくて「ブログの投稿・・」とあるから、記事をブログというのだろうか? ブログってのは、この記事等公開システム自体をいうのと思っていたのだが、、。それとも 「ブログへの投稿・・・」の間違いか? 正確には「ブログへの登載・・・」と思う。

・・・・・
 さて、こんどはこの続きを書くにはどうすればよいのか、それが分からないのである。
 しょうがない、i.eの「戻る」を押す、そこの「投稿を編集する」をためしに押したら、さきほどの書き込み中の原稿記入画面が登場して、今これを書いている。
 だけど単に記事の追加とか訂正を、「編集」とはいわないもんだぞ。画面ページの構成を変えることまで含むときに「編集」というのだから、ここは「書き換え」とするべきだよ。

 単に「投稿を編集する」と書いてあるが、でてくるのは先ほど掲載分の原稿である。「最新の投稿・・」いや「最新の記事を書き換える」とするべきだろう。では昨日の記事に誤記入があった場合は、をどうやって「編集」、いや「書き換え」するのか?
 ここのほかにもあちこちに「編集」とあるが、それらの内容は「書き換え」である。多分、もとの英語版がeditになっているからだろうが、バカの直訳はいけないんだよ。

 あ、そうだ、昨日のことである。今見る画面のページ構成のように、「テンプレート」のままでは気に食わないので、あちこち「カスタマイズ」したのである。
 あのな~、「既製表示例」がなんで「テンプレート」なんだよ、
「表示変更」がなんで「カスタマイズ」なんだよ~。

「ヘルプ」じゃなくて「使い方」だろっ(もっとも中味が英語じゃあ「お助け」にもならん)。
 な~んの翻訳もしないで、バカ直訳とカタカナにしただけじゃんかよ、。
 日本語を知らない人が、このWEBLOGシステムの日本語版をつくったらしい。


 

2008/05/04

002【怪しいハイテク】ブログを始めたけれどもイチャモンだらけ(その1)

 昨夜、突然に思いついてグーグルでブログを始めてみることにした。このレイアウトと昨日の記事を見てくだされば、とりあえずはここまでカッコウつけた。
 しかし、である。なんとまあ、作り方の説明の分からんことよ、不親切なことよ、変な日本語であることよ。夜中の2時までかかった。もっとかんたんにできないものかよ~。

 ブログは簡単にできるなんて宣伝しているけど、自分のWEBサイト開設8年のわたしでも、なんだかやりにくいったらありゃしない、のである。
 そこで思いついたぞ、ブログ屋(というのかしら)へのイチャモンを書くことにした。何しろはじめたばかりだから、どこまでいちゃモンが続くのか分からないが、ぶつかるごとに書き込む。

 まずは「ブログ」ってなんのことだ、うちのPCでは風呂具ってでてくるぞ、これもいいけどね。要するに「簡易納入型電網倉庫」であって、このうち公開か非公開かで使い方が異なるのであろう。ブログなんてわけの分からん音感の悪い言葉じゃなくて、公開型なら「簡易著述発表電網書庫」(略して簡著網)とでも言ったらどうか、え、よけい分からん? こまったもんだ。

 「投稿」って言葉に、いきなりつまづいた。
 投稿ってのは当事者ではなくて第3者が書いたものを投じるのである。風呂具屋用語では当事者の著述の記載も、投稿というのであるらしい。
 この風呂具(もうこれでいくぞ)の当事者であるわたしが書き込むのは、普通は投稿とは言わないものなので、わたしがどうやって書き込むのかしばらく分からなかった。

 これでは本当に第3者が投稿した記事と、わたしの掲載記事とが区別つかないだろうよ、おかしいと思わないのか?
 書き換えられるところは「記事掲載」と書き換えたが、書き換えられないところがいっぱいあるので迷う。

001【横浜ご近所探検】ふるさとの森の大学キャンパス

 この4月から週1回、横浜国立大学に外部評価モニターとして受講に通っている。
 横浜国大を訪れるのは30年ぶりぐらいだろうか、1973年に設立された環境科学研究センターの宮脇昭研究室(植生学)に、個人的に植生学を学びたかったり、林地開発のプロジェクトに助言を受けたくて数年間にわたって出入りしていた。
 その頃から見ると、キャンパスにはしっかりと環境保全林が育っていて立派な森の中の学園となった。

 元はゴルフ場だったから森はなかったし、キャンパスとして整地工事で赤禿げになっていたものである。 そのころまで宮脇昭さんが研究を進めていた潜在自然植生理論に基づく植生学を、1970年頃から工場緑化で実地に現場に適用を始めていた。
 それは公害を発生する工場の周りを、密に植えてとりかこむ森の「境界環境保全林」づくりであった。当然にこのキャンパスも実験台にしたである。
 その後、日本全国ばかりか諸外国まで広めた宮脇方式といわれる「ふるさとの森」づくりとなったが、その成功例のひとつをキャンパスにも見ることができる。

 横浜国大の常緑樹の森は、主に境界環境保全林なのでキャンパスの周囲や建物群のまわりを帯状に取り囲んでいるから、全体的には森の中のキャンパス景観であるが、ひとつひとつの森そのものは、実はそれほど広くはない。
 それににもかかわらず森の中にいるように見えるのは、まさに周りを取り囲むように配置する境界環境保全の役割を果たしているといえよう。

 境界を守っている森は、その中に入って散策するものではない。林床には落ち葉が厚く積もり、枯れ枝が散らばる。密植した苗木が競争して育って、いまや高さ20メートルを超えて空を覆うから、草本や低木類は林縁にしか生えていない。
 シラカシ、タブ、スダジイなどの常緑樹の幹は、30年たっても意外に細いのは、競争の結果であろう。宮脇昭説では、生物は互いに競争しあいながら、互いに我慢しあって生きるのが、実は生存の最適条件だと実験から分かっているという。その現場であろう。

 高木の常緑樹林の外周部の足元周りには、サツキなどの花咲くマント群落を設けて目に優しくまた林床の落ち葉が道にあふれ出ないようにしている。
 しかし、そこかしこに足元が裸のところもあって、今は春の落葉の季節だから落ち葉が広場にも舞っている。それを自然が豊かで良いとするか、掃除が行き届いていないと見るか、人それぞれだろうが、大学キャンパスでは落ち葉が舞っていても良いだろう。

 スダジイ、タブノキ、クスノキなどの常緑樹は、宮脇さんの唱える「ふるさとの森」として、この地域では風土に最も適した樹種で、緑の葉を一年中つけている。
 常緑樹について笑い話がある。街路樹を植えるときに、沿道の住民にどんな樹種が良いかと聞くと、ケヤキのような落葉樹は葉が落ちて掃除に困るから、葉の落ちない常緑樹にせよと要求されることが よくあると、行政の人から聞いたことがある。

 ホンコンフラワーじゃあるまいし、葉の落ちない木なんてあるはずもなく、世の人々は意外に木を見ていないのである。落葉樹が秋なら、常緑樹は春に葉が落ちるのだ。だから横浜国大のキャンパス は、今が落葉の季節である。

●参考リンク先→国際生態学センター宮脇昭
●関連ページ →緑の生態的景観    →現代の意志の道
●制作者サイト→まちもり通信