2012/09/24

670半世紀ぶりの名古屋大学でキレイすぎる豊田講堂に再会

 先日(2012年9月13日)のこと、ほぼ半世紀ぶりに名古屋大学を訪れた。1963年の1年あまり、この近くのアパート暮らしをしたことがあり、散歩にちょくちょく訪れた。
 1960年に日本の建築界で話題となった名古屋大学豊田講堂ができて、建築家・槇文彦の日本での出世作となった。

 建築学生だったわたしも、そののびやかなスケールと、どこかル・コルビュジェを思わせるボキャブラリーにイカレタのであった。
 その現物が住まいの近くにあったのだから、訪れて感銘を受けたような気がするのだが、忘れていた。

 半世紀ぶりに訪れて思い出しつつ見る豊田講堂は、この間の歳月を忘れているような、あまりにキレイな建築であった。つい最近建てたかのように新しく、まるで原寸模型のようにシャキッと建っているのである。
 聞けば、最近のことだが大修繕したのだそうだ。荒れていた打ちはなしコンクリートの肌を、新技術で打ち直したのだそうだ。それが最も目につくのであった。

 そしてその再生打ちはなしのコンクリートの肌が、どうみても木目模様をプリントした壁紙を貼りつけたとしか見えないのだ。あまりにキレイすぎる。
 そもそもコンクリートの打ちはなし表現というものは、コンクリートという力強い素材をもって力学を視覚として表現するための手法だろうと思うのだが、こうもキレイでよいのだろうか。
 これを設計した槇文彦はどう思っているのだろうか。わたしは違和感をもって見たのであった。

 そのコンクリート肌の修復の技術そのものは評価するとしても、歴史的建築を修復するときの適用は、どう考えればよいのだろうか。豊田講堂ができたばかりの当時の姿を私は見ていることになるのだが、こんなにキレイであったかどうか記憶にない。
 だが、キモチが悪いほどのキレイすぎる修復はどんなもんだろうかと、見ながら思ったのであった。

 全体ののびやかな姿は、立地条件に恵まれて今も美しい。
 その遠目の構成はよいのだが、近くのよってみると、大仰な柱梁架構の表現が、大時代的な記念物の表現に見えて、わたしは好きになれない。
 柱と梁のナマな取り合いが、どうもこなれていない感がある。今の槇文彦なら、もっとうまく処理するだろう。
 機能的に新たなものが必要になったのか、裏側にガラスの建築がくっついている。講堂とはまったく異なる表現で、講堂への敬意をもっていることが宜しい。

 昔にわたしが散歩したころは、こんなに建物はたっていなかった。周りは雑草地に灌木がたくさん生えていて、野山の風景だったような気がする。
 いまはいかにも新しい建物もたち、大学らしいキャンパスになっている。でもわたしが参加したパネルディスカッションの教室は、かなり古そうであったから、半世紀昔に散歩したころにもあったのかもしれない。

 思い出せば、半世紀前に住んだその木造アパートは、東山動物園が近かったから、なにやら吠える声が時々聞こえる静かな住宅地だった。 2階の6畳間と3畳間のつつましい二人だけの生活は、やがて男の子が生まれて3人となった。
 申し込んでいた公団住宅の抽選に当たって郊外の新しい団地の2DKに移ったのは、アパート住まいが1年ほどたった後であった。
そのアパートあたりの半世紀後を見ようかと思ったが、時間がなかった。あのアパートが今もあるはずはないが、そばにあった千代保稲荷神社は健在であろう。    

0 件のコメント: