2016/03/10

1179【震災核災5年目】3・10東京空爆を忘れまい、3・11福島核災を忘れまい

 2016年3月9日、なんと福井の核発電(高浜原子力発電所3、4号機)に稼働ストップの仮処分決定が大津裁判所から出されたそうだ。
 あの3・11事件以来、核発電所問題はようやくここまで来たのか、これで何かが変わるのか、いや、また別の判決が出てひっくり返るんだろうが、そうやって繰り返しつつ核発電所禁止へと進むのだろう。
 いやいや、その前に、もうひとつ大事故が来ないと変わらないかもしれない。広島長崎・福島と来て、三度目の正直で変わるのだろうなあ。

●3・10と3・11という二つの記念日

 明日は5年目の3月11日(東日本大震災)である。
 そしてその前の今日は、71年目の3月10日(東京大空襲)であることも忘れたくない。前者は2万人、後者は10万人の命が一気に奪われた事件だ。
 この二つの大災害の原因は、前者が天災であり後者が人災である大きな違いがあるはずだったが、前者に核発電所の事故による大災害を伴って、どちらも人災になった。

 3・10は東京だけの被災だが、3・11は東日本と言う広大な地域の被災であると、それらの違いを言う人がいるかもしれない。
 だが、3.10もじつは日本各地の都市が被災した空襲のひとつであったのだから、3・10よりも被災範囲は広かったし、被災期間も長かった。
 3・11では被災地に対する救援が、他の地域や他国からも行われたが、3・10とその前後の被災地は、他からの救援を受けることができなかった。どこもかしこも被災したし、国際的に孤立していたからである。平和な時のありがたさが分る。
 だが、地球上では今も空爆の日々の地があり、それを逃れようと脱出する人々がいるのが現実である。
 参照:無差別空襲の日々 
    http://datey.blogspot.jp/2011/08/475.html

 3・11の福島核毒拡散事件は、3・10東京大空襲の延長上にある8月に起きた広島と長崎の核爆弾投下事件につながるだろう。
 そして8・15となるのだが、とにかくそこから立ち直るには、わたしたちは15年もかかった。もちろん、広島と長崎の被曝者たちは、それで終わることなく、未だに引きずらざるを得ないままに生きて死んでいく。
 福島核毒被災者たちも、そうなるのであろうか。

●あれから5年目の対照的な二つのTV番組

 久しぶりにTV番組を見た。
 ひとつは、5年前の3月、あの福島原子力発電所がもたらした核毒拡散で、人影の絶えた広大な町や村の跡に復活しつつある野生の地、そこに生きる多くの野生動物たちの姿を映す「被曝(ひばく)の森~原発事故 5年目の記録~」(NHK 20160308)である。
 人間が入り込んで町や村を築くまでは野生の地であった土地が、いまや人間が放棄して再び野生の地に還りつつある風景である。
 人の営みのはかなさを思った。

 もうひとつは、5年前の3月、あの巨大津波がもたらした海辺の市街地の壊滅で、人影が絶えた広大な街の跡に復活しつつある新生の街、そこに再び生きようと帰還する人間たちの姿を映す「史上空前のまちづくり~陸前高田」(NHK 20160308)である。
 かつては野生の地や海を、いったんは人間の地にしたものの、津波によって再び野生に還った地になったのだが、これを再び人間の土地に還そうとする風景である。
 人の営みの強引なる強靭さを知った。(つづく)

参照
地震津波核毒おろおろ日録

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