(【麻布我善坊谷その1】のつづき)http://datey.blogspot.jp/2013/07/806.html
2.我善坊谷底の落合坂を行く(その1)
では徘徊開始!
六本木駅で地下鉄を降りて、駅付近の街の変化をウロウロと眺める。
地下鉄駅上の「ラクロス六本木」というビルには、わたしも昔に開発にかかわったことがある。岐阜県が土地の一部所有者だったので、県のコンサルタントをしたのであった。現ビル内を見ると岐阜県は撤退したらしく、県のアンテナショップも観光案内所もミニシアターもなくなっている。
当時の梶原さんとい県知事が主導した、岐阜県を東京を通じて全国に売り出すプロジェクトだったが、どうしたのだろうか。
にぎやかな六本木通りの裏道にはいると、墓場はまだ健在であった。繁華街のすぐ裏がこれだから面白い。向こうに見える超高層が墓石と競い合っている。すぐそばにも再開発ビルが建っている。
もうこのあたりならビックリする程でもない変化の街を、プチ浦島太郎気分で眺めていた。
起伏が多い街である。要するに山をそのまま街にしたのである。しばらく上り下りする細い裏道をヨロヨロ歩いて、アークヒルズの南、泉ガーデンなる巨大ビルの前までやってきた。
もう10年以上前になったが、アーク森ビルに慶応大学院の教室があって(今もあるか)、都市空間論の講義をしに週1回、5年ほど通っていたことがあるから、このあたりは記憶にある街である。
その記憶では、このあたりは坂道だらけの路地に、ちまちました家やらお寺が立ち並んでいたような気がする。巨大ビルと言えばアークヒルズくらいなものだった。今はたくさんの超高層ビルが立ち並んでいてずいぶん変わっているようで、浦島太郎気分になる。
でも巨大開発にはもう興味がないので、そちらには背を向けて、今日のお目当ての街へとさらに南へ都道放射2号脇の「行合坂」を南に下る。
行合坂の谷底から放射2号を背にして東に左折、ようやくにして本日の狙いをつけた「我善坊」に、西から入った。町名に台とついているから尾根かと思ったら、意外にも谷底の街だった。
この谷底の中央を東西に走る道を、「落合坂」というらしい。坂と言ってもかなりなだらかに下って行く。左右の街並みの奥に急な崖が立ち上がって、谷底街を挟み込む。
おお、この両側のゴチャゴチャ下町的雰囲気は、あきらかに高級住宅街イメージの麻布ではないなあ、丘も谷もいっしょくたに麻布台と町名変更したらしい。
江戸時代は我善坊丁、近代になって麻布我善坊町だったけど、そりゃあ麻布台のほうがイメージは良いのだろうが、でも、なんだかなあ。
なお、谷底街の東部の谷がおわって桜田通りの平地に開けるあたりは、かつては「西久保八幡町」といい、今も麻布台ではなくて虎ノ門と言っている。しかし、ここでは東西分けて呼ぶのが面倒なので、この谷底の全部を「我善坊谷」とよび、中央を東西に串刺しする道の全部を「落合坂」とよぶことにする。
まず我善坊谷あたりの拡大図。
車のすれ違いも難しい谷底の落合坂が東西方向に通り、やがて東の飯倉、神谷町方面の桜田通りに谷を抜け出る。
道の両側には低層の木造住宅やアパートが並び、一部に中高層の集合住宅ビルが挟まる。その背後は高さ30mほどの崖であり、その上の尾根から巨大なビル群が谷間を覗き込んでいる。
この谷地の南側が飯倉台地、北が仙石山とよばれている。
ここで記録としてわかりやすく写真を整理して載せる。実はグーグルストリートでこの道を見ればよく分るので、ここには精選して載せる。ただし左右の路地や坂などの面白さはグーグルストリートではわからないので、あとで詳しく載せる。
落合坂の正面に霊友会釈迦堂の大きな黒いピラミッド屋根が見える
この谷間の東のランドマークとなっているが、ちょっと不気味な感もある
左に仙石山の上にある集合住宅ビルが顔を出すのだが、
谷底から見上げるとかなりのスールアウトな風景
このほかにも超高層ビルが見下ろすのだがゴジラの群れみたい
もうこのあたりならビックリする程でもない変化の街を、プチ浦島太郎気分で眺めていた。
起伏が多い街である。要するに山をそのまま街にしたのである。しばらく上り下りする細い裏道をヨロヨロ歩いて、アークヒルズの南、泉ガーデンなる巨大ビルの前までやってきた。
