2013/10/31

849赤レンガ東京駅見物ついでに東大博物館を探検してあの「零円札」に遭遇して感動した

東京駅の夜景を、東京中央郵便局、じゃなかったKITTEの前から撮った写真で、お化粧前2005年とお化粧後2013年の比較をしてみる。
●お化粧前の2005年9月の姿

●お化粧後の2013年10月の姿

さてどこが変ったか、背景に容積率を移転した高いビルが見えている。これはご自分の資産を一部身売りした先で、いわば分身ともいえるビルだから、一緒に見えて不思議ではないだろう。
もちろんもっとも大きな違いは、角帽を丸帽に取り替えたことである。こうやって見ると角帽も白線を光らせてしゃれたもんだった。

隣の中央郵便局も、上に東京駅から容積移転した紙ヒコーキ折り紙デザインのファサードを乗せて完成しているようだ。

その中央郵便局の中に入ってみたら、KITTEという名のショッピングビルになっていた。ネーミングの由来は切手なんだろう。
その一部に東京大学の博物館があったので、そこの窓から丸の内駅前広場を眺めた。広場の整備はこれからやるらしい。

東大博物館は、種々雑多なものが脈絡もなく並べてあって、なんといおうか、なんだかかび臭い懐かしい変古珍奇型の博物館の趣があった。多分、学問の府の権威ある博物館だからとて、わざとそういう展示をしているのだろう。その展示の仕方そのものが博物館である。
現代的なビルの中なのだが、実は70年以上も前の建物である一角にあることも含めて、なんだか面白い場所である。

世界中からどうやって集めたのか気になるが、それぞれのマニアが見たら垂涎であろうの代物がところ狭しと並んでいるのである。
時間をかけてじっくりと眺めたなら、ずいぶん発見がありそうだ。
なんとなく入りづらい、というか、入ってもしょうがない雰囲気だから、超一等地にありながら隠れた名所かもしれない。

窓から東京駅の写真を撮るだけの目的で入ったわたしが、偶然にも発見して大興奮したのは、赤瀬川原平制作「零円札」である。
この零円札裁判事件は同時進行で知ってはいたが、本物(画像はこちら)を見たのは初めてで、これはこれはとけっこう感動した。
これがどうして博物館にあるのかと思ったが、なんと古銭類と一緒に並んでいるのであった。おお、なんという面白さだ!、原平さんが見たらなんと言ってこれを喜ぶだろうかと、気になる。

(追記)「零円札裁判」ではなくて「千円札裁判」であり、零円札と裁判は別らしい。

2013/10/30

848東京駅赤レンガ駅舎のスカイラインはどうもゴチャゴチャしている

東京駅に久しぶりに行ってみて、東京都道404号皇居前東京停車場線(通称・行幸通り)から真正面の風景を見た。
赤レンガ駅舎の3階に昔のコピー建築が乗っかったので、以前と比べて両肩が吊り上った感じである。
後ろの鉄道会館(大丸)が無くなって、赤レンガ駅舎のスカイラインがすっきりするのかと思ったら、意外にゴタゴタしている。
左の方から、新しい大丸の大きなビルが張りだしてきているし、八重洲駅前のネオン看板類がかなり明るすぎてハレーションを起こしている。
八重洲駅前はJR開発ではないから仕方ないが、JR開発の新大丸の建物は、せっかく大金をかけて赤レンガ3階をコピー再現した風景を邪魔しているよ。
もったいないことでしたねえ、この容積率を他に持って行ってでもして、ここは引っ込めてもらいたかったなあ。

