2008/05/27

006【怪しいハイテク】インターネットが停まったので治そうと四苦八苦の挙句が

 5月21日頃の2日半ほど、わがPCで外との通信ができなくなった
 画面には、IPがどうのとか、サーバーが見つからないとか出てきて、メールもWEBサイトもせっかくの光回線につながらない。
 何もしないのにどうしてだろうと、では、机上PCじゃなくてもうひとつの膝上PC(そういえば最近はこのラップトップって言葉を聞かないなあ)をつないでも、やはり同じになる。でもIP電話は活きている。

 それじゃあ、こっちのPCのせいではなくて、プロバイダー@nifty側のサーバー故障で、今に治るだろうとおうように構えていた。だが、2日たってもつながらない。
 これだけ長く商用ネットで故障が続くと、新聞にでるだろうと、見ても記事はない。なにしろつながらないのだから、プロバイダーにメール問い合わせもできない。

 同じプロバイダーに加入している奴も、同じようになっているに違いないと思っていた。でも、ちょっと聞いてみるかと、同じ@nifty加入の友人に電話してみたら、なんだ、普通につながっているというのだ。 おいおい、どういうことなんだよ、まったくPCって奴は困ったモンである。

 しょうがないから、パンフレットの山からようやく探して@niftyに電話をした。こういう電話はえてしてつながらないものと決まっているのが、意外にもつながって、出てきたお兄ちゃんがあれこれと指図してくれて治った。

 結論は、要するにPC、ルーター、モデムの電源を全部抜いて、また入れたら元に戻ったという、実に原始的なものである。足で蹴飛ばしても治ったかもしれないぞ、おい。
 それくらいのことなら、2日も音信不通にさせなくても、ためしにやってみなさいって、どこか画面に出てきてもよさそうなもんだ。気が利かないやつである。

 その@niftyの「年寄り電話相談室」のお兄ちゃんは、それなりにちゃんと教えてくれたのであるが、言葉でちょっといらいらした。なにか操作を指示するときに、いちいち「~してもらってもよろしいですか?」と、こっちに質問するのである。

 「コントロールパネルをクリックしてもらってもよろしいですか」って尋ねられても、よろしいかよろしくないか、そんなこと分かるもんか、分かればこんな電話しない。
 その相談係はそう言えと研修を受けているのだろう、いちいち聞くなといっても、すぐに「よろしいですか?」の攻勢である。
 もうあきらめて、毎度毎度「はい、よろしゅうございますとも」と、お答え申し上げるしか、前に進む方法がないのであった。

 あれはどういうことなんだろう、もしそれで事故がおきても、「そっちがよろしいと承諾してやったことだから、こっちに責任はない」と、逃 げるためだろうか。
 それとも、"would you?"の直訳だろうか、まさかネ。(080523)

2008/05/08

005【怪しいハイテク】ブログを始めたけれども、イチャモンだらけ(その4)

・密林探検のブログシステム内部
 さて(その4)の書き込みである。ご覧になればわかるように、各文末の「コメント」の表示がなくなっている。昨日、いじっていたらコメントを管理するページに出くわしたので、表示しないように設定しなおしたのだ。
 そこまではともかくとしても、今日、そのコメント表示をしないように設定したページを出そうと、あちこち見たが、どこにあるか分からないのである。元に戻せないのである。 これは実はほかにもいっぱいそういうことがおきているのだが、要するに、そこにたどり着くのに論理的に表示をたどったのではなく、たまたま鼠を押したらでてきたからである。

 つまり、用語から内容を判断して押しても、まったく違うものが出てくるのであるそれでも出てくると、おお、ついでにこれをちょっといじくってやろう、となるからである。だからもう一度そこに行こうとしても、そのページとは偶然の出会いだから、再会が無理なのである。これはもう密林探検だよな。

 このブログにかぎらず同じようなことは、コンピューターのソフトウェアには実に多い。
 そんなわけで、なにか意見とか質問とかある方は、WEBSITE版<まちもり通信>の「MAIL」からどうぞ。

