2017/08/10

1281【東京駅周辺まち歩き独断偏見ガイド.10】DNタワーの設計者たちと歴史的建築の保存と再生の表現

【東京駅周辺まち歩き独断偏見ガイド・9】のつづき

●DNタワーの設計者ー渡辺仁
 この超高層のある「DNタワー21」の設計は、清水建設設計部とアメリカの建築家ケビン・ローチによるものです。
 しかしここで注意したいのは、外観保存した第一生命館は1938年にできたものであり、この設計者は渡辺仁と松本與作でしたから、この人たちも設計者としておかねばならないことです。



 更に、この第一生命館の東隣にあった1933年にできた農林中央金庫ビルは、取り壊して DNタワー21の東面にイメージ保存したのでしたが、この設計者は、渡辺仁であったことも記憶するべきでしょうね。
 渡辺仁はどんなスタイルのデザインでもできる建築家で、現存する有名な建築は上野にある国立博物館の本館、銀座の和光、横浜のホテルニューグランド本館です。
渡辺仁設計 農林中央金庫有楽町ビル 1933年
渡辺仁設計 東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)1937年
●DNタワーの設計者ー松本與作
 松本與作は、第一生命館の計画から設計、監理を行い、事業主である第一生命相互会社の営繕課長だった建築家です。
松本は、今の工学院大学の前身の工手学校を1907年に卒業して、辰野金吾の弟子になりました。そして東京駅の設計の初めから工事が終わるまで携わって建築家となりました。
 その後にやはり辰野金吾設計の京橋の第一生命相互館の設計監理をしました。その縁で辰野の死後に第一生命に入社したのでした。
辰野金吾設計 第一相互館 1921年
 松本は古典的な様式建築が得意だったようです。第一生命館の計画は松本によるもので、その外観の案は西北南の3つの面に、古典的なオーダーのついた太く高い列柱の回廊が巡る姿だったそうです。
 第1生命館の敷地が決まったのは1931年で、実施設計が終ったのは1933年です。このあたりでその頃までに既に建ち、あるいは設計中や工事中の大建築は主に銀行でしたが、どこも外壁に西洋古典様式の列柱を立てていました。
 例えば、日本橋では三井本館、日本銀行、東京銀行、丸の内では第一銀行、三菱銀行、明治生命館、そして隣りの農林中央金庫もそうでした。
 松本もその例に倣いながらも、それを超えてみたかったでしょう。道路に面する3面とも列柱をたて、しかもそこを回廊とするのは、それまでの例にはありませんでした。 

松本は営繕課長として当然のことに、第一生命館の計画から設計そして監理まで一貫して行うつもりだったのでした。松本を全幅に信頼していた矢野恒太社長もそのつもりだったようです。
 ところが、世間がなかなか許さない雰囲気でした。これほど大きな建築の設計をするには、帝大出の建築家によるべきとの声が、多方面から陰に陽にあったのでした。

 松本は大いに悩みました。そして社長と松本が相談して、そのころ帝室博物館のコンペ一等になって評判だった渡辺仁を、松本の共同設計者として起用したのでした。
 渡辺は帝大出です。隣りで先に工事が進んでいた農林中央金庫の設計者だったことも、起用の由縁かもしれません。
 いずれにしても、どんなに優れた能力を持っていても、世間には学歴でしか人を判断しない人々は、昔も今もいるものです。
 渡辺は帝室博物館で忙しかったようですが、二人の弟子たちを設計監理に出したのでした。
 ですから松本與作は、建築家でありプロデューサーの立場であったことになります。
 
 そしてできあがったのが今に見る姿で、三方の古典様式列柱回廊は西側だけになり、南北は柱型だけになっています。しかも丸柱はオーダーが消えて、ズンドウの太い角柱になりました。
 帝室博物館の様に瓦屋根を載せるまではいかなかったけれど、丸柱を角柱にしたのは皇居に面するので日本的なデザインにしたからだと、後に松本は回想しています。

