2013/12/23

880能「檜垣」の登場人物にも演者にも観客にも老いを重ねて観てきた

寒い師走の土曜日、横浜市立図書館で「建築家の自邸」なる本を探す。池辺陽と今泉善一の二人の建築家が共同して、連戸共同住宅として建てた自邸を調べたのである。
最近、たまたま池辺のもとでその建築設計と現場を担当した建築家の、小町治男さんに会って昔の話を聞いたからからである。

そのことを聴くのが目的ではなくて、戦後復興時代の防火建築帯をたくさん作った今泉さんのもとでの仕事のことを聴きたかったのだが、小町さんは一時は池辺さんのもとで仕事をしていたとて、この住宅の話を聞いて興味がわいた。
戦後とはいえ、もう5~60年も前の昔々のことを調べて、なんだか懐かしくなるのは、わたしもすっかり老いたということである。

図書館の後は、その老いをテーマの能を見るために、横浜能楽堂に行った。本日の演目は「檜垣」というめったに見られない老女ものといわれる大曲である。
その演者たちは、シテ野村四郎77歳、ワキ宝生閑79歳、アイ山本東次郎76歳という、いずれも老いたる人々が老いをテーマの能を演じるのだ。
さらに解説者として登場した歌人の馬場あき子は、85歳である。でもこの人は、話といい立ち姿といい、とてもそうは思えない若さだ。

こちらの見所の観客たちも老人が多い。館長の山崎有一郎さんの姿も、わたしの席のそばに見えて、この方は100歳である。老人ばかりの年の暮。
それにしても今日は、超満員で補助椅子までも出ているのは、めったに見られない曲であり、ベテランの共演であるからだろう。

はじめて観る曲なので、あらかじめ岩波の謡曲集を読んだのだが、なんとも筋が簡単すぎて、これでは眠ってしまいそうだと予想していったのだが、馬場あき子の解説で見方が分った。
この曲は、老いがテーマである。若いころは美しく芸達者でもてはやされた遊女が、百歳にも生きてヨロヨロに年老いた姿で彼の世から登場する。昔の若く美しい時に舞った序の舞を見せて、いま彼の世で責め苦にあっているので苦しい、僧に成仏させてほしいと請うのである。
この百歳もの老女のふるまいや舞姿を、演技として演者が演じることの難しさがあるという。

美しい若い女の舞う序の舞を老いてヨボヨボになった老女が舞う演技が求められるのだが、実際の老人の演者の肉体の老いそのままでは演技にならない、ベテラン演者として若い女の舞うあでやかな序の舞の演技のままででは老女の演技にならない。
生身の今の時間と物語の中の今昔の時間という、3つの時間がもたらす身体の矛盾を、どう表現するか、しかも男の演者が女性を表現する、そこがこの能の見どころだと、馬場あき子は言った(ように聞こえた)。

ふむ、野村四郎はそれをどう見せてくれるのか、これは眠れない能見物になるなとおもったが、実際に眠らなかった。
能の観巧者ではないから何とも言えないが、たしかに身体の運びは能の確実なる演技であるが、ヨボヨボの老いを不確実な運びで見せるのではなくて、わずかに揺れる緩急の中に見せる演技であった(ように見えた)。

ずっと前に、老女もののひとつである「卒都婆小町」(金剛流 豊島訓三)を見たことがあるが、いや、その動きの遅いこと遅いこと、幕から出てきて舞台に入るまで橋掛かりを20分もかけて歩いた。途中で2度も休みつつ。
「檜垣」もそうかもしれないと警戒したが、途中2度の立ち止まりはあったが、遅い小さい歩幅ながら、比較的スタスタと渡った。緩やかに遅く演じれば、老婆の姿になるというわけでもないらしい。

能ではさまよっている幽霊の主役が、脇役の僧侶に成仏させてくれと頼んで、経文を唱えてもらって「仏果を得しこそありがたかりけれ」なんて、ハッピーエンドになることが多い。
この「桧垣」も見せ場の老女の序の舞がおわって、僧に汲んできた水桶を供えて、「罪を浮かめて賜びたまへ」と頼むのだが、どういうわけか、そこでプツンと終了した。
エッ、まだあるんじゃないのと見ていると、囃子方は座るし、シテはヨロヨロと橋掛かりへの退場にかかる。成仏したのか、しなかったのか、なんかもう気になる。

「清経」や「砧」のように、無理やりというか安易に、最後のどたん場で突然にわけもなく成仏させてしまうのも困るが、こうやってポンと投げ出されては、「隅田川」のように悲劇に終わらせるのでもなく、これも困る。
もしかしてこの能は、老いたる女の序の舞の演技をいかに演じるか、そこを見せることだけにあるのか。う~む、あまりに玄人過ぎる能である。しょっちゅう能を見ていないと、なんにもわからない。

ここまで書いて、また岩波の謡曲集を開いて見た。おや、「罪を浮かめて賜び給え」の続きが小さい字で書いてあるぞ。
なになに、けっこう長い地謡のロンギで、最後は「はやく仏道なりにけり」と終わっている。おお、ハッピーエンドだよ。
注が書いてある。「金剛流のみ、「賜び給え」のあとにロンギがつづく。古写本に見えず、近世の付加らしい」
やっぱり、江戸時代にポンと放り出されて気になる人がいて、創作してくっつけたらしい。

2013年12月21日(土)
世阿弥生誕650年記念 横浜能楽堂企画公演  主催: 横浜能楽堂
「時々の花」第3回 玄冬の巻    解説:馬場あき子
「檜垣」観世流)
シテ(老女・檜垣女):野村 四郎
ワキ(山僧) :宝生 閑
アイ(岩戸山麓の者):山本東次郎
笛 :一噌 仙幸   小鼓 :大倉源次郎   大鼓 :柿原  崇志
後見 :浅見  真州  清水 寛二  浅見 慈一
地謡 :観世銕之丞  浅井文義    上野朝義  西村高夫  
          上野雄三  小早川修   柴田  稔  野村昌司

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