2011/12/31

562余はこともなし

本当は、世はこともなし、というのだが、世にはことがあり過ぎるし、余にはことがなさ過ぎるのである。
 一日が夜昼あって、間に睡眠という動物的行為があるから、これは明らかに変化の節目がある。
 しかし、一年が終わるといっても、突然老化が進むという時間が飛ぶわけじゃなし、起きてみたら別の世界にいるって環境が変わるじゃなし、この日から正しく生きようなんて心が変わるじゃなし、何の変化の節目もない。
 それなのに人々は騒ぐのはどうしてか、昔から不思議におもっている。
 
 わたしは、わざわざことをつくるべき理由がないから、普通なる時間をすごすだけである。
 年賀状も書かなくなった。その代わりに寒中見舞いを書くのだが、これは寒さという季節の節目があるからだし、寒いと人間は能力が衰えて病になるから見舞うのは妥当なる行為である。
 明日の朝は、いつもの元日のように雑煮を食うのは、生まれてからの習慣であり、これだけがわたしの唯一の正月らしいことである。
 なお、わたしは服喪という習慣が理解できないので、わたしの父母のときも普通にしていたし、人様のそれもほとんど気にしないので、ますます正月気分はない。

 そんなショウモナイことを言って年を越すことができるのは、これをもって平和であるというなら、余はこともなし。

2011/12/30

561大学卒業50年記念品

先月のことだが、大学同窓会から、大判の本ほどの箱が送られてきた。
 あけてみると、大学本館を描いた風景画を焼きつけたA4版ほどの大きさの陶板である。
 そうか、これは、食卓で使う鍋敷きであるな、寒くなって鍋物の季節を狙って送ってくださるとは、なかなか気が利いていると、ありがたくちょうだいした。

 陶板のほかに木製の架台のようなものもついている。
 あ、そうか、鍋の下に敷いてないときは、これに載せて食卓を飾るのであるか。ふむ、飾りにもなる鍋敷きであるのか、それも気が利いている。
 送り状に、卒業50年の記念品であり、有名な(らしい)画家が描いたもので、なかなか良いものであると自負していると、同窓会長が書いていらっしゃる。

 というわけで、同期の友人たちにメールで話題にしたら、いろいろ返事が来た。
 500年くらい経てば価値が出るからとっておくかとか、半世紀前の頃の風習のレベルを思い出させるとか、もう歳が歳だから無駄なものをなくす身辺整理中なのにこりゃ困ったとか、陶磁器趣味のヤツからはこんな代物をどうすんだよとか、なかなかの評判であるのが面白い。

 ひとつわかったことは、どうも勘違いしていたらしい。これは鍋敷きではなくて、純粋に部屋を飾る陶板画であるらしいのだ。でも鍋敷きにしてもいいでしょ。

2011/12/28

560核毒の森つくりが始まる

福島第1原発から出た核毒汚染物を、まとめて集めておく場所を決める手続きがようやく始まろうとしてきた。
 除染除染といってもしょせんは滅染ではないので、移動して集めるだけ、だからだんだんと毒が濃くなってくるばかりである。

 それら毒物質をあちこちに集めて置くわけにはいかない、どこかにまとめて集めて、毒が消えるまでおいておくしかないってことは、誰でも知っていることだ
 そして、その場所をどこにするかについても、ほぼ誰もが予想していることである。発生源の原発あたりに決まっている。

 ただ、誰もそれを言えないだけだ。いつまでも言わない、決めないってわけにはいかない。
 ようやくそれが動き出したらしい、

 細野環境相は28日、福島県の佐藤雄平知事や同県双葉郡の8町村長らと面会し、東京電力福島第一原子力発電所事故で放射性物質に汚染された同県内の土壌などを保管する中間貯蔵施設について、同郡内に国が建設することを正式に要請した。
 知事は受け入れに向けて地元の意向を尊重する姿勢を示した。町村長らが受け入れれば、今後、国は地元と建設場所を選定する。(中略)
 細野環境相は施設は1か所とし、同郡内に建設する理由に、▽推定の年間被曝(ひばく)線量が100ミリ・シーベルト超で除染を進めても住民の帰還が極めて困難な地域がある▽高線量で除染による大量の汚染土などが出る地域に近い――ことなどを挙げた。
 環境省が10月に示した工程表では、2013年度内に施設の基本設計や用地取得を終え、15年1月をめどに汚染土壌などの搬入を始める。
(2011年12月28日14時01分 読売新聞)

 どうもよくわからないことは、どうして当事者の東電が行かないのだろうか、ということだ。
 これでは事故は政府のせいになってしまっているが、それはおかしい。せめて社長が細野環境相とともに行動して、地域に対応するべきとおもう。

 原子力発電は国策だから後始末は政府がすべてやるんだというなら、これから以後、電気代はすべて税金にしてしまって、東電には収めません。
 この事故のために使っている税金からの支出は、東京電力が後で全部返してくれるんでしょうね。東電のためにわたしの税金を使うことは大反対です。

参照→核毒の森と海
http://sites.google.com/site/dandysworldg/kakudoku-woods

2011/12/27

559核毒マッチポンプ事業

東芝という会社が、福島原発事故で核毒に汚染された土や水を除毒(除染ともいうらしい)する事業で、一儲けしようと乗り出すとのニュースがある。

 asahi.com(2011年12月26日)にこうある。
 放射性物質で汚染された土や水をきれいにする新装置を東芝が開発、26日に公開した。コンテナに積んで移動させることもできる。今後は東北や関東などの自治体向けに「出張除染サービス」を売り込む予定だ。除染サービスの費用は1日数百万円を想定している。(以下略)
http://www.asahi.com/national/update/1226/TKY201112260524.html?ref=any

 たしか、東芝って会社は原子力の事業をやっているよなあ、事故を起こした福島第1原発にも絡んでいるのかどうかしらないが、これって典型的なマッチポンプだよな~。
 常識的には、無料でやるべきことである。はずかしくないのかしら。
 次は東電などの電力会社が核毒除去事業(除染事業ともいう)を始めるだろうなあ。
 なんでも、原子炉には製造者責任がないのだって読んだことがある。だから福島原発事故にメーカーは表に出てこない。
 原子炉作って儲け、事故で儲ける、これじゃあ事故がある原子炉を作るのがあたりまえだよな。

2011/12/24

558東京冬枯れ風景とコンサート

青山から護国寺まで、寒風吹く冬枯れ東京を歩いた。
 直線だと約5kmだが、表通りは嫌いだから曲がりくねった裏道ばかり歩くし、東京は結構坂が多くてよたよたするし、うろうろと道草を食うし、実際は6km余か、2時間かかった。

 うろうろの途中の風景ふたつ。
 ひとつは鉛筆ビルと超高層。左のビルは鉛筆ビルのようだが、実は俎板ビル(煎餅ビルとでもいうか)。
 多分、右の道ができたときに昔からの左の道との間にできた狭く長い敷地に建てたのだろう。
 東京や横浜にはこんな俎板ビルやら三角ビルがちょくちょくある。

 もうひとつは東京カテドラル。丹下健三の1960年代代々木体育館と並ぶ傑作。
 本体のHP曲線を描く意匠はすばらしいが、その足元のいろいろはどうもボキャブラリーが貧しい。
 信仰のないわたしには奇妙でおかしいのは、敷地の一角に何やら泥臭い洞窟とマリア像である。ヨーロッパの田舎にでもありそうな原始マリア信仰の場のコピーだろうか。



 この教会の北隣町あたりにある小さな教会で、知人たちのソプラノとピアノのコンサートを楽しみ、仕事仲間だった人たちにも久しぶりに出会って、帰りに一緒に学芸大学で途中下車、焼き鳥屋で久しぶりの宴会はやっぱり良いものだ。

2011/12/21

557紅白歌合戦がわからん

年末恒例のTV番組「NHK紅白歌合戦」なるものがあるってことくらいは知っている。
 今日の新聞に歌手と歌の一覧が載っている。
 で、見たら、歌手の顔とその歌のメロディーがセットでわかったのは、たったひとつだけ、石川さゆり「津軽海峡・冬景色」であった。

 大昔はこの番組を見た記憶があるが、トンとご無沙汰だし、もともと歌謡番組を見ないし、そもそもTVを見ないのだから、知らないのが当たりまえ。
 顔だけ、歌だけを思い出せるような気がするのは、和田アキ子、北島三郎、「北国の春」、西田敏行(この人は歌手じゃなくて映画俳優として見たことがある)、森進一であった。
 なんとなく目と耳に入ったことのある歌手と歌が、52組のうちで、たったこれだけ。

 それにしても「紅白」といい、「歌合戦」といい、懐かしい言葉である。
 いや、内容じゃなくて、女と男を「紅白」に分けるとか、バトルを「合戦」という言葉が、なんだかもう死語のようで懐かしいのである。

 あ、そうか、歌を知らないってのは、カラオケ嫌いだからだな。
 カラオケをやったことがないのではない。昔々ちゃんと仕事していた頃、営業カラオケをやったことがある。あれって馬鹿らしくてやっていられない。
 そういえば、営業ゴルフもやったことがある。なんの練習もなくてコースに2回出たが、1回目にドライブコンテストをとって、こんな易しい遊びは馬鹿らしくてやっていられないって、以後やっていない。
●参照→「ゴルフは易しい

 TV見なくてカラオケやらないでゴルフもやらない、これって時代遅れか、ならば、時代遅れでもいいや!。

 そうだ、カラオケに「一調」とか「一管」があるならやってみてもよいぞ、でも、わが能力で謡えるかなあ。
 まあ、あるわけないよなあ、需要が少なすぎて。

2011/12/19

556大橋正平戦場物語

中越山村の法末集落は、今年もまた大雪になりそうだ。
 そこの最長老の大橋正平さんは、今年91歳。カクシャクたるものとは、こういう人のことを言うのだ。
 昨年のことだが、正平さんから戦場の話を聞いた。アジア太平洋戦争では悪名高い負け戦のインパール作戦の生き残りである。
 ここに正平さんとご家族のお許しを得て、わたしのインターネットサイトに公開する。
 オーラルヒストリーとして、ひょうひょうたる口ぶりで語る戦争の悲惨さを味わってみてほしい。

●参照→「大橋正平 戦場物語
http://sites.google.com/site/matimorig2x/ohasi-syohei

●参照→「法末集落の四季
http://homepage2.nifty.com/datey/hossestory.htm

555ちなみに・こだわる・絆

今日の朝日新聞に、原発被災地の帰宅困難区域の設定に関する記事の中に、「大熊町長は帰還にこだわっている」という書き方があった。
 これだと町長は「帰還なんてどうでもいい些細なことにとらわれている」って意味だけど、本当にそうなのだろうか。
 本人がそう思って発言したのか、新聞屋が一方的にそう思い込んだのか。
 広辞苑を引用する。
こだわる:さわる。さしさわる。さまたげとなる。気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる。拘泥する。故障を言い立てる。なんくせをつける」

