2011/09/22

498中越震災7年目の山古志と法末

 久しぶりに山古志を訪ねた。この前は中越震災から4年目の2007年の秋であった。ようやく一般人も山古志に入ることが許された年であった。
 そのときは2日間にわたって10数kmを歩いて、被災と復興の様子をながめたのであった。そのことは参照→http://homepage2.nifty.com/datey/yamakosi.htm

 同じところを4年ぶりに歩いて、その後の様子をみる予定であったが、9月なかばというのに猛烈な暑さで、熱中症寸前になって予定の半分も歩けなかった。
 詳しいことは、まちもり瓢論に書くことにするが、少ないながら生活の場が戻っていることがうれしく、そして山古志闘牛が復活していたのがおどろきであった。

 歩いているときに、偶然にも今日は闘牛が開催と聞いて、次にまた来ることはなさそうだと考えて2000円を支払って見物。
 1000人は入りそうな野外のアリーナである。うちはなしコンクリート表現で、なんだかモダンなデザインである。
 お昼過ぎからの開演で、16組の闘牛である。2頭の牛が頭と頭、顔と顔、角と角を合わせて、ぐいぐいと押し合う。牛が巨大なので迫力がある。
闘牛の動画http://www.youtube.com/watch?v=pb19ndTlThk

 勝負に賭けるのかと思ったら、それは一切なしで、原則として引き分けにする。それでも見れば勝ち負けの分かる場合もある。

 どうもこの闘牛は、元は牛飼いの遊びが、今は金持ちの道楽になっているらしいようだ。山古志の集落で育てているオーナーもいるが、東京とか新発田とか岩手だとかにいるオーナーの牛も出てくる。肉牛とあわせて闘牛も育てているらしい。
 だから観光の呼び物ではあるが、元来は地元の人々や牛の飼い主が楽しんでいるらしい。ヤマコシハルウララなんて名の牛もいれば、大勝力なんてのもいる。
 何番か見て途中で会場を出て、バスで小千谷にくだり、法末からの迎え車にのった。

 次の日は一転して寒いような雨となった。朝から雨中で稲刈り、ハサかけの労働。暑いよりは助かるので、けっこう能率が上がった。
 今年は、小正月に来て賽の神の行事、5月に来て田植え、今回の稲刈りで3回目である。
 2005年から震災復興の手伝いでやってきだしたが、いちじは月に2回もきていたものだたが、もう疲れてきた。
 稲刈りも体力がついていかなくなったらしい。休み休みに怠けてやっても、腰が痛い、足が痛い。
 震災から7年、集落の人たちも老いたし、わたしも老いてきた。人口は減少しても増えることはない。

 さて、7年先の三陸は?、フクシマは?