2008/11/28

069【世相戯評】蒙古襲来で敗退したモンゴルが雌伏720年余でついに日本征服成功の大相撲

 鎌倉時代のこと、1274年と1281年にモンゴル・高麗連合軍が日本に攻めてきて、2回とも日本軍に負けて逃げていった。
 ただし、戦争で負けたのではなく、たまたま来襲した台風によって軍船が徹底的に被災して負けたのだった。

 その戦いの様子は絵巻物などで有名だが、日本武士団は個人戦、つまり戦場で前にひとり進み出て、「やあやあ、われこそはナニノナニガシ、、」と名乗って、敵との一騎打ちから始まるとか、抜け駆けでひとりで敵に襲いかかるとか、集団戦術がないのであった。
 モンゴル軍は集団戦法でそんな作法にかまっちゃいない、どっとみんなで襲いかかって殺してしまうから、散々である。
 さすがに幕府軍もそのうちに集団戦術に変えたのだが、まあ、戦法と言い武器と言い、国際戦に長けたあちらと、国内戦ばかりのこちらでは、戦争文化?において大いに差があったらしい。

 わざわざ台風シーズンに来ることもあるまいにと、今だから思うのだが、問題は棚ボタ結果として勝った日本側が、あまり反省しなかったらしいところにある。
 神仏への祈りが効いて「神風」が吹いた、日本は神国だ、てなことになっちまって、それから660年後の太平洋戦争でもそれが通じて、連合軍はまたも負けるはずだった。

 さて、あれからモンゴルは雌伏720余年、21世紀となってついに日本軍に勝って見事に復讐を遂げたのである。
 国技大相撲である。少数精鋭を送り込み、あのときは負けた日本流の個人戦で、横綱、大関をはじめ主要な地位を奪取して大勝利をおさめたのである。
 3回目の襲来ともなると、戦術も台風も考えたうえでのことらしい。
 さすが大陸の人たちは、悠久に流れる時代を超えて物事を処理するものであるよなあ、。

 あ、そうだっ、だいぶ昔のこと、「神風」と言う名の力士がいた(引退後、相撲放送の名解説者)。日本人力士の誰か、この名に改名してはどうか、もしかして、2度あることは3度あるかもよ、。

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