 このごろ「」って言葉が妙に流行している。
 なんでまた束縛されることが流行なんだろうか。
 たとえば福島原発の被災地で、地域のいろいろなしがらみがあって、遠くに避難できずに、核毒放射線が怖いけどやむを得ず子供とともに地元にとどまらざるを得ない母親たちは、本来の束縛を意味する絆には実は困り果てているだろう。
 そういう現地ではいえないような話が、インタネットの中には飛び交っている。
 絆を美しい良い言葉と思い込んだやつらは、いったい誰なんだよ。
 広辞苑を引用する。
きずな【絆・紲】:馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱。断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛」

 ちかごろ、接頭語に「ちなみに」ってつけるやつが多い。
 そしてその後に「ちなむ」ような軽いことじゃなくて、重要なことを言うのである。
 あのなあ、「ちなみに」って言ったら、その後は、まあどーでもいいけどついでに言うか、ってなことを言うべきなんだよ。

 まあ、言葉は時代とともに変わるけど、無知で使うヤツには困ったもんだ、聞いているこっちが迷っちまうよ。

参照→601絆を解いて民族大移住時代へ
http://datey.blogspot.com/2012/04/601.html

2011/12/17

554福島原発事故の政治的収束

今朝の各新聞社の社説の最初の2~4行である。各社のスタンスが現れて面白い。
 これを原発問題への各社の科学的対応と見るか、政治的対応と見るか。
 基本的には政治的対応と見るのだろうなあ、なにしろニュースのもとが政治的収束なんだろうから。
 としてその口調を見ると、政権スリヨリ度がなんとなくわかるのかもしれな。
 スリヨリ接近度の高い順に、産経、読売、日経、朝日、毎日、東京の順か。
 えっ、産経は反政権の超保守って思ってたけど、原発では近いのかい、あ、いや、政権が産経にスリヨリつつあるのかもなあ。

読売
 野田首相が、東京電力福島第一原子力発電所の「事故収束」を宣言した。発生から9か月、ようやく応急措置を終えたということだろう。
 新段階への移行を国内外に発信する意義は大きい。


日経
 福島第1原子力発電所の原子炉は落ち着いてきたにしても、「事故は収束した」と言えるのか。住民や作業員の安全確保を考えても政府の判断には疑問が残る。


朝日
野田首相がきのう、記者会見で福島第一原発事故の「収束」を内外に宣言した。
 周辺の人々が避難生活を強いられていることや、本格的な除染などの課題が山積していることに触れ、事故炉に絞った「収束」だと強調した。
 だが、そうだとしても、この時点で「収束」という言葉を用いたことは早すぎる。


産経
 福島第1原子力発電所の事故について、野田佳彦首相は原子炉が「冷温停止状態」に達したとして、事故の収束に向けた工程表の第2ステップの完了を宣言した。大震災で大破した原子炉が、初期の危険な状態から脱したことを意味する大きな節目である。


毎日
 世界に類のない重大事故発生から9カ月。政府が冷温停止状態を宣言したことで東京電力福島第1原発の事故対策が大きな節目を迎えた。
 原子炉の安定した制御は人々が待ち望んできたものだ。しかし、その実態は危ういバランスの上に乗ったものであり、本当の収束からはほど遠い。


東京
 福島第一原発の「事故収束」を野田佳彦首相が宣言した。放射性物質の放出や汚染水の懸念も残り、絶対安全の保証はどこにもない。廃炉までの長き道のりを考えれば、幕引きとはあきれ返る。

2011/12/16

553故郷の高梁で講演(予定)

  生まれ故郷の高梁で講演をすることになった(2012年2月5日午後 高梁市文化交流館)。

 20年ほど前にもあったのだが、故郷で話すには独特の心構えがいる。
 これまで仕事関係であちこちで話したが、住んだこともないところだと、いくら調査しても一般論となりやすいし、また、その街のことはある面では勝手なことが言える。
 その一方、聞いている住民たちには、よそ者の無責任な発言と思っているだろう。
 故郷で講演するとなると、今はよそ者だが、少年時代をすごして街も人もそれなりに知っているから、そのことを踏まえる必要があるので、これまでとはちょっと違うのである。
 故郷では仕事がらみではなくて、出身者としてなにか話せとのことである。
 まちづくり関係の話になるとしても、「まちづくりとは!」と大上段に話す必要もないし、それでは話すほうも聞くほうも面白くもない。

 どんな話をしようかと考えているうちに、わたしの少年時代の高梁の街と今のそれとを比べると、まちづくりの現代的諸課題がおのずから立ち上がってくるのが、われながら面白いと気がついた。
 少年時代の風景を頭に描きつつ、久しぶりに故郷の町を歩くと、変化していないところも多いが、当然ながら変化しているところのほうが多い。

 わたしの生家の神社はほとんど変わっていないのだが、その境内敷地や山林のすぐ外まわりでは変化が著しい。
 裏山のそのまた裏の山林だったところには、大運動公園ができている。
 畑や藪だったところには、戸建や共同の住宅が立ち並んでいる。丘の中腹にある境内から街を俯瞰することがわたしの楽しみだったが、いまはそれらにさえぎられて見えにくい。
 参道下の車は行き止まりだった道の先は、立派な道路ができて通り抜けできるようなった。

 だが、そんな風景も、見ているそのとき限りで、列車に乗って故郷を離れるともう、わたしの頭の中は昔の少年時代の風景に戻っているのが、おかしい。

 そのギャップをどう解釈するか、昔の風景を単に懐かしがるのではなく、まちづくりとしての展開にそれをどう考えていけばよいのか、そのあたりに新たな考え方がありそうだと、故郷でなければできない都市論があるかもしれないと、われながら楽しみにしている。

●講演会の詳細はリーフレットをどうぞ
http://homepage2.nifty.com/datey/20120205takahasi.pdf
●高梁論集はこちら
http://homepage2.nifty.com/datey/index3.htm#takahasi

2011/12/14

552放射線量測定器つき家電製品

家庭電化製品が売れないとのこと。
 そうだろうなあ、
 うちなんか7年前のアナログTV受像機(これで十分、わたしは見ないんだもの)、
 PCも8年前のXP(なんだか怪しい音を時々出す)、
 ヒゲ剃り機は20年前の景品(このフィリップス製品はすごい)、
 カメラは3年前に買ったセコハン(目視ファインダーつき、今は売ってないなあ)、
 冷蔵庫は9年前、洗濯機は去年(9年前のが壊れた)、
 ラジオは20年前、CDコンポはいつだたっけか?、
 てなもんである。

 で、家電製品業界に起死回生の販売促進秘策を教えます。
 あらゆる製品に放射線量測定器をつけるのである。
 TV画面には、「ただいまのこの部屋のセシウム132の線量は1000ベクレルです、至急逃げましょう」なんて出てくる。
 カメラで風景を写すと、写った場所の線量が示される。
 洗濯機だって、「この洗い物は1000ベクレルです、すぐ捨てましょう」って表示が出るのだ。
 ヒゲソリ機だって、「ただいまそったひげの中には800ベクレル、あなたは内部被爆しています」なんてね。
 冷蔵庫は便利ですよ、「ただいま入れたニンジンは、、、」なんて、いちいち教えてくれると、もう何にも食っていられなくなる。
 プレファブ住宅や建売住宅にもつけておいて、一定以上の線量になるとザ~ッと清掃が始まる自動核毒掃除機(除染装置ともいう)つきで売り出すといいね。

2011/12/11

551ふたつの美観地区

ふるさと高梁の紺屋川美観地区で、クリスマスイルミネーションをやっているという。
 紺屋川沿いは美観地区と名づけているが、美観地区といえば元祖は倉敷である。倉敷まで電車で30分ほどの高梁だが、どうも倉敷のほうが有名であるのは仕方がない。
 ちょっと二つの美観地区を比べて見てみよう。

 どちらもそれなりに個性的であるが、大きな違いは倉敷の美観地区は徹頭徹尾観光地区になっていることで、高梁は観光もあるが基本的には生活の町である。
 この違いはどちらが良いとか悪いとか言うのではない。立地がそうさせたのだろうが、観光写真にしやすいのは倉敷である。


 わたしの好みから言うと倉敷美観地区は、あまりにも川柳といい土蔵の町並みといい、どうも絵になりすぎる風景で、その統一感がいささか気持ちが悪い。
 それでもナマコ壁土蔵ばかりのなかに、昔の町役場の擬洋風建築と大原美術館の洋式建築が顔を出していて、ちょっとは救われる。街は程よい程度のざわめきのある風景がよい。

 ここへは少年の頃から大原美術館を訪ねて何回も行ったことがあるので、昔の姿も覚えている。もちろん今ほどになまこ壁の町並みはそろっていなかったし、土産物屋もなかった。
 高梁美観地区にもなまこ壁の蔵が、紺屋川下流の老松橋南の高梁川との出会うあたりにある。かつて高梁川が水運の道であった時代に活躍した建物だから、倉敷の蔵と機能的には同じだろう。歴史を思わせるとはこのような風景だ。

 ついでに言うが、その蔵の前の道の向かいにある紺屋川の堤防立ち上がりに、ペンキでなまこ壁を描いている。それが今はハゲてきて美しくないのだが、はげてなくてももともとペンキ塗りが奇妙であった。本物にしてはどうか。でなければ真っ白ペンキのほうが良い。

 倉敷が今に至るような歴史的町並み風景を作り上げていったのには、バックには倉敷の財閥の大原家がいただろうが、それなりの先進的な努力があった。
 なかでも美観地区の周辺に高い建物を建てさせないようにする背景条例の制定は、1970年代という実に先進的な施策であった。ただ、これほど観光商業的な風景を予想していたのだろうか。

 高梁も1970年代から倉敷に追随するように、紺屋川美観地区や石火矢町ふるさと村などの歴史的環境整備に力を入れだしたのであった。
 倉敷の美観地区の風景の特徴は、倉敷川の水面に写る柳や家並みの情緒がある。
 しかし、高梁の紺屋川はいつもはほとんど水が流れていない。だから、川底に散歩道を作っていて、いくつもの小さな橋をくぐっていくことができるのが面白い。

全文は→ふたつの美観地区(紺屋川:ふるさとの川その3)

2011/12/10

550月蝕記念写真

ただいま月蝕進行中。バルコニーから見上げたら、三日月に近い。
写真を撮ったが、実際とは違うなあ、ズームにしてだめ、フラッシュたいてもしょうがないよなあ。
もっと高級カメラじゃないと無理か。
まあいいや、とりあえず2011年12月10日月蝕記念。

2011/12/09

549自作2012年手帳

いまどき紙の手帳は時代遅れかと思えば、文房具屋には今年も手帳を売っている。
 わたしもず~っと紙手帳を使ってきているが、だんだんと記入が少なくなってきた。
その原因は、わたしが仕事の現役でなくなったこととともに、携帯電話機やPCなどデジタル機器に書くことにもある。
 それでも一応は紙手帳を持っているのは、メモ帳とカードと札入れのためである。