●2013年10月の行幸通りからの見通し風景は、
赤レンガ駅舎のスカイラインが意外にゴチャゴチャしている
 
●2006年9月の赤レンガ3階コピー再現前の風景は
鉄道会館が赤レンガ駅舎のスカイラインを支配していた 

●独りキャンペーン:東京駅赤レンガ駅舎の復原反対
http://homepage2.nifty.com/datey/tokyo-st/

2013/10/25

84【五輪騒動】7神宮外苑の絵画館のアカアカと陰りもないライトアップの向こうに新国立競技場を幻視した

四谷に所要あっての途上、ふと思いついて、ただいま話題となっている国立競技場と聖徳絵画館のあたりを通り抜けて眺めてきた。
夕闇が迫る中、夜の絵画館のあたりは、どうにも騒々しいのは、あちらには赤々と照らされたゴルフ打ちはなし練習場の鳥かごがあるし、こちらには室内競技場やテニスコートがあって、車や人の出入りや騒音がするからである。
絵画館前広場は駐車場となっていて、ライトアップされた絵画館の全景を入れて写真を撮るのは邪魔であるが、こうやって、明治天皇のご聖徳のおかげで禁苑は開放されて、万民の一般市民が夜も楽しむことができる広場となっているのである。
絵画館はアカアカと一点の陰りもないナトリウム等のライトアップで、まるで外苑に横たわる仏壇のお燈明の列のごとく輝いている。建築を見せるなら、こんなに影なしライトアップはやりかたが違うだろうと思うが、お燈明ならまあ、よろしいか。
いやまてよ、これは明治大帝の陰日向無きご聖徳を象徴しているつもりだろうか。

このお燈明の向こうの森の上に見えるのが、国立競技場の照明塔であるが、2020年東京オリンピック主会場となるころは、新しい国立競技場が建ちあがっているだろう。
あの黒い森の上に、自転車ヘルメットのお化けのような曲線の綾なす小山が、光り輝くことであろう。
20世紀初めの日本帝国の残影と、21世紀初めのグローバル日本の新光、これらふたつの出会う皇紀二六八〇年、これまた明治大帝のご聖徳なるかや?




2013/10/20

846【五輪騒動】長屋談議2020年東京オリンピック新国立競技場はモノスゴイもんだ

この前の東京オリピックが残したもの

八五郎ご隠居、元気ですねえ、ストレッチ体操なんかやってて。まさか7年後のオリンピックまで生きようってんじゃないでしょうね。

隠居おお、八ッツァン、なに言ってんだい、あのな、わたしはオリンピックてのが嫌いなんだから、そこまで生きなくてもいいんだよ。

え、嫌いですかあ。

ああ、嫌いだねえ、あんな国威発揚運動会は大嫌いだよ。国際親善だから勝とうが負けようが参加することに意義があるだろうに、あのメダル競争はなんだい、国家代表じゃないのに国旗を揚げて国歌を演奏するって間違ってるよ、戦争がない時に戦争の好きな奴が代わりにやってるのかい、あれは。

まあ、まあ、まあ、興奮しないで。あっしは好きだねえ、わくわくしますよ、早く来ないかなあ。そういや、この前のオリンピックの時は、ご隠居はどうしました?

1964年東京オリンピックだな、やったってことは知ってるけど、見てないし、ほとんど何も覚えていないなあ、アベベってマラソンのヒーローがいたような。建築設計をやってた頃だから、代々木の国立体育館のできたのが一番の思い出だねえ。

あのオリピックを機会に東京の都市づくりが進んだんでしょ。高速道路とかね。

そうだ、あれは1960年か61年かなあ、東京の日本橋を渡っていたら、その川の中で工事しているんだよ。基礎になる杭を打ち込んでるんだけどね、なにしろメタンガスが臭うドブ川で、底にはヘドロが積もりに積もってるから、杭が自分の重さでズブズブともぐり込んでしまうんだよ。またその上に杭を継ぎ足してから機械ハンマーで打ち込むんだけど、はじめはスカンスカンなんて空振りしてて、そのうちにドカンドカンと本格的に打ち込むようになる。そうやってできたのが日本橋の上をまたいで、もうひとつの日本橋になった首都高速道路だな。

そうそう、あんまり不細工なんで、その高速道路をどけようって話が起きてるようですよ。

うん、だいぶ昔からその話が出ては消えてるな。まあ、首都高全部を取っ払ったとしても、日本橋の上だけでも門形にして高速道路を保存してもらいたいね
え、わざわざ保存するんですか、なんでですか。

隠▲
だってさ、戦後復興を乗り越えてオリピックに向かう日本の高揚期の記念物だし、その後の都市公害や景観破壊を引き起こした負の記念としてね。

以下、続きは
■国立競技場は神宮外苑にあるのじゃないよ
■新国立競技場案について有名建築家がイチャモンつけた
■法律違反計画を法律が後から追いかけて追認した
■歴史的文脈の中でやるなら国威発揚だよ
■こうなりゃ聖徳記念競技場だあ~


続きと全文は
⇒「長屋談議・2020年東京オリンピック新国立競技場はモノスゴイもんだ
https://sites.google.com/site/dandysworldg/newnationalstadium

参照⇒なぜ今頃になって建築家は新国立競技場に異議をいうのか
http://datey.blogspot.com/2013/10/842.html

2013/10/14

845初めての文楽見物で「生写朝顔話」を観てきて歌舞伎よりもちょっと面白かった

神奈川県青少年センターに文楽公演を観に行った。住処の近くだから、国立劇場に行くより便利である。
演目は「生写朝顔話」(しょううつしあさがおばなし)の、明石船別れの段、笑い薬の段、宿屋の段、大井川の段。
ストーリーは、恋する男女のすれ違い譚で、昔話「君の名は」である。あ、君の名はもいまや昔話であるよなあ。

実は文楽の実物を見たのはこれが初めてである。映像などで一応は知っていはいたが、舞台が大きいのには驚いた。人形劇だから小さいと思い込んでいたが、実物の7割くらいの大きさだろうか。

人形遣いの姿を見慣れないうちは気になるが、やがて慣れてきて気にならなくなった。
それにしても3人でひとつの人形を動かすのは、なかなかその息を合わせるのには厳しい修業がいるのだろうと思う。

竹本あるいは豐竹大夫の浄瑠璃は、それ自体が顔と声で泣き笑い怒り狂う演技であり、なるほど、昔はこれを美しい娘がやって大人気だったということが分るような気がした。

文楽のどこが面白いのか、これ見ただけではわからないが、初めての文楽は、それなりにおもしろかった。
人形の所作と浄瑠璃語りの面白さが、歌舞伎とは違う面白さのような気がした。歌舞伎のように人間が演じたら臭くなる演技も、人形にやらせるとみられるということもありそうだ。

演技者の中に浄瑠璃の豊竹咲大夫と三味線の鶴澤燕三がいたが、このふたりだけは知っている名であった。だいぶ前に、能楽師の野村四郎の謡かたり三人の会の公演に出ていた人である。

これを見て昔を思い出したのは、少年時代に読んだ講談本である。そのなかに朝顔日記というのがあって、これが本日の出し物の講談版であるらしい。
大井川のほとりで盲目の女が恋しい男を探してうろうろする話だった、覚えているのはこれだけ。

参照:謡かたり三人の会「隅田川」
http://homepage2.nifty.com/datey/nomura-siro/2005utaikatari.htm
参照:コラボレーション能「謡かたり隅田川」を見る
http://homepage2.nifty.com/datey/nomura-siro/nomura-utaikatari.htm

2013/10/13

844金木犀の花が香り銀杏の実が臭う公園で懐かしい記憶の中の嗅覚風景がよみがえる

 秋たけなわという今日の晴天、大通公園をふらふら徘徊していると、ウンコのにおいと金木犀の花の香りが同時に鼻を刺激してきた。オッ、これはなんだか記憶にある懐かしい組み合わせだぞ。

 昔々のこと、まだ下水道が普及していない頃、汲み取り便所の糞尿の悪臭をいくぶんか中和させようとて、金木犀の花の香りがする香料を入れた壜を便所に置くことが流行した。今それが秋晴れの公園に漂っているのだ。
 ああいうことをされると本当に困る。わたしの嗅覚の記憶は、金木犀はウンコに臭いになってしまった。
でも、こんな都心で汲み取り便所はもちろんなくて、これは毎年のことだが今の季節に実がなる銀杏が落ちて、あの糞尿そっくりのにおいをばらまいているのだ。
 たまたまその銀杏の木の下に、金木犀の花が咲き誇っていて、これまた香りを競って振り撒いている。嗅覚で懐かしいと思うことは少ないが、今日はそれに出会った。
  
