2013/11/05

853わたしの個人史と重なる共同設計組織RIAの職能拡大展開の軌跡を書いてみた

 戦前は有名建築家だった山口文象が、戦中戦後の10年間のブランクの後に起こした建築設計集団「RIA」は、個人名を排した共同体とした点で、同世代の他の有名建築家たちとは一線を画し、戦後民主主義の嵐の海に再びの船出をしたのだが……。

 建築家というと普通は個人の職能をさすだろうが、建築学会誌『建築雑誌』編集者からの依頼には、2013年11月号に『「建築家が問われるとき:自己規定の軌跡と現在』と題する特集を組むので、設計集団RIAの職能について書けとの注文である。

 ふむ、面白い、これまで山口文象につてはあれこれと書いてきたが、わたしが所属していたRIAについては、意識して避けてきた。
 でも、わたしももう歳が歳だから、このへんで自分の社会人としての位置を築いたRIAについて書いてもいい頃だろうと思えてきた。

 そこで、なんの資本的バックもない徒手空拳の建築家集団RIAが、戦後復興期の荒波中で新たな職能像を求めて苦闘を重ねた、1950~70年代迄の軌跡を書いてみた。いわば個人史と重なる建築設計組織の職能拡大展開の歩みの論考である。
 題して「RIAが選んだ建築家共同体組織とその職能展開の軌跡
 
 もちろん、いまやRIAのもっとも初期メンバー生き残りとなった建築家・近藤正一さんに話を聞き、古い雑誌記事などを読み、同輩に手助けしてもらって、ようやく書いた。
 自分のいた時代なのに、はじめて分かるようなこともあり、面白いことだった。
 英文の題名は、学生時代の同期生だった友人に決めてもらった。 
History of unique cooperative system in Research Institute of Architecture(RIA ) with some reference to expanded horizons of architects' professions

 なお、RIAの正式名称は「RIA建築綜合研究所」、現在は改称して「株式会社アール・アイ・エー」である。

●本文はこちらを参照のこと
「RIAが選んだ建築家共同体組織とその職能展開の軌跡」
https://sites.google.com/site/dateyg/ria1952-1979


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