 これまでに使った手帳が保存してある。最も古い手帳は1974年であるから、結構な数である。
 その日の行動しか書いてないが、見ればそれなりに思い出すことが多い。昔は毎日こんなにも書き込むほどに、あれこれとやることがあったのだなあと、感心してしまう。
 1ページに1週間、しかも週ごとに罫線だけのページもあった。いまや手帳のスタイルも簡単になって、1ページに1か月分でよくなった。
 日記は書いていないから、手帳ストックを見ながら思いだして自伝でも書くなあ、ボケないうちに。

 わたしの2012年の手帳は、100円均一店で手帳型の「名刺ホルダー」を買ってきて、こいつに自家製の日付書き込み手帳を貼り付けただけで、名刺の代わりにカードを入れる。
 今年の手帳からこうしているが、けっこう便利に使えるし、見栄えもよろしい。
 自家製日付書き込み手帳は、WORDでつくって、机上のプリンターの冊子印刷指定で裏表プリントしてつくった。
●簡単な紙の手帳がほしい人は下記からWARDデータのダウンロードをどうぞ
http://goo.gl/sWaKp

548ずるがしこい代物

「スマホ」たあなんだ、「スマフォ」だろ!
 スマートばやりらしい。スマートフォン、スマートグリッドくらは聞いていたが、先日ラジオで「スマートドライブでお気をつけて」なんていってた。
 日本じゃあ昔からスマートっていうと、やせた男の格好いい様子を言ってたものだ。
 スマートフォンは、細身の薄い痩せてる電話機のことかしら。
 英語のsmartは、賢いって意味だけど、いろいろな使い方を見ると、どうもズル賢いって意味が潜んでいるようだ。オリコウチャンネエ、とか。

 WIKIPEDIAを見たら、スマートIC、スマートエントリー、スマートカー、スマートガラス、スマートカード、スマートグリッド、スマートセンサー、スマートシティ、スマートドラッグ、スマートハウス、スマートメーター、スマートフォン、スマート爆弾が書いてある。
 いちいち中身を見るのは馬鹿らしいから想像することにしたが、それでもわからない。

 スマートカーってのは、裏道なんかを走って狡賢く運転できるのだろう。
 スマートガラスってのは、例のこちらからは見えるけどあちらからは見えないガラスだな。
 スマートシティとかスマートハウスってのは、狡賢い人たちが住んでいるんだな。
 スマートメーターを取り付けると、電気代とかガス代とか狡賢く表示して安くなるのかもなあ。
 スマートフォンをもってる人はみんな狡賢いのかしら。
 スマートカードのクレジットカードで買い物すると、支払い金額は実際よりも安くなるとか。
 スマート爆弾ってすごい。何の前触れもなく爆発して、知らないうちに殺されちゃうのだろう。まあ、武器にずるいも賢いもないけどね。
 わたしは「スマートシニア」っていわれないように気をつけよう。

2011/12/08

547古臭い地震命名

神奈川県では大地震でやってくる津波の高さを、ド~ンと高く予想し直すことにしたという。
 鎌倉では相模湾から押し寄せてきた津波は、2キロ奥の八幡宮の裾までやってくる。わたしが8年前まで住んでいたところは、さらに奥だから大丈夫らしい。
 ところが、8年前に引っ越してきた横浜都心の今の家は、津波に襲われるらしい。おやおや、そうとは知らずに危険なところに引っ越したのか。

 でもまあ、共同住宅ビルの7階にある空中陋屋借家だから、うちまでは波は到達はしないだろう。
 もっとも、3.11地震では津波でビルがバタ~ンと横倒しになった例もあるから、安心してはいられない。

 鎌倉市の中心部は、都市計画の景観地区や高度地区指定で、15m以上の建物は禁止だから、14.4mなんて津波高さだと、屋上避難しても攫っていかれるかもしれない。
 世界遺産になるかならないかって景観よりも、人間の命のほうが大事だと、避難用の特例高さビルを作るのか。
 それとも周りの丘陵のあちこちに、逃げてのぼりやすい道を作るか。こちらのほうがやりやすいだろう。

 それにしても、地震の命名はどうして明応地震(1498年)、慶長地震(1605年)とかって、元号なんだろうか。貞観地震というのもあるなあ。
 阪神淡路は昭和地震、今年の3.11地震は平成地震といっているのかしら。
 どうして、1498地震とか、1605地震とか、1995地震とか、2011地震とか言わないのだろうか。
 元号では、今から何年前におきたことなのか、どれくらいの間隔で起きているのか、そのような歴史感覚がともなわないだろうに。
 命名者は地震学会か何か知らないが、古臭いところである。

2011/12/07

546伊達という姓について

わたしの姓の伊達は、伊達政宗なんて歴史上の有名人がいたから、それなりに知られていて、珍しいようでいて極端な難読でもない。
 ちょっと変わっている程度で他人様に覚えていただけるには都合が良い。逆に忘れてほしくても覚えられているという難点もある。

 伊達のよみかたはダテであるが、大昔はイダテ、イタテ、イタチであったそうだ。そういえば、イタチさ~んと銀行だったかで呼び出されたことがある。
 ローマ字で書けばDATE、外国ではミスターデイトである。
 伊達政宗が1613年にローマ法王に送った書簡には、IDATEと書いてあるし、近世の仙台伊達家では、伊達に振り仮名をつけるときは故実として「いだて」としていたとも伝える。(これらは孫引きだが「仙台市史資料編10『伊達政宗文書』」にあるそうだ)
 15世紀始めころにはダテというようになって、故実としてイダテを使ったらしい。(これも孫引きで、小林「伊達政宗」吉川弘文館)

 広辞苑で伊達を引くと次のようにある。
だて【伊達】
(一説に、「立つ」から。人目につくように形を表す意)
・ことさら侠気(キヨウキ)を示そうとすること。人目をひくように、はでに振舞うこと。
・好みがいきであること。あかぬけて洗練されていること。さばけていること。
・見えを張ること。外見を飾ること。「―めがね」

 この派手とか見栄とかにかかわる意味は、伊達政宗の軍勢が派手な格好であったことからそのような意味が出たと俗説にいう。
 しかし、伊達政宗以前にダテなる言葉はあったから、政宗のせいでこういわれるのは間違っているという説があるらしいが、政宗の軍勢の格好が派手なのでダテをもって派手好きという評判が立ったことも、その俗説を補強しているとも。
 ダテ男、ダテ眼鏡、ダテ姿、ダテの薄着、、どこか軽薄さが漂う。なお、わたしの眼鏡は遠近乱のまじった本物のレンズが入っている、ネンノタメ。

 この数年前から、宮城、仙台あたりで「伊達な国づくり」とかいって、ブランド化を図るネーミングに使っているから、今ではちょっとは良いイメージもできたか。わたしのブログ名「伊達な世界」もそれにちゃっかり乗っかったのである。
 
 まあ、どうでもよろしいが、わたしの伊達姓は仙台の伊達家とは関係なくて、先祖のひとりが岡山県北にある伊達という地区からの出であると、父に教えてもらった。
 ではその地名はどうしてできたのか、そこまでは知らない。
 ただ、ダテがタチから変化したとしたら、そこに大きな館(タチ)、たとえば領主の館があったことに由来するかもしれない。
 昔、田中館(タナカダテ)愛橘という科学者がいたが、多分、田んぼの中にある館という由来があるのだろう。わたしの母方は田中姓だから、わたしこそタナカダテである。

 30年くらい前のことだが、仕事で宮城県庁に行ったとき、名刺を出してぎょっとされたことがある。あのあたりでは伊達姓はお殿様系だけで珍しいらしい。
 またあるとき、相馬*胤さんという方に会ったことがある。名詞を出したら難しい顔をされた。聞けば、福島のお殿様の相馬家の末裔とて、むかしむかしは北隣の仙台伊達藩にいじめられた小藩として積年の恨みがあるのだとおっしゃる。あわてて弁解?したのであった。
 あ、相馬といえば、現代では南隣のほうから核毒でいじめられていて、お気の毒なことである。

2011/12/06

545生活景と造園景-故郷の谷川の公園

●谷川に出現した滝石組
 狭い谷川に沿た道をだらだらと登っている。両側の山の森と谷川の間には、雑木林や狭い畑と農作業小屋があったりして、日本の原風景の趣もあって楽しい。どうってこともないのだが懐かしい風景である。
 と、こ谷の向こう岸に突然、にょっきりと巨大なとがった屹立する2本の巨岩が顔を立っている。
 ふむ、支流の谷かと見れば谷はなし、岩がすっくと直立しすぎているし、周りには似たような石はまったくないし、どうも不自然に見える。
 巨岩の間によく見るとその2本の間には石垣が積んであって、水が流れ落ちているのがみえる。下のほうにも巨岩がいくつか転んでいて、滝つぼのようなものを作っている。
 自然でこううまくは並ぶまい。そうか、これは日本庭園によくある滝石組らしい。2段の竜門瀑かしら、そう思ってみると、下のほうに滝を登る鯉を模した鯉石のようなものもある。これは造園工事だな。
 でも、ここは日本庭園でもなし、どうしてだろう。

●続きと全文は「生活景と造園景-故郷の谷川の公園
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/seikatukei-zouenkei

2011/12/05

544被災地に賃貸住宅政策を

東北の震災地域では、復興に向けての市民参加の街づくり計画策定の動きが著しいようだ。
 高台移転か現地再建か、それはそれぞれの人生の時間がもとになっているから、理想と現実の狭間に多くの人たちが落ち込んでいるだろう。
 これから続くひとりひとりの生きる時間を推計しながら、そのために復興という名目で短期に投資をすることが果たしてどれだけ有用なのか、迷うことだろう。地域への投資の時間と、人生への投資の時間とのギャップをどう乗り越えるのだろうか。

 しかも共同の街づくりとなると、一人一人の時間をみんなの時間に置き換える必要があるから、ことは複雑である。たとえそれが一致したとして、新たな街ができて地域社会の再建が一時はできたとしても、人の命はそれぞれに異なる。
 高齢社会でしかも後継者の少ない少子社会では、再建した地域社会はどこまで保つのだろうか、その不安は付きまとうだろう。
  中越震災復興の山村の現状を、いまこそ検証する必要があるだろう。投資効果だけで判断してはいけないのはもちろんだが、復興はどう生活を支えることができたのだろうか。
 わたしが見てきた中越被災山村でのこの7年間の経験は、単純には評価できないものがある。
 
 気になっていることは、住宅の復興が経済政策としての旗振りとなってしまって、社会政策であることを忘れはしないだろうか、ということである。
 日本がアジア太平洋戦争からの復興にあたって、当初は社会政策としての住宅づくりであったものが、60年代から経済政策になっていいった。
 庶民に大借金をさせて仕事場から遠い郊外に小さな住宅を持たせて、保守中流層にすることで55年体制を維持したのである。
 一生かかって返すような大借金しなければ家に暮らせないなんて、こんなおかしなことはないと思う。
 その体制が崩壊した今、いまだに日本には住宅問題があることが見事に露呈した。
 衣食住の前2者がファッションとグルメになったのに、最後の住だけは2重ローンとか、住宅難民とか、ホームレスとか、幾多の問題を抱えている。

 そして震災はその問題をさらにむき出しにしている。大地震は高齢社会における地域の消滅スピードを、ど~んと背中をたたいて押してくれた。
 また経済政策としての住宅作りを、このたびの大震災の後にもやるのではないかと気になる。しっかりと公営住宅を建て、賃貸住宅政策を促進するべきである。
 高齢社会のまっただなかの被災者たちが、借金をしなければ住宅にすめないような持ち家優先政策は、あきらかにおかしいと思う。
 不動産屋的復興政策を排除するべきである。

 それにつけても思うのは、原発被災地では復興を言葉にさえできないことである。
 除染(この言葉は除汚の間違いのような気がする)をどうするのか、いや除汚ができるのかどうかさえわからず、その先をいうことさえできない。
 そういう現実に直面しても、それでも原発はこれからも存在するのか。

                                 核   

          太郎を眠らせ、太郎の屋根に核ふりつむ。

          次郎を眠らせ、次郎の屋根に核ふりつむ。

2011/12/02

543知らない流行語2011

今年の流行語賞なるものが新聞に載っている。
・「帰宅難民」
・「絆」
・「こだまでしょうか」
・「3.11」
・「スマホ」
・「どじょう内閣」
・「どや顔」
・「なでしこジャパン」
・「風評被害」
・「ラブ注入」
 わたしが知らない言葉は、まず「こだまでしょうか」である。
 これってTVCMらしいが、「のぞみ」や「ひかり」じゃなくて「こだま」にも乗ろうってJR東海の広告なのであろう。なんでこれが流行なの?
 次に知らないのが「どや顔」、ドヤに泊まっている人の顔のことなんだろうなあ。
 次が「ラブ注入」だけど「楽しんご」もあわせてサッパリわからない。

 要するにTV番組を見ないと流行遅れになるらしい、という程度のことである。
 で、結構震災関係言葉が多いのに、どうして「脱原発」と「想定外」が入らないのだろうか。
 「TPP]とか「ユーロ危機」がなぜ入らないのか。
 どうやらイデオロギー的なにおいのする言葉を避けているらしい。そこにこの賞のがどの程度のものかを物語るものがある。

 プロ野球に興味はないけど今日のニュースがらみでついでに書くが、「ディー・エヌ・エー」(DeNA)とか言う企業が参入するそうだ。
 で、なんでもオーナー会議で「楽天」が参入反対だったそうだ。つまりその企業の持つDNAに対して最も楽天的でなかったのが楽天である、ということだな。

関連→知らない流行語2009
http://datey.blogspot.com/2009/12/209.html

2011/12/01

542飯倉界隈魁偉ビル

 ふらふらと飯倉あたりを歩いていて、容貌魁偉なるビルに出くわす。
 なんだか壁に草でも生えいるよだが、それにしても整形過ぎるし、赤い鉄骨はナンだ?
 ふむ、あの赤いのはビル本体じゃなくて窓ガラスに映りこむ東京タワーであった。
 奇妙な形の壁の緑はと近寄ってみると、蔦類を植えたスポンジ板を窓枠内に貼り付けてあるのだった。
 ほ~、それにしても植物の自然形態を無理矢理に幾何学模様にはめ込んだところが、無理なような、面白いような。東京タワー映りこみも計算のうえだろうな。

 飯倉交差点に向けて坂を下る途中にある教会。
 アングリ大口開けた一つ目小僧に飲み込まれそうだ。

 飯倉交差点の角の建築業界的には有名なNOAビルは健在であった。
 白井晟一のデザインの魁偉さをそのままに、赤レンガ土台の上にドラム缶タワーが逆光を浴びて黒々と立ち尽くしていた。

2011/11/30

541トラブル復旧・疲労回復

NIFTYメール送受信サイトで、迷惑メールフィルターが利かなくなるトラブルがあったが、直った。
 で、NFTYが書いている詫び文の一部がこれ。
「現在、トラブルは復旧しております」
 あのなあ、これじゃあトラブルがまた起きてるってことになるじゃん。
「現在、トラブルは解消しております」でしょ。

 今もあるかどうか知らないが、昔、健康飲み物のTVCMでこう叫んでいた。
「疲労回復、りぽびたんでぃ~っ]
 あのなあ、これじゃあ疲労が戻って来るんだよ、そんなものだれが飲むかよ~。

540またかよ~口は災い

またかよ、ってなニューズである。
 防衛省の田中聡沖縄防衛局長が記者団との非公式な懇談で不適切な発言を行ったとして更迭された。
 こういうことだそうだ。
 田中氏は28日夜、那覇市内での記者懇談で、防衛相が辺野古移設への環境影響評価書の提出時期を明言していないことについて女性を乱暴することに例え、「犯す前に(これから)『やらせろ』とは言わない」などと発言した。(読売新聞)
 田中局長は「『やる』前に『やる』とか、いつごろ『やる』とかということは言えない」「いきなり『やる』というのは乱暴だし、丁寧にやっていく必要がある。乱暴にすれば、男女関係で言えば、犯罪になる」という趣旨の発言をしたと説明。一川防衛相は更迭することを決めた。(朝日新聞)
 本紙記者が「政府はなぜ『年内提出する』と明言しないのか」と問いただした。すると、田中局長は女性を乱暴することに例えて「これから犯す前に『犯しますよ』と言いますか」と応じた。(琉球新報)

 なんともお品のない会話である。
 官僚もマスメディ屋も常識のある大人たちだろうに、こんなことを言うのかしら、フツー。
 もしも言ったとしても、その場で注意しあうのが大人だろう。
 官僚がひっかったとすれば、引っ掛けたマスメディ屋の作戦勝ち、しょせん藪の中であるが、こういうときはマスメディ屋のような声の大きい方が勝つにきまっている。
 ちょっと前にも、鉢呂さんとかいうお方が引っかかったよなあ。

 参照→福島原発周辺は死の町

2011/11/27

539宇宙遺産時代がきた

以前にこんなことをわたしのサイトに書いたことがある。
「う~む、今の世界遺産登録のうちの文化遺産の数は700件ぐらいかな、そういや、なんだか少ないなあ。だって文化ってのはその地域ごとにそれぞれ固有のものがあるんだな、それをあっちは登録に値するけどこっちは値しないなんて、地域文化に上下の差別つけちゃあいけないよ」
「そうそう、そもそも文化財は、市指定より県指定が上で、それより上が国指定で、もっと上等なのが世界文化遺産だなんて、だれが考えたんでしょうね。こうなりゃもうひとつ上の宇宙文化遺産ってのをつくって、その第1号登録はガガーリンのスプートニク、第2号は月にある人間の足跡ってのはどうです」
裏長屋の世界遺産談義http://homepage2.nifty.com/datey/kama-sekaiisan.htm

 今朝(2011年11月27日)の朝日新聞にこんなことが載っている。
「人類が初めて月に降り立った米アポロ計画での着陸地点を「歴史的遺産」として立ち入り禁止にする指針を米航空宇宙局(NASA)が検討していることがわかった。(中略)
 アポロ計画では、1969~72年に計6回、宇宙飛行士を乗せた宇宙船が月に着陸した。それ以降、人類は月に行っていない。朝日新聞が入手した指針案では、着陸地点や月面の機器類を「歴史的・科学的にかけがえのない遺産」と位置づけている」

 これってまさに宇宙遺産のような話だなあ。
 日本に関する宇宙遺産はなにがあるのだろうかねえ、小惑星「イトカワ」にある「はやぶさ」の痕跡かしら。
 無理を通して富士山とか鎌倉とか世界遺産にしようなんて言わないで、宇宙遺産を目指してはいかがでしょうか、文化庁さん。
 あ、今日は鎌倉で世界遺産に関する市民ワークショップがあるんだ、余計なこといってさげすまれてははいけないな、気をつける。

2011/11/26

538江戸タワーと東京タワー

芝の増上寺の三門が、ただいま特別に一般公開中で、2階に登ることができると知人が教えてくれた。
 あの門の上からの風景はどんなものだろうか、広重の浮世絵にあるような芝浦の海が見えるわけはないが、それでも比較してみたい。
 入場料500円を自動販売機で買って、三門に登る梯子の下の受付の女性に渡す。ふと見ると梯子の手すりに「写真撮影禁止」と書いてある。
 え、でもこれは多分、中にある仏像のことでしょ、こちらは仏像には興味なくて、外部の風景だから撮影はOKだよな、でも念のために、受付女性に聞いた。

「あのー、撮影禁止って内部のことで、外の眺めはOKね」
「いいえ、それもお断りしています」(あ~っ、聞かなきゃ良かった、もう遅いか)
「え~っ、だって外の景色ですよ、それがなぜいけないの」
「だって、外を撮るカメラを回して中を撮る人がいるでしょ」
「宗教法人なのにケチですねえ」(お寺さんが人を疑うようになっては世も末だなあ)
「景色といってもビルばかりですよ」
「それを撮りにきたんですよ、ダメなら500円返してよ」
「ここには現金がないのです」(券売機に内外写真禁止と書いとけよ)
 後ろに行列ができているし、しょうがないから登ることにした。

 内部といっても、木組みにはすこし興味あるが、仏像群には何の興味もない。
 もっぱら景色を眺めていて、ふと足元の注意書きに気がついた。
「三門内撮影禁止 ご協力ください」
 ということは、三門「内」撮影禁止だから、三門「外」はいいんだよな、うん。
 で、これが三門二階から大門方向(東方向)を望む風景。

 広重の描いた「江戸名所 芝増上寺 従山門上市中眺望之図」はここに載っている。
http://www.lib.city.minato.tokyo.jp/yukari/j/ukiyoe-zoom.cgi?id=6&num=photo3
 同じ角度では撮影できないし、そもそもデフォルメがあるし、あまりにも変わりすぎていて今昔の比較を超えている風景となっている。
 江戸時時代のひとたちも、こうやって高いところに登って景色を見たいってのは、その後の東京タワー、そしていまやスカイツリーと、現代人と同じであった。
 増上寺三門は「江戸タワー」であったのだ。

 増上寺境内だった芝公園の中には東京タワーが建っているから、まさに江戸タワーの後継者であったのだと、その立地の由緒正しさを今ごろになって知った。
 江戸タワーに登ったついでに東京タワーにも登ろうかと行ってみた。
 え、1420円もするのかあ、それで250mじゃあ、無料で202mの東京都庁展望階のほうがいいなあ、なんて、懐勘定が先にたって引き返したのであった。
 独りで登るのはもったいない、出直して誰かとわいわい騒ぎながら登ろう。