 ネットで調べたら、エステー化学株式会社で販売し、70年代初頭に出して90年代前半まで主流商品だったそうだ。さらにネット検索したら、金木犀の香水があるようだ。
 それはそれはなんともはや、金木犀の香りの女性に出会ったら、わたしは逃げざるを得ませんな。バスやエレベーターの中だったら途中下車だな。それとも「お懐かしい!」と近づくか。
 ま、ご当人は知らぬが仏だけどね。

2013/10/11

843村上春樹はもしかしたらイグノーベル文学賞をとったのだろうか

今日、本屋(伊勢佐木町有隣堂)に行ったら、入り口すぐに「ノーベル賞受賞」と大きな字で印刷した紙の下に、村上春樹の本が山と積んである。
え、違うよ、カナダの女流作家だろうって、よく見たら、その紙に「2013年のノーベル文学賞はカナダのアリス・マンロー」って、書いた小さい紙がはりつけてあった。

はは~ん、村上春樹だとヤマをかけて、ウンと仕入れてたんだな、ははは、当て外れオキノドクさま。でも肝心のアリスマンローの著作は置いてないのであった。

ところが、こんな画像がFACEBAKAから流れ着いてきた。
http://gohoo.org/alerts/131010-2/?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

はは~ん、こちらもヤマかけて予定原稿を書いていたのを、早とちり勇み足うっかり配信してしまったのか。
それとも、実は村上春樹はイグノーベル文学賞をとったのか。だって、この写真はどう見ても受賞の喜びを語るムラカミサンだよ。

842【五輪騒動】なぜ今頃になって建築家は新国立競技場の計画案に異議申し立てなのか

 オリンピックの前哨となるそよ風が、建築設計業界に吹きはじめたたらしい。
 国立競技場の建て替え計画で、コンペで一等になったザハ・ハディドの案その絵はこちらに対して、建築家の槇文彦さんが異議申し立てをJIAの会報(2013年8月号)に書いて、動きが出ているようだ。
 本日、それについてのシンポジウムをやるそうである。

 さて、建築(家への悪口)を趣味としているわたしとしては、面白いことになったと模様眺めを楽しむことにするのだが、ちょっと気になることがある。
 このコンペ当選案は、安藤忠雄さんを審査委員長として、鈴木博之、内藤廣、ロジャース、フォスターなどの、れっきとした方々が審査員として選んだ結果である。これが発表されたのは、2012年の11月のことである。問題の根本にあるコンペプログラムはさらに前に公表されている。

 なぜ今ごろになって槙さんは異議を唱えるのだろうか。わたしは異議を唱えるのがいけないと言ってるのではなくて、ずいぶん遅いよなあ、と思うのである。
 さらにまた、槇文彦と言えば今や老大家である。生きのよい若手建築家はどう思っているのだろうか。門下生たちはどうしているのか。実はあの案に賛成なのか。俺ならもっとうまくやるのになあと、思っているのだろうか。

 反対としても、なぜ今まで黙っているのか。国家的行事の施設だから、老大家でなければ異議を唱えにくい今の世の中なのか。実は老大家は、若手から異議申し立てが出るのを待っていたのだが、だれも言わないので腰を上げたのかもしれない。
 なにしろオリピックに異議を唱えるのは、いまや国賊並みだからなあ、アマちゃんを見ないのは非国民だしなあ、、若手がビビるのはわからないでもないような、、。

 本日のシンポジウムは、槙さんを囲んで行われるようだから、どうやら異議申し立ての場であるらしい。出演者など見ると、どうも槇さんの論に対して異を唱える会ではなさそうだ。
 その場には、コンペの審査委員長あるいは審査員のかたがたを招いているのだろうか。あるいはコンペ参加した落選者たちも参加されるのだろうか。そのような方々と一緒にシンポジウムをしてこそ、新たな展開があるだろうとおもうのだが、どうなんだろうか。
 コンペに参加もできずにいて、悔しがっている建築家たちだけで、異議を唱えても迫力がないぞよ、、頑張りたまえ、若手建築家たちよ。

 槙さんの異議申し立てのJIAマガジンを読んだが、ご自分が設計した東京都体育館との対比で論じられると、若干鼻白む感がある。
 また、絵画館との対比についても、わたしはあの王権賛美の出自、威圧的なデザイン(坊主頭を何とかせい)、偏頗な展示内容を大嫌いだから、つい槇論をあまり肯定したくなくなる。
 へそ曲がりのわたしとしては、いっそのことザハ・ハディドの異教徒的空間(わたしには自転車乗りのヘルメットにしか見えないのだが)の出現で、明治神宮内外苑が抱えている20世紀前半の亡霊を追い払ってほしいとさえ思う。


(追記 2013.10.11 2030 face baka書き込み)
ネット中継でシンポジウムを、たった今見終わった。面白くなかった。
 危惧していた通りに、コンペ審査員も応募者もいない。コンペから外された建築家ばかりが、あれは困るみたいな話ばかりだし、学者は常識的なことしか言わない。
 こうなると、言い出しっぺである槙さんは、それだけでえらいなあ、と、思うばかりであった。
 都市計画に対する異議申し立て発言が多かったが、公園緑地系の専門家をなぜよばなかったのか。
 もしも一等当選者が、建築家協会会員であっても、あるいは日本人であっても、こういっただろうか。一等当選案に負けない巨大建築で応募した建築家に、JIA会員はいないのだろうか。
 どうでもいいけど、壇上の5人全部が東京大学閥でいらっしゃいました。

(追記2013・10・12 face baka書き込み)
 昨日のシンポジウムでも問題なっていた新競技場の高さは、コンペ当選の建築の後追いで、今年6月にそれまでの制限高さ20が75mに緩和される地区計画を都市計画決定しています。
新国立競技場一等当選案に反対の建築家たちは、もちろん、この縦覧時に反対の意見書をお出しになったのでしょうね。また公聴会で反対意見をお述べになったのでしょうね。
http://www.city.shinjuku.lg.jp/kusei/keikan01_001070.html

 今回の件は、建築計画案がコンペによって先につくられ、後から都市計画(地区計画の再開発促進区)が追いかけていますね。わたしはこの地区計画を6月に見たとき、なんだか順序がヘンだなあと思いました。
  この地区計画決定について、東京都と新宿区の都市計画審議会の議事録を読んだのですが、東京都のほうはいい加減な審議で可決しています。
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/keikaku/shingikai/pdf/giji201.pdf
 新宿区は決定権はなくて意見具申するのですが、こちらはそれなりに問題をとらえて審議をしているようです。でも追及が全然足りませんね。どんな意見具申(まるきり無視されたらしいが)したのでしょうか。
 以前に東京中央郵便局を超高層化して建て替えることについて、やはり建築家たちが反対の集会を建築学会ホールで持ったことがありますが、すでにその超高層計画の都市計画決定がなされた後のことでした。
 わたしはその会場で、いま、反対派の建築家はその都市計画案縦覧時に反対意見書を出したかと聞きましたが、どなたも回答なさいませんでした。
 市民もそうだけど、専門家である建築家が、公開されている都市計画手続きに、日頃から関心を持つ必要があると思います。

参照:現代のプレゼン技術のすごいことよ!
http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/NNSJ/ceremony.html


(追記 2013/10/17)
後だしジャンケン提案。そのうちに解説をここのブログに書きます。(なお、これはパロディですからね、世の中には、時にくそまじめな人がいて、質問されて困るときがあるものですから、念のため)。

   

 参照
建築家たちの新国立競技場デカ過ぎ論には肝心の都市計画問題が抜けている
https://sites.google.com/site/dandysworldg/newnatinalstadium2
◆新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢と似非言いhttp://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

【長屋談議】2020年東京オリンピック新国立競技場はモノスゴイもんだ
https://sites.google.com/site/dandysworldg/newnationalstadium

2013/10/09

841「疾風のごとく駆け抜けたRIAの住宅づくり1953-69」という長題名の本が出た

 本を出版する時にその題名をどうするか、短すぎても長すぎてもいけないと悩ましいことだ。昨年だったか、村上春樹がなんだか長いタイトルの本を出した。
 長いタイトルの本をウェブ検索してみたら、横尾忠則になんと114文字の本があるそうだ。http://kmktwo.blog95.fc2.com/blog-entry-82.html