・わたしのキーボード歴
 最初のキーボードは、70年代の、あれはなんといったっけか、電電公社のホストコンピューターに接続して計算をするまさに電子計算機だったが、これはわたしの手におえなかった。
 所属オフィスでは構造計算と経理に使っていた。 都市計画の統計処理なんかはIBMの計算センターを使っていた。

 その次が日本で最初の東芝製WP専用機JW10であったが、これもわたしは手におえなかった。大きな事務机にはめ込みセットされていて、タイプライターと同じ機能しかなかったが、使用説明書(マニュアル)が超難しかった。まったく何のことが理解不能だった。
 どういう魂胆でこのような文章を書くのか、そのときからコンピューター屋への不信が始まったといってよい あれと比べるとこのブログのほうが、まだ格段に容易に理解できる。もっとも、比べるようなものではないが、、。

 ついでに思い出したが、70年代の初めに四則算のできる(というよりも四則算しかできない)計算機ができて、それは60センチ角くらいの大きさで、4本の車つきの足がついていた。ネオン管のような数字表示だった。それで手回しのタイガー計算機から開放された。
 わたしがキーボードに本格的に触れだしたのは、80年代になってからであるが、まずはワードプロセサー(WP)専用機であった。

 83,4年頃だろうか、ようやく今のコンピューターに似た形のWP専用機が事務機として登場し普及して、わたしもタイプライター熱をそちらに向けて愛用者となった。
 「ワープロ通信」なんてのが始まって、ニフティサーブに入会したのはその頃だったか、それが「パソコン通信」となり、「インターネット」となったのである。

 WP専用機は家電メーカーが発明したこともあって、個人用の普及をしだすと、その使い勝手や使用解説書は、今のコンピューター屋とは違って、さすが分かりやすかった。
 この頃、今の電子辞書くらいの大きさの「ポケコン」がでてきて、一時持ち歩いていた。四則算よりは複雑なルートとか偏差値とかの計算ができたからである。BASICで書いていたような気がするが、もちろん遊びを出ない。

・作る側と使う側のギャップ わたしは90年代半ばからコンピューターに乗り換えた。最初はマッキントッシュだったが、そのうちにウィンドウズ95がでてそちらに乗り換えた。このときからコンピューター屋の日本語知らずに、ず~っと悩まされ続けている

 だから結構うらみつらみの期間は長く、アホ馬鹿コンピューター屋と罵倒歴も長いのである。要するに使う側の立場ではなくて、作る側でしか物事を考えないらしいのである 早い話が「ワードプロセサー」ってのも、制作者は日本語をいかに処理して機械に載せるか苦心惨憺したので「処理機」としたらしいが、そんなことは使う側は知ったことではなく、きれいな文字と文章が出てくればよいのだから「清書機」のほうが分かりやすいのだ。「ワープロ」なんてわけの分からん言葉が登場したのも不思議であった。

 このあたりの基本的なことがコンピューター屋は分かっていないらしいから、どんなに変な言葉でも、使う側が作る側についてこいっ、てなもんで、パソコン教室を流行らせて2重に儲けようという魂胆なのだろう。昨日まで書いてきたことも、みなそうである。

 日本語を良く知っているものほど、コンピューターは難しいもの、というよりも、バカ日本語が分からんからであるのだ。
 つまり高齢者ほどそうなるのは、老人が物分りが悪いからではなく、バカ日本語にとりつくには、老人の日本語知識がバリアーとなっているのだ。  

2008/05/07

00488怪しいハイテク】ブログを始めたけどイチャモンだらけ(その3)

 さて第3回の挑戦、っていうほどではないが、まだまだイチャモンは続くぞ。
 今回は、前回の終わるときに「投稿を編集」なるページをみつけて、これを「お気に入り」(気に入らんな)に記録しておいたので、そこから入ったら簡単であった。