 東京タワーはわたしが大学生時代に、日々高くなっていくのを眺めたという青春のシンボルタワーなのだ。
 でも、実は東京タワーに登ったという記憶はあるのだが、それがいつのことか思い出せない。40年以上も前だったような。
 このところスカイツリーばかり評判なのが、ちょっとシャクである。
 こうなったら、「東京タワーには登るけどスカイツリーには登らない会」を作ってやるか。会員兼会長はわたし一人か。
 そういえば、だいぶ前に思いついていたことに、「東京ディズニーランドに入らない会」ってのがあった。今となったら、入ったことのない人が自慢になる。
 わたしは実は裏門から一度だけ、ご招待いただいて入ったことがあるから、会員の資格がない。でも、正面から金を払って入ったことがないので、会員資格ありとするか。

2011/11/25

537【くたばれ乗用車】人を撥ね飛ばす車BMW広告

この広告を出した企業BMWは、こんな賞賛を受けることを期待しているに違いないから、ご期待に沿うことにする。(朝日新聞2011年11月25日 13版 10ページ)
「山あり谷ありを愉しくする…」って文句で、スキー場にはいり込んだBMWが、スキーヤーを撥ね飛ばした写真が載っている。
 すごいねえ、山や川、スキー場だって平気だ、どんどん車で入り込んで、人を撥ねて愉しむんだってさ。
 
 普通は、こうはなかなか言えるものではない。自動車屋の本音を吐露した貴重な広告として、保存に値する。

 今日の朝日朝刊には、自動車広告が多い。ついでにあげつらう。
 Mercedes-Bebzの広告の文句は、ナントカカントカ波で「…あなたを守ります」って、新興宗教みたいだが、これって当然、歩いている人を守るってことですよね。

 VOLVOの広告の文句には「…常に人を第1に考える製品哲学…」とあるから、これも当然に歩く人を第1に考えるってことでしょう。

 SUBARUの広告の文句は「こいつとなら、とべる」とある。なるほど、歩行者を轢き殺しそうになったら、パッと飛び上がるんですね、エライっ。

 Golfの広告文句は、「1.4本分 1495本分」とあって、クイズである。読んでもなんのことかわからないまま。

2011/11/21

536ラーメンと歩道橋

東京のあるラーメン屋が、日本来訪中のブータン国王のご要望で、ラーメンを献上にいくので午後は休業というBLOG記事を発したところ、本気にして問い合わせした人、そんな不敬なる冗談はけしからんと怒る人で、サイト炎上したとか、そんなネット情報が流れている。
http://www.j-cast.com/2011/11/20113703.html?p=all
 このネット情報そのものが、もしかしたらタイアップ宣伝かもしれないが、冗談を真に受ける人が多いのは、ネット言語社会が未成熟なる証拠である。

 この店は、ちょくちょくこういう冗談口を流しているのだそうだ。おもしろい。
http://jirora.blogspot.com/2011/11/blog-post_1911.html
「さてさて毎度急で申し訳ありませんが、臨時休業のお知らせです。本日19日土曜日昼の部、目黒店はお休みさせて頂きます。国民総幸福(GNH)が高い指標を誇るブータンの国王夫妻が来日中で、ラーメン二郎を食してみたいとのご要望があり、赤坂迎賓館まで出向いて参ります。美男美女の国王夫妻に幸せのとどめを刺して参ります。夜は真面目に営業いたします。何卒よろしくお願い致します。」

 未成熟なるネット社会で、わたしも「横断歩道橋は素晴らしい」という冗談記事を、わたしのサイトに乗せたら、まじめにお問い合わせがいくつかきて、弱ったことがある。
http://homepage2.nifty.com/datey/m3hodokyo.htm
 しょうがないから、文章の後に「これは冗談です」と追加記入したものである。
 まったくもってネット社会は、用語も言葉遣いも間違いだらけの日本語だし、パロディや皮肉、冗談が通じない、つまらないところかもなあ。

ーーーーーーーーーーーーー990610ーーーーーーー
横断歩道橋は素晴らしい   伊達美徳

●横断歩道橋は安全安心社会を実現する
 昇り降りが大変な歩道橋ですが、見方を変えるとこれは足腰を鍛えるために、自動車社会から人間へのありがたい贈りものですね。
 健康のために一日一万歩は歩きましょうなんて時代に、毎日これを昇り降りして買い物やら通勤通学していると、老後への健康が保証されるのです。アスレティッククラブで走らない自転車こいだり、ベルトコンベアーの上を走ってるより、はるかに経済的です。
 われらが税金の投資効果はここにも現れます。健康な老人が増えると、高齢者介護や保健の問題も解決します。
 もちろん、横断歩道無視の車に轢かれなくてよくなるので、交通事故がなくなります。
 大災害があって、道は燃える自動車にふさがれたとしても、横断歩道橋をわたって避難することもできます。
 安全安心社会は横断歩道橋から、ということになりそうです。 

●横断歩道橋は都市景観に個性をもたらす
 何でもないストリートの風景を、横断歩道橋はひきしめています。単調な人どおりのない田んぼの中の道にかかっていると、特にいいですね。
 街の入り口に建っていると、ゲート役割をします。橋桁に街の名前や案内が書いてあり、ここがどこかよくわかります。
 でかい横断幕がかかっていて、上手な字で「呑んだら乗るな、、」なんて、ありがたい交通安全標語が書いてあったりして、その歩道橋も横断幕も風雨にさらされて、さびやらほころびやらでエイジングがゆきとどいたりしていると、そのまちの風格がよく見えてきます。
 歩道橋の上に登ると、ちょっと違った風景が見えて、あらたな都市を眺める視点場を提供します。鎌倉の若宮大路の八幡宮の「一の鳥居」と「二の鳥居」との間にある横断歩道橋の上から眺めまわすと、この都市の歴史的な風土の構成ををひとめで理解することができます。
 これも鎌倉のもっとも重要な歴史軸である若宮大路の上にかかっているからこそ、それがよくわかるのです。他の場所じゃだめで、うまいところを選んだものだと、道路事業者の眼のつけどころに敬服します。
  ところでその位置からして、この橋にこそ「二の鳥居」の名前をあげて、今の「二の鳥居」と「三の鳥居」は、順送りに三、四と変えるべきでしょう。、
 道路でお祭りやら暴走族のイベントがあると、横断歩道橋は格好の高見の見物席になります。街の活性化の重要な仕掛けです。
 横断歩道橋は、その街の都会度・田舎度をはかるバロメーターになります。もちろん橋の数がおおいほど都会であり、横断歩道橋がうちの街の田んぼ道にもついて、都会度が1ポイントあがった、なんて喜ぶようになるのです。
 こうして横断歩道橋は、都市と田舎論をめぐる都市民俗学の研究にも今や影響をもたらしつつあります。

●横断歩道橋は日本経済に活力をもたらす
 交差点という交差点には、すべて横断歩道橋をかけましょう。いや交差点ばかりか、とにかく車道を横断するところはすべて横断歩道橋をかけるように、道路法を改正を提案します。
 こうすれば公共投資が全国に波及します。用地買収しなくてもよいし、するとしてもそれほど大規模な用地が要るわけじゃないので、やりやすい。しかも地方の中小建設業でもできますね。
 今、横断歩道のあるところだって、設置すればよいのです。現にそういうところがあちこちにあります。誰も渡らないけど厳然とかかる橋、これを純粋歩道橋(赤瀬川原平さん流に)といいます。でも、公共投資でうるおっている人々もいるのです。
 また、車椅子のために新しいエレベーターやらアプト式エスカレータとか、技術革新をもたらします。
 車椅子ばかりじゃなく、自転車、乳母車、老人手押し車、子供三輪車、リヤカー、大八車など、どんどん横断歩道橋システムを開発しましょう。
 外国にもそのうちに横断歩道橋を輸出する時代がくるでしょうから、世界に追随をゆるさない横断歩道橋先進国日本は、たとえばタイ向けには象の渡るシステムを今から開発しておくとよいでしょう。
 この不況下の日本で、建設業にもメーカーにも活気をもたらすのが横断歩道橋、まことにけっこうなしろものです。
 いっぽうで、横断歩道橋の大普及につれて横断歩道がなくなっていけば、道路の自動車渋滞がなくなって、経済への波及効果は大きいでしょう。
 歩行者だって、どこでも横断歩道橋を渡ることができるようになれば、信号待ち時間がなくなるので、約束に遅れて商談に失敗することだってなくなり、まことにありがたいことです。
 こうして横断歩道橋の及ぼす経済波及効果は、某M菱N村総研シンクタンクの計算によると800兆円とか。(完 990610 まち2ネット投稿)
*参考文献「横断歩道橋の文化経済学」(未来出版)ほか
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 小論は、横断歩道橋への皮肉のつもりであるが、時に、真正面からお読みいただく方があって、投資効果(うそ800兆円)や参考文献の照会をされることがある。当方の文才の至らなさを、お許しいただきたい。(020616追記)

2011/11/19

535◆千ページ英語小説一気読み

年寄りのヒマ人になると、こういうこともできるという見本のような行為。
 本文985ページの分厚いハードカバーの小説本「Fall of Giants」(Ken Follett 2010)を、20日間もかけて一気に読んだ。
 こんな分厚い本を一気に読むなんて、これまでにないことである。それでも毎日寝る前の4時間、20日もかかったってことは、英語だからである。暇だからこそ、面白いからこそできたことだ。
 ただし、ハードカバーでこれだけ分厚いと、重くて寝転んで読めないのが難であった。いすに座り続けて尻が痛くなった。

 日本語のようにななめ読み飛ばしでもわかるほどの英語読解力は、わたしにはない。一応全文に眼を通さざるを得ないから、まどろっこしい。
 さらにまどろっこしいのは、知らない単語や言い回しがしょっちゅう出てくることだ。
 いちいち辞書を引いていたのでは、この稀代のストーリーテラーの物語を読むという、本読みの醍醐味の興をそがれてしまう。辞書から本に眼を戻すと、はて、どこを読んでたんだっけ?