 さて、最近わたしの身近な方が出版した本のタイトルが、
「疾風のごとく駆け抜けたRIAの住宅づくり1953-69」
 横尾忠則の足元にも及ばないが、けっこう長い。
 著者は「RIA住宅の会」、RIAの近藤正一を代表として、編集者の磯達雄たち、発行は彰国社。

 内容は、戦後復興期の日本で、庶民住宅にモダンリビング思想を植えつけて、生活様式に革新をもたした建築家集団・RIAの仕事ぶりを語る本である。
現代の庶民住宅は、なんとかハウスとか、カントカ住宅という名の住宅産業によって、耐久消費財なみの商品として供給されているが、そうなる前の時代のことである。

 冷蔵庫でも買うように商品として住宅を買うことができる今、建築家に住宅設計を頼むのは、金持ちか、変わり者であろうが、住宅が大不足して社会問題であった戦後復興期に、新しい生活様式を求める庶民に対応した建築設計集団RIAがあったのである。
 

 この本を、今もそのまま通じる住宅建築の本と読んでもよいし、戦後の生活改善運動の記録の本と読んでも面白い。
 建築家・近藤正一による、住宅設計について当時の建築ジャーナリズムに載せた解説や論考の再掲と、新たに書き下ろした現代での論考を比較すると興味が尽きない。

 1953年から69年間でに400軒を超える住宅設計をして、そのなかの118軒のプランを載せている。いまの商品となった住宅のプランと比べると、その革新的(前衛的ではない)な凄さがつくづくと分かる。
 普通の一般庶民の建て主たちに、新しい生活像を提案し説得したRIA建築家の思いも大変なものだが、このプランを納得して大金を工面して建てて暮らした庶民建て主の心根に思いを致すと、あの時代の空気にほおをなでられるような気がする。
 これらが「モダンリビング」という名称で、やがて世に普及していく。なにもかも若い日本であった。

 RIAとは、今は「株式会社アール・アイ・エー」と言っているが、60年前に創立したときは「RIA建築綜合研究所」、その頃は通称「リア」と言った。
 そのRIAにわたしが所属していたのは1961年から89年までだが、住宅設計をしたことはなくて、もっぱら都市系の仕事ばかりだった。

 最近、昔のことを聞かれることが多くなったのは、それなりの年寄りになったから当たり前である。ときに大学院生に論文種にされると、戦後復興期の都市再開発の現場について、あるいは建築家山口文象について、古老として喜んで語り部となるのだ。
 先般、建築学会の会誌編集委員会から、RIAという共同設計集団における建築家という職能について書けとリクエストをいただいた。

 そこで書いたのが、1952年から60年代末までの「住宅のRIA(リア)]が、70年代以降は「再開発のRIA(アールアイエー)」に転換する間に、建築家=設計者という古典的なアーキテクトから、都市プランナーへと多様に展開して、新たな建築家職能像を獲得する時代を回顧した論考「RIAが選んだ建築家共同体組織とその職能展開の軌跡(2013/10/)」である。
 この論考は「建築雑誌」2013年11月号に掲載の予定であるが、ちょうどこの時に「住宅のRIA]時代の本が出版された。学会誌のわたしの論考に誤りがあると大変だと読んだが、また別の側面からの論考となったようで、ホッとした。
 その論考は「建築雑誌」の発行を待って、この本とあわせてお読みいただきたい。ここに論考の付図だけを載せておく。量的な駆け抜けぶりがわかるだろう。

 また、RIAが創立から60年とて、その記念誌を新建築社から近いうちに発刊するそうである。そのなかにわたしも、「アール・アイ・エー創設の建築家 山口文象の生涯」を寄稿した。

●参照
RIAが選んだ建築家共同体組織とその職能展開の軌跡  (2013/11)
体験的書評「まちをつくるプロセス RIAの手法」 (2013/11)
アール・アイ・エー創設の建築家 山口文象の生涯 (2013/11)