もう10年以上前になったが、アーク森ビルに慶応大学院の教室があって(今もあるか)、都市空間論の講義をしに週1回、5年ほど通っていたことがあるから、このあたりは記憶にある街である。
その記憶では、このあたりは坂道だらけの路地に、ちまちました家やらお寺が立ち並んでいたような気がする。巨大ビルと言えばアークヒルズくらいなものだった。今はたくさんの超高層ビルが立ち並んでいてずいぶん変わっているようで、浦島太郎気分になる。
でも巨大開発にはもう興味がないので、そちらには背を向けて、今日のお目当ての街へとさらに南へ都道放射2号脇の「行合坂」を南に下る。
行合坂の谷底から放射2号を背にして東に左折、ようやくにして本日の狙いをつけた「我善坊」に、西から入った。町名に台とついているから尾根かと思ったら、意外にも谷底の街だった。
この谷底の中央を東西に走る道を、「落合坂」というらしい。坂と言ってもかなりなだらかに下って行く。左右の街並みの奥に急な崖が立ち上がって、谷底街を挟み込む。
おお、この両側のゴチャゴチャ下町的雰囲気は、あきらかに高級住宅街イメージの麻布ではないなあ、丘も谷もいっしょくたに麻布台と町名変更したらしい。
江戸時代は我善坊丁、近代になって麻布我善坊町だったけど、そりゃあ麻布台のほうがイメージは良いのだろうが、でも、なんだかなあ。
なお、谷底街の東部の谷がおわって桜田通りの平地に開けるあたりは、かつては「西久保八幡町」といい、今も麻布台ではなくて虎ノ門と言っている。しかし、ここでは東西分けて呼ぶのが面倒なので、この谷底の全部を「我善坊谷」とよび、中央を東西に串刺しする道の全部を「落合坂」とよぶことにする。
まず我善坊谷あたりの拡大図。
道の両側には低層の木造住宅やアパートが並び、一部に中高層の集合住宅ビルが挟まる。その背後は高さ30mほどの崖であり、その上の尾根から巨大なビル群が谷間を覗き込んでいる。
この谷地の南側が飯倉台地、北が仙石山とよばれている。
ここで記録としてわかりやすく写真を整理して載せる。実はグーグルストリートでこの道を見ればよく分るので、ここには精選して載せる。ただし左右の路地や坂などの面白さはグーグルストリートではわからないので、あとで詳しく載せる。
まずは落合坂を、西から東へ向かって進みつつ見る風景
落合坂の正面に霊友会釈迦堂の大きな黒いピラミッド屋根が見える
この谷間の東のランドマークとなっているが、ちょっと不気味な感もある
左に仙石山の上にある集合住宅ビルが顔を出すのだが、
谷底から見上げるとかなりのスールアウトな風景
このほかにも超高層ビルが見下ろすのだがゴジラの群れみたい
低層の町並みの正面の霊友会の右に東京タワーが現れた
谷は前後左右からビルやら塔やらピラミッドやらに見下ろされる
途中にクランクがあるのは江戸期は警察官舎の街だったからか?
風景としての霊友会釈迦殿と東京タワーのとりあいは悪くないのだが、
あのスキャンダルで有名だった宗教団体のイメージがどうもなあ
風景としての霊友会釈迦殿と東京タワーのとりあいは悪くないのだが、
あのスキャンダルで有名だった宗教団体のイメージがどうもなあ
手前も向こうも霊友会、このあたりは広い空き地、空き家が多い
ここから右に三年坂を登ると飯倉台へ、左に我善坊坂を登ると仙石山
ようやく霊友会から解放されて飯倉台の東端の八幡宮の森が見える
今度は逆に落合坂を東から西に進んで見る景色
桜田通りから入ると道がクランクする
ここから右に路地を入ると大善寺、左の路地は八幡神社の森に登る
左の八幡神社の森が切れると霊友会の巨大施設が表れる
このあたりは一面の空き地で、開発を待つ雰囲気
左は霊友会、右に高く見えるのは仙石山の森ビルによる開発
この十字路を右に行くと我善坊坂で仙石山の森ビルによる巨大開発へ、
左に行くと三年坂で霊友会釈迦殿の裏から飯倉台へ
左右の山上の巨大ビルと谷間の低層住宅や空き地との対比が興味深い
西の向こうの奥に見える高いビルは六本木ミッドタウン開発
右の高層ビルは仙石山の上の開発
地名に台とついているのがおかしい谷間の町並み
高層の集合住宅もいくつかある
この下町らしい風景は近い将来に大規模開発によって消えるらしい
というわけで、写真が多くなったが、近く消えてゆく風景の記録のためである。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
0 件のコメント:
コメントを投稿