 本題に入る前にMSI.E.の「お気に入り」を、言葉としてわたしは気に入らないのでに、ここでイチャモンつけておく。
 ほかは検索とか表示とか編集とか硬い言葉なのに、なんでここだけ妙にクダけた用語なんだろう。それなら、「戻る」は「お戻り」、検索は「お探しもの」、表示は「お見せ」、編集は「お書き直し」、「ヘルプ」は「お助け」に、それぞれ直しなさいよ。
 「お気に入り」を普通にほかと同じような言葉に統一するなら「閲覧簿」か「閲覧控え」だろう。

 さて本題である。
 こちらで表示を直せないないので心に抵抗あるままにストレスを抱えて、われとわが風呂具に「投稿」をする。
 記事記入→記事登載→記事公開→記事訂正→記事登載→記事公開というサイクルとなる順序を、このような普通の日本語を使って、ブログシステムできれいに用意してほしいものである。

 第3者がこの風呂具のの記事を読んで、本当に「投稿」しようとしたらどうすればよいのか、自分で実験してみようとした。
 ところが、今度は「投稿」という記載がブログ画面にないのである。
 え、日本語では投稿資格に抵触する自分は投稿できて、投稿資格のある赤の他人は投稿できないのか?

 よく見ると記事の最後に「コメント」とあったので、これかと押せば記入欄が出てきて、書き込みして「投稿」を登載したのだった。
 で、ブログ画面に戻って載っているかどうか見たけど、それが無いのである。

 まあ、その後いろいろいじっていたら出てきたのだが、いろいろいじらないと出ないってのが、どうも不可解である。
 ところで、今これを書いている画面は、たった14行だけの表示である。
 あのなあ、お買い物のメモを書くんじゃないんだよ、きちんと記事を書くならこれじゃあ少なすぎるんだよ。
 長文書くきにはそれまで書き込んだことも時々見返しながらやるもんなんだよ、いちいちスクロールしてめんどうでしかたがないよ、なんとかしなさい。これは後で修正するときに、その場所を探すのに特に面倒である。

 しょうがないので、時々「投稿を公開」を押して、ブログ画面に行ってみて読んで、またこちらに戻ってきて書き続けるのである。

 それにここが「コメント」でよいのか。
 これだとコメンテーターの立場としては、なんだかどうも、立派なご意見を言わなければならない感じである。意見ばかりか、質問とか、関連情報のおしらせとか、挨拶とか、気軽に投稿したいこともあるでしょうにねえ、。こここそ「投稿」と書くべきところなんだけどなあ
 さて、ではこのあたりで、イヤな「投稿」をするか。

2008/05/05

0038怪しいハイテク】ブログを始めたけれどイチャモンだらけ(その2)

 開始から2日目である。ようやく書き込みできるようにページが開いて、今こうやって本日の記事を書いている。
 しかし、本日ここまで来るのさえ、よく分からなかったのだ。昨日は開始したばかりの初期画面だったから、あれこれなんとかできたのだ。 今日はこれから、これがブログ登載できるかどうかさえ分からない。

 本日の出だしから言えば、MS.I.Eの「お気に入り」(これが気に入らないが)に昨日登録していたので、わがブログページはすぐ登場した。
 だが、本日の記事を書き込んでブログ画面ページを更新をするのは、いったいどうすればよいのか、「書き込み」とか「更新」というところがないから、しばらくブログ画面をにらむ。

 まずは「ブログ作成」にちがいないと、矢印を持っていって鼠を押せば(クリックか)、なんだこれはブログを開設する画面だぞ、だったら作成じゃなくて「ブログ開設」って書いとけよ。
 戻ってじゃあ「ログイン」かなと押せば、なんだかごちゃごちゃ書いてるページが出たが、ここにも「書き込み」はない。それじゃあ「設定」かなと押しても、やっぱり違う。

 しょうがない、大嫌いなヘルプを見るかと押せば、おお、全文英語が出たぞ、Oh help!ってしゃれにもならない。
 しょうがない、また設定に戻って、ヘンだけど自分のブログに自分で「投稿」するしかないかと、「投稿」を押す、今、こうやって本日の記事を書いている。これでよいのか?
 新聞でも雑誌でも、その編集者や発行関係者自身がそこに「投稿」するとは言わないモンですよね。