山口文象+初期RIA

2013/10/08

840人気作家ダンブラウンには日本文化のアドバイザーがいないらしい

 歳をとってきたから、やるべきことをやれるうちにやっておかなければ、近いうちにやろうと思ってもやれなくなるだろう、と、若干は焦り始めている。
 とはいうもののの、その「やるべきこと」が実はどうでもよいことで、「やるべき理由」が特にあるわけでもない。だから、まだいいやと思って先延ばしにする理由をかんがえてしまう。

 その「やるべきこと」のひとつが、うちの本棚にある何百冊かの未読本を、読み切って制覇することである。
 仕事ですぐに必要なものは買ったらすぐに読んだが、趣味的に面白そうだなあ、とりあえず買っておいて、あとでヒマな時に読もう、そう思って買った本が、暇になった今も未読のままになっているのだ。もったいないなあ。だからもう、本を買うのはやめた。

 いまこそ暇だから制覇しようととりかかるのだが、なにかの調べごとで市立図書館に行くと、いろいろな本に目がくらんで、ついつい借りてきてしまう。だから未読本制覇はなかなか進まない。

 市立図書館で借りてくる本に、英語のペーパバックの3文小説がある。読むのに日本語よりも時間がかかるからヒマつぶしになる。こんなものを読むよりも、うちの本棚にある未読本を読むべきだと思いつつも、うっかり借りてきてよんでしまう。

 それでただいま読んだのが、Dan Brown著『Digital Fortres』である。1998年刊行だから、もう翻訳物『パズル・パレス』となっているらしい。
 読んでしまって、バカバカしかったなあ、時間の無駄だったと後悔したが遅い。
 その内容はネタバレになるから書かないが、ちょっと妙なところが気になったので書いておく。

 重要なキイとなる人物として日本人が登場する。その名がEnsei Tankadoと言う。
 これは漢字でどう書くのだろうか。姓は丹角なんてのは聞いたこともないし、名を円生と書いたら噺家になってしまう。
 Takado高戸とすればよさそうなものを、と思いつつ読んでいくと、あとのほうでこのTankadoのnが英語的に意味を持ってくるのであった。それにしてもおかしいよなあ。

 Tokugen Numakataという人も出てくる。この“沼形徳元”?さんは、akuta sameと業界では呼ばれているのだそうだ。akuta sameの説明が書いてあり、the deadly sharkだそうである。sameは日本語と分かるが、akutaも日本語なんだろう。どんな字を書いてdeadlyの意味になるのだろうか。
 この沼形さんの嗜好品にUmami cigerがある。旨味煙草であろうか。こういう銘柄の葉巻タバコがあるのだろうか。

 Soshi Kutaなる日本人らしい女性が登場する。この“苦田素子”?さんは、日本文化の基底には素数があるといい、俳句は3行に書き、5,7,5音だと解説する。なるほど和歌も都都逸も素数並びである。でも能は8拍子が基本であるよなあ。

 ダン・ブラウンには、日本文化についてチェックする人がいないのだろうか。これらは翻訳本にはどうなっているのだろうか。
 以前にJ・アーチャーの三文小説に、日本にはビルを倒してしまう草があることが書いてあり、その小説で重要な役割を持つのだが、これにはびっくりしたことがある。彼の本にも日本人が登場するが、D・ブラウンほどおかしな名ではない。

2013/10/05

839新歌舞伎座のタワーの頭に千鳥破風でも載せてちょっとはカブいてほしかった

 東京の歌舞伎座に芝居見物に行ってきた。建替えられた歌舞伎座建築の見物の意図もあった。
 芝居は昼の部で、通し狂言「義経千本桜」の序幕「鳥居前」、二幕目「渡海屋、大物浦」、三幕目「道行初音旅」であった。
 夜の部は見ていないが、四の切りが菊五郎で面白そうである。

 昼の部の芝居見物として面白いのは、「大物の浦」の場で、平知盛が船の大きな重そうな碇をかついでに海に投身入水する場面である。この知盛役は中村吉衛門であった。
 同じ役なのに幕が変わると、幹部級は別の役者に替わる。いろいろの名役者の芸を見られるのはいいのだが、違和感もある。
 たとえば、静御前は序幕では中村梅枝は細めだが、3幕目では坂田藤十郎となるとあまりに太目すぎて、どうにも興がそがれる。菊五郎との舞狂言は優雅なのだが、役者なんだから歳とってもそこのところは何とかしてもらいたい。

