2014/11/01

1020【横浜ご近所探検隊が行く】横浜山手ぶらぶら長屋門の名残らしき建物を見つけた

 横浜ご近所探検隊は、江戸時代の建物かもしれない長屋門を「発見」した。
 元町から山手に向かって、代官坂を登る途中の道沿いに、赤いトタン屋根の平屋が2棟並んで建っていて、その間に奥の住宅に入る黒い門がある。

 トタン屋根でしかも赤いから見過ごして通り過ぎようとしたら、縦格子つきの窓の寸法とその並び方、その上の小庇の反り具合、建物の長さが、なんだか長屋門に見えるのである。
 2棟のうちの一方は寸詰まりなのは、切ったのだろう。同じようなものが建っていたら、あるいは続いていたら、まさに長屋門である。

 そばに何やら案内版が建っている。代官坂のいわれで、このあたりに横浜村名主の石川特衛門が居たとある。門を見ると表札に「石川」と書いてある。
 ということは、ここが名主の家でその後裔の方が今も住んでおいでなのだろう。これは昔の長屋門が改造されて、今に続いている名残の建物なのだろう。


 そう推測して戻ってきて、ネット検索したらこんな絵が出てきた。

 まさにわたしが「発見」した長屋門の、昔の姿とみてよさそうだ。今は屋根がかなり変わっているし、右の建物はちょん切られているが、わたしが推測したとおりに、長屋門の面影は色濃い。
 ただ、絵と比べてよく分らないのは、今あるのは絵の道沿いにある3棟の内、左の2棟なのか、それとも右の2棟なのか判定しにくいことである。
 せめて赤トタンだけでも瓦屋根に葺き替えてくださると、このあたりの幕末史の歴史的雰囲気に深みがでだろう。
         ◆◆
 ちかごろ足が弱って来た感じである。昔山岳部としては足だけは大丈夫と思っていたが、歳には勝てない。3時間も歩き続けると、なんだかヨロヨロしてくる。いかん、いかん。
 で、ちょっと山手まで散歩の足を延ばした。中村川から尾根上の山手本通りまで標高差31m、坂道や階段を直登するのは、けっこう息が上がる。だらだら坂が嫌なので、ついつい細い階段道にはいるから、余計につかれる

 でも登りつつ見渡せば、その坂というか、むしろ崖にへばりついている住宅群が、このあたりでは普通の姿である。
 住んでいる人は、上り下りの毎日で脚が丈夫になっているだろう。

 それを見ていて思い出したのは、わたしの生家が丘の中腹にある神社だったから、参道の石段を上り下りするのが日常であったことだ。少年は歩いて上り下りは平気だったが、自転車の上げ下ろしにはさすがに閉口したものだ。
 横浜のこの辺は、埋立した関内と関外の周りに坂道崖にへばりつく住宅地が広がっている。景色はよいが、北下がりの住宅地も多い。年とると坂の家は住めなくなる。
 急な坂を登りつつあたりを見ると、そこここに空き家がある感じである。

 高級住宅地としての山手のイメージは、現実はかなり限られたエリアだけだろう。
 そこで山手のかぎられたエリアに、共同住宅ビルが建ち並びつつある。当然のことに緑濃い山手の屋敷町の雰囲気はビル街に変わり、遠望する山手の稜線も緑の樹幹に替わって建築物のごつごつした姿になってきた。
山手本通り
エリスマン邸に展示してあった山手の模型

0 件のコメント: