2014/09/29

1004【福島東電核毒地帯徘徊6】天災と人災の浪江町沿岸部の復興は隣り町の核毒基地をどう考えるか

大草原に漁船がいくつか漂流している。
ススキとセイタカアワダチソウの草原を漁船が漂流
 転がる墓石群のむこうに草原と巨大な廃屋、その向こうの森の上に3本の煙突が見える。
墓石は請戸集落の墓地、巨大廃屋は小学校跡、三本の煙突は福島第1原発
ここは福島県浪江町の西部沿岸部の請戸地区である。請戸川が太平洋に注ぐあたり、ここは干拓平野だろう。
 河口部には請戸漁港があり、漁村集落があり、その後背地に広い田園地帯が広がっていたが、今は一面の草原である。
浪江町請戸地区の南は福島第1原発がある双葉町
震災前の請戸地区の集落と田園の姿であるが、今は一切が草原の中
 集落も田畑も完全に消滅して一面に草原が広がるばかりである。3.11震災でゆすぶられ、津波でなにもかも洗われ流されてしまった。
草原に中の建物は集落のコミュニティ施設だった
かつての施設(丸の中)が上の写真の草原の中の建物
 漁港から陸に流れて来て置き去りにされた漁船群は、セイタカアワダチソウの草原のなかにいまだに浮かんでいる。
ここから第1原発までは5kmほどである。遠くの森に見える3本の煙突(実は排気塔)がそうである。ここの草原も廃屋も漁船群も、その原発から発した核毒にまみれているのだ。
左の向うの方に3本の排気塔が見えるのが福島第1原発
3・11震災にともなう東電福島第1原発事故の核毒拡散で、甚大被害を蒙っているままの浪江町は、核毒度合いの高い西部の町域を放棄?して、核毒度が比較的低い西部の町域で復興しようと構想している。
 だが、まずは核毒除去しなければならないから、復興にすぐにとりかかれる状況ではない。
 中心街が建物がそれなりに並びながらのゴーストタウンであるのに、その西部町域の沿岸部は何もない一面の草原である。
 津波に一掃されたあとに、セイタカアワダチソウがひろがり、その中にかろうじて津波に耐えながらも破壊された家屋が点在する。その背景に福島第1原発を遠望できる。
廃屋の右に見える3本の排気塔が福島第1原発
草原に中に入ると、あちこちに建物の基礎だけがあって、家々が建ち並んでいたことが分る。わずかにある廃屋は、津波が通り抜けたらしい様子である。
 墓地があり、墓石が勝手な方向に寝転んでいる。ここからゴーストが出るとすれば、ここもゴーストタウンである。墓まいりに来たらしい男女が困惑の様子で、花を供えるべき墓石をさがしていた。
 墓石の向こうにも、もちろん東電原発のタワーが3本見える。
墓地の向こうに廃棄されtが小学校と原発の3本の排気塔が見える
壊れた防波堤の上から請戸地区廃墟草原のパノラマ 左の端に第1原発が見える
原発が見える堤防の上は0.294マイクロシーベルト
請戸は900人くらいの集落であったという。そしてその2割ほどが帰らない人になったそうだ。
 人の死はいちばん悲しいことだが、津波で家屋も田畑も漁船も漁港も廃墟となり消滅したことは、生きている人たちには実に悲惨である。
 そして更に悲惨なことは、その廃墟の上に東電核毒が降り注いだことだ。津波だけなら金と意欲があれば復興にすぐとりかかることができる。だが、津波で洗われた後の土地を核毒で汚染されては、意欲と金があっても手が付けられない。草原になるままにしておくばかりだ。
 いつから復興に取り掛かることができるのだろうか。宮城や岩手の沿岸部では復興の動きが目覚ましいのに、ここでは何も動いていない。

 ここは地震と津波に加えて核毒という3重被災地になった。二つの天災と一つの人災が重なったのである。天災だけの宮城や岩手沿岸部とはそこが、おおいに異なる。
 と考えていて、ふと気が付いた。おおいに異なると言えば、人災の核毒汚染にはその加害者からの損害補償金がついてきたことである。
 自力更生が原則の天災に対して、人災には補償金による他力厚生の道が開けていることだ。それは加害事件には当然のことだが、ここのところの違いが、被災者の間で非常に微妙な問題を引き起こしているらしい。

 核毒のあるなしの境界線が補償金のあるなしの境界線になるのだが、核毒がきれいに境界線を引いて降ってきたのではないから、難しいことになる。
 妙な言い方になるが、津波で生活手段を失って、たまたま核毒が降ったために補償金で生活再建できる人がいる一方で、核毒が降らなかったので生活再建できない人がいる。核毒の度合いによって補償金も違うだろう。
核毒の分布状況に対応するのだろう

 これらが微妙にモヤモヤとした状態で隣り合わせているにちがいないから、かなり社会的摩擦が起きそうだ。これまでに経験したことのない、予測がつかない事件がいろいろ起きそうだ。実情をほとんど知らないが、どうなのだろうか。
 浪江町は原発立地町としての利益は得なかったが、隣の立地町から迷惑とばっちりを受けたことになる。それは補償金というお土産付であったところまではよいとしよう。

 だが、お土産を開けて復興に使おうとしても、お預け状態であり、それがいつまで続くやら分からないありさまである。妙なことになっているようだ。
 目標時点のない復興には、人々は本気になれないだろう。あれから3年半経っても、復興の第1歩の核毒除去作業にさえ手をつけられない。復興はありうることなのだろうか
 わたしの頭ではここまでしか考えられない。請戸の草原から向うの森の原発排気塔を眺めて、ため息つくばかりである。
 
 ところで、あの向こうの森の排気塔の周りでは、どえらいことが起きようとしている。原発が降らせた核毒で汚れた各地の土やらゴミやらを、ここに集めておいておく中間貯蔵施設の計画があるのだ。
 浪江の復興計画では、請戸の草原にも、人は住まないが復興の絵が描いてある。だがその南隣には、濃縮した核毒の山ができるらしいのである。行政区域が異なるから、この二つの「復興」の絵は同時に見るようになっていない。
 中間貯蔵とはいえ、いつまでそれが続くのか、だれも分らない。いつか県外につくる最終処分場に持っていくらしいが、沖縄の基地問題に見るがごとく、日本中でNIMBYであるにきまっている。
汚染土壌等中間貯蔵施設計画区域案
浪江町東部復興計画図 このすぐ下に核毒中間貯蔵のエリアが広がる
請戸のすぐ南にはこのような核毒汚染土壌などの中間貯蔵施設計画がある
 除染という核毒除去をすれば、除去された核毒ゴミをどこかに集めなければならない。とすれば、宇宙にでも放り出すことができないなら、発生源に戻すのが妥当な処置だろう。
だが、原発の恩恵を受けなかった浪江町にとっては、核毒被災した上に、21世紀の谷中遊水池(足尾鉱毒事件の鉱毒沈澱池)ともいうべき核毒貯蔵基地が、すぐ隣りできるのはなかなかに辛いことだろう。

 ということは、もしかしたら、この中間貯蔵地は福島原発の廃炉と合わせて、日本の新たな原発利権を生み出す、政治的な仕掛けになるおそれがあるような気がしてきた。
 事柄が複雑すぎて、わたしにはこれ以上は頭が回らない。  
 (つづく、福島第2原発のあたりもみてきた

参照→地震津波核毒おろろ日録
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_26.html

 

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