 さて、この「投稿」がブログにどう登載されるのか、とりあえずここらで原稿記入中断して「投稿を公開」を押すぞよ、、この続きはまたあとで、。

・・・・・
 というわけで、「ブログの投稿を公開しました」って出てきて、おそるおそる「ブログを見る」を押したら、おお、今書いた記事が本文の初めにのっているぞ、よそからの投稿ではなくて、自分の登載記事の体裁となっている。
 だから「投稿」じゃないんですよ。 「書き込み」と直しなさい。

 「記事の投稿・・」ではなくて「ブログの投稿・・」とあるから、記事をブログというのだろうか? ブログってのは、この記事等公開システム自体をいうのと思っていたのだが、、。それとも 「ブログへの投稿・・・」の間違いか? 正確には「ブログへの登載・・・」と思う。

・・・・・
 さて、こんどはこの続きを書くにはどうすればよいのか、それが分からないのである。
 しょうがない、i.eの「戻る」を押す、そこの「投稿を編集する」をためしに押したら、さきほどの書き込み中の原稿記入画面が登場して、今これを書いている。
 だけど単に記事の追加とか訂正を、「編集」とはいわないもんだぞ。画面ページの構成を変えることまで含むときに「編集」というのだから、ここは「書き換え」とするべきだよ。

 単に「投稿を編集する」と書いてあるが、でてくるのは先ほど掲載分の原稿である。「最新の投稿・・」いや「最新の記事を書き換える」とするべきだろう。では昨日の記事に誤記入があった場合は、をどうやって「編集」、いや「書き換え」するのか?
 ここのほかにもあちこちに「編集」とあるが、それらの内容は「書き換え」である。多分、もとの英語版がeditになっているからだろうが、バカの直訳はいけないんだよ。

 あ、そうだ、昨日のことである。今見る画面のページ構成のように、「テンプレート」のままでは気に食わないので、あちこち「カスタマイズ」したのである。
 あのな~、「既製表示例」がなんで「テンプレート」なんだよ、
「表示変更」がなんで「カスタマイズ」なんだよ~。

「ヘルプ」じゃなくて「使い方」だろっ(もっとも中味が英語じゃあ「お助け」にもならん)。
 な~んの翻訳もしないで、バカ直訳とカタカナにしただけじゃんかよ、。
 日本語を知らない人が、このWEBLOGシステムの日本語版をつくったらしい。


 

2008/05/04

002【怪しいハイテク】ブログを始めたけれどもイチャモンだらけ(その1)

 昨夜、突然に思いついてグーグルでブログを始めてみることにした。このレイアウトと昨日の記事を見てくだされば、とりあえずはここまでカッコウつけた。
 しかし、である。なんとまあ、作り方の説明の分からんことよ、不親切なことよ、変な日本語であることよ。夜中の2時までかかった。もっとかんたんにできないものかよ~。

 ブログは簡単にできるなんて宣伝しているけど、自分のWEBサイト開設8年のわたしでも、なんだかやりにくいったらありゃしない、のである。
 そこで思いついたぞ、ブログ屋(というのかしら)へのイチャモンを書くことにした。何しろはじめたばかりだから、どこまでいちゃモンが続くのか分からないが、ぶつかるごとに書き込む。

 まずは「ブログ」ってなんのことだ、うちのPCでは風呂具ってでてくるぞ、これもいいけどね。要するに「簡易納入型電網倉庫」であって、このうち公開か非公開かで使い方が異なるのであろう。ブログなんてわけの分からん音感の悪い言葉じゃなくて、公開型なら「簡易著述発表電網書庫」(略して簡著網)とでも言ったらどうか、え、よけい分からん? こまったもんだ。

 「投稿」って言葉に、いきなりつまづいた。
 投稿ってのは当事者ではなくて第3者が書いたものを投じるのである。風呂具屋用語では当事者の著述の記載も、投稿というのであるらしい。
 この風呂具(もうこれでいくぞ)の当事者であるわたしが書き込むのは、普通は投稿とは言わないものなので、わたしがどうやって書き込むのかしばらく分からなかった。

 これでは本当に第3者が投稿した記事と、わたしの掲載記事とが区別つかないだろうよ、おかしいと思わないのか?
 書き換えられるところは「記事掲載」と書き換えたが、書き換えられないところがいっぱいあるので迷う。

001【横浜ご近所探検】ふるさとの森の大学キャンパス

 この4月から週1回、横浜国立大学に外部評価モニターとして受講に通っている。
 横浜国大を訪れるのは30年ぶりぐらいだろうか、1973年に設立された環境科学研究センターの宮脇昭研究室(植生学)に、個人的に植生学を学びたかったり、林地開発のプロジェクトに助言を受けたくて数年間にわたって出入りしていた。
 その頃から見ると、キャンパスにはしっかりと環境保全林が育っていて立派な森の中の学園となった。

 元はゴルフ場だったから森はなかったし、キャンパスとして整地工事で赤禿げになっていたものである。 そのころまで宮脇昭さんが研究を進めていた潜在自然植生理論に基づく植生学を、1970年頃から工場緑化で実地に現場に適用を始めていた。
 それは公害を発生する工場の周りを、密に植えてとりかこむ森の「境界環境保全林」づくりであった。当然にこのキャンパスも実験台にしたである。
 その後、日本全国ばかりか諸外国まで広めた宮脇方式といわれる「ふるさとの森」づくりとなったが、その成功例のひとつをキャンパスにも見ることができる。

 横浜国大の常緑樹の森は、主に境界環境保全林なのでキャンパスの周囲や建物群のまわりを帯状に取り囲んでいるから、全体的には森の中のキャンパス景観であるが、ひとつひとつの森そのものは、実はそれほど広くはない。
 それににもかかわらず森の中にいるように見えるのは、まさに周りを取り囲むように配置する境界環境保全の役割を果たしているといえよう。

 境界を守っている森は、その中に入って散策するものではない。林床には落ち葉が厚く積もり、枯れ枝が散らばる。密植した苗木が競争して育って、いまや高さ20メートルを超えて空を覆うから、草本や低木類は林縁にしか生えていない。
 シラカシ、タブ、スダジイなどの常緑樹の幹は、30年たっても意外に細いのは、競争の結果であろう。宮脇昭説では、生物は互いに競争しあいながら、互いに我慢しあって生きるのが、実は生存の最適条件だと実験から分かっているという。その現場であろう。

 高木の常緑樹林の外周部の足元周りには、サツキなどの花咲くマント群落を設けて目に優しくまた林床の落ち葉が道にあふれ出ないようにしている。
 しかし、そこかしこに足元が裸のところもあって、今は春の落葉の季節だから落ち葉が広場にも舞っている。それを自然が豊かで良いとするか、掃除が行き届いていないと見るか、人それぞれだろうが、大学キャンパスでは落ち葉が舞っていても良いだろう。

 スダジイ、タブノキ、クスノキなどの常緑樹は、宮脇さんの唱える「ふるさとの森」として、この地域では風土に最も適した樹種で、緑の葉を一年中つけている。
 常緑樹について笑い話がある。街路樹を植えるときに、沿道の住民にどんな樹種が良いかと聞くと、ケヤキのような落葉樹は葉が落ちて掃除に困るから、葉の落ちない常緑樹にせよと要求されることが よくあると、行政の人から聞いたことがある。

 ホンコンフラワーじゃあるまいし、葉の落ちない木なんてあるはずもなく、世の人々は意外に木を見ていないのである。落葉樹が秋なら、常緑樹は春に葉が落ちるのだ。だから横浜国大のキャンパス は、今が落葉の季節である。

●参考リンク先→国際生態学センター宮脇昭
●関連ページ →緑の生態的景観    →現代の意志の道
●制作者サイト→まちもり通信