2014/05/11

923【言葉の酔時記】天気予報放送用語は気象予報士の的中自信度合いに左右されるか

 ラジオで今日の天気予報の放送を聴く。
「関東南部は、晴れ」 
 おお、晴れって、自信ありげに断定、よしよし、出かけよう。
「関東北部は、晴れるでしょう」 
 おや、ちょっと違うなあ、自信ないのか。
「甲信地方は、晴れの予定」 
 あれれ、予め定まってるんだな、自信あるんだな。
「新潟地方は、晴れのようです」 
 また自信失ったな。
 
 この語尾の違いはどういうことなんだろうか。単に同じ言い方じゃあバカみたいだからとて変えてるのか、それともそれぞれ意味が違うのだろうか。
 予報的中の確率というか、予報的中の自信の度合いというか、それが異なるのだろうか。「晴れ」なら100%、「晴れのようです」ならば70%とか。
 「今日の天気は晴れ、ところにより曇り、あるいは雨、寒いところでは雪かもしれません」てな具合で言えば、的中確率100%。

 天気予報の放送を、「気象予報士の●●がお送りしました」なんて、個人名を名乗っている場合がある。これはその人が予想した天気なんだろう。
 でも、それが当たらなかったとしても、「昨日は当たらなくて、お詫びします」って、謝っているのを聴いたことがない。いいのか。
 まあ、お天気まかせというぐらいだから、いちいち謝っているときりがないか。

 確率と言えば、降水確率というのが、なんだか分らない。
 本日の降水確率50%といえば、1日24時間のうち半分の12時間を雨降りって意味だとばかり思っていたら、何だか違うらしいが、どう違うのか知らない。

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