 だから判らなくても、まあこういうことだろうと前後から類推して、どんどん進む。
 ケン・フォレットは、くどくどと状況説明をしてくれる大衆小説だから、それでもなんとかなる。
 よくわからなくて類推に頭を働かせていると、大衆小説がブンガクになるような気がするところが、よろしい。
 そうやっても1000ページを毎日毎日読ませるだけのストーリーだってことがすごい。

 それにしても1000ページの本である。
 しかも、表紙に「BOOK ONE OF THE CENTURY TRILOGY」と書いてあるから、まだこれから2冊の続編が出るらしい。3000ページかあ、すごいなあ。
 フォレットの小説はペーパバックで全部読んだはずだ。歴史物は面白いが、現代ものは愚作もある。
 前作の「WORLD WHITHOUT END」は中世の都市物語で、面白かった。
 今回は20世紀の物語で、第1次大戦を英独仏露米と地球ひとまわりが舞台で、これも面白かった。次作は第2次世界大戦だろうか。

 ケンフォレットのインタネットサイトを見たら、こう書いてあった。
More information on Fall of Giants
Winter of the World
Winter of the World, the second book in the 'Century' series, will feature the children of the characters in Fall of Giants as they live through the Depression and the Second World War. It is due to be published in the second half of 2012.
The third book, due out in 2014, will be about the next generation during the Cold War.
 そうか、これで来年と再々来年の暇つぶしは決まった。

●関連→japaniese-knotweed
http://datey.blogspot.com/2009/09/182japaniese-knotweed.html

2011/11/18

534間違っているぞ原発事故用語

福島第1原発の事故以来、なんだかよく分からない言葉がマスメディアに登場するのだが、どうも間違って使っているような気がするので、ここであげつらうことにする。

●「放射ナントカ」がわからん
 放射線、放射能、放射性物質など、どう違うの? 新聞に書いてある解説をたまには読むが、すぐに忘れる。
 専門的な用語はおいといて、要するに問題は「核毒」のことでしょ。「核毒」とはわたしの造語である。
 放射ナントカが人体に毒があることに要点があるのだから、そこのところをわかるような言葉遣いにしてもらいたいので、「核毒」といってしまってはどうだというのが、わたしの提案である。
「人体に直ちには影響がない放射ナントカ…」といわれてもピンとこない。「直ちには影響がない核毒…」といってもらいたい。そのうちに毒が回ってくるってわかるからね。
 ついでに、原子力発電は核分裂によって出る熱でお湯を沸かし、その水蒸気で発電機を回すんですってね。意外に原始的な原子力である。
 で、なんでも核融合ってのもあるらしいが、分裂で熱が出るならその反対の融合は冷却するんでしょうね。核融合で瞬間冷凍原子爆弾ができるのだろうか

●「除染」じゃなくて「汚除」でしょ?
 この事件ではじめて「除染」なる言葉を知った。長い人生ではじめてであったので、手元の広辞苑をひいたが、載っていない。もしかしてこれは造語なのだろうか。
 造語なら仕方ないにしても、読んだだけでは意味が分からないどころか、間違っている。
 汚染は「汚く染まる」のだから、その汚れをとり除くのなら「汚除」(漢文風に「汚を除す」ならば「除汚」か)であるはずだ。誰かが「汚染」から類推して「除染」と言い出したのだろうと、わたしは類推する。
 さらに問題なのは、核毒の汚れはとり除くことが不可能ということである。何かに着いた核毒を雑巾で拭いてそこからとり除いても、毒は雑巾に映っただけ、その雑巾を水洗いすると水に毒が映る、水を流すと下水道に映る、そして処理場にどんどんと蓄積されて、毒はどんどんと毒性を増してくる。
 汚除して汚除しても、汚移するだけで、ますます汚増、汚貯する始末である。
 除染なんていい加減な言葉は、誤解を招くだけのような気がする。明快に「除毒」といってほしい。

●「電源喪失」って「童貞喪失」みたいなものなの?
 福島第1原発が事故を起こしたのは「電源喪失」によるのだそうだ。要するに事故を防ぐ電力がこなくなったってことらしい。
 わたしがひっかるのは、まず「電源」である。電源とは「電源開発」というように、発電所のことだろう。福島原発は確かに電源だが、電源喪失の電源は他の発電所から来る電力のことを言っているようだ。
 それなら他の発電所が地震で消え去ったのかと読んでみたら、それは無事で、要するに電力が来る電線が切れたってことらしい。
 じゃあ、電源喪失じゃなくて電線喪失でしょ。
 さらに「喪失」がおかしい、ヘンである。
 普通は喪失ってのは、処女(童貞)喪失とか記憶喪失とか権威喪失とか気力喪失とかって、どんと心に響く属人的な状況に使うのである。
 電気なんて物理的なことには使わないもので、金銭喪失で貧乏とか、食料喪失で腹ペコとか、あなた、言いますか?
 ここは「電力遮断」なんでしょ。
 なお、本当の電源喪失とは、発電能力を失った福島第1原発がまさにそうである。いまや「強力核毒大型ゴミ」であるが。

2011/11/17

533毎度おなじみ横浜都計審批評

本日は横浜市都市計画審議が開催されたので、恒例の傍聴に行ってきた。
 そして、わたしがかつて委員になる前も、委員になってからも、委員を辞めてからもここに掲載してきた恒例の批評を書く。

●いい加減な制度の生産緑地
前回は8月だったが、そのときは市街地再開発事業の都市計画案件が議題だったので、これをどう審議するのだろうかと興味があった。
 その結果はこちらを参照→大丈夫か横浜都計審 
 今回は、あのいい加減すぎる都市計画制度「生産緑地」が案件だったので、これをどう審議するか興味があった。
 結論を先に言えば、なんの審議もせずに原案とおりに可決した。委員の発言がなかったのではないが、要するに制度の解説を事務局の役人に教えてもらっただけであった。
 議案の中身の当該地へいって現状を見たきたものは、ひとりもいないようだ。
 そもそも生産緑地の都市計画ほど、都市計画を馬鹿にした都市計画はない。都市計画というごとくに計画的に指定したり解除したりしているのではなく、地主農民の申し出の成り行きまかせで、それをたんに手続的に追認するだけのことであるようだ。
 わたしが委員だったときの一番のイライラはそのことであり、毎回の審議会の前に現地を見てきては問題点を指摘して改善を訴えた。
 そこに審議会はなぜ切り込んで審議をしないのか。
 2番目の議題の、鶴見区馬場4丁目特別緑地保全地区の案件についても、委員の発言は制度の解説を求めるものばかりで、とても審議とは言えない。

●地元商店街発案の地区計画
 3番目の地区計画は、神奈川区の大口商店街の地元から要望があって定めるという、珍しいものであった。
 既存の商店街がその振興のために、自ら街づくりに地区計画を持ち込もうとする、その意気込みを高く評価する。
 その内容はいろいろと地元参加の調整のうえのことだろうから、わたしがあれこれ言うことはない。委員の発言もそのあたりを心得ていたようで、商店街振興への提案的な内容もあった。
 わたしが気になったのは審議内容よりも、今回の傍聴者はわたし一人だけであったことだ。
 この議題のような地元からの発意で作られた地区計画ならば、これを都市計画審議会がどう評価するだろうかと、地元の人は気にならないのだろうか。わたしなら気になる。
 商店街の人が誰も傍聴に来ないということは、都計審のことを知らないか、知っていてもどうせ原案通り可決だからとバカにしてるのか、どうなのだろうか。
 ところでこの地区計画に至る経緯は、会議資料には大口まちづくり委員会が「横浜市長あてに要望書提出」と書いてある。
 これは都市計画法第16条第3項の地区計画等の申出制度によるものだろうか。それとも単なる要望だろうか、そのあたりを委員は聞いてほしかった。

●せっかく本質的な発言なのに
 第4の議題は、泉区の泉新橋榎橋地区の地区計画である。これは大口とちがって、郊外の新開発住宅地である。
 ここはただいま土地区画整理事業による開発が進行しており、これに地区計画をかけて、詳細な土地利用や建物の制限をする。
 わたしとしては、土地区画整理事業が先にあるのだから、その経緯や内容、事業者などについて聞き、それを踏まえて審議してほしかった。
 この議題で、本日はじめてといってもよい内容にかかわる意見が、市民委員から出された。
 それは、建物の隣地境界線から離す距離を60センチとしているが、自宅での経験的にもそれは狭すぎる、せめて80センチ以上にするべき、との意見である。
 わたしはこの数字のよしあしをここでは論じないが、地区計画の内容にかかわる審議すべき事柄である。
 原案についての事務局の考えは、民法の寸法によっているとして、という趣旨であった。(民法では50センチだよなあ)
 ところが、この市民委員の発言のしかたが、「本質にかかわることでないので恐縮ですが…」という、実に遠慮深いものいいであった。
 せっかく地区計画の内容の本質にかかわることで、これこそ委員らしい意見であるのに、これでは何か勘違いをされているようである。
 結局、それ以上に押して発言されることなく、審議会もこの意見について何の審議もしないで、無視されてしまったかたちで、原案通りに可決した。
 わたしなら、原案に反対の手を上げただろう。

●相変わらずだんまり市議委員
 今回の出席委員は16、欠席は9名で内学識者は4、市議が4、市民ひとり。
 市議員は、ひとりが特別緑地保全の議案でこの制度を批判するちょっとピントはずれに聞こえた発言をされたほかは、いつものとおり全員だんまり並び大名。
 なんにしても、都市計画勉強会とか都市計画質疑会じゃなくて、都市計画審議会として実質的な審議をしてほしいものである。
 なお、前回の議事録は、3ヶ月も後の本日になって、ようやく横浜市都市計画サイトに公開された。情報公開がおそいよ~。
●関連→あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている

2011/11/16

532横浜ご近所再開発6題

横浜のご近所のあちこちで、町の姿が変わってくる。それを追いつつ徘徊するのだ。
●参照→347ご近所再開発 http://datey.blogspot.com/2010/11/347.html

 横浜の伊勢佐木モールにあった、ちょっとクラシックなビルの松坂屋百貨店が取り壊されたのは208年のことだった。
 閉店の前にそのアールヌーボー的な内部意匠を見学した。
 それから工事弁の中でトンカチ工事が進んでいた。今日みると、工事囲いの上に新ビルが顔を出している。
 おや、なんだか昔見たような姿だ。どうやら元の建物の表の姿の一部をコピーして再現したらしい。
 でも、ちょっと縮んだかな、なんだか物足りないような。
 写真を撮って以前おと比べたら、やっぱりかなり省略してコピーしているのであった。まあ、その努力だけは認めましょう。
 といいつつも、馬車道の日動火災ほどの断固たるデザイン意図を持ったハイブリッドデザインでもないのが、ものたりない。


 伊勢崎町2丁目の角に先月末に巨大なパチンコ屋が開店した。ここには3階建ての防火建築帯であったと思しいビルがあった。ながらく空き地のままだったが、2年ほど前に工事が始まった。
●参照→365横浜ご近所再開発2011正月 http://datey.blogspot.com/2011/01/3652011.html
 1年足らずで3階建てくらいの建物がほとんどできた頃、どういうわけか取り壊しが始まった。その囲いのままにまた工事をしていて、ビルとしてはたいしたことない規模なのに、ずいぶん時間がかかった。
 伊勢佐木モールもだんだんと高級老舗店舗はなくなっていって、チェーン店がはびこり、そしてパチンコやゲーム屋などの風俗営業店舗が多くなりつつある。街の雰囲気がだんだんと落ち着きがなくなって、ハデハデになってきてる。