 それにしても能の「船弁慶」をもとしたこの二幕目は、よくまあ、ここまで改作できるものだと、実に面白い。
 能での知盛は、とっくに壇ノ浦の戦いで源氏に滅ぼされていて幽霊で登場するのだが、歌舞伎では、あの戦いではうまくのがれて、実は安徳天皇も生きていて、船宿の渡海屋のオヤジと娘に化けて、義経への反攻の機会を狙っている。だから大物の浦で源平合戦が行われて、ここで本当に平家は滅亡して知盛は死ぬのである。

 能では死んでいる知盛や平家の軍勢の幽霊が義経の船に襲いかかって、追い払われるのである。能には知盛が碇を担いで入水する「碇潜」(いかりかづき)があるから、これと「船弁慶」を合わせたのが二幕目であろう。
 もっとも、能の「碇潜」はそのもとを「平家物語」によっているのだが、平家物語で碇をもって入水自殺するのは、知盛ではなくて平教盛と経盛だから、そこでも改作がある。
 それが歌舞伎ではさらに改作が進んで原作から遠ざかり荒唐無稽にさえなるのだから、まさにそこが「傾奇」(かぶき)である。

 芝居そのものは歌舞伎ファンではないから、今日の出来が良いのか悪いのかわからない。外国人も見ているのだが、イヤフォンガイドがあっても、歴史的素養がないと面白くないだろう。
 劇中に入る時事ネタギャクが全くなかったのは、近頃はそういうのはやらないのだろうか。

 新しい歌舞伎座に建て替えられてからはじめて行ったのだが、中の見物席はなかなかよかった。祝祭空間としての華やかさはもちろんだが、椅子が大きく前後間隔が広くなったのが一番よろしい。

 問題は外観である。このことについては計画図面が発表されたときに書いたことがあるが、実物ができてもやはり同じように思った。
 つまり、新しい歌舞伎座の建築デザインは、傾奇(かぶき)になっていないのであった。歌舞伎が傾奇を忘れて、伝統に胡坐をかく芸能となったのか、なろうとしているのか、そんなことを思わせる復古コピーデザインである。

 傾奇デザインがお得意な建築家・隈研吾の出番は全くない。隈さんはあちこちにデザインについて発言されているようだが、実態的には保守系デザインがお得意な三菱地所設計の作品と見るべきだろう、と、思った。
 まあ、考えようによっては、和でも洋でも右でも左でも?どんな傾向のデザインでもできる隈研吾さんにとっては、これは彼の傾奇デザインのひとつには違いない。

 そのカブかない歌舞伎座建築の特徴は、歌舞伎タワーである。晴海通りの向かいから眺めて、黒い瓦屋根の上に建つ白っぽいタワーは、雨もよいのくもり空に巨大に建っていた。
 これまたカブかないデザインであることおびただしいのは、これは歌舞伎芝居の黒衣(くろご)のつもりなのだろう、いや、これは白衣というべきか。まあ、黒衣ならカブくわけにはいかないだろう。


しかし、せっかく隈研吾さんのデザインなんだから、あのドリックオーダーがぎょろりと突っ立った出世作のように、タワーの頭中央に千鳥破風(岡田信一郎デザインにあったように)でも載せた「傾奇タワー」にしてほしかった。こうすればようやくモダンデザインと伝統デザインが対決して、隈さんの現代建築家としての力量を発揮できたのだろうに、と思うのである。

  では、ちょっとやってみようか、戯れに、、。
あれ、なんだかチャイナっぽくなっちゃった感があるけど、
タワーが黒衣をやめてしっかりカブいて立ち上がったなあ。

●関連参照記事
・750建て直し五代目歌舞伎座の姿に斬新さは全く無いの ...
http://datey.blogspot.com/2013/04/750.html
・093歌舞伎座の改築
http://datey.blogspot.com/2009/02/blog-post_04.html
・716こないだ勘三郎が逝ったと思ったら團十郎までも死んで
http://datey.blogspot.com/2013/02/716.html
・459義経千本桜を能の目で見る
http://datey.blogspot.com/2011/07/459.html