 でもねえ、日本古建築での列柱回廊ならば、唐招提寺金堂でも法隆寺でも丸柱ですよね。こんな組積造のような鈍重なデザインはしませんよ。
 わたしが思うには、その頃に起きてきたモダニズムとナショナリズムを、渡部仁の流儀で合体させたようです。西の列柱回廊の姿を見ると、ドイツ・イタリアのナチス・ファシズム建築的な物々しい臭いがあります。
松本與作と渡辺仁設計の第一生命館 1938年
DNタワーの西の回廊の両脇壁に銘盤を取り付けてあります。右にある銘盤には第一生命館の設計監督として、渡辺仁と松本與作を並べて書いていますね。普通は施主側の営繕担当者を銘盤に刻むことはないでしょうが、ここは特別ですね。それだけオーナー側には松本に対する信頼があったということでしょう。世には渡辺仁だけが第一生命館設計者としてとおりがちですが、松本與作を忘れてはいけません。

 施工受託者・清水組とあるのも注意してください。普通は施工請負ですが、ここは施工受託となっているのは、第一生命館の施工は請負方式ではなくて、第一生命による直営の実費精算方式であり、施工を清水組に委託して行ったという意味です。
 直営方式にした理由は、京橋の第一相互館が清水組の請負だったのですが、工事中に第1次世界大戦のために資材高騰で、請負側に大きな負担がかかりトラブルが起きたことを教訓にしたのだそうです。

●DNタワーの設計者ー清水建設+ケビン・ローチ
 DNタワー21の設計者は、清水建設が計画段階から担当し、設計にはアメリカの建築家ケビン・ローチを共同者として起用しました。
 清水建設は、元の第一生命館を施工受託した建設会社ですし、隣りの農林中金ビルも清水建設の請負施工でしたから、当然にありうることでしょう。
 でも、なぜ更に加えてケビン・ローチを起用したのでしょうか、オーナー側の意向だったのでしょうか。

 1989年から共同作業に入ったそうですが、その頃、日本はバブル景気の頃で、建築界では外国人建築家をデザイン担当として起用することが流行していました。アルド・ロッシ、レム・コールハウス、ジョン・ジャーディ、などを思い出します。
 DNタワー21のケビン・ローチもその流行のせいでしょうか。施工会社の設計では、表向きにもうひとつパンチに欠ける感がある、この際、他に負けない外国人有名建築家を持って来れば、だれも文句を付けられないだろう、なんてね。
 これって、かつて第一生命館で松本與作の共同設計者として渡辺仁を起用したときと、なんだか似ている感じがします。歴史は繰り返す、かな、どうでしょう。

 なお、設計は共同でしたが、行政やオーナーへの対応や工事監理については、清水建設が主体的に行ったそうです。
 ケビンローチは、ボストンで歴史的建築のクィンシーマーケットのリニューアル設計していますから、それも起用の理由だったのでしょうか。同じ頃、ケビンローチは汐留シティセンターを日本設計と共同で設計しています。
清水建設とケビン・ローチ設計のDNタワー21 1995年
●特定街区と歴史的建築物の保存
DNタワー21のデザインのテーマは、計画設計者の清水建設によれば「歴史的建築物の保存と再生」だそうです。
 保存と言っても、第一生命館の外観と、内部の6階にあるマッカーサー執務室と貴賓室がその対象で、そのほかの平面や内装を大きく変更、構造躯体も付加、変更、補強、改造しています。
 内部でいちばんの見せどころであったと思われる1階の営業室はなくなりました。明治生命館とは大きな違いですね。
 もちろん様式建築として第一生命館よりも華やかだった農林中央金庫ビルはすべて取り壊しました。石の柱の頭と脚部だけを保存して一部に再利用しただけです。だから、「保存」だけではなく、「再生」がついているのでしょう。