 これだけ地震騒ぎで分譲共同住宅はあぶないものなに、その建設はとまらない。山吹町に共同住宅がまたひとつできた。


 長者町2丁目角にガソリンスタンドがあったのが壊されて、ここにも分譲共同住宅が建つに違いないと見ていたら、なんと高齢者専用の施設ができあがった。
 介護センターとか、介護老人ホームとか、わたしが今後の用がある施設である。
 なるほど、こういう時代に対応する再開発が成り立つ時代である。分譲共同住宅でないのが、なかなかよろしい。
 
 富士見町で4年ほど前から建設していた共同住宅ビルが、地上2階床までコンクリートをうったところで、デベロッパーが倒産だとかで工事がとまったままになっていた。
 1年ほどブランクの後に、新たなディベロッパーが買ったらしく工事が再会した。
 つい先月に一応出来上がったようだ。販売パンフレットを見ると、ほとんどが1寝室、少し2寝室がある程度だ。投資屋向けかもしれない。
 これはわたしの家のある貸借共同住宅ビルの道を隔てたすぐ北側にあるから、日当たりはあまりよくない。

 山田町に小さな敷地に精一杯建てたペンシルビルができた。これは1寝室の単身者用の賃貸住宅らしい。完成から3ヶ月くらいたつが、見たところ入っているのは2、3戸程度か。これも、わたしの家のあるビルが邪魔で日陰だもんなあ。
●参照→297共同住宅ペンシルビルhttp://datey.blogspot.com/2010/07/297_29.html

2011/11/15

531地下便所の境界線

 地下鉄の便所で小便をしようとして気がついた。
 律儀にも道路と民地の境界線をタイルの壁に表示してある。
 この線の左だと道路で立小便、右でやるとどこかのお宅の庭で立小便。
 なぜここだけ表示してあるのだろうか。別々に管理しているのかしら。
 まあ、どうでもよろしいですが、書いてあると気になる。

 小便ついでに、もうひとつ。
 スイスのゴルナーグラードというマッタホルンが見える高原にある便所。
 小便しようと便器を見ると、蝿がとまっている。
 こんな高山でも蝿がいるのか、こいつをめがけて放水するのは、男の本能だ。でも一向に蝿のやつは気にしない。
 よく見れば絵である。
 ふむ、ひっかかったか、いや小便じゃなくて、わたしが。

2011/11/14

530酉の市とB級グルメクラシック

 横浜南区の真金町にある大鷲神社で、今日は今年の二の酉の市。
 この屋台がずらりと並ぶ祭りに風景を大好きである。これまでは夜に訪ねたが、今回は写真を撮りやすい昼に訪ねた。

 平日なのにもう混雑している。縁起物の熊手を売る露店では、手拍子の音が景気よく聞こえる。熊手が売れたらその場でシャンシャンと打つ。
 熊手は、小さなものはストラップの飾り物から、大きいのは両手を広げるくらいのものまである。値段が書いてないが、何十万円もするのだろう。縁起物だから、買う人は買う。

 熊での飾りをしげしげと見る。お多福の面、小判、米俵、鯛、宝船、末広がり扇、鶴亀などなど、日本の古典的な富の姿をモロに飾りつけているのが、欲望丸出しで面白い。
 サイケデリックデザインというかキッチュという他はない。現代アートかもしれないとさえ見えてくる。

 露店が並ぶ中を歩く。見ているだけだが楽しい、そのサイケデリックなようで、統一感がるようで、ばらばらなような露店デザインが面白い。これも現代アート並みに不思議な光景である。

 露店で売っているものは、縁起物のダルマや招き猫もあるし、射的、スマートボール、金魚すくいなどの古典的ゲーム、お子様向けのお面は時代のヒーローを現し、そして元祖B級グルメとでも言うべきさまざまな食べ物飲み物がならぶ。

 クラシックないか焼き、焼き鳥はもちろんだが、トルコ発祥のシュシカバブが露店の地位を占めたのが面白い。
 露店で売る食い物の時代的変化を追うと、なかなか面白そうだ。
 最近。B-1グランプリなんていうB級グルメの全国大会があるそうだが、この露店の繁盛の様子こそB級クラシックレースとでも言うべきか。ただしこれは全国区のB級グルメであるところがB-1とは違う。
 富士宮焼きそばとか白コロホルモンの露店が出ているのだが、これってB-1グランプリでまさにグランプリをとったB級グルメだったから、こうやって全国区になったのだろうか。

●関連→060横浜ご近所探検・酉の市

2011/11/13

529除染、滅染、移染

昨日と一昨日に「福島会議」が福島大学で開催、わたしは行けないがネット中継を少し見た。
 放射能に関して専門家がチェルノブイリの現状に関して調査したことを語っったあとで、質問や意見があったなかでの会場の女性からの発言。

 その人は地元の方らしいが、放射性物質の除去に熱心に取り組んで活動しているそうだ。
 その除染の方法は、汚染地にEM菌を撒くのだそうだ。
 そうすると放射能がぐんと下がるので、あちこちでやっているが、公的機関でも積極的にやれ、みたいなことをおっしゃった。

 え、そうなの、初めて聞いた。EM菌てのは多様な微生物によって土壌とか水質の浄化をするのに使うとかって、聞いたことはある。
 だが、微生物が放射線を浄化するというか、半減期を短縮するって、そういうことが本当にあるのかしら。
 ネットで調べると、賛否両論があてなんだか分からない。
 わたしは放射線物質のことはなんにも知らないが、なんだか信じがたい。
 
 現地のその会議に出席している知人に、FACEBOOK経由で聞いてみた。
「EM菌で除染できるって、真剣に発言したおばさんがおられましたが、本当ですか? 核の毒を菌が食うんですか?不思議」

 知人の返事。
「その方、私の斜め前に座っていた女性ですね。真剣そうでしたよ。でも現場の住民はわらをつかむ思いなので、その後もみんなで話を聴いてあげました。
 本日(昨日)の高畑さんの放射能分科会の最大の話題でしたが、EMにせよなんにせよ放射性物質の「無害化」ではなく「移動」にしかすぎない、ということをなかなか理解してもらえず苦労していました。
 でも、各分野の専門家とよばれるような人たちでもわからないことだらけなので、ましてや被災した一般市民が、不正確な情報による俗説に振り回されるのは、やむをえないことと思います。
 正しい知識・情報を共有することは最重要課題なのですが、同時に現場(追い詰められた現地住民)の感情に配慮した情報の「伝え方」にも、もっと工夫が必要だと感じました」

 なるほど、現地に入った人だからこそ、実体験として現地の人たちの感情が身に染みて分かるからこそう、そう言えることですね
 おぼれるものの藁かもしれないが、つかむ藁がそこにあることで、次に流れてくる浮き輪をつかむ手だてになるってことを、支援なさる現場の人たちは知っているのですね。

 それにしても、除染は単に移染に過ぎなくて、決して減染でもまっしてや滅染でもないってことが、実に重要なポイントである。
 これまでは除染とは、物理的な汚染は水に流すし、生物的あるいは化学的な汚染は煮沸や薬によって完了するものだった。
 水俣病や四日市公害の除染も、時間はかかっても、基本的にはそうであった。
 ところが核毒はまったく次元が異なるものだから、なんとも理解するのが困難である。
 人間に「三尺流れて水清し」の時代があったことが、いまや夢みたいである。

2011/11/11

528わからんオリンポス事件

ギリシャ発祥の経済問題が日本のカメラ会社にも飛び火した(らしい)。だって会社名がオリンポスなんだから。
 損失隠しとか飛ばしとか投資家に迷惑かけるとか、その世界のことはぜんぜん、なにを言ってるのかサッパリ分からん。
 ひそか処理して、誰も損してなかったか、あるいは損しても誰も知らなかったとすれば、20年もナントカやってきたんだし、会社そのものは今も経営がうまく行ってるんだから、これはもう損はなかったことになるはずでしょ。
 それを今頃になってなに言ってんのよ!

 だって、その昔も損失を隠してたから配当があって、投資屋(なんで投資ってえらそうにいうんだろう)たちは、大もうけしたんでしょ。
 今になって、当時の損失をひそかに処理したってのがバレて、株価が下落して損したって騒ぐなら、その昔に損失がありながら配当を受けたお金を返すのかしら。
 もらうものはもらった、損失は損失ってけしからんて、それはリスクを負ってやる投資屋の言うべき言葉じゃないような気がする。

 ガイジン社長が暴露しなきゃ、そのままで平和だったんでしょ。
 と、株はしかしらないわたしは思うのである。

 オリンポスの株価は、ばれる前の5分の1になったそうだ。
 唯一知ってる株価がある。T&DHDという保険屋である。
 20年以上前だったかに、相互会社から株式会社に変更して、加入者だったわたしの会社が自動的に株券を受け取ったことがある。200株だったか。
 その頃のこの株価は8000円くらいだった。
 それが今はナンと今日見ると700円である。10分の1以下!
 なんでこんなになっているかサッパリ分からない。オリンポスよりもひどいが、似たような事件があったのかしら。

2011/11/10

527空に浮く生活・地に這う暮し

 晩秋の東京散歩である。東京駅から八重洲通りを歩き出して、中央大橋を渡った。
 この橋を渡ると20世紀末のバブル景気の産物「大川端リバーシティ」である。そのすぐ隣に細い運河を隔てて、佃煮の名前の発祥地・佃島である。
 前者が日本のバブル景気の超高層住宅群、後者が江戸から続く漁師町の密集木造住宅群である。
 どちらの土地も、隅田川の河口の島として江戸時代にあった。
 そのあまりに近くにありながら、あまりに異なる風景が対照的で面白い。
 それだけに、東京の都市問題を考えさせられる。

「大川端リバーシティ21」のある土地は、江戸時代の人足寄場の「石川島」であり、19世紀半ばから石川島播磨重工業(現・IHI)の造船所となり、戦艦をたくさん製造した。
 造船所が景気が悪くなって土地を売り、1985年ごろから大川端リバーシティの名で再開発をはじめて、2000年までに8棟の超高層集合住宅ビルが建った。約3800戸が住んでいるらしい。

 大川端を広辞苑で見ると、「隅田川の吾妻橋(大川橋)より下流の右岸一帯、特に両国橋から新大橋辺までの称」とある。とすれば、大川端リバーシティは位置的に新大橋の下流の左岸にあるから、これは詐称である。時代が変われば、湘南みたいに拡大するのであろう。

 公開空地に入ってみれば、ここは日本かしらと思うような風景である。
 日本かしらと思うのもおかしいが、要するに街として造っているんだぞって、そういうデザイナーというか開発者の意気込みが、ここもかしこもみえみえで、新聞折込のマンション広告パンフの写真みたいな風景である。
 そう、きれいなんだが、なんだか押し付けがましさ感がうっとうしいのである。公開空地の庭のあちこちに、入るとか登るなとか注意書きがあるのも気に食わない。

 見上げる空に超高層住宅が夕日に輝いている。はて、天空のあそこに人の暮らしがあるんだろうか、どんな人が暮らすのかなあと思う。
 あんな高いところに住み着くと、地上に降りるのに一仕事と思うような気がする。
 7階に住んでいる私でさえもそう思うのだから、まして30階もの超高層建築の上のほうでは、いくら超スピードエレベータがあっても、心理的な隔絶感があるにちがいない。

 リバーシティと隣の佃島との間には細い運河があって、昔からの形で隔てられている。
 島の西の隅田川から運河は入り込んで、住吉神社を角にして南に曲がると舟溜まりである。島の南にあった運河は佃大橋がかかって埋め立てになったから、佃島は今は3方が水である。

 佃島からリバーシティを眺めると、どこでも写真になる。その対比が「いかにも」の風景になるのである。わたしは15年ぶりくらいにきたのだが、その風景はほとんど変化がなかったのは、佃島は再開発されていないのである。

 佃島は昔の漁師町の町割りを今も継続して使っているから、大川端の大ブロック・超高層建築・広場のある西欧型近代都市計画とはまったく逆の、零細敷地・木造2階建て・路地という構成である。
 しかし、公共施設の道路や公園あるいは運河については、それなりにこざっぱりときれいに修景をしているから、清潔である。
 そして路地には生活観があふれている。リバーシティは開放的な都会の生活があるとすれば、ここには息ぐるしいほどの緊密な暮らしがある。
 小公園で大勢の子どもが声高に遊んでいるのが、下町らしい。リバーシティでは池の中(入ってはいけないと注意書き)で魚取りしていた子ども二人を見ただけだった。

 リバーシティではちょっと歩くと、まあこんなもんだろうと、見て歩く興味を失ったが、佃島ではあちこちの路地を抜け、神社境内に入り、運河を渡り、舟溜まりを覗き込み、川向こうの超高層建築群を見上げ、まことに興味がつきないのであった。
 ここには地に付いた暮らしがある。
 地についた仕事としての佃煮は、いまはどうなのか知らないが、「竹安」なる店で昆布・貝ひも・浅利の3種類各100グラム、金1820円を買い求めた。

 佃島からはずれて、夕暮れの月島商店街へと入れば、もんじゃ焼き観光街の様相はますます著しい。下町の近隣商店街の変貌は驚くばかりである。
 表通りは集合住宅ビルもいくつも建っていて佃島とはちがうが、裏に入ると佃島と同じような姿の路地の町である。

 商店街を通して勝どき方面を見れば、大きな超高層建築群が見える。
 20年ほど前に、東京都から依頼で、勝どき交差点角の再開発構想計画をしたときにはじめてきて、それからもういちど10年ほど前にきたことがあるが、こんなに超高層建築はなかった。
 ずいぶん変わったものだ。(2011.11.01)

2011/11/09

526【ふるさと高梁盆地】昔よりも短くなった方谷橋

 高梁盆地の高梁川には、現在は2本の橋が架かって、東西の町を結んでいる。
 下流側の「高梁大橋」は1972年に架けた、現代のありふれた鋼製の桁橋である。
上流側の「方谷橋」は、上に鉄骨アーチをもっていて特徴ある形態だ。これは1934年の水害の後、1937年に架けている。
 上のアーチから、下の路盤面を支える直線の鉄骨主桁を吊っている形式である。
 でもよく見ると、路盤側の主桁もかなり立派なものだから、アーチと直線の桁とでつくる半月形の構造体で、これをランガー形式というらしい。



 土木学会のサイトで図面を見ると、半月の弦の長さは56メートルである。
 アーチの両端部を、それぞれ橋脚が支えている。それに加えて路盤を支える主桁が、アーチの両端から4.4メートルはねだし形式(カンチレバー)でもちだして、それは皿という字の上を丸く描いた形である。土木の専門語で「下路カンチレバー状ランガー」形式というそうだ。
 その皿の下の一文字の先に別の桁が架かっていて、両岸と結んでいる。橋の総長さは99.9メートルだが、竣工時の図面では110.7メートルとなっている。


 
 方谷橋が竣工したときの1937年に写した記念写真がある。今の方谷橋と比べて見る。
 大きな違いはふたつある。ひとつはアーチの先の東側の桁が西側のそれと比べて、10メートルほど短くなっていることだ。
 橋の主桁についている工事銘盤に1972年3月とあるから、このときに東側の桁を短縮左右のバランスが崩れた。

 ということは、その年に川の東岸にある国道を10mほど拡幅したことになる。その拡幅分の川幅が狭くなるから、それまでどおりに流水量を確保するためには堤防を高くする必要があったのだろう。
 いまでは堤防の道からの立ち上がりが2メートルくらいは高くなって、 街から川は見えなくなってしまっている。昔はそれが1メートルくらいだった。
 川岸の国道は広く、堤防は高く、川と街は切り離されたようだ。

 もうひとつの違いは、かつてあったおしゃれな高欄親柱が、今はなくなっていることである。橋には欄干などで構成する高欄がどこでもある。その一番端っこには大きな柱を立てるが、これ親柱という。親柱は橋の玄関の門のような役割をする。
  関東大震災の後で多くの鉄の橋がかけられ、そこには都市の風景としてのデザインが加えられるようになってきた。
 方谷橋ができるころは、日本の橋のデザインもセンスがよくなってきたが、その片鱗を方谷橋でも見ることができる。

 ここでは当時の流行のひとつである表現派風の曲線が見えていて、アーチの曲線と共におしゃれなモダン風景である。
 それは両岸側共にあったのだが、今はどちらにもない。いつ頃なくなったのであろうか。無愛想なコンクリの塊に橋名板があるだけだ。
 高いコンクリ塀となった堤防を土塀コピーするのも、まあ、よろしいが、国道拡幅でなくした親柱を復元してはいかがか。

●全文は→ふるさとの川と橋
●関連→高梁の風景論集

2011/11/08

525新聞の話題ふたつ

 プロ野球に何の興味もないが、モガベーとかモベガーとかDeDTとか言う会社が、横浜のプロ野球を買収すると、新聞の社会面にあるのを読んだ。
 どうぞご勝手に。でもモゲバー・ベイズダーズなんて、語感が悪いよなあ。
 ネットでモガベーを検索すると、結構たくさん出てくる。
     ◆
 オリンポスなる会社が、なんだか変なことしたって、投資屋に申し訳ないとか言ってる。
 ガイジン社長が社内告発したら、逆にクビになっちゃって、イギリスに逃げて遠吠えしたら、マスメディアが喜んで食らいついたらしい。
 まあ、こちとらは投資なんて関係ないから、どうぞご勝手に。
 でも、外人が騒がなきゃそのまま臭いものにふたして、会社も社員も無事だったのになあ、余計なことしてくれたよなあ、って、そう思います。
 日本では納豆やなれ寿司のように、臭いものにふたをしておくとそのうちに発酵して美味になるってことを、ガイジンは知らないからなあ。
 で、これもオリンポスだから、ギリシャ発祥の騒ぎのひとつなんだろうなあ。

2011/11/07

524老婆の橋、少年の橋梁

 東京駅前から八重洲通りを八丁堀まで歩いて隅田川に出ようとしたら、その前の支流の亀島川に、なにやら鉄骨トラスの橋が見える。いまどき珍しい。
 近寄ってみると橋の入り口に門型が組んであって、「南高橋」なる銘盤が掲げてある。これはまあ、明治の頃にはやった形である。

 橋詰広場に案内板があり、隅田川に架かっていた両国橋(1904年竣工)の一部を、1931年にもってきて再利用して架けたとある。つまり震災復興の橋である
 震災復興で両国橋は新品に架け替えたが、ここには新規架橋なのにお下がりを頂戴して架けたというのである。おかげで、今も珍しい形を見ることができる。

 両国橋は最初は1660年に木橋が架かり、その後なんども流れたり焼けたりして架け替えがあった。1897年の川開き花火の見物客が大勢乗りすぎて崩落して死傷者を出したので1904年に鉄橋に架け替えた。

 橋に入る門型のデザインが、なんだか古写真で見た懐かしいというか珍しく眺めたのであった。
 亀島川よりも隅田川の方が広いから、3つあったトラスのうちの中央の一つを持ってきたとあるから、それに両端の門型装飾ををくっつけたけたのであろう。トラスにつける門型は、昔の吾妻橋の絵にもある。

 現代の鉄の橋はたいていは道の下に単純な梁が架かっていて、単なる道路の一部に過ぎないが、こういうトラス橋だと、さあ、向こう岸の別世界に潜り抜けて渡るぞって、そんな特別の気分になる。
 橋とは元来そういう役割を持っていたのだ。橋は民俗学的に面白いのだが、その話をするときりがない
 それにしても100歳を超える橋とは、品のよい銀髪の老婆に出会ったようだ。

 横浜にもこのような古いトラス橋がある。中村川にかかる「浦舟水道橋」で、水道管と歩行者を渡らせている。
 この橋も南高橋のように、他にあったものを持ってきたと銘盤に書いてある。それがなんとここに来る前にも一度引越しをしていて、最初の創建時は1893年とあるから、両国橋よりも古い。

 この橋の上には高速道路の高架橋があり、橋の下の橋となっていて、ちょっと気の毒な風景である。昔から橋の下は家なし乞食がいて、今はホームレスがいるところ、この橋もさまよってここに居を見つけたか。
 それでも真っ赤になって気張っているのが、老婆というよりもこちらは少女のようで、可愛らしい。


 横浜には桜木町に「汽車道」という歩行者専用の道が海のなかを通っているが、ここにトラス橋がある。1907年に臨港鉄道の橋として架かったものだそうだ。
 今はレクリエーションの道として、人だけが通るのだが、歩行面にしいた板の間にレールを見えるように残している。

 トラス橋は古いものばかりではなくて、東京品川区の天王洲には1996年に架かった、新しいトラス橋もある。これも人道橋である。
 これは天王洲再開発における新規プロジェクトのひとつであり、運河沿いの散歩道で島をつなげるのに、ちょっと面白くしようと、わざわざレトロデザインをしたのだと、ここの開発コンサルタントから聞いた。
 遊び心のレトロデザインはよいとしても、その名が「天王洲ふれあい橋」とは、味気ない。
 
 話を戻して、南高橋を渡って川沿いに歩き、隅田川にかかる「中央大橋」を大川端リバーシティへと渡る。
 こちらも1993年にできた新しい橋のごとく、名前は味気ない。
 超モダンな斜張橋の中央大橋は、主塔がたくさんのロープを引っ張って、そばの超高層ビルに負けないようにピンと突っ立っている。
 おしゃれを気取る不良少年のようで、先ほど渡った銀髪老婆の南高橋とは対照的である。(2011.11.01)