 でも、再生するならば、全部取り壊してしまい、イチからこのDNタワーと同じものを建てる方が、たぶん工事が楽だし工費も安価だったに違いないと思います。そうしなかった、あるいはできなかったのはなぜでしょうか。
 ここで最も歴史的に有名なのは、マッカーサーがここで仕事していた部屋があるということでしょうね。それは現物を保存しておきたい、これはオーナーの意向だったのか、それとも設計者の考えだったのか、社会の要請だったのか、どうなんでしょうね。なにしろ6階の片隅にあるのですからねえ、難しい課題に対応する結果が、こうなったのでしょうか。

 北側の外壁の東半分を、壁一枚だけ保存したのも、なかなか大変なことだったでしょう。壊して同じものを作っても良さそうに思うのは、南側の外壁の東半分が新築であることと比較すればれば分るでしょう。言われなければ、南北の壁の違いはほとんど判別できませんね。
DNタワー1階にみる保存と再生のプラン
DNタワーになった第一生命館の断面に見る保存と再生
ほとんど別ものとなっている
 そうやってもなおかつ現物保存することにしたのは、「歴史的建築物の保存」というテーマを掲げたからでしょうが、一方ではそれによるメリットがあったからでしょうね。メリットとは、保存することで建築容積率のボーナスがついたことです。
二つの敷地を合わせて、特定街区として再編成し、第一生命館の西半分と北半分外壁を歴史的建築として保存をし、西側列柱回廊とホール部分を公開空地とすることで、基準の容積率1000%のところに230%のボーナスが付きました。
 230%を床面積にすると約16000㎡ですから、これはビル経営としては大きい値ですよね。保存にかかった工事費がそれに見合うのかどうか、わたしは分りません。

 こんなにも保存の努力をしたのに、これが国指定重要文化財ではなく、東京都認定の歴史的建造物である理由はなんでしょうかね。外観と骨組みは保存したけど、内部はあまりに大改変したことにあるのでしょうか。
 ひとつのビルの中に、半分保存しながら、二つの金融機関を別々に入れるという、かなり難しいクイズを解くようなプランニングをしているので、内部の大改変をせざるを得なかったのでしょう。

 それにしても、イチから建てるのなら下から順に作ればよいところを、梁も柱も床もある既存建築の中にはいって、下から上まで壊したり造ったりくっつけたり、いやはやご苦労な仕事だったでしょうねえ。
 明治生命をMYプラザにしたのと比較すると、外観は似たようなものですが、造り方は実はずいぶん異なっているのでしょう。

 ではその列柱回廊と公開空地のホールに入ってみましょう。
西側列柱回廊 実はかなり狭い
この玄関ホールは、もとの第一生命館の1階営業室の一部にあたりますが、このインテリアデザインは全く新しいものですね。
 でもねえ、わたしの好みで言えば、まわりの壁も床も全部が灰色の御影石ですから、なんとも陰鬱ですねえ。それに休憩したくても椅子がなくて、喫茶店に入るしかないから、明治生命館とは大いに違いますねえ。もうちょっと親しみやすい空間にしてほしかった。
 どうして元の第1生命館営業室のデザインを、イメージとしてでも保存しなかったのでしょうか。
元の第一生命館の西側回廊から入ったところの1階営業室

DNタワー21の西側回廊からの入口ホール(屋内公開空地)
ではそろそろ、次に参りましょう。
(つづく)
●参考文献
・「谷間の花が見えなかった時 近代建築の断絶を埋める松本與作の証言
          (伊藤ていじ著 彰国社刊 1982年)
・「DNタワー21(第一・農中ビル) 歴史的建築物の保存と再生
          (清水建設著 丸善刊 1996年)
・「都市住宅 特集・丸の内」1974年5月号 鹿島研究所出版会刊

◆当日のまち歩き資料は:東京駅周辺まち歩きガイド資料2